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「イエスの生涯とその人格」
第四章 イエスの人格
四 キリストの偉大性
藤井武
Takeshi Fujii
序論の一 彗星のごとく現われし謎の人物
今よりおよそ四千年前、ユダヤ人の祖先アブラハムがまだアブラムというて、カナンの山地に幕屋を張っていた頃であった。ヨルダンの低地なる今の死海の辺は当時なお豊穣なる沃野であって、ソドム、ゴモラなどの五小国がその間に昌えておった。しかし彼らはしばしば東北メソポタミア方面より諸大国の侵入に悩まされた。ある時エラムの王ケダラオメルを盟主とし、シナルの王アムラペルなど有力なる君主たちを加盟者とする四国連盟の攻撃を受けた。戦はヨルダン側の全敗に終った。ソドム王ゴモラ王等は遁げてシデムの谷の地瀝青の坑に陥り、その他の者は山に隠れた。四国側はソドム、ゴモラのあらゆる物資を掠奪して去った。
その被害者の中にはアブラハムの甥なるロトもあった。当時あたかもソドムに居住していた彼は、自らおのが財産とともに敵軍に拉し去られた。元来ロトがそこに居住するに至ったのは自己の好みによったのである。先に彼の牧者とアブラハムの牧者との間に争いが起こったときに、平和の人アブラハムは謙譲にも彼にむかい提議して言うた、「我らは兄弟の人なれば、請う、我と汝の間およびわが牧者と汝の牧者の間に競争あらしむるなかれ。地はみな汝の前にあるにあらずや。請う我を離れよ。汝もし左にゆかば我れ右に行かん。又なんじ右にゆかば我れ左にゆかん」と。ここにおいてロトは目を挙げてヨルダンの低地の「普くよく潤いエホバの園のごとく」なるを見て、選んでその地に移ったのである。しかしてロトはかく東の野を選んだゆえにアブラハムは西の山に残ったのである。今に及びてロトに臨みし不幸は、彼の自ら求めたものであると言うてもよい。
しかしながら平和の人アブラハムはまた義の人であり戦闘の人であった。彼は一たび隣邦の民および己が甥の不幸に関する情報に接するや、奮然と起ち上った。しかして熟練したる手兵僅かに三百余人を率い、マムレの橡林を出でて一路ただちに北を指し、勝ちほこりゆく連合軍を追うて長駆数十里、遂に国境ダンのほとりにおいてこれに追い付いた。すなわちここにその家臣を分ち、夜に乗じて奇襲を行い、よく大敵を撃破して、追撃遥かにダマスコの北なるホバにまで至った。かくて彼は奪われしすべての物資、ならびにロト及びその従者財産をことごとく奪回した。
この出来事は聖書に記さるる最初の戦争であって、旧時の世界帝国に対するイスラエルの祖先の勝利の記録と見ても意味あるものであるが、しかしこれをアブラハム伝の一節として見るときに、我らの興味はさらに深い。この時までもっぱら従順の人、忍耐の人、平和の人として知られたるかの偉大なる族長が、ここにその性格の隠れたる半面を遺憾なく現わしたのである。連合軍追撃戦のアブラハムは義勇にして機敏にしてかつ最も大胆であった。まことに彼はただに美しき柔和なる魂の所有者であったばかりでなく、また雄々しき男性中の男性であったのである。
強大なる四王を撃破し、悩まされたる五王を救助して、義人アブラハムは凱旋した。ソドムの王はシャペの谷(多分エルサレム郊外ケデロンの谷であろう)に慇懃に彼を迎えた。しかして彼によって奪回せられたる人はこれを己に受け、物はこれを彼に献げようとした。しかしアブラハムは答えて言うた、「我れ天地に主なる至高き神エホバを指していう、一本の糸にても靴紐にてもすべて汝のものは我れ取らざるべし、恐らくは汝、我れアブラハムを富ましめたりと言わん云々」と。自ら重んずるの深きを見るべきである。ここに至ってアブラハムの権威はまさしく王者以上であったと言わねばならぬ。
「今やアブラハムはこの世の偉大の絶頂にあった」(デリッチ)。地の王たちは彼の権威の下にひとしく頭を垂れた。しかるにこの時に当り一人の奇しき人物が彼の前に出現した。
その人は西の山地から来た(ソドムの王が東南の低地から来たに対し)。彼の手にはパンと酒とがあった。彼は他の王たちのようにアブラハムの足下に跪くことをせず、かえってその前に立ち、しかして祭司のするごとくに双手を挙げ、カナンの言をもって彼を祝していうた、
願わくは天地の主なる
いと高き神、アブラハムを祝福みたまえ、
願わくは汝の敵を汝の手に付したまいし
いと高き神にほまれあれ。
「天地の主なる至高き神」という、それは明らかにただひとりなるエホバの神を指す語である。しかしてこの一語を人の口より聞くは、当時においては最も珍らしき事の一つであった。さほどに偶像崇拝は滔々として既に世界を蔽うておった。現にアブラハム自身の父さえそれに染むを免れなかった(ヨシュア二四の二)。何ぞ図ろう、ここに誼われたるカナン(創世九の二五)の言をもってかくも高き祝福の声を聞こうとは!(イザヤ一九の一八参照)。かつ又その眼鉾、その面容、その態度よ。この人においてアブラハムは、暮れゆく世に残照まばゆき落日の偉大さを認めた。自分がそうであるように、この人もまた神の特別の顧みのうちにある者であるに相違ない。しかりこの人こそは確かにいと高き神の祭司であろう。神は今自分を祝せんがため特にこの人をここに遣わしたもうたのであろう。
かく思い定めて、アブラハムは恭々しく彼の祝福を受けた。しかして祭司たる彼に対する尊敬の表現として、すべての分捕物の十分の一を彼にささげた(十分一の献供は原始時代より人が神を崇むる方法の一つであったと見える)(創世二八の二二参照)。
「それ小なる者の大なる者に祝福せらるるは論なき事なり」とへブル書記者はいう。誠にそうである。祝福する者は神に代わってこれを為すのである。しからば今アブラハムが正義の軍を起こして全勝を博し、この世の偉大の絶頂にありて凱旋する時に当り、憚らず彼の前に立ち、彼にまさるの権威をもって神に代わってこれを祝福するところのその人、しかしてあえて彼より尊敬の表現を受くるところのその人、すなわち当然アブラハムの偉大なるよりもさらに偉大なるその人はそもそも誰であるか。
彼が誰であるかを聖書に探ろうとして、我らはさらに一つの不思議なる事実に遭遇する。それはこのひとりの人物に関する聖書記者の筆づかいのあまりに異例なることである。創世記は代表的人物の生涯の記録にはなはだ熱心である。その最後の十数章のごときはヨセフ一人の伝記のために費される。また創世記は系図に富む。そこにはアダムよりノアまで、ノアよりアブラハムまでの詳密なる系図が掲げられる。しかるにひとりヨセフよりもアブラハムよりも偉大なるこの一人物のために記者は何故かくも筆を惜しむのであるか。彼の業績を記すに当りて、聖書が明らかにする所は、僅かにメルキゼデクと称する彼の名と、また彼がサレムの王であり、しかして至高き神の祭司であった事とにすぎない。その他に創世記は彼について何事をも語らないのである。メルキゼデクは誰を父とし誰を母として有ったのであるか。その祖先の系図は如何であったか。何時何処に彼は生まれたのであるか。いかにして彼は神の祭司たりサレムの王たるに至ったのであるか。あるいはまた彼はいかなる死を遂げ何処に葬られたのであるか。すべてそれらの事は永遠の帷のかげに蔽われてある。何人もこれを探り知ることが出来ない。さながら光輝つよき一大彗星のように、または白き衣を着けたる天の使いのように、メルキゼデクは秘密の世界より突如として聖書歴史の中に現われ、しかして万国の民の父たるべき者に天よりの祝福を投げかけ、しかしてまたたちまち秘密の世界に没し去って、再びその姿を見せないのである。
このゆえに昔より歴史的人物としてのメルキゼデクの実在を疑うた人も少なくない。あるいはこれを天の使いと解し(オリゲン等)、あるいは聖霊またはある偉大なる神力の発現と見、あるいは神の子の受肉前の特殊なる顕現であるといい、もしくは奇蹟的に存在を与えられまた奇蹟的に取り去られし人物であるなどとさえ学者たちは言うた。
偉人のある業績のみが伝わって、その生涯の記録が残らないときに、人はしばしば彼の歴史的実在を疑う。メルキゼデクについてかくのごとき臆測の起こったことは素より怪しむに足りない。しかしながら聖書は彼の生涯のある場面のほかはこれを帷のかげに蔽うているに過ぎないのであって、彼を超自然的の存在者と見るべき理由は一つもない。ことに彼はサレムの王であったと聖書は明言している。サレムがエルサレムであることはほとんど疑いを容れない。詩篇第七十六篇の二節においてエルサレムは現にかく呼ばれている。また古代のエルサレム王には、メルキゼデクに似て何々ゼデクと呼ばれるものが少なくなかったという(例えばヨシュア記十章一節に現わるるアドニゼデク)。またエルサレムが太古よりの都であったことは、詩篇第二十四篇の「とこしえの戸」なる語によって暗示せられる。サレムについてのこの解釈はタルグム(アラミ訳旧約聖書)及びジョセフアス等のひとしく認むるところである。いずれにせよ聖書はメルキゼデクを特定の場所に結び付けて、もって彼が実在の人物であった事を明示しているのである。
しからば聖書は何ゆえにそのほか一切彼に関わる時間的空間的の約束を明らかにしないのであるか。何ゆえにただ彼の光輝ある祝福のみを伝えて他を語らないのであるか。これを単に偶然の事と見てしまえばそれかぎりであるが、しかし創世記記者としてはあまりに異例なるこの沈黙に、何らか深き意味があったのではあるまいか。もしそうであるとするならば、我らはここに一つの難かしき謎を提出せられたのである。メルキゼデクは大いなる謎の人物である。彼の彗星的出現によりて我らの学ぶべき真理は果たして何であるか。
序論の二 メシヤの典型として見たるメルキゼデク
聖書の謎を解くものはまた聖書でなければならぬ。霊感による沈黙の意味を明らかにするものはまた霊感による解釈でなければならぬ。
メルキゼデクの謎に最初の光明を投じたものは、ダビデの受けたる啓示であった。ダビデは詩篇第百十篇において歌うていうた、
エホバ誓いを立てて聖意を変えさせたもうことなし、
汝はメルキゼデクの状にひとしく永遠に祭司たり。
創世記以来幾百年のあいだ絶えて聞かれざりしメルキゼデクの名は、ここに再び聖書記者の筆に上ったのである。筆者はここに聖霊に感じて、後に現わるべき人類の救い主メシヤについての預言をなしたのである。
メシヤを預言するに当りてメルキゼデクの名を呼ぶは甚だ著るしき事であった。何となればメルキゼデクは異邦人であったからである。イスラエルにはイスラエルの立派なる祭司がある。神の定めたまいしレビの裔これである。ゆえにもしメシヤの重要なる職分の一つが神と人との間に立つべき祭司の事であるならば、レビまたはその裔なるアロンの名を引けば足りる。レビ系の祭司職は確かにメシヤの使命の一模型として定められたのである。しかるを何ゆえエホバは殊更に変わらじとの誓いさえ立てて、異邦人なるメルキゼデクをここにメシヤの典型と定めたもうたのであるか。
ダビデは啓示せられし言をそのままに録すのみであって、これが説明を加えない。我らは彼の預言によって、創世記の謎の人物メルキゼデクがメシヤすなわちキリストの好典型であることを知る。その資格において、異邦人なるメルキゼデクはイスラエルの祭司に勝ると神は見たもうことを知る。しかしていまだその理由を知らないけれども、右の一事のみにても実は驚くべき真理である。由来選民は異邦人を卑しめ、信者は不信者を侮り、宗教家は俗人を軽んずる。しかしながら神が彼らを選びたもうたのは、異邦人または不信者または俗人のためであって、彼ら自身のためではない。神の目標としてはただ「人」があるのみ、選民もなければ異邦人もない。このゆえに神は選民をして高ぶることなからしめんがために、時として異邦人の中より偉大なる預言者を起こしたもう。ヨブのごときはその一人である。神は選民をして真理を独占せしめたまわない。時として彼は真理の真理をかえってイスラエルの歴史の外に置きたもう。アブラハムが信仰によって義とせられたのは彼の割礼を受けた後ではなくして、かえってその無割礼時代すなわち彼がなお異邦人たりし時代にあった(ロマ四章)。契約は律法にまさるの真理である。しかして律法はイスラエルに、契約はむしろ人類に与えられた。「神の予め定めたまいし契約はその後……起こりし律法に廃せらるることなく、その約束も空しくせらるることなし」(ガラテヤ三の一七)。アブラハムの契約の前にノアの契約があり、ノアの契約の前にアダムの契約がある。新約の福音はすでにこの原始の契約の中に孕まれている。イエス自らあるときこの原理を例示した。それは離婚の是非に関するパリサイ人との問答のときであった。離婚を認むるは選民の律法である。これを認めざるは原始の人類への啓示である。しかしてイエスは明確に、人類的真理が律法的真理に勝ることを断定したのである(マタイ一九章)。
同じ原理がダビデによってまた高調せられた。彼は祭司としてのキリストの典型をレビの裔に求めずしてかえってメルキゼデクに求めたのである。こは誠に大胆なる革命的提唱であった。恐らくイスラエルの祭司長老たちは王ダビデの危険思想に対して眉をひそめたであろう。あるいはその冒涜に対していたく憤激したであろう。しかしここに大いなる真理の存在することを我らは注意せねばならぬ。神は誓いを立ててこの真理を宣言したもうたのである。選民は異邦人を斥くべきでない。そのヨブとメルキゼデクとラハブとクロスとを敬わねばならぬ。信者は不信者を蔑むべきでない、彼らの中にひそめる人たるの尊厳を貴ばねばならぬ。宗教家は俗人を見下すべきでない、その詩人と哲学者と労働者とに学ばねばならぬ。すべて選ばれたる者の傲慢は神の心に最も遠い。神は彼らを辱かしめんがために、しばしば選ばれざる階級を顧みたもう。神は異教国民と未受洗者と無教会信者とを愛したもう。
キリストの典型として、異邦人メルキゼデクはイスラエルの祭司に勝ることを我らは見た。しかしそれが何故であるかを我らは知らない。ダビデは理由を説明しない。多くの註解者は、メルキゼデクが王位と祭司職とを兼ねたという事実に、その優勝の理由を認めようとする。なるほどメシヤは王たる祭司である。しかしてイスラエルの祭司は王を兼ぬることを許されなかった。さりながらそのゆえにイスラエルの祭司職はメシヤの祭司的使命を象徴するに足らぬと言うべきであらうか。この詩(第百十篇)全体に漲れる重々しき心調に照らして見ても、さらに遥かに意味ふかき理由が潜んではいないであろうか。
本論 愛の品性
果然、ダビデの後さらにおよそ千年にして、霊感せられたる第二の解説者は現われた。へブル書の記者すなわちこれである。ダビデによって解決の曙光を投ぜられし古き古き謎は、遂に彼に至り白日の光をもって見事にも解き尽くされたのである。ヘブル書第七章は霊感による聖書解釈のいかなるものであるかを示すにこよなき範例である。
記者のここに論ずるところは二段に分たれる。その第一段(一節より十節まで)は歴史的人物としてのメルキゼデクの偉大性の論であって、創世記第十四章の註である。その第二段(十一節より二十五節まで)はメルキゼデクの位に等しきキリストの偉大性の論であって、詩篇第百十篇の解である。言うまでもなく後段は前段の適用に外ならない。メルキゼデクとキリストと、二者はその偉大性の性質を同じうする。ゆえに我らは便宜上右の両段を一括して学ぼうとおもう。
創世記はメルキゼデクの系図を掲げず、その経歴と後生涯とを語らなかった。しかしてこの異例なる沈黙はヘブル書記者の眼に深き真理を示した。ここに沈黙は最上の啓示である。聖書に現わるるかぎりにおいて、メルキゼデクは「父なく、母なく、系図なく、齢の始めなく、生命の終わりなき」ものである(三節)。従って彼が祭司となり王となったのは、レビの子らのようにその系図によったのではない。誰の子孫であるがゆえに、誰を父とし母として有つがゆえに、または何の閥に属するがゆえに、すべてそれらの理由のゆえにメルキゼデクはかの貴き地位に据えられたのではなかった。ただ彼は神のまえに裸に立ちて、その品性のゆえにのみ認められたのである。メルキゼデクは大なる霊魂を所有した。ゆえに彼は王者たるに適わしとせられた。メルキゼデクは敬虔なる人格であった。ゆえに彼は至高き神の祭司に立てられた。彼の資格は彼自身の内側に備わっていた。すべての肩書は彼に取って無用であった。これ創世記記者が殊更に彼の系図その他一切の附属物を省略した所以である。彼の偉大は品質の偉大であって、外形または境遇の偉大ではなかった。イスラエルの祭司に対するメルキゼデクの優勝は主としてこの点にあったのである。
従ってダビデの預言の理由もまたここにあった。何ゆえにキリストはアロンの位ならぬ異邦人メルキゼデクの位にひとしき祭司と定められたのであるか。キリストの偉大性こそは何ら外側の条件に係わることなく、ただ品性にのみよる偉大性の理想的なるものでなくてはならぬからである。
ヘブル書記者は事実をもってこの預言を解説した。いわく
これらの事はかつて祭壇に仕えたることなき他の族に属する者をさして言えるなり。それ我らの主のユダより出でたまえるは明らかにして、この族につき、モーセはいささかも祭司に係わることを言わざりき。またメルキゼデクのごとき他の祭司おこり、肉の誠命の法によらず、朽ちざる生命の能力によりて立てられたれば、我が言う所いよいよ明らかなり。そは「なんじは永遠にメルキゼデクの位に等しき祭司なり」と証せられたまえばなり。(へブル七の一三〜一七)
人の神に至るべき途を開くものが祭司である。キリストはみずから「我は途なり」と言うた。彼は神と人とを隔つる障碍を除去した。誠に人類が有つことを得たる唯ひとりの真実の祭司は彼キリストである。彼によらずして我らは神に往くことあたわない。苦難によって従順を学び遂に完うせられたる彼、十字架の死をもって神の永遠の義に対する適わしき尊敬を払いたる彼、ただ彼を通してのみ我らは憚らず聖座のまえに進み出ることが出来る。
人類のために立てられしただひとりの真実なる祭司はキリストである。しからば彼がこの貴き地位に立てられし理由は何処にあったか。イスラエルの律法によれば、祭司たる者は必ずレビの族より出ねばならなかった。その系図に些少なりとも疑いのあるものは必ず排斥せられたのである(ネヘミヤ記を見よ)。けだしイスラエルの祭司は神の聖別したまいし特殊の氏族に属する事をもって唯一の資格条件となしたからである。しかるにキリスト・イエスは明白にレビ族ならぬユダ族より出た。しかしてユダ族は何ら祭司職に関係なき氏族である。イスラエルの律法に照らして、キリストは祭司の無資格者である。
およそ系図といい身分といい地位といい称号という。これらはみな人の生命の外側に附属するものにすぎない。すなわちこれらはみな衣裳である。衣裳によって立つ人々は憐むべきかな。彼らの価値は自己になくしてただ衣裳にある。ゆえに衣裳を脱ぐと共に当然消え去る。一朝裸になることあらんか、すなわち彼らはたちまち棄てられ踏まれねばならぬ。今の世のいわゆる名士にしてこの範疇に属しないものが果たして幾人あるか。
系図によって立てられたるイスラエルの祭司もまた衣裳に飾らるる人形にすぎなかった。これイスラエル史上久しき間、祭司階級が預言者階級と対照を成して、はなはだしく低劣下賎であった所以である。「我は牧者なり、桑の樹を作る者なり」と叫ぶものが偉大なる預言をなしつつあるときに、「祭司のともがらは山賊の群れのごとく伏伺して人を害い、シケムに往く大路にて人を殺し」つつあったのである。エレミヤを迫害しキリストを迫害したるものは等しく祭司たちであった。
律法が衣裳に重きを置いたことを怪しむな。これ律法の性質上やむを得なかったのである。律法は生命ではなくして誠命である。ゆえに内より人を動かすことあたわず、ただ外より人に迫り得るのみ。すなわち律法の支配し得る領分は人の生命の内側になくして外側にある。その肉である、その衣裳である、その系図である。律法によって立てらるる祭司の偉大性は肉の偉大性たるにすぎない。
これに反してキリストが祭司となったのは、少しも肉の誠命なる律法によらなかった。律法によれば彼はかえって無資格者であったのである。彼をして真実の祭司たらしめたものは、ただ彼自身の内にひそめる能力であった。すなわち愛であった、聖き愛であった。罪びとのために己を棄つる愛のこころであった。この心のゆえに彼は苦難を忍んだのである。このゆえに彼は誘惑に堪えたのである。このゆえに磔殺せらるるまで彼は従順を続けたのである。キリストの聖き愛に蔽われて我らは始めて神の前に立つことが出来る。愛は彼を真実の祭司に資格づけた。
愛は誠命ではない、肉ではない、朽つべき衣裳ではない。愛は品性である、生命である、しかり朽ちざる生命である。人の偉大性がその衣裳によらず、学位によらず、経歴によらず、ただ内にひそめる朽ちざる生命の能力すなわち愛の品性によるときに、その人は始めて真実に偉大である。何となればかくのごとき人は最も神に近いからである。神は霊であるがゆえに彼に何の衣裳もない。神に系図もなければ肩書もない。神が神たる所以はただその聖き愛にある。完全に愛するもの、その者がすなわち神である。誠に「神は愛なり」である。使徒ヨハネのこの一言はかつて人の口より出でたる最大にして独一なる真理である。これに比ぶべき真理はない。神の本質は聖き愛に集中する。従って愛する者のみが神に肖る。愛の品性のゆえに偉大なる者のみが真実の偉人である。
世に偉人は多い、あるいはその勢力のゆえに、あるいはその事業のゆえに、あるいはその天才のゆえに。しかしながら勢力といい事業といい天才といい、これらはみな人の生命以外のものである。みな同じく衣裳の一種である。人は早晩これらのものを脱がねばならぬ。何人もこれを携えて墓の向側に往くことは出来ない。「預言は廃れ、異言は止み、知識もまた廃らん」である。すべての衣裳はこの世かぎりにて亡びる。人の価値はかくのごときものに繋がるにはあまりに貴い。人は永遠を慕う動物である。ゆえに彼の偉大性は永遠的の条件に係わらねばならぬ。何が永遠的の条件であるか。人の人たる所以のものがそれである、外につく衣裳ならぬ内に備わる品性である、朽つることなき生命すなわち愛である。愛の上に建てられたる偉大性のみが人としての偉大性でなければならぬ。かくのごとき品性的偉人と多くの衣裳的偉人との間に天と地との差別がある。
キリストの偉大性こそは純粋なる品性的偉大性であった。彼は人を征服するに他の何ものをもってもしなかった。彼はイスラエルの祭司のように燦爛たる衣裳をつけて現われなかった。かえってそのすべての衣裳を剥がれ、十字架上の赤裸の姿をもって現われたときに彼は最も偉大であった。彼の頭に王冠はなかった。しかし彼の品性そのものが王冠であった。彼の手に金笏はなかった。しかしその輝く愛が彼の笏であった。この一つの笏をもっていかに驚くべく彼は世界を支配したか。「ガリラヤ人は征服した」。我らはここに有名なるナポレオンの証詞を思い出さざるを得ない。いわく「私は多くの人々を知る、しかして私は汝らに告げる、イエス・キリストはただの人ではないと。皮相の眼はキリストと諸帝国の建設者または諸宗教の神々との間に類似を見る。しかしかくのごとき類似は存在しない。キリスト教と他の諸宗教との間に無限の距離がある。アレキサンダー、シーザー、シャーレメン及び私自身は帝国を建設した。しかし我らは我らの天才の創造を何の上に基づかしめたか。単なる勢力の上にである。ひとりイエス・キリストのみはそうでない。彼はその国を愛の上に築いた。しかして今なお彼のために喜んで死なんと欲する幾百万の人々がある。キリストを除いて他のすべての存在には何という不完全の多きことよ!キリストのみは始めの日より終わりの日まで変わることなく、壮大にして単純、限りなく堅固にして限りなく柔和である云々」と。
冠なきの王である、衣裳を着けざるの祭司である。これを象徴せんがためにアロンの位はあまりに不似合なるものであった。ここにはレビの裔ならぬさらに自由の祭司、ダビデの子ならぬさらに高き王の必要があった。このゆえに詩篇第百十篇においてダビデは自らキリストを「わが主」と呼び、また「汝はメルキゼデクの状にひとしく永遠に祭司たり」と言うたのである。けだし父なく母なく系図なくただその内に備わる品位のゆえにアブラハムを祝福したるメルキゼデクこそは、衣裳を着けざる祭司の典型であったからである。
父なく母なく系図なきメルキゼデクはまた「齢の始めなく生命の終わりなき」ものであった。人は彼の生涯の何処に始まり何処に終わるかを知らない。メルキゼデクの出現にはさながら永遠の存在者の面影があった。
これに反してアロンの位の祭司職に顕著なる色彩の一つは、死であった。その祭司たる者の数が複数に定められたのは(出エジプト二八、二九)、彼らの死の場合に備えんがためであった。かくて死はイスラエルの祭司に附着せる最初よりの予想であった。
メルキゼデク優勝の第二の理由はここにある。彼の偉大性はただにその品性に基づくものであるばかりでなく、それはまた永遠に朽つべからざるものである。このゆえにダビデは霊感によって言うたのである、「汝はメルキゼデクの状にひとしく永遠に祭司たり」と。キリストの偉大性には必ずや永遠性が伴わねばならぬ。この第二の特徴もまたへブル書記者によって明確に指摘解説せられた。
かの人々は死によりて永くその職に留まることを得ざるゆえに、祭司となりし者の数多かりき。されど彼は永遠にいませば、易ることなき祭司の職を保ちたもう。このゆえに彼は己に頼りて神にきたる者のために執成をなさんとて常に生くれば、これを全く救うことを得たもうなり。(ヘブル七の二三〜二五)
キリストはただに一たび我らが神にいたるの途を開いたのみでない。彼は永遠に途そのものである。彼は復活した。彼は昇天した。しかして神の右に坐した。彼は再び死ぬことなく常に彼処にありて我らのために執成をつづける。今という今も彼は我らのために祈りつつある。我らが恩恵より落ちないのは一に彼の絶えざる同情による。
キリストはいかにして永遠に存在するか。彼は愛であるからである。愛こそ奇蹟である。愛に驚くべき活力がある。愛は大火も消すことあたわず、洪水も溺らすことあたわない。愛は死よりも陰府よりも強い。これを滅ぼし得る力はない。「愛は長久までも絶ゆることなし」である。墓の中に朽つるにはそれはあまりに純一である。陰府に棄て置かるるにはそれはあまりに聖潔である。すべてのものが己に適当なる場所を要求するように、愛もまたこれを要求する。しかして愛の住所は天である、永遠である。愛は「土の家に住み蜉蝣のごとく亡ぶ」べきものではない(ヨブ四の一九)。愛は塵を超越し、暦を超越し、一切の束縛を超越する。
キリストの永遠性はその品性に備わる活力の当然の結果である。何一つの不純物を混えざる彼の品性が、絶ゆることあろうとは想像し得られない。「彼が祝福するとき、その祝福は存る。彼が祈るとき、その祈りは死なない」。しからば彼が生くるところのその生命はいかにして滅び得ようか。