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「イエスの生涯とその人格」

第二章 イエスの受洗

一 洗礼者ヨハネの使命

藤井武
Takeshi Fujii



イエスの世に現われる前に、ひとりの偉大なる先駆者が現われた。言うまでもなくバプテスマのヨハネである。

ヨハネの生涯は例えばイエスという太陽に先だちて上り又これに先だちて沈む明星のごときものであった。イエスの生まれんとするに当りて先ずヨハネは生まれ、イエスの世にでんとするに当りて先ず彼は世にで、イエスの殺されんとするに当りてまず彼は殺された。前者の光が余りに強烈であるため、人はその傍にある遊星に十分注意しない。しかしヨハネをらずして我らは果たしてイエスを解し得るであろうか。

一事は確かである。ヨハネなしにイエスは来なかった事これである。処女マリヤの子は必ず祭司エリサベツの子によってみちを備えらるべきであった。王の出現は必ずその使者によって先駆せらるべきであった。旧約がすでに明白にこれを預言している。

呼ばわる者の声きこゆ、いわく、なんじら野にてエホバのみちをそなえ、砂漠にわれらの神の大路をなおくせよと。(イザヤ四〇の三)
見よ、我れわが使者つかいを遣わさん。かれ我が顔の前に道を備えん……見よ、エホバの大いなる畏るべき日の来たるまえに、われ預言者エリヤを汝らに遣わさん。かれ父の心にその子女こどもを思わせ、子女こどもの心にその父を思わしめん。こはが来たりてのろいをもて地を撃つことなからんためなり。(マラキ三の一、四の五)

しかしてヨハネがすなわちその人であった事は、ヨハネ自らこれを確信し、イエスがこれを保証しているによって明白である。ヨハネはエルサレムの有司よりの公式質問に答えていうた、

我は預言者イザヤの言えるがごとく「主の道をなおくせよと荒野に呼ばわる者の声」なり。(ヨハネ一の二三)

イエスはまたある時ヨハネを弁護していうた、

ことばを受けんことを願わば、来たるべきエリヤはこの人なり、耳ある者は聴くべし。(マタイ一一の一四)

ヨハネの生まるる前にその父ザカリヤのもとに天の使いが来て予告したところもまた全く同様である(ルカ一の一七)。

かくてイエスの出現には数千年にわたる世界歴史ことにイスラエル歴史がそのみちを備えたばかりでなく、最後にヨハネが現われて、その長き準備をまっとうしたのである。神は始めよりかく計画し、しかして遂にかく実現したもうた。この事を知って我らは我らの摂理的歴史観をさらに確かめられざるを得ない。歴史は盲目には進まない。その下に神の緻密にして偉大なる計画がある。神の計画の実現しゆく記録がすなわち歴史である。荒野に呼ばわる者の声きこゆと預言せられて、その声は遂に現実に聞こえた。来たるべきエリヤは確かに来た。

何故に神の子の来る前に、エリヤととなえらるる先駆者が来たらねばならなかったのか。何故にガリラヤ湖畔の嘉信の伝えらるる前に、一たび荒野に呼ばわる者の声が聞こえねばならなかったのか。バプテスマのヨハネの使命は何であったか。

ヨハネの父ザカリヤはその子の生まれたとき聖霊に満たされ預言していうた、

幼児おさなごよ、なんじは至高者いとたかきものの預言者ととなえられん。
これ主のみまえに先立ちゆきてその道を備え、
主の民に罪の赦しによる救いを知らしむればなり。(ルカ一の七六、七七)

「罪の赦しによる救い」を主の民に知らしめんために、幼児おさなごヨハネは主イエスに先駆すると、父は聖霊に感じて言うたのである。彼の使命を言い表わしてこれよりも明白ならしめることは出来ない。救いは罪の赦しによる事、すなわち救いとは罪の赦しの問題である事、言いかえれば、人生の最大問題は道徳問題である事、これをイスラエルに、しかしてまた彼らを通して全人類に知らしむるところに、バプテスマのヨハネの使命はあったのである。彼れ先ずでて一度ひとたびこの事を明らかにした後でなくては、イエスは出現すべきでなかった。何となれば救いは罪の赦しの問題である事を知らず、人生の最大問題は道徳問題である事を知らずして、ひたすらにほかの問題の解決を求むる人々の前に、貴き恩恵の福音を提供するとも有害無益であるからである。「聖なる物を犬に与うな。また真珠を豚の前に投ぐな。恐らくは足にて踏みつけ、向きかえりて汝らを噛みやぶらん」。罪のなやみを軽んずる人に、ゲッセマネやゴルゴタの音ずれを伝えて何にしようか。

救いは罪の問題であるとは、すでにモーセの律法が力強く暗示したところである。律法きたりて人はその良心の上に大いなる圧迫を覚えはじめた。ほかの一切の問題が解決しても、律法の命ずる道徳が成就しない限り、人は真実の幸福を享受するあたわない事を悟りはじめた。かくて人生最大の問題は政治ではなく経済ではなく芸術ではなく、道徳の方面にある事を、人類は意識しはじめたのである。

この意識をさらに刺戟したものは預言者エリヤであった。彼は実にモーセ以来の偉大なる道徳的戦士であった。イザヤ又はエレミヤが貴き福音的使信を高調したに反し、エリヤは力づよき律法的使命にいそしんだ。世を挙げての道徳頽廃に直面しながら、ただ独り権威ある審判の声をはなち、もって全国民の心を戦慄せしめたものは彼であった。エリヤの霊は道徳の霊であり、その能力は律法の能力であった。

すでに律法があり、またエリヤがあった。その上さらにヨハネを要しないのであろうか。否、律法の主張を強めんがためにエリヤの必要があったように、さらにこれをまっとうせんがためにエリヤ以上のエリヤの必要があったのである。福音は律法によって準備せられる。しかして律法はエリヤによって生命づけられる。エリヤなくして、たとえ律法はあるとも、人はしばしばその真実の要求を忘れ、人生の最大問題の何であるかを忘れるのである。現にイエスの時代のイスラエル人がそうであった。彼らは浅はかにも救いを政治上の問題と考えた。ローマ政府への隷属より脱して独立の王国を形づくる事、それが救いであると彼らは思惟した。しかしてこの事業を成就せんがために来るものがいわゆるメシヤであると彼らは期待した。「イエス、彼らが来たりて己をとらえ、王となさんとするを知り、またひとりにて山にのがれたもう」との一句のごとき、よくその辺の消息を語っている(ヨハネ六の一五)。イエスの出現に先だちて、エリヤは必ず現われねばならなかった。長く待ち望まれし救い主のいよいよ来臨するに当りて、いにしえのエリヤにもまさるもの、全律法をおのが身に体現したるほどの偉大なる預言者が、必ず一たび現われねばならなかった。

預言者マラキが来たるべきエリヤの使命を預言して、「かれ父の心にその子女こどもをおもわせ、子女こどもの心にその父を思わしめん。こはが来たりてのろいをもて地を撃つことなからしめんためなり」というたのも、つまり同じ意味である。父子の関係は道徳の第一条である。モーセ十誠中、神に対する義務ののち、人に対する義務の始めに掲げられたものがこれであった。すべての道徳はこの関係によって代表せられる。父の心に子女こどもをおもわしめ、子女こどもの心に父をおもわしむるは、すなわち道徳観念そのものを回復するの意味である。この事なくして救いはあり得ない。道徳観念の回復なく、罪の赦しによる救いのないところには、ただ来たらんとする滅亡あるのみである。人類をしてこののろいを免れしめんがために、偉大なる道徳的預言者がキリストの出現に先だち必ず一たび現われねばならなかったのである。

かくのごとくにしてバプテスマのヨハネは来た。彼は人生の最大問題が道徳問題である事を明らかにし、救いは罪の赦しによるものである事を教えんがために、神より遣わされて来たのである。来たるべきエリヤは彼において来た。天の使いが彼のことを「エリヤの霊と能力ちからとをもて主の前に往かん。これ父の心を子に、もとれる者を義人の聡明さときに帰らせて、整えたる民を主のために備えんとてなり」といい(ルカ一の一七)、またイエスが「我なんじらに告ぐ、エリヤはすでに来たれり」というた通りである(マタイ一七の一二)。

しかしてヨハネはその使命を果たすに、ただ言説のみをもってしなかった。彼は己の生活のすべてをもって道徳の証明をなした。福音書記者ルカは彼の内的生活の特徴を「力」の方面に指摘して言う、「その霊強くなり云々」と(ルカ一の八〇)。これ疑いもなく肉体の本能的傾向に対する意思の支配力の発達を意味する言である。ヨハネ自身がまず優れたる道徳家であったのである。しかしてこの内側における道徳家はまた外側における禁慾主義者であった。すでに生まるる前よりして彼は「葡萄酒と濃き酒とを飲まず云々」と預言せられたが(ルカ一の一五)、事実上、彼の外的生活はすべての文化生活の享楽と便宜とを抛棄ほうきし尽くしたる最も単純なるものであった。何人も知っているように、彼の住所は荒野であり、その衣服は駱駝の毛織衣けおりごろもと皮の帯であり、その食物はいなごと野蜜であった。そこに装飾は跡かたもなく、技巧は極度までしりぞけられた。本能の要求はめざましきほどみにじられた。まことにイエスの言うたとおり、彼は「飲み食いせざる人」であった(マタイ一一の一八)。我らは索莫さくばくたるユダヤの荒野を背景にして彼をおもうとき、粗朴剛健、原始人にも似たる彼の面影ののあたり浮かび来るをおぼえる。

何故にヨハネはかくも通常人に期待すべからざる禁慾生活を実行したのであるか。それは最大問題の何であるかを最も明白に教えんがために他ならなかった。最大問題はある意味において唯一の問題である。たとえ他の一切の事を犠牲にしても、なおこの一つだけは守らねばならぬ問題である。しかして何人かが実際他の一切の事を犠牲にしながらこの一つのものを守って見せる時に、それの重大さは最も明白に示されるのである。ヨハネは飲食と服装と住居とを犠牲にし、家庭と社交と政治とを棄て、芸術と哲学と科学とを遠ざけ、一切を顧みずしてただ道徳を守った。彼の生活は道徳のみの生活であった。人は道徳の問題に没頭するとき、おのずから生活の単純を欲する。罪になやむものに文化生活の興味はない。罪を悔い改めた者にふさわしきは粗布あらぬのの衣である。飢え渇くごとく義を慕うものに、葡萄酒と濃き酒とは無益である。ヨハネはまさに「悔い改めよ」と叫ばんとするに当りて、先ずみずから悔改者のごとき生活を実行したのである。かくしてただにその口のみならず、その生活の全部をもって彼は叫んだのである。実に彼の全生活全人格が一つの声であった。「我は荒野に呼ばわる者の声なり」と彼みずから言うたとおりに。

しかし彼の禁慾生活のはげしさも、その口よりづる言葉には及ばなかった。彼はバプテスマを受けんとて四方より集まり来たる群衆、ことにパリサイ人やサドカイ人を見て、大喝を加えて言うた、「まむしすえよ、誰が汝らに、来たらんとする聖怒みいかりを避くべき事を示したるぞ」と。また彼らユダヤ人がみずからアブラハムの子係たるをたのまんとするを叱責して言うた、「汝ら我らの父にアブラハムありと心のうちに言わんと思うな。我なんじらに告ぐ、神はこれらの石よりアブラハムの子らを起こし得たもうなり」と。また悔い改めの心を起こさざる者の末路を警告して言うた、「斧はや木の根に置かる、さればすべて善きを結ばぬ樹はられて火に投げ入れらるべし」と。いずれも激越きわまる言辞である。誰かよくこれにえよう。

しかしながらヨハネ自身にとっては、かくのごときはもちろん言い過ぎでも何でもなかった。彼はただ当然の事を率直に言うたに過ぎない。道徳を最大問題として見るときに、偽善なるパリサイ人らはまむしすえでなくして何であるか。名ありて実なき選民をそのまま救いにあずからしむるよりは、石塊よりアブラハムの子を起こすは神にとってむしろ容易ではなかろうか(最初の人は土塊つちくれから起こされた)。道徳の無視者は他に何の優るる所があるとも、火に投げ入れらるるにふさわしくはないか。けだし道徳をその最大問題とする我らの人生に、これだけの厳粛味の存するは当然である。ヨハネはここに最も平凡の真理を語ったのである。

平凡である、しかし重大である。人のまず第一に求むべきものは罪の赦しである事を知るは、実に人生観の根本的革命である。これによって個人の生活の全部が改まるのである。「げにエリヤ来たりてよろずの事をあらためん」とイエスが言うたのは、多分この意味においてであったろうと思われる(マタイ一七の一一)。

ヨハネはイエスに先だちて死んだ。彼の生涯もまたイエスのそれのように短くあった。しかしながらヨハネの使命はすでに終ったのであらうか。そう思うは大いなる誤謬である。彼はイエスの先駆者である。ゆえにイエスの往くところにヨハネは必ず先だち往かねばならぬ。十字架の嘉信の伝えらるるところに、荒野に呼ばわる者の声は必ず先ず聞こえねばならぬ。キリストは他の意味においての救い主としてでなく、まず第一に我らの道徳的生活の救い主として受け入れられねばならぬ。

人生の最大問題は道徳問題であるとは今の人は大抵考えない。彼らは道徳について絶望した結果、出来るだけこれを軽んじようとしている。今や社会運動に熱中する人はある。芸術に没頭する人はある。恋愛のために生命を棄てる人のごときは夏の夜の虫よりも多い。しかしながら一切をなげうちて聖き生活を追い求むる人は何処にあるか。今は実に歴史上、たぐいなきほどの道徳蔑視の時代である。

かつてはキリスト者であったと言いながらすでにキリストを棄ててしまった者が何故に我国には驚くべく多いのであるか。ことに知名の文士および社会運動者にしてこの経歴をもたないものはれである。しかし怪しむには及ばない。私をして言わしめるならば、彼らは決してキリストを信じなかったのである。彼らがキリストを求めたのはあるいは単にさびしみの慰安のため、あるいは文化的啓蒙のため、あるいは病気医癒のため、はなはだしきは処世の方便のためなどであった。聖き生活の実現のため、罪の赦しのためではなかったのである。彼らは未だ道徳的生活の救い主としてキリストを受けなかったのである。彼らの迎えたる救い主は、バプテスマのヨハネによって開かれたる門より入らずして、他より越えて来たのである。かくのごときものは実はキリストではなくして盗賊であったのである(ヨハネ一〇の一〜三)。

偉大なる道徳的預言者ヨハネは、淫婦へロデヤの娘が一夜の舞踊の褒美に供せらるべく、脆くも首を斬られて果てた。しかしながらヨルダン河畔に挙がりし彼の叫びは、永遠に消え失せない。ヨハネは「死ぬれども今なお語る」。人生、道徳問題にまさる問題はないとの真理は、今なお我らの良心に強く訴える。我らに多くの苦悩があり多くの要求があり多くの愛着がある。そのあるものは死を賭するまでに切実である。しかしいずれか罪の問題ほど根本的であろう。ほかの問題がみな解けてもこの問題が解けない時に、我らは自己の生涯についての失敗感を去ることが出来ない。反対に、この問題さえ始末がつけば、ほかの事はどうあってもよいのである。これ人の偽りなき感じである。生命は糧にまさり、体は衣にまさるように、霊は肉にまさり、意思は理知または感情にまさる。何となれば肉は霊の機関であるからである、また人格の中心は意思にあるからである。このゆえに経済の事もしくは健康の事いかに切実であるというても、もちろん霊魂の問題には比ぶべくもない。哲学科学芸術の事いかに高貴であるというても、到底道徳の事には及ばないのである。我らは生計に窮しても病気にたおれても、立派なる生涯を送ることが出来る。学問には至って貧弱であり、芸術には全くの素人であっても、なお人間としての品位を保つに必ずしも差し支えがない。現に我らは時としてそういう人々を見るのである。フランシスは貧乏であった、パスカルは病身であった、バンヤンは無学であった。しかしそのゆえをもって誰か彼らをけなすものがあろう。これに反して、もし品性にして陋劣ろうれつならんか、たとえ何らの学芸その他の能力があろうとも、いかにしてこれに人としての尊敬を払うことが出来ようか。

バプテスマのヨハネをして今一たび野に叫ばしめよ、ことにキリスト教のようやく歓迎せられんとしつつある我が日本において!その高ぶりたる大学教授、偽善なる両院議員、俗化したる牧師等を捉えて言わしめよ、「まむしすえよ」と。その恋愛を売りものにして人霊の市を開きつつある戯曲家小説家どもに向かって消えざる火の審判を宣告せしめよ。その民衆をしてまず誠実なる悔い改めのバプテスマを受けしめよ。しかるのち始めてキリストに来たらしめよ。しからずして、今のままにしてこの国に福音を説くは、まさしく豚に真珠を投げ与えるの愚をなすものでなくして何か。