枯れた骨の真っ直中で、私たちは預言者を欲します。神はその谷に預言者を送って下さいます――命の真っ直中から死の真っ直中へ送って下さるのです。
主は預言者に骨を示されただけでなく、彼をその真っ直中に置かれました。
それは預言者にとって、自分に何ができるのか示す絶好の機会でした。彼は自分には何もできないことを告白しなければなりませんでした。
主はまさに死の真っ直中で命について語られました。「これらの骨は生き返るだろうか?」。主がこの問いを発したのは、人々が病んでいた時、あるいは死んだ時でさえなく、彼らが骨になった時でした。
神は死の谷を命の谷にするのを待っておられます。多くの人は預言者になりたがりますが、喜んであらゆるものから引き離され、死の真っ直中に置かれようとするでしょうか?――何の同情もなく、人骨の周りに命はなく、人間らしい感情もありません。
神は御子を栄光の命から地上の死へと遣わされました。神は十字架を通らせずに人を預言者にすることはできません。神は、まずご自身の命を彼らの内に植え、それから彼らを命から死へと導かれます。
神は彼らを彼ら自身の力により死の谷に遣わすことはできません。
地は枯れた骨の谷で満ちています。神は預言者たちを待っておられます。内に神聖な命の火花を宿していないいかなる人も、神は遣わすことはできません。神は死の谷のビジョンを与えるのを待っておられます。もし神の命が私たちの内になければ、私たちはそれに耐えることはできません。
神は預言者たちを生み出そうとしておられます――彼らは自分の内に復活の命を宿していなければなりません。
キリストによって現された復活の力には三つの領域がありました。(1)ヤイロの娘が「起き上がり」ます――これは家で起きました。(2)やもめの息子が「立ち」ます――これは通り、あるいは道路で起きました。(3)ラザロが「出て来」ます――墓からでした。これらの領域のそれぞれの領域で、復活の命が現されなければなりません。その究極的結果は死の谷の中で勝利することです――たった一人で勝利することです。
エバン・ロバーツ
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