◇◇ 副題 ◇◇
誰でもたやすく実行することができ、
短期間で完全の域に達することができる祈りの方法
ガイオン夫人 著
私はここで文字を読めない人々に向かって語りたいと思います。* 文字を読めなくても、祈ることはできます。イエス・キリストは内側にも外側にも文字の記されている本です。キリストはすべてをあなたに教えて下さいます。
訳注:
*このページを御覧になっている方はみな、文字を読めるはずです。しかし、どうかこの章を読み飛ばさないで下さい!なぜなら、この章は文字を読める人にも大きな助けになるからです。前世紀まで、世界の大部分の人が文字を読めなかったということを、どうか心に留めて下さい。ガイオン夫人はそのような人々に向かって語ったのです。もしこの本を、文字を読めない人に読んで聞かせてあげるなら、きっと大きな助けになるでしょう。
あなたが実行するべき祈りはこれです。あなたはまず第一に、「神の国はあなたがたの内にある」(ルカによる福音書一七章二一節)という基本的真理を学ぶ必要があります。神の国をただそこにのみ求めなければなりません。
(牧者は自分の群れに、教理を教えるだけでなく、祈りを教える義務があります。彼らは人が創造された目的を信者に教えていますが、創造の目的に達する方法を十分に教えていません。)
最初に、神を深く礼拝し、神の御前で自分を無にして下さい。そして、目を閉じ、魂の内なる目を開いて、内側に向かって下さい。あなたは、自分の内に神が住んでおられることを信じる必要があります。この生ける信仰によって、神の臨在の中に入りなさい。感覚が外側をさまようのを許してはなりません。できるだけ、感覚を服従させなさい。
それから、自分の母国語*で主の祈りを繰り返しなさい。「天にまします我らの父よ」という言葉から始めなさい。言葉の意味にあまりこだわらずに、内側に住んでおられる神が自分の父であることを信じなさい。そして、自分の必要を御父の御前に注ぎ出しなさい。「父よ」と言った後、しばらくの間、静まりなさい。あなたの天の御父がご自分の御旨を明かされるのを待ちなさい。
訳注:
*今日、主の祈りを自分の母国語で祈ることは、ごく当たり前のことです。しかし、ガイオン夫人の時代、カトリック教会ではラテン語が礼拝等に用いられていました。
また、自分が弱い子供である事実をよく見つめなさい。あなたは、何度も転んで泥だらけになり、ひどく傷ついた子供のようです。あなたには、立つ力も、自分を清める力もありません。へりくだって、あなたの痛ましい状態を御父に見てもらいなさい。時々、愛と悲しみの言葉を、一言、二言、混ぜなさい。それからまた、主の御前で静まりなさい。その後、主の祈りを続けなさい。「あなたの御国が来ますように」と言う時、栄光の王である主が自分の内を統治されるよう求めなさい。自分を主に明け渡しなさい。そうすれば、主があなたを治めて下さいます。主が自分を治める権利を持っていることを認めなさい。
平安と静けさに引き寄せられるのを感じたら、その感覚が続く限り、次の言葉に移ってはなりません。この感覚が過ぎ去ったら、主の祈りの次の言葉に進みなさい。「あなたの御心が天でなされるのと同じように、地でもなされますように!」。この御言葉を祈りながら主の御前でへりくだり、主のすべての御旨が、あなたの中で、あなたを通して成就されるよう、熱心に主に求めなさい。あなたの心を主の御手に明け渡しなさい。自分に対して御心を行う権利を、主に与えなさい。神の御旨は、あなたが自分の意志で彼を愛することです。これを知る時、あなたは愛することを願うようになるでしょう。そして、神の愛を乞い求めるようになるでしょう。この祈りは、最初から最後まで、甘さと平安のうちになされるでしょう。主の祈りの残りの部分も、同じように祈ります。
形式的な祈りや習い覚えた祈りを、何度も繰り返す必要はありません。なぜなら、私が示したように主の祈りを一度祈るなら、豊かな実を結ぶからです。
また別の時、あなたは牧者なる主のもとに行きたくなるかもしれません。それならば、牧者に真の食物を求めている羊として、主のもとに行きなさい。主のもとでこう言いなさい。「おお、神聖な牧者よ、あなたはご自身をもってあなたの群れを養われます。あなたこそ真に、私の日毎のパンです」。あなたはまた、自分の家族の必要を主に打ち明けることもできます。しかし、あなたが何をするにしても、次のことを信じつつ行いなさい。すなわち、神は自分の内におられる、ということを信じなさい。
神に関するあなたの観念には、何の価値もありません。主の臨在を信じる生ける信仰で十分です。なぜなら、あなたはいかなる神の像も造ってはならないからです。イエス・キリストを自分の内なる中心の中に求め続ける時、あなたは、彼の誕生、十字架、他の何か神秘的な状態を見つめることによって、彼の像を造り上げてしまうかもしれません。しかし、そうしてはなりません。
別の時、あなたは医者なる主を見上げることもできます。あなたのあらゆる病を主に診てもらいなさい。しかし、不安を抱いてはなりません。そして、しばしば静まりなさい。この沈黙の時間は次第に増えて行くでしょう。そして、あなた自身の努力は次第に減って行くでしょう。最終的に、あなたは自分を神の働きに絶えず委ねるようになるでしょう。その結果、これから述べるように、神があなたをまったく統べ治めて下さるでしょう。
神の臨在があなたに与えられます。そして、あなたは静けさと安息を味わい始めます。この時、神の臨在のこの経験的な享受は、あなたを第二段階の祈りに導きます。もし私が示した方法を実行するなら、あなたも、教養ある人と同じように、第二段階の祈りに達することができます。しかし、最初から第二段階の祈りを実行することのできる恵まれた人々もいます。
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