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「イエスの生涯とその人格」

第六章 イエスの死

二 十字架上の後三時

藤井武
Takeshi Fujii



「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタナイ」/「われ渇く」/「事おわりぬ」/「父よ、わが霊を聖手みてにゆだぬ」

イエスが十字架にけられてよりすでに三時、ユダヤの春の日は中天に高くあった。光は赫々かくかくと照りわたった。

真昼の十二時ごろである。たちまち大空の模様怪しくなり始めたと思うまもなく、日の輝きしきりに薄れゆきて、万象見る見る色を失い、光明より薄明へ、薄明より幽闇へ、須臾しゅゆにして地のうえ全く暗く、時ならぬ闇の夜が現出した。

人々は思わずみな空を仰いだ。そこにはただ何とも知れざる物凄き闇黒を見るのみであった。今まで照りわたりし日輪はことごとく姿をかくして、や余光をだに送らない。春の日盛りにして太陽急に滅びたのであろうか。

かくて一時また二時、ついに長くも三時ごろまで。

この不思議なる現象が何であったかは説明しがたい。それが普通の日蝕でなかった事だけは確かである。何となれば時はあたかも満月の頃であったから。従って古き記録家フレゴンによって記録せらるるローマ暦七八五年の顕著なる日蝕は、この現象と一致しない。それはあるいは大気の変動に基づく現象でもあったであろう。シリヤ地方においては、砂漠よりシロッコ風が吹き来たるとき、時としてかくのごとき事が起こるという。一八三七年一月一日にバイルートにありし一旅行家の手記によれば、「静かなる安息日の夕、青白く煙じみたるもやが太陽を暗くして、暮れゆく日に悲哀の気を投げ、生命なく重苦しき平静は自然の面を蔽うた」という。あるいはまたそれは天体の変動に基づく現象であったかも知れない。博物学者リエイの報告によれば、一八六〇年四月十一日、ペルナンブコの地方において、真昼ごろ大空澄みわたれる時、太陽にわかに暗くなり、その傍にある金星が輝き出づるに至ったという。しかしてリエイはその原因をある星雲(?)の太陽系横断に帰している。同じようなる現象の記録は必ずしも少なくない。十字架の日にもまた例えば巨大なる彗星などが地球に近く太陽面をかすめて往ったのでもあるまいか。意味ふかさにおいて世界歴史上類例なきこの特別の日に、ひとしく類例なき特別の自然現象が起こったとしても、我らはそのふさわしさをこそ思え、これを疑うべき理由を知らない。

いずれにせよ、それは異常なる出来事であった。恐らくさらに大いなるわざわいの予兆でもあるかと見えた。この大自然の脅威が、おのずから場面を一変せしめた。

今まで人々を動かしていたものは、盲目なる群衆心理と、ゆえなくして聖きものをけがし善きものを嘲らんと欲する悪魔的本能とであった。罪なきイエスを十字架につけてそのえがたき苦痛をあざ笑いながら傍観することは彼らの悦びであった。この呪われたる悦びにおいてすべての人々は一致した。神殿に仕える祭司も経典を講ずる学者も民政をつかさどる長老も、ローマの兵卒も道ゆく人々も又は共に十字架につけられたる盗賊も。実にあらゆる声々もろ共に彼を罵りそしったのである。イエスが十字架につけられてより初めの三時間は、聞き苦しき限りなる喧騒の時であった。

しかるに今やある共通の恐怖が彼らを捉えた。時ならぬ天地の晦冥かいめいを見て彼らは畏れすくんだ。偉そうに罵りあいながらなお彼らの胸の奥にひそみいたるひとつの心持ちが、ここに物言い出したのである。彼らは申し合わししように沈黙しはじめた。喧騒の声かなたこなたに次第に消え失せて、ついに全き無言の静けさが全丘を蔽うた。

十字架上、人の子もの言わず、彼を取り巻く群衆また口を開かず、森然として天には暗黒、地には静謐、人には恐怖。まことに厳粛なる三時間である。これを前三時に比べて何という対照か。

俄然、晴天の霹靂へきれきのごとく、人々の良心を震動せしむる大音の一言、いわく「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタナイ!」

聴くものみな驚愕した。多数者は戦慄さえした。彼らは一斉にその眼を十字架に注いだ。しかしてみずから反問した、何の言ぞと。

それは「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」のアラミ語化したる発音であった、すなわち「わが神、わが神、なんぞ我を見棄てたまいし」とのこころであった。この言は詩篇第二十二篇の一節であるから、群衆中の比較的多数のものは容易にこれを聴き取り得たはずである。しかしながら彼らの心はすでに数時の暗黒にもとづく恐怖に縮まっていた。次には何事が起こるべきかと、言いがたき不安に包まれていた。疑いもなくある人々は旧約の恐ろしき預言を想い起こしていた。「主エホバ言いたもう、その日にはわれ日をして真昼に没せしめ、地をして白昼に暗くならしめ、汝らの節筵いわい悲傷かなしみに変わらせ、汝らの歌をことごと哀哭なげきに変わらせ云々」(アモス八の九、一〇)。「されば汝らはに遭うべし……黒暗くらやみに遭うべし……日はその預言者の上をはなれてり、その上は昼も暗かるべし」(ミカ三の六)。かくのごとき審判の日が近づいたのでもあろうか。畏るべきエホバの日が遂に来たのでもあろうか。「見よ、エホバの大いなる畏るべき日の来たるまえに、我れ預言者エリヤを汝らに遣わさん」(マラキ四の五)。あるいは今にも暗黒の天を破って力あるエリヤが降りて来るのであるかも知れない、などと彼らは想いめぐらしていた。

かかる処へ俄然として頭上より大声が轟いたのである。驚愕のあまり彼らは明瞭にその言を聴き分けることが出来なかった。ただ冒頭の「エロイ、エロイ」の一句が強き響きを耳にうちつけた。今しもエリヤの事を想い浮かべいたる者は、必然これに結びつけて考えた。「見よ、エリヤを呼ぶなり!」

しかし呼ばれたのはエリヤでなくして神であった。しかも「わが神」すなわちイエスの神であった。彼の念頭にはこの時もはや人は無かった。彼はすでにおのが敵のために祈り、悔い改めし罪人を慰め、また母を愛弟子に託して、始めの三時の間に、十字架上より人についてなし得べき事をみななしおえた。後の三時は彼に取りて特殊の経験の時であった。それは今までに憶えなき経験であった。物ごころ附きし始めより瞬時も彼を遠ざかりたることなき彼の神が、ここに彼を離れたもうたのである。いかなる寂莫のおりにも必ずひとり彼と共にありし父なる神が、ここにその顔を匿したもうたのである。えがたき苦痛の中にありてただ慰めの父に慰められんと欲したるイエスは、不思議にも中途より彼を見失うて、恐るべき孤独に陥ってしまった。

今や人などは全く彼の眼中になかった。ただ神のみが彼の全問題であった。神、わが神はいかにしたもうたのであるか。イエスはひたすらに呼び求めた。しかし神は彼に答えたまわない。彼は何処までも呼ばわり続けた。しかし神の顔は遂に見当らない。今の時までその声に聴かずんば動かずその光に照らされずんば歩まなかったところの、わが生命の源泉たり中心たり目的たりし神が、今は自分を見棄てて何処かに隠れてしまったのである。

ああ神よ、わが神よ、汝はいかにしたもうたか。汝を見失うて私は狂乱する。汝の顔を見いださずして私のたましいは破滅する。神よ、わが神よ、帰りたまえ、答えたまえ、私を抱きたまえ。汝いかなればかくもだしたもうか。わが神、わが神、なんぞ私を見棄てたもうか。何ゆえ遠く離れて私を救わず、私の歎きの声を聴きたまわないか。

かくのごときが後三時の間のイエスの苦悶であった。しかしてこの苦悶の絶頂に達した時に、これを一言にいい表わしたものがすなわち「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタナイ」であった。彼は苦悶のあまり我知らず日頃愛誦のダビデの一句をかりて絶叫したのである。

思うにこれは非常なる経験である。確かに人の苦悶のうちの最も深刻なるもの、またたぐいなきものである。およそ失い得べき、より貴きものを有する者ほど、失う時の苦痛の深きは言うまでもない。ひとしく生命を失うというとも、動物の苦痛と人の苦痛との間に大なる差違がある。けだし人は失い得べきより貴き生命を有するからである。ひとしく平安を失うというとも、神を信ずる者のなやみは彼を信ぜざる者のそれよりは遥かに大である。何となれば信者はより貴き平安を有するからである。ひとしく神の聖顔みかおを見失うというとも、イエスの苦悶はたぐいなく深い。何となれば彼と神との交通は何人もあずかり得ざる限りなく親密なるものであったからである。

イエスは十字架上に神との交通を失うた。彼は人として有し得べき最も貴き所有を失うた。先にすべての親しき弟子が彼を棄てんとするに当りてさえ「されど我ひとり居るにあらず、父われと共にいますなり」というて、動かざる平安を保ちいたる彼が、今は遂にその父をさえ失うたのである。「たとえわれ死のかげの谷を歩むともわざわいをおそれじ、汝われと共にいませばなり」といい得るは信者の最大の特権である。しかるにイエスはこれをさえ失うたのである。彼はあらゆる死のかげの谷のうちの最も恐るべきものを歩むときにあたり、意外にも神ともにいまさぬを発見したのである。その苦悶は無限であった。人の子の熱きはらわたは鳴りひびいた。実に十字架上の後三時におけるイエスの霊的苦悶に比し得べきいかなる苦悶もない。誰がいかばかり苦しむとも、このイエスの経験には及ばない。

神は何ゆえその愛したもう者にかくも深刻なる経験を味わわしめたもうのであるか。何ゆえ限りなく彼を信頼する者にかくも大いなる苦悶を与えたもうのであるか。その理由はいかにもせよ、一事は明白である。今より千九百年前に、エルサレムの郊外ゴルゴタの地において、罪なきイエスが十字架にかけられ、肉にも霊にもえがたく苦しみ、遂に狂乱の叫びを発するまでに苦しんだ事これである。その時何人も彼を助けず、ひとりの天使も現われて彼を救わず、愛なる神みずから恐ろしき沈黙を守りたもうた。しかしてイエスの唇に人々を躓かしむるに足るほどの深刻なる告白が上った。神はイエスを限りなき苦悶のなかに放任したもうた。これは歴史的事実である。この事実を如何いかんともすることが出来ない。たとえ贖罪の説明はいかように移りゆくとも、この一つの事実だけは永遠に動かない。

イエスの苦悶は徒然いたずらであったか。十字架上における人の子の霊的経験は意義なき事であったか。もしそうであると言うならばそれまでである。しかし彼の死が犬死にでないかぎり、我らは知る、人生にはかかる絶大の悲劇を必然ならしむべき何かの要求があるのであることを。しかり、我らは知る、神の見たもう人生は多くの人の見る所にまさりて遥かに真面目なる真剣なるものであることを。

人のたましいが苦しみ得るかぎり苦しみ抜きたるのち、イエスは再び光明を見いだした。彼はようやく悟った、この絶大の苦悶こそは自分が受くべきバプテスマであったことを。誠にこれを受けんがための全生涯であったのである。否、ひとり自分の生涯のみではない、過去二千年のイスラエル歴史は、この自分の経験の準備に過ぎなかったのである。かように自分が苦しみて始めて聖書は全うせられたのである。多くの人の贖いのために人の子の生命を与うべきみちはすなわちこれであったのである。万人に代わりて神の永遠の律法に対する尊敬を払うべく、自分がかように苦しめらるるはふさわしき事であったのである。今や自分の地上における使命は終った。しかり、今や事は終った。自分の受けしこの懲罰のゆえに、人は平安を得るであろう。自分の撃たれしこの傷のゆえに、彼らは必ず癒されるであろう。

かくのごとくにしてイエスは最早もはや苦しみつくした。今や最期は迫り、戦いはまさに終らんとしている。しかして勝利はすでに定まったのである。すなわち彼は勝利者としてここに一掬いっきくの清新を求めて言うた、「われ渇く」と。もし数時間の前ならば、この一言もいたずらに嘲笑の的となるに過ぎなかったであろう。しかし恐怖は人々の心を真面目にした。声を聞いて一人のもの直ちに走りゆき、き葡萄酒の満つる器に多分その口の栓として用いありし海綿を取り、これにその葡萄酒を含ませ、しかしてヒソプの先に附けてこれをイエスの口に差しつけた。二三の者は又しても恐怖より醒めし嘲笑のこころをもって「まて。エリヤ来たりて彼を救うや否や、我らこれを見ん」などと言うた。しかし今はそれらの嘲笑もイエスの苦痛に値しない。彼は快く葡萄酒を受けた。

乾きて顎にひた着くばかりなりし舌もうるおうた。ここに新しき力をもって再び大声に彼は叫んだ。曰く「事おわりぬ」と。まことに事はおわった。アダム夫妻がエデンの園に初めて禁断のを食うて以来神の最大の配慮であったその事、四千年の世界歴史の目標であったその事、人類の運命を永遠に一新すべきその事、その大いなる事は遂におわった。もろもろの禍いの原因たりし罪の処分は遂に終った。今よりのち新しき世界が始まるであろう。人類は限りなき希望の生活に入るであろう。彼らは神の栄光にあずかり得るであろう。十字架上「事おわりぬ」の一言は実に人の子永遠の凱歌の序曲であった。

ひきつづき最期は来た。イエスはまた大声に呼ばわった。曰く「父よ、わが霊を聖手みてにゆだぬ」と。今しがた「わが神わが神なんぞ我を見棄てたまいし」と叫びしとはうち変わりての安けさである。「父よ」との親しき呼び声は再び彼にかえった。イエスは再び父のみかおを見た。しかして今彼はその身を失おうとする。彼の霊は身を離れていかなる状態に移るのであるか。それがパラダイスに往いて新しきさいわいに入るべきを彼は知っている。しかしとにかく死そのものは未知の経験である。この時にあたりて彼に特別の祈りなきを得なかった。死後のわが霊如何。いかにもあれ、ただこれを父なる神の聖手みてに委ぬべきのみ。神は善きにこれをあしらいたもうであろう。すでに古き詩篇の作者にこの祈りがあった(詩三一の五)。それは人の口より発せられし最も美わしき言の一つであった。イエスは日頃それを愛誦していた。今みずから死に臨むにあたり、この一語はそのままに彼の祈りとして唇に溢れたのである。しかしてかく祈るとともに彼はそのこうべを垂れて、息たえた。

イエスは死んだ。それは何せよ重大なる出来事であった。見守りいたるすべての人に最も深き感動なきを得なかった。しばらくは誰しも言をだに発することが出来なかった。十字架上にこうべを垂れたる人の子の新しき死屍を前にして、人みな粛然と沈思した。

やがて十字架の正面の程ちかき所より感にえざるもののごとく声を挙げる者があった。曰く「実にこの人は神の子なりき」と。かくいうものは異邦人なるローマ兵の中の百卒長であった。

先には屍につどう飢えたる鷲のように、相争うてかまびすしく彼を嘲りしユダヤ人の群衆も、今はいと重苦しき感に圧迫せられた。彼らはうなだれながら無言のままに、三々五々立ち去った。彼らはこの日の出来事が自分たちの想像したるよりは遥かに恐るべき何ものかを含むことを思わずにはいられなかった。かくて往く往く胸うちつつエルサレムに帰った。

あとにはイエスの弟子その他相識の者、およびガリラヤより従い来たれる女たちが居残った。彼らは十字架の下に集まり、各々己を失いしように呆然とたたずんだ。

あたかもイエスの息絶えし頃、エルサレムの宮の至聖所の前に垂るる幕が、不思議にも巨大なる手にて引き裂くように上より下まで真二つに裂けた。それは今より後また宮の必要なきを象徴するもののごとく見えた。同時にその地方に大いなる地震があった。それは古き世界が過ぎ去りて新しき世界が生まれでんとする徴候であるかのように見えた。また諸所の岩裂けて墓の開くものが少なくなかった。それはさながら死の力滅びて不朽の生命の臨まんとするを暗示するもののごとくあった。