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「イエスの生涯とその人格」
第四章 イエスの人格
一 あるらい病人とイエス
藤井武
Takeshi Fujii
山上の垂訓終りて、イエスは麓に下った。湖辺の途をカペナウムに向かい彼は辿りゆいた。ある小さき町に差しかかったとき、見よ、ひとりの異様なる風態のものが、突然彼のまえに躍りいでた。
その人は頭を露わし口に蓋いをあて、また裂けたる衣服を纏うておった。疑いもなく彼はらい病人であった(レビ一三の四五)。さらに近づき視れば、それは一通りの病状のものではなかった。顔色ことごとく蒼白に、膿疱すでに全身を犯しているのである。
らい病人――人のうちのいとも恵まれざる者よ。肉体的にも精神的にも彼らほど不幸なるものは少ない。その悪瘡は肢体より肢体へと肉を食みゆき、遂には骨をまで蝕もうとする。高熱、不眠、その他さまざまの苦痛。それらはなお忍び得るとしても、すべての人より愛を拒絶せらるる精神的苦悩は果たして幾ばくか。
相識るものには忌み憚られ、
衢にて我を見るもの避けてのがる。(詩三一の一一)
わが友わが親しめるものはわが痍をみて遥かに立ち、
わが隣もまた遠ざかりて立てり。(詩三八の一一)
あまつさえ、その病患は神の手づからなる懲罰のように見られて、宗教の事においてさえ彼らは除け者にせられたのである。
昔は彼らは死骸に汚されたる者と共にすべてイスラエルの営の外に禁鎖められた(民数五の二)。後にも城壁の中には入れられず、概ね門の入口の辺に群れをなして住まうた(歴代下二六の二〇、二一、王下七の三)。風が彼らの方向より吹くときには、一定の距離以内に近づくことを禁ぜられた。しかしてかくのごときはひとりユダヤのみの事ではなかった。初代ローマ教会においては、人もしらい病にかからば会衆は彼のために一種の葬式を営んだ。中世英国においては、らいの患者を病院に送るときこれを棺に入れ、通行者はその風下にゆくを避けたという。誠に彼らはあらゆる意味において生きながら葬られたる屍であった(民数一二の一二)。
ラビと称えられて社会より尊敬せられしユダヤの教師たちは、この不幸の人々をいかに侍うたか。伝うる所によれば、「ラビ・メイルはひとりのらい病人が居たる街より来たりし卵を食うことを欲しなかった。ラビ・エレアザルはらい病人を見たとき自ら姿を匿してしまった。ラビ・ラキシは同じような場合に小石を拾うて彼に投げつけ、叫んでいうた『おのれの場所に帰れ、他人を汚すな!』と」(デビッド・スミス)。しかして彼らのかかる態度を怪しとするものはなかった。
今この呪われたる者のひとりが社会的禁制を犯して町に入り、思いがけずもイエスの前に突進して来たのである。彼はイエスの足下にひれふし、願うていうた、「主よ、みこころならば、我を潔くなしたもうを得ん」と。恐らく他の多くの病人がイエスによって癒されたことを見て、彼の心にこの信仰が起こったのであろう。
イエスは静かにその顔を見、その言を聴いた。彼の面にはたちまち大いなる憐憫の色が漲った。何の躊躇なく、彼は手を伸ばしてその者につけた、その全身らい病の者に。しかして言うた、「わが意なり。潔くなれ」と。
恐るべき悪疾に直面して、堪えがたき嫌忌を、しかり戦慄をさえ、彼は感じなかったであろうか。イエスとても素より人である。およそ人の感ずべきほどのものは、彼は最も鋭敏にこれを感じたに相違ない。しかしながら彼にはただ一つ他の人に無きものがあった。それは自分をすべての人と、殊に呪われたる人と、一つに見てしまう事であった。彼は人と自分との間に隔てを考えることが出来なかった。彼にとっては万人が自分であった。彼らの呪いはすなわち自分の呪いであった。彼は罪人を見るとき、自分が罪人であるごとく感じた。らい病人を見るとき自分がすでにらい病人であった。このゆえに彼の手は躊躇なく伸ばされて、その恐るべき悪疾の身につけられたのである。
イエスのこの態度が、見る人々の心にいかに深き印象を刻んだかは、福音書の記事によって明らかである。マタイとマルコとルカと、三福音書それぞれ着眼を異にし、描写するところに種々の差異があるにも拘わらず、ひとりこのイエスの態度のみについては、申し合わせしように一様の報告をなしているのである。例えば場所については「イエス山を下りたまいしとき」(マタイ)、「イエスある町にいたもうとき」(ルカ)といい(マルコは何とも言わず)、らい病人の行動については「見よ一人のらい病人みもとに来たり、拝して言う」(マタイ)、「一人のらい病人……跪き請いて言う」(マルコ)、「見よ全身らい病をわずらう者あり、イエスを見て平伏し、願うて言う」(ルカ)といい、またその結果を記すに当りても各々独特の観察をもってしている。しかるにただ「イエス手をのべ、彼につけて『わが意なり、潔くなれ』と言いたまえば」の一条に至りては、三書は符節を合わせしように一致している。
まことにイエスは一人のらい病人を見るや、これを避くることなく、かえって直ちにその手を伸べてこれにつけたのである。この一つの事実に無量の意味がある。それはイエスの生き方の一模型に過ぎない。イエスはすべてかくのごとくに、穢れたるものに自分を結びつけたのである。誼われたるものに自分を渡したのである。しかして彼らの穢れと誼いとを自分に引き受け、自分の潔きと恵みとを彼らに移したのである。らい病人の穢れを自分に引き受けるだけの覚悟なくして、彼の身に手をつけることは出来ない。イエスはむしろこれを願うた。悪疫になやむ子を看護する母の心の理想化したるものをもって、イエスは世の誼われたる人々に接した。
一人のらい病人がイエスの前に出たとき、穢れたる全人類が彼によって代表せられたのである。我らはらい病人を見て顔をそむける、しかし我ら自身の霊性の腐敗はらい病よりも軽きものであるか。「その頭はやまざる所なく、その心は疲れはてたり。足のうらより頭にいたるまで、全きところなく、ただ創痍と打傷と腫物とのみなり」と預言者イザヤがイスラエルについていいし言は、そのままに我ら人類すべてに適切なる形容ではないか。我らは一人のらい病者に代表せられてイエスの前に出た。そのときイエスは我らを斥けず、かえって彼の潔き生命を我等の穢れたる生命に結びつけた。それは彼にとって非常なる犠牲であった。彼は我らのすべての誼いを自分のものとして実感したのである。「まことに彼はわれらの病患をおい、われらの悲哀を担えり」である。イエスの生涯に人類的病患の苦痛があった。我らの悲哀は彼においてその全き重みを満たした。
イエスの犠牲的接触によって、らい病は直ちに去った。もちろん大いなる奇蹟である。しかし我らはそれを疑わない。らい病の即刻治療よりも、さらに大いなる奇蹟はイエスの人格である。その愛である、その真実である。見よ、かくしてらい病人を癒せしのちに、またも驚くべき彼の態度を。
やがて彼を去らしめんとて、厳しく戒めて言いたもう、「つつしみて誰にも語るな、ただ往きて己を祭司に見せ、モーセが命じたる物を汝の潔めのために献げて、人々に証せよ」。(マルコ一の四三、四四)
この訳文は適当でない。ほぼ次のように改訳すべきである。
また厳しく戒めて直ちに彼を逐いやり、しかして言いたもう、「つつしみて誰にも語るな云々」。
癒したるのちのイエスの態度に不思議にも荒々しきところがある。彼はほとんど怒りを含むがように(原語にその意味がある)厳しく戒めて、癒されしらい病人を逐いやり、「つつしみて誰にも語るな」と禁じたのである。かくも厳しき態度を彼が示したのは、恐らく誰にも知らせたくなしとおもう彼の願いを裏切りそうな様子を、その人に見て取ったからであろう。さほどに甚だしく彼は、自分のなしたる善が人に知られる事を嫌うた。
それは何故か。私はその理由をイエスの人格の真実性において見る。イエスは愛の人であると共にまた真実の人であった。彼が善をなすは善そのもののためであった。彼の動機は常に純粋であった。すべて純粋なる動機より善をなすものは、人に知られることを好まない。天国においてはいざ知らず、この世においては、善は顕われるだけその価値を減ずる。何となれば、この世はそれだけ卑しき世界であるからである。ゆえにイエスは教えて言うた、「汝ら見られんために己が義を人の前にて行わぬように心せよ。しからずば天にいます汝らの父より報いを得じ。さらば施済をなすとき、偽善者が人に崇められんとて会堂や街にてなすごとく、己が前にラッパを鳴らすな。誠に汝らに告ぐ、彼らはすでにその報いを得たり。汝は施済をなすとき、右の手のなすことを左の手に知らすな。これはその施済の隠れんためなり。さらば隠れたるに見たもう汝の父は報いたまわん」と。しかしてイエスはもちろんみずからこれを実行した。彼はすべて善をなすとき、その右の手のなす事を左の手にも知らさなかった。しかしていま彼はらい病人を癒したのである。これを癒すは愛の要求であった。これを隠すは「真実」の要求でなければならぬ。愛の要求すでに充たされたれば、この上はひとりの人にだに知られざらんことを真実は要求する。癒されしらい病人はこの要求に応ずるであろうか。イエスは彼の顔を再び熟視した。しかして彼には信仰はあるも深みがないことを知った。おのが癒されし嬉しさの余りに、彼はイエスの深き心を思いやろうともせず、かえってこれを裏切るべき様子を示している。真実の人イエスに一種の憤激なきを得なかった。すなわち彼はその面色を荒らげ、手にて彼を押しやるがごとくにして、儼然として言うた、「つつしみて誰にも語るな!ただ汝かく癒されし以上は、律法の命ずるごとく往きて己を祭司に見せ、規定の祭物をささげて、今ははやらい病人ならぬ事を証明せよ」と。
詮なきものは浅薄なる信者である。かくも厳しく戒められながら、かのらい病人はなお悟らなかった。彼はおのが不治の病の癒されし喜びに目が眩んでいた。彼にとってはこれにまさる恩恵はないと感ぜられた。この恩恵を証せずにいられようか。たとえ主はこれを禁じたもうとはいえ、それは彼の謙遜でもあろう。自分としては、この偉大なる恩恵を受けながらいかにしてこれを証せずにいられようか。
「されど彼いでてこの事を大いに宣べつたえ、あまねく弘めはじめたれば云々」とある(マルコ一の四五)。禍いなるかな、神癒の証詞に熱心なる者!彼らは肉体の治癒をもっていと大いなる事となす。彼らはさらにまされる恩恵を知らないのか。彼らは罪の赦しを経験しないのか。彼らは十字架を忘れたのか。彼らは復活の望みをもたないのか。彼らはキリストの苦難に与かるの特権を解しないのか。すべて卑きものにいと高き地位を与える事は冒涜である。救いは罪の赦しにあって、病気の治癒にはない。神癒はイエスの福音ではない。その附属物に過ぎない。癒されしものは密室に入りて私かに感謝すべきである。「出でてこの事を大いに宣べ伝え、あまねく弘めはじむ」る者は誰であるか。
かつては私自身もこの愚かなる迷誤に陥ろうとしておった事をここに告白する。私にも一つの願いがあった。ある病について、その癒されんことを私は切に願うた。かのらい病人のように、私もまたキリストのもとにひれ伏していうた、「主よ、聖意ならば、癒したまえ」と。しかして私はその祈りの聴かるべきを信じ、癒されし暁には熱心に神癒の証明をなそうと考えた。危かりしことよ。福いにして私の場合には「わが意なり」と主は言いたまわなかった。彼は恐らくらい病人よりもさらに浅薄なる私を憐みたもうたのであろう。彼は癒さずして厳しく私を戒め、しかして言いたもうた、「つつしみて愚かなる思いをいだくな。汝には癒されざるの恩恵を与える。これ遥かにまさる恩恵である」と。そのとき私は答えていうた、「主よ、それは私に余りに厳しい」と。しかし「私のなす事を汝いまは知らない、後に悟るであろう」――かく言うて彼は強いて私を突き放ちたもうた。
感謝すべきかな、かくて私は一つの大いなる迷誤より救われたのである。しかしてかえっていと高き恩恵に与かったのである。今に至りて私は沁々と彼の聖業の貴さを思わざるを得ない。
らい病人の行動はただに恩恵を卑しくする迷誤であったばかりでなく、また赦さるべからざる罪であった。何となれば彼はキリストの明白なる言にそむいたからである。もちろん彼に善意はあったであろう。しかし自らキリストのために証をなす事は彼の言に聴く事よりも貴いと彼は考えた。神のために何かを献げる事はひとえに彼に従う事よりも善いと彼は考えた。まことに信者の陥りやすき罪である。純粋に宗教的の罪である。古、サウル王が神に棄てられたのもまさしくこの罪のためであった。彼はアマレクを撃ち破ったとき、敵軍とその牛羊駱駝驢馬等をみな殺せとの神の言を受けたに拘わらず、牛羊中の最も嘉きもの肥えたるものを残して神にささぐる燔祭用に供した。彼のもとに遣わされし預言者サムエルは言うた、「わが耳に入るこの羊の声およびわが聞く牛の声は何ぞや……エホバはその言に従うことを嘉みしたもうごとく、燔祭と犠牲を嘉みしたもうや。それ従う事は犠牲にまさり、聴く事は牡羊の脂にまさるなり。そは叛くことは魔術の罪のごとく、抗らうことは虚しき物につかうるごとく偶像に仕うるがごとし。汝エホバの言を棄てたるにより、エホバもまた汝を棄てて王たらざらしめたもう」と(前サムエル一五の一四、二二、二三)。すべて神のために献げる事は素より善い、しかしひとえに彼を仰ぎ彼を信じ彼に聴く事は遥かに善い。「それ従う事は犠牲にまさり、聴く事は牡羊の脂にまさるなり」である。犠牲はなくとも、諸々の善行はなくとも、一すじの信頼がありさえすればよい。これに反して、もし単純に神の言に従う心なからんか、たとえ量りがたき善行を積もうとも、命賭けの伝道を務めようとも、神のまえに何の価値があろう。「われ彼らが神のために熱心なることを証す。されどその熱心は知識によらざるなり。それは神の義を知らず、己の義を立てんとして、神の義に従わざればなり」とイスラエルについてパウロも言うた(ロマ一〇の二、三)。熱心はすなわち熱心である。しかし己の義を立てんとするの熱心であって、神の義に従うの熱心ではない。神よりもむしろ己に頼む心である。不信である、叛逆である、抗拒である。神はこれを悪みたもう。
らい病人はイエスの言にすなおに従わなかった。彼は熱心に神癒の証明をなした。その結果は如何。「いや増々イエスの事ひろまりて、大いなる群衆、あるいは教えを聴かんとし、あるいは病を癒されんとして集まり来たりしが」(ルカ五の一五)。神癒の証明の立てられるところに必ず大いなる群衆はつどう。人は霊の恵みを慕わずして肉の福いを希うからである。
多くの宗教家はかくのごとき群衆の集合をもって伝道の成功であると考える。しかしイエスに取ってはそうでなかった。かえってその正反対であった。彼は神癒の証明に引かれてつどい来たりし大いなる群衆を見て、心より苦々しき事に思うた。かくのごとき人々を相手に語ろうとは彼は思わなかった。「イエス寂しき処に退きて祈りたもう」(ルカ五の一六)。彼は群衆を棄てて町の外の寂しき処に退いた。しかしてそこに静かに父を呼び
て彼に訴え彼に慰められた。
真実の人イエス!彼はおよそ虚しきものに堪えなかった。この世の賞讃は彼には糞土よりも劣るものであった。群衆に迎えられんより、むしろ侮られて人に棄てらるるは彼に願わしくあった。「すべての人なんじらを誉めなば、汝ら禍いなり。彼らの先祖が虚偽の預言者たちになししもかくありき」と彼は教えた。かくのごとくに真実を愛する人格にして始めて永遠の信頼に値する。
神はかつてみずからを恩恵と真実との神として啓示した。曰く「エホバ、エホバ……恩恵と真実の大いなる神」と(出エジプト三四の六)。しかして旧約の聖徒らは深刻にこの事を意識した。彼らは神を讃美する毎にこの両性格を言いあらわさずにはやまなかった。
われいう、憐憫はとこしえに立てらる、
汝はその真実をかたく天にさだめたまわん。(詩八九の二)
エホバは恩恵ふかくその憐憫かぎりなく、
その真実よろず世におよぶべければなり。(詩一〇〇の五)
同じような言がなお詩篇中に充ちている。
愛と真実との人格においてイエスは誠に神の子であった。使徒ヨハネは彼につき証して曰うた、「我らその栄光を見たり、げに父の独子の栄光にして、恩恵と真実とにて満てり」と。しかして四福音書に記録せらるる彼の生涯を見るときに、ヨハネの言われらを欺かぬを知る。右に挙げたるらい病人を癒せし場合のごとき、その一例である。ここに「あわれみと真実とともにあい、義と平和とたがいに接吻」したのである(詩八五の一〇)。