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「イエスの生涯とその人格」
第七章 イエスの復活
二 エマオ途上の出来事
藤井武
Takeshi Fujii
婦人たちが墓を訪れた同じ日の午後、二人の弟子はエルサレムを出発して、エマオという村に向うた。何の用事であったかは全くわからない。エマオとは多分史家ジョセファスがいうところのアマウスの村であろうと想像せられる。今はカロニエと呼ばれ、エルサレムの西北三里ばかり、古のモザ(ヨシュア一八の二六)に近き所にある。二人のうち一人はクレオパというた。この名はクレオパトロスの略であって、ギリシャ名である。ゆえにその人は多分ユダヤ教に改宗したギリシャ人であったろうと推定せられる。今ひとりの者が筆者ルカ自身ではなかったかとの想像は甚だしく私の心をひく。果たしてしからば二人は異邦人であった。
「エルサレムより地中海へと降る山々を越えて」二人は熱心に相語りながら進んだ。彼らの話題はただ一つイエスの事よりほかに出でなかった。途にして誰か後ろより近づく人あるにも気付かず、しきりに彼らは論じ合うた。
「なんじら歩みつつ互いに語りあう言は何ぞや」。問いかけられて二人は立ち止まり、この見識らぬ旅人を中に加えて会話を始めた。「なんじエルサレムに寓りいて独りこの頃かしこに起こりし事どもを知らぬか」。「いかなる事ぞ」。旅人はこの大事件を知らぬと見える。彼は恐らく独旅ゆえに知らぬのでもあろう。しかしまた恐らく知らぬはこの人独りであろう。
ここにおいて二人はこもごも説明しはじめた。その一人がまず言うた、「ナザレのイエスの事なり。彼は神とすべての民との前にて業にも言にも能力ある預言者なりしに、祭司長ら及び我が司らは、死罪に定めんとてこれを付し、遂に十字架につけたり。我らはイスラエルを贖うべき者はこの人なりと望みいたり」と。これはイエスの死についての躓きの告白であった。ナザレのイエスが能力ある預言者であった事は隠れなき事実であるが、しかし弟子たちは単に預言者として彼を見なかったのである。彼らの信ずる所によれば、イエスは預言者である上になお救い主すなわちキリストであった。イスラエルを贖い、ひいて人類を救うべき者はこの人であると彼らは望んでいたのである。しかるにそのイエスが祭司長ら及び民の司らに囚えられ審かれてより、惨ましき幻滅は始まった。イエスは死罪に定められんとて付された。しかして遂に十字架につけられた。彼は苦しんで死んだ。キリストは空しく殺されてしまった。彼がもし救い主であったならば、何故に己を救い得なかったのであろうか。神は何故に彼を助けなかったのであろうか。
イエスの死についての躓きを承け継いで、今ひとりの人が語りつづけた。「しかのみならず、この事のありしより今日は早や三日めなるが、なお我らのうちのある女たち我らを驚かせり。すなわち彼ら朝早く墓に往きたるに、屍体を見ずして帰り、かつ天使たち現われてイエスは生きたもうと告げたりと言う。我らの朋輩の数人もまた墓に往きて見れば、まさしく女たちの言いしごとくにしてイエスを見ざりき」。これはイエスの復活についての躓きの告白であった。キリストたる者が死んだというその事が解しがたくあったばかりでない、彼らの問題として投げられたるもう一つの事があったのである。今朝婦人たちの報告によれば、彼を葬りし墓が虚しくあったといい、また天使現われて彼は生き居ると告げたという。しかして墓の空虚の事実だけは彼らの朋輩ペテロ、ヨハネの実地検分によって証明せられた。しかしこの二使徒も生けるイエスなるものはこれを見なかったのである(邦訳「まさしく女たちの言いしごとくにしてイエスを見ざりき」は誤訳である。「まさしく女たちの言いしごとくなるを見る、されど彼を見ざりき」と改訳すべきである。二人の弟子はペテロが何処かにて復活のイエスを見たことをまだ知らなかった)。屍体の喪失は何とでも説明し得よう。ただ一度び死にて葬られしイエスが今は生きているとの天使の告知なるものに至っては、いかにしてこれをそのままに信じ得ようか。
かくて彼ら弟子たちはイエスの死と復活と、その二つながらに躓いた。それは無理ならぬ事であった。けだしかの十字架の一日は余りにも烈しき現実暴露の一日であったのである。その日のイエスはいわば無力そのものであった。彼は己を救わんがために何一つの奇蹟をも行わず、暴逆の敵に対していささかの抵抗をすら試みなかった。しかのみならず、彼は呪いの木の上より絶望に似たる叫びを挙げ、人としての弱さを遺憾なく露わしたのである。またその日の神はいわば無慈悲そのものであった。彼は一人の義人を起こしてイエスを助けさせようともせず、一人の天使を遣りて彼に力づけさせようともせず、かえってイエスの絶叫を聴きながら知らざるもののごとくに、深刻きわまる苦悶の中に彼を放任したのである。十字架の日は誠に栄光消滅の日、能力廃罷の日、現実暴露の日であった。かくのごとくにして死にうせたるイエスをキリストと見ることの難きは当然である。
これに反して今朝の音信はまた余りにも超現実的、超自然的、超常識的である。あのようにして息絶えたるイエスが、再び甦り、墓を破って出で、しかして今何処かに生きているとは!それは、もし事実ならば奇蹟中の奇蹟であって、かつて例の無かった事である。今に及びてかかる栄光に復活すべくんば、何とて十字架から彼は降りなかったであろうか。謂うところの天使の告知は信ずるには余りに現実を超越しすぎている。
二人の躓きは自然であった。彼らの思いは普通であった。彼らは一般の人が考えるごとくに考え、一般の人が見るごとくにものを見た。
しかしながらこの自然にして普通なる見方考え方も、今彼らと共にある見識らぬ旅人より見ては、甚だしく不自然にして奇異なるものであったのである。彼は二人の語り終るを聴いて答えた、「ああ愚かにして預言者たちの語りたるすべての事を信ずるに心鈍き者よ、キリストは必ずこれらの苦難を受けて、その栄光に入るべきならずや」と。「愚かにして」は悟性の暗愚を意味し、「心鈍き」は心情の遅鈍を意味する。普通の人の当然の躓きも、彼には愚かにして心鈍きものであった。世の常の見方考え方のほかに、彼には全く異なりたる一つの途があった。それは何か。聖書による見方考え方である。「預言者たちの語りたるすべての事を信ずるに云々」という。もし聖書を信ずるならば、その中に記される預言者たちの言を幾分にても信ずるならば、彼らの思想はまさに一変すべきはずであった。
彼らはキリストの死とその復活と二つながらに躓くという。しかし聖書には何とあるか。預言者たちの数えがたきほどの言によれば「キリストは必ずこれらの苦難を受けて、その栄光に入るべき」でないか。苦難と栄光、死と復活はキリストに適わしき必然の経験として、律法と詩篇と預言書との到るところに預言してある事ではないか。キリストがもしこれらの苦難を受けずその栄光に入らなかったならば、それこそ解きがたき謎であるが、しかしイエスは確かに十字架の上に苦しんで死んだのである、しかして彼は葬られし後に墓を破って復活したと天使は告げたのである。まさにしかあるべき事ではないか。「しかり」「しかり」というてうなづきかつ信ずべき事ではないか。
「キリストは必ずこれらの苦難を受けてその栄光に入るべきならずや」。「必ず」とは聖書に預言せらるるゆえに必ずその通りに実現せねばならぬとの意味ではあるまい。キリストたる者にはこれらの苦難と栄光とが必然の事であるとの意味である。すなわちキリストの経験として定められたる道徳的必然性である。キリストが人類の救い主であるかぎり、彼は必ず苦しんで死に、かつまた栄光に復活せねばならなかったのである。
イエスの復活を信じない人は誰であるか。それは科学者であるか。否、世界における優秀なる科学者にしてこれを信じた人は決して絶無ではない(現代においても医学の大家H・ケリー氏のごときはしばしばこの信仰を公然表白している)。私は言う、復活のイエスを信じない人は苦難の彼を解しない人であると。ゲッセマネにゴルゴタに、彼はいかばかり苦しんだか、しかしてそれは何のためであったか。もし聖書の明言するように、しかして我らの確信するように、罪なきイエスがその限りなき苦難において世の罪を負うたのであるとするならば、しからば人生一切の禍の根源はすでに除去せられたのである。従ってその偉大なる変化は必ずや何らかの形において発現すべきはずである。人の罪が遂に赦された事の証明は何処にあるか。死が亡ぼされた事の徴候は何処にあるか。イエスの苦難に応答すべき結果は何であるか。彼の復活こそまさしくこれらの条件にかなうものではないか。
二人の弟子は現実暴露のゆえにイエスの苦難に躓き、現実超越のゆえに彼の復活に躓いた。言いかえれば、前なるものは余りに低かったがゆえに、後なるものは余りに高かったがゆえに。かくて彼らの信ずる所は現実でもなく理想でもない。彼らの歩む所は谷底でもなく山頂でもない。しかして一般の人がみなそうである。殊に日本人がそうである。彼らは何よりも徹底を嫌う。彼らは冷たからず熱からざらんことを願う。すべて深刻なる経験を彼らは堪えがたしとする。十字架や復活の福音が彼らを躓かさでは措かぬ所以である。
しかし徹底的現実暴露と徹底的現実超越と、この二つの経験をもってしなければ人生の根本問題は永久に解決しない。イエスは我らのためにこれを完うした。彼はまず降り得るかぎり低く降って、罪の重荷を地獄において荷うた。しかる後に昇り得るだけ高く昇って、人の栄光を天国において輝かした。その昇ることの高きは、その降ることの低きに応じたのである。イエスは死によって死をほろぼし、従って自ら復活したのである。彼の苦難を解するものは当然彼の復活を信ぜざるを得ない。
旅人は右のごとくに考えたのち、みずから二人の弟子たちのために聖書の註解を始めた。すなわちモーセの五書をはじめ、次を逐うて預言書、教訓書の全体にわたり、キリストの苦難と栄光とについて記されたる言を説き明かした。それは実に聖書(旧約)全巻に充ち満ちていた。まず創世記第三章にあらわるる原始の福音「彼は汝の頭を砕き、汝は彼の踵を砕かん」はこれが総括的預言ではないか。その第四章のアベルの死はキリストの苦難の典型ではないか。その第五章のエノクの昇天は彼の復活の予表ではないか。ノアの出来事、アブラハムの生涯、イサク、ヤコブ、ヨセフの経験、モーセと出エジプト、過越、幕屋、燔祭、曰く何、曰く何、ダビデとその歌、イザヤ書の第五十三章、エレミヤの悲哀、等、等、等。実に旧約前後三十九巻(へブル原書にて二十四巻)。ほとんどその各頁に苦難と栄光とのキリストの像がある。
旅人は歩みながら、一々これを指摘して二人に示した。彼らはさながら壮大なる絵巻物を見るここちして読み慣れたる聖書を新しき啓示のごとくに聴いた。
かくのごとくして往くうちに何時しか目ざすエマオ村に近づいた。思うに十字架の日が異常なる暗黒の日であったように、この日はかぎりなく朗らかな日であったであろう。パレスチナの春空なごりなく澄みわたり、夕陽今しも海のはてより耀々とかがやき、二人の胸の中の喜悦を一しお高調ならしめた。旅人の行先はリッダか、ヨッパか、そのなおも進みゆこうとする様子を見て、彼らは強いて留めていうた、「我らと共に留まれ。時、夕に及びて、日も早や暮れんとす」と。
留められて旅人は共に家に入った。それは宿屋であったか、はた二人の人のひとりの自宅または知人の宅などでもあったか、全く不明である。やがて簡単なる晩餐の用意が出来た。三人共に席についた。時は過越の週間に当れば、種いれぬパンなどが卓上に置かれた。旅人はあたかも自分が主人であるかのように、まずパンの一つを取り上げ、しかしておもむろに祝祷をささげて後これを割いて、二人に与えた。
その様子を見守っていた二人の眼は遂に開かれた。彼らはとみに顔覆いを除かれたように、今こそ判然と彼をみとめた。彼である!しかしかく気づくと同時に彼の姿はたちまち消えうせて見えなくなった。
二人は暫く無言のまま顔を見合せた。ややありて後たがいに言うた、「途にて我らと語り我らに聖書を説き明かしたまえるとき、我らの心、内に燃えしならずや」と。途にて家にて、イエスと語るときイエスに聖書を説き明かされるとき、我らの心、内に燃える。最大光耀の経験は復活のイエスと共に在る時にある。