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「イエスの生涯とその人格」
第六章 イエスの死
一 十字架上の前三時
藤井武
Takeshi Fujii
「父よ、彼らを赦したまえ」/「今日なんじ我と共にパラダイスに」/「おんなよ、見よ、なんじの子」
(イエスが十字架につけられし「時」については共観福音書とヨハネ伝と一致しない。これをいかに解決すべきかは困難なる問題であるが、ここには暫くベンゲル等の説に従うて、マルコ伝の記録を正確と見る。)
おおかたエルサレムの北方の郊外と思われる、ゴルゴタという処があった。その名はヘブル語のグルゴレスすなわち髑髏のことであって、地形に因んで附けられたものらしい(カルバリはラテン訳語)。円くして赤裸なる丘陵であろう。それが果たして何処にあったかはよく分らない。コンスタンチン帝が発見したと称えらるる聖墓のゆえに、伝説はこれをエルサレムの西方に定めるけれども、素より想像にすぎない。確かなる事は、その地が門の外にあったこと(へブル一三の一二)、しかし都に程近くあったこと(ヨハネ一九の二〇)、及びその側を大道が通じておったことなどである(マタイ二七の三九)。
イエスはこの髑髏の地まで曳き行かれ、ここにて十字架につけられた。
十字架の刑は素と東洋に起こりしものであって、古代ペルシア、アッシリア、インド、スクテヤ、またエジプト、ギリシャ等に行われた。ローマはこれをその敵カーセージより受け入れて、ただ奴隷および最大犯罪人(刺客、山賊、謀叛人)にのみ適用した。コンスタンチン帝ついにこれを廃止した。
十字架の形状には×型丁字型等数種あったが、最も普通なるは十字型のものであった(その縦の柱をスタチクルムといい、横の梁木をアンテナと言う)。縦の柱のほぼ中央の所には角のごときものが突出して、囚人の両股の間よりその身を支えた。近代画家が想像するごとき足台は附属しなかった。
処刑の方法としては、先ず十字架を立ててのちに人をこれに釘くることがあり、また人を釘けてのちにこれを立つることがあった。イエスの場合にはいずれの方法によったか明らかでない。今かりに後者であったと想像して見る。
髑髏丘上、興奮しながら罵りあえる群衆に囲まれて、地に横たわる一基の十字架がある。釘けらるべき囚人イエスは傍に衣を剥がれつつある。その膚身には鞭の痕も顕然である。やがて彼は赤裸のまま十字架の上に仰臥させられ、横なる梁木に沿うてその双手を伸ばさしめられる。四人のローマ兵(行伝一二の四)の一人は彼の胴体を、一人はその腕を押さえ、一人は大なる鉄釘を持ちきたりて、開かれたる掌の中央にその尖端を当てて保ち、しかしてまた他の一人は槌を揮うて上よりこれを撃ち込む。釘はかつかつと音しながらたちまち柔らかき肉を裂いてこれを木に刺し貫く。双手を撃ちつけしのち、兵卒らはさらに彼の両膝を枉げて足の裏を木に着合せしめ、その甲の上より同じように大釘を撃ち込む(足も釘うたれし事についてはルカ二四の三九参照)。
かくのごとく釘にて身体を木にうちつけし後、彼らは力をあわせ掛け声もろともに、これを真直に押し立てる。重き荷のため木がよろめく毎に、生々しき傷は堪えがたく痛む。起こされたる柱の脚はこれを地に穿ちし穴に埋め、もって倒れぬように全体を支える。双手を拡げて木の上に懸かれるイエスの姿ここに初めて高く現われる。
痛みは時と共に募りゆく。裂かれし肉の痛み、殊に動くごとに、また不自然なる姿勢にもとづく節々骨髄の痛み、同じ原因による四肢の強直、頭脳、肺臓、胃腑等における甚だしき充血、血行の混乱、血管の腫脹にもとづく言いがたき苦悩、身を焼くごとき渇き、眩暈、頭痛、痙攣、すべてこれらのもの相結びて来たり、しかも意識を失わしむるまでに至らず、誠に人の力をもってしては到底堪えがたき苦しみである。
このゆえに多くの場合において十字架につけられし者は狂気せしごとく叫び、詛い、あるいは見物人に唾しなどした。しばしばまた彼らは傍人もしくは処刑者にむかい歎願哀求して、慈悲のゆえに速やかに殺さんことを乞うた。実に彼らに取って唯一の救いは死そのものであったのである。「この悲しきしかし恵みふかき特権(早き死)を得んがために、予め処刑者に莫大の賄賂を贈ったものも少なくなかった」という。「刑罰のうちの最も残酷にして最も恐るべきもの」とシセロは十字架を批評して言う。
イエスは遂にこの刑罰に処せられた。人としていとも敏く柔らかき感性を備えたる彼は、何人にもまして堪えがたく苦しんだ。この時にあたり彼の口より烈しき詛いの言が噴出したとしても、誰がそれを怪しもうか。しかしイエスは遂に誼わなかった。彼もまた地獄の火の中より声たかく叫んだが、それは誼いではなくして、かえって恵みの言であった。しかり、それは人のかつて聞きしことなき恵みの言であった。曰く「父よ、彼らを赦したまえ、そのなす所を知らざればなり」と。
「なんじの隣を愛し、なんじの仇を憎むべし」というは人間普遍の法則である。誰か堪えがたき苦しみに陥れられてその敵を憎む心を起こさないであろうか。しかるにこの普遍の法則はここに根底より覆された。イエスに取っては他人はみな自己であった。自分を責めなやます者、自分を殺す者さえなお彼はこれを自己と一つならぬ者として憶うことが出来なかった。ゆうべ晩餐の席上、おのれを売らんとする者について、「人の子は己につきて録されたるごとく逝くなり。されど人の子を売る者は禍いなるかな。その人は生まれざりし方よかりしものを」と言うて悲しんだように、今また十字架の上に、己をここに至らしめたるすべての敵について、ひとしく彼は我が事のごとく悲しんだ。自分の苦しみは堪えがたい。しかし自分はかくして神の聖意に従いつつあるのである。禍いなるは自分ではなくしてかえって彼らである。彼らはかくして神の大いなる怒りに遭うであろう。彼らは何時か神の聖前に立たせられて、恐るべき審判を受けねばならぬであろう。憐むべきかな、惨ましいかな。彼らはすべてを知りながらかくのごとき事をなすのではない、彼らは神を知らないのである、神の子なる自分を知らないのである、従ってそのなす所が果たしていかばかり重き事であるかを彼らはいまだ知らないのである――かく憶い来たりて、イエスの愛の心は肉の痛みにもまして強く痛んだ。彼は己を忘れて彼らのために執り成さざるを得なかった。かくてかの偉大なる祈りは発せられた。敵のために祈りしこの言の中にイエスの全生命が籠もっている。与えて与えてやまざらんと欲する限りなき愛の生命の表白である。
人の子はおのが肉をも血をもその敵に与えてやまざらんと欲する。しかるに見よ、足下には兵卒ども、さばかり大いなる贈物には堪えないとでもいう風に、ただ脱ぎ棄ての衣を求めてしきりに籤を引いている。まず一人は上衣を一人は帯を一人は靴を一人は帽子を取り、次に下衣を四つに分かとうとすれば、それは縫い目なく上より惣織のものであるを見て、誰か一人の所有にすべくまた籤をひく。ああ限りなき生命を拒みて、一足の破靴、一枚の古シャツを争う無慾の人々!
イエスの十字架を取り巻いて、あらゆる階級の人々の嘲弄の合唱が始まる。そこは都に近くかつ大道に接しているため、数多の往来人が通り過ぎる。彼ら道ゆく者どもこの光景を見て、みな何故ともなく嘲りの衝動を感じ、声たかく罵って見たくなる。すなわち憎らしげに首を振りながら言う、「宮を毀ちて三日のうちに建つる者よ、もし神の子ならば己を救え、十字架より下りよ」と。始めよりその場にありて罪の指図をしながら、白く塗りたる墓のごとく偽りの威厳を保ちいたる祭司長、学者らも、今は好き機会を得てその仮面をぬぎ、群衆に和しつつ卑しき声をあげる。「人を救いて己を救うことあたわず。彼はイスラエルの王なり。いま十字架より下りよかし、さらば我ら彼を信ぜん」。民の長老たちも負けてはいない。「彼は神に依り頼めり。神かれを愛しまば今すくいたもうべし、『我は神の子なり』と言えリ」。異邦人なる兵卒どもも後れを取らない。彼らはイエスの頭上に掲示せらるる罪標に、へブル、ギリシャ、ラテンの三国語にて「これはユダヤ人の王なり」とあるを指摘して、己らがわびしき勤務の間に飲用する酸き葡萄酒を酌み、さながら国王の饗宴に祝杯を挙ぐるさまに、イエスに近よりこれを彼にさしつけて言う、「なんじもしユダヤ人の王ならば己を救え」と。それのみではない、この日イエスの他になお二人の盗賊が彼の右と左とに同時に十字架につけられたのであるが、その中の一人まで、苦しまぎれに、ひとしくイエスを罵って言うた、「なんじはキリストならずや、己と我らとを救え」と。
嘲弄また嘲弄、十字架とそれに加えての悪言の大合唱である。かくのごときがイエスの愛に対するこの世の報酬の総勘定であった。イエスはただ黙ってこれを受けた。彼はおもうた、彼らはいま人の心の毒々しさをことごとく露わしつつあるのである、かくして自分の飲み干すべき酒杯をいよいよ苦くしつつあるのである。彼らの罪の深きだけ自分の酒杯は苦い。しかしその罪を除かんがための苦しみである。自分の傷によって彼らは癒やされるのである。さらば彼らをして飽くまでに嘲らしめよ。自分はことごとくその毒を飲みその罪を負おうと。
イエスは黙って聞いておった。しかるにここに一人、思い設けぬ喜ばしき告白をなすものがあった。彼の隣に懸けられし盗賊のひとりであった。他の一人が今しも群衆に和して苦しまぎれの誼いを発したのを聞いて、彼はそれに答えたのである。曰く「なんじ同じく罪に定められながら、神を畏れぬか。我らはなしし事の報いを受くるなれば当然なり。されどこの人は何の不善をもなさざりき」と。しかしてさらにイエスにむかって言うた、「イエスよ、聖国に入りたもうとき、我を憶えたまえ」と。
これは珍らしき懺悔と祈祷であった。殊に他の一人の言に比べて見て、その対照の著るしさよ。後者はイ
エスに対し「己と我らとを救え」と言うて、イエスが今みずから十字架より降りるあたわず、また他人をも降ろすあたわぬ事をもっておのが不信仰の理由にしている。しかるにこのひとりはそうでない、かえって反対である。彼は何の不善をもなさざるイエスが十字架につけられ嘲られながら、いささかも逆らうことなくしてひとえに忍び、かつ敵のために祈りをさえなすを見て、心うたれたのである。イエスの己を救わぬことその事が彼にはかえって信仰の理由となったのである。
ふたりの盗賊は誰であったか委しくは分からない。伝説によればその一人をテトスといい他をドマコスというた。かつてイエスが生まれて間もなくヘロデの難を避けて全家エジプトに逃れたとき、途にてこの二人の強盗に遭うた。そのときドマコスは彼らを掠めようとしたが、テトスはこれを遮ったなどと伝えられる。しかしもちろん確かなる史実ではない。多分彼らは二人相組みて久しくパレスチナ各地を荒しし強盗であろう。彼らの経歴と境遇と思想とは互いに似通うておった。彼らは今日まで同じ世界に住んでおった。しかるに今日二人は別たれたのである。彼ら各自の最後の言は明らかに、その今ある世界が全く別のものであることを示す。一人はなお「今の悪しき世」に属している(ガラテヤ一の四)。他の一人の「国籍はすでに天に」ある(ピリピ三の二〇)。二人の男ともに十字架の上におりながら、一人は取られ、一人は遺されたのである(マタイ二四の四〇参照)。
この大いなる差別は何にもとづくか。我らはその唯一つの原因を見る。それは善行でもない、徳性でもない、はたまた正統的信仰でもない。それはただ砕けたるたましいである、高ぶりを棄てたる心である、一すじにキリストをあおぐ精神である。他の一人が発せし「なんじはキリストならずや、己と我らとを救え」との言は確かに倣慢の表白であった。自己を恃みとする心持ちが濃厚にその中に表われている。これは自分の無価値を知り自分に希望を失うて自分を投げ出したる者の声ではない。これに反して「我らは当然なり」といい、「この人は何の不善をもなさざりき」というは、自己の罪深さ――殊にキリストに対比して――の率直なる認識であって、人類当然の謙遜の声である。疑いもなく彼の良心は先刻来のイエスの言動によっていと深き刺戟を受けたに相違ない。彼は驚くべきものを見た。彼は始めて愛というものを知った。彼は善そのものを実見した。しかしておもうた、この人はただの人ではあり得ないと、それと共に彼は自分の浅ましさを如実に見とどけた。この人に比べて自分は何者か。かくのごとき自分が今このように苦しむは当然である。しかしこの人は別である。この人の理由なき苦しみは貴い。その死は限りなく意味ふかい。彼の死が遂に死をもって終るとは考えられない。恐らく彼は真実にユダヤ人の王であろう。しかしていかなる方法をもってか、いつか必ず自己の王国を建設するであろう。ああその時に願わくは自分も彼に記憶せられんことを、願わくは自分もその理想国に何かの形において結びつくを得んことを。
十字架上のイエスを見てひとりの人が生まれかわった。放蕩児はその父に帰った。失せたる羊は見いだされた。彼に何の行為もなければ信仰箇条もない。彼にはただ一つの砕けたる霊魂があるのみ。しかしそれでよいのである。それで足りるのである。イエスの痛める胸に喜悦は漲った。彼は輝く瞳を隣の十字架にそそいで直ちに答えた。曰く「われ誠に汝に告ぐ、今日なんじは我と共にパラダイスに在るべし」と。
このイエスの答は極めて簡単ではあるが、いみじくも熱情にあふれている。「我れ誠に汝に告ぐ」の一語が特に心をこめし発言を示すことは言うまでもない。次に「今日」である。何時か遂になどいう漠然たる未来の約束ではない。いま頭上に照りわたりつつある日がいまだ西に没せぬうちに、ここに群がる人々がいまだ家に帰りつかぬうちに。次に「我と共になんじは在るべし」である。単なる記憶ではない、個人的偕在である。友のごとく眼のあたり相見て親しく相交わる存在である。最後に「パラダイスに」である。未来の王国も素より善い。しかしそれを待つまでもない。王国の前にすでに実現せるパラダイスがある(パラダイスとは素と公園を意味するペルシャ語より出て、へブル語にもギリシャ語にも用いられるに至ったらしい。これをヘブル語に用いたる例は伝道の書二の五、雅歌四の一三にある。共に美わしき王宮の園を意味する。ギリシャ語の用例としては七十人訳における創世記二の八、三の一のエデンの園がそれである)。イエスのここにいわゆるパラダイスは何処か。それは地上の園ではない、死後の国である、陰府の一画である、神を信ずる者がこの世を去りし後に天使たちに携えられて集めらるるところの見えざる楽園である。かつてイエスはこれを「アブラハムの懐」という語をもって表わした(ルカ一六の二二)。しかし今は端的にパラダイスという。そこはすでに失せし地上楽園にもまさる福いの国である。イエスみずから今日の中にそこに往こうとしている。彼はただ独りにて往くつもりであった。しかるに今思いがけずも善き伴侶を見い出したのである。この砕けたる霊魂は必ずそこに伴われねばならぬ。そこに備えられし永遠の生命の喜びに入れられねばならぬ。ゆえに彼はあえて遠き未来の王国をいわず、明日をも待たざるパラダイスをもってかの憐むべき盗賊を慰めたのである。(イエスは死後一たび陰府に往いた。「また霊にて往き獄にある霊に宣べ伝えたまえり」とペテロの言う通りに(前ペテロ三の一九)。しかし彼は三日目に復活して天に昇った。その時以後パラダイスはその中にありしすべての霊と共に陰府より天に移ったと見ねばならぬ。パウロが取り去られし第三の天(後コリント一二の四、黙示録二の七参照)はそれである。)
我らは想像する、その日の夕、パラダイスにおいてイエスとかの盗賊との再度の福いなる会見が行われた事を。十字架上のイエスに最先に神をみとめし盗賊に、とこしえに祝福あれ。
暫く喜びにひたりしのち、イエスはまた目をあけて辺りを見た。その時ひとつの顔が彼の瞳に映じた。忘れがたき母であった。彼女は我が子の遂に十字架につけられしを聞き、彼に仕えてガリラヤより従い来たれる多くの婦人たちと共にその場に臨んだのであった。しかして始めのほどは遥かに望み見ていたが、彼があるいは祈りの言を発しあるいは隣の盗賊と問答するなどの様子を見て、その姉妹またクロパの妻マリヤまたマグダラのマリヤなど二三の者と共に一しお近く十字架の傍に寄り添うたのであろう。
彼女の生涯は犠牲のそれであった。そのなお処女たる間に聖霊によってイエスを胎に宿したことに始まる。その事自体がこれを特権といえばもちろん比類なき特権ではあるが、しかし、見ようによってはまた深大なる犠牲であった。これを特権と認めて感謝するまでには、処女が処女としての華やかなる意識をことごとく投げ棄てねばならなかったのである。かつまたこれがために差し当たり彼女は許嫁の夫の心をいたく傷つけた。イエスを産みし後には、この悲哀の人の母として、彼女は多くの患難に参与せざるを得なかった。幼児イエスを携えて宮に入ったときシメオンが彼女を祝してのち「剣なんじの心をも刺し貫くべし」というたのは実に意味ふかき預言であった(ルカ二の三五)。すべてイエスを刺す剣はみな彼女をも刺すのである。しかのみならず、イエスが特に神の子として行動する時には、肉の母なる彼女は絶対にこれに立ち入ることを許されなかった。「おんなよ、我と汝と何の関係あらんや」(ヨハネ二の四)、かく言うてイエスは彼女を斥けた。すべてそれらの場合に彼女はただ黙って「ことごとくこれを心に蔵めた」(ルカ二の五一)。しかしそれは母として骨にまで応える寂しみであった。イエスを子として有ちたるマリヤの犠牲は彼女自身でなければ分からない。
その母マリヤが十字架の下に立ち居るをイエスは見たのである。恐らく彼女の犠牲の生涯もまた今やその絶頂に達したのであろう。この時にあたり、彼女がたとえ他人の母であっても、イエスは深き同情を寄せたに相違ない。いわんや自分の母である。しかしてイエスに取っては父母は家庭における神の代表者であった。彼は人の子として父母に対する比いなき服従のこころを有っていた。孝道の事は彼には信仰の事と本質的に違わなかった。信仰畢竟父なる神に対する孝道である。今十字架の上にその霊の父に対して限りなき従順を全うしつつあるイエスは、またその肉の母に対しても子たるの道を全うせずにはいられなかった。犠牲に生きたる母よ、汝に対するわが敬虔なる愛をいかにして表わそうか。
かく思うとひとしく、彼は彼女の傍に立てる今ひとりの者に気が付いた。それは使徒ヨハネであった。ヨハネはイエスに対して肉親の関係があったかどうか明らかでない。ある学者らはマリヤと共に居たるその姉妹をヨハネの母サロメと同視して、イエスとヨハネとは従兄弟であったと推定する。いずれにせよ、イエスの特愛の弟子は彼ヨハネであった。最後の晩餐の席上「イエスの愛したもう一人の弟子イエスの胸によりそい居たれば」とあるはすなわち彼であった(ヨハネ一三の二三)。二人の親しみは肉の兄弟にも勝った。このゆえにイエスはおのが母を彼に託するの最も適わしきを思うた。すなわち眼をもて示しながら彼女と彼とにむかうていうた、「おんなよ、見よ、なんじの子なり」、「見よ、なんじの母なり」と。これは人の子イエスの高き孝道観の表白である。キリスト教はこの道に冷淡であるという者は誰であるか。キリスト・イエスに取りては、孝道の事は人生最大問題の一つであった。彼がその十字架上より発せし最後の重き七語中の一語は実に母に対する愛の発表であった、あたかもモーセによって伝えられし十誠中の一誠が「汝の父母を敬うべし」であるように。
ヨハネはこの言を聞いて感激した。師の危急に際しおぞましくもこれを棄てて逃げたる自分のごときものを、彼はなおかくまでに信頼してくれるのである。ヨハネは一刻も早く彼に代わってその母を慰むるの務めを果たしたく思うた。すなわち直ちに彼女を促しておのが宿へと引き取った。
時はややに移りゆく。イエスの苦しみはいよいよ募る。