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「黙示録研究」

一二 全天沈黙

藤井武
Takeshi Fujii



第七の封印は遂に解かれた。すなわち封印中の最後のものである。これが解かれて人類と宇宙との救贖きゅうしょくは完成するのである。始めの六封印はその準備に過ぎなかったのである。我らは今や最も驚くべき観物を期待する。世界歴史のカタストロフィ(大団円)である。

先ず始まりしものは何か。沈黙である。「およそ半時のあいだ天静かなりき」。山雨まさに到らんとして風は楼に満ちる。審判まさに開かれんとして沈黙は天を蔽う。昼も夜も絶えまなく聞こえし讃美の声はことごとく消えたのである。四つの生物いきものは黙した、二十四人の長老も黙した、数えるによしなき万軍も黙した、祭壇の下にある霊魂も黙した、諸国諸族諸民諸語の大集団もみな黙した。かくてただ粛然たる全天の沈黙である。神無言、天使無言、聖徒無言。しかして見る沈黙の中にきらめく異様の物体を。それは七つのラッパである。神の前に立てる七人の天使、すなわち万軍中の最も位たかき者が、今しもこれを聖座みくらより受け取ったのである。

思う、ラッパ一たび鳴りわたらば、必ずや天地もゆらぐべき変動の起こるであろうことを。

ラッパを孕める半時の沈黙!何という厳粛の光景ぞ。まさに実現せんとする世界終末の予感である。たとえば臨終前の五分間である。その暫時の沈黙の中に、宇宙をこぞりての戦慄がある、創造以来の歴史の回顧がある、新たに成るべき世界の希望がある。しかり、ここに宇宙そのものの祈りがある。

果然、今一人の天使は現われる。彼の手にありてきらめくものは、ラッパならぬ金の香炉である。大声を発して宇宙の隅々まで響きわたるべきラッパならぬ、静かなる祈りを象徴して高く聖座みくらまで立ちのぼるべき香をたくところの香炉である。彼は来たりて祭壇の前に立つ。しかして手に満つるばかりの香を与えられる。しかしてこれを携えて聖座みくらの前まで進みゆき、そこにある金の香壇の上にて火にくべる。その時すべての聖徒たちの祈りは、天より地より、聖座みくらを動かすばかり盛んに昇る。それに添えて、見よ、天使の手より新しき香の煙、雲のごとくに立ち昇る。美わしいかな、祈りに添えての祈りである、これ恐らく天使が人類に寄するところの最大の同情であろう。私が祈りをする時、何処かにありて私をおもい私の祈りに添えて祈る人は、私の最も親しき友でなければならぬ。かくのごとき祈りの援助が信者を力づくること幾何いくばくであるかわからない。地上においてそれがある、天上においてそれがある。信仰の友の加祷がある、聖霊の加祷がある、しかしてまた天使の加祷がある。あたかも古きユダヤの大贖罪日において一人の大祭司が全会衆の祈りに添えてかぐわしき香の煙を挙げたように、世界終末の日、一人の貴き天使が全聖徒のために加祷するであろう。その同情の祈りにつつまれながら、アダム以来すべて神に頼りし者の祈りは、一つだにせずして神の前に昇るであろう。その中には私のすべての祈りもあるであろう。聴かれずに終ったと思いしものもみなせずしてあるであろう。

天使はやがてその香炉を取り、これに祭壇の火を盛りて、地に投げうつ。しかる時に数多あまた雷霆いかづちと声と電光いなずまとまた地震とが起こる。これみな審判の象徴である。けだしラッパ鳴るべき時は熟したのである。審判の準備は整うたのである。祈りの香はことごとくたかれ、贖いの祭壇の火は投げうたれて、ここに最後の審判は始まる。すなわち全聖徒の祈祷の実現でもあれば、キリストの贖罪の完成でもある。贖罪は遂に新しき天地の創造に終わらねばならぬ。その新しき創造のための産みの苦しみが最後の審判である。審判あり新創造ありて、贖罪は結ぶべき実を結び、またすべての祈祷は完全に聴かれるのである。かつては上に向かいて空しく煙を挙げたかと見えし香炉も、今は逆転せられて、偉大なる反響を地上にもたらすのである。祈りは聴かれる、必ず完全に聴かれる。我らは新しき天と地とに入りて、その事の真実を発見するであろう。