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「十字架のキリストの勝利」

The Triumph of the Crucified

第三部 来たるべき神の王国

第一課 反キリストの世界組織

第三章 時のしるし

エーリッヒ・ザウアー
Erich Sauer



聖書によると、この時代の終わりの時に、神に対する反逆が起きる。この反逆はすべての人々を包含するものである。また、すべての文明や文化が聖書的キリスト教を否定するようになる。

このような世界情勢が生じうるのだろうか?少なくとも、そのような情勢はありえそうにないのではないか?これについて文明史から何が分かるのか?

文明そのものは反神的ではないし、反キリスト的でもない。それどころか、人の楽園的気高さの一部は、数々の文化的達成のおかげである。発明と発見、科学と芸術、改良と改善、要するに人の精神の進歩は、まったく神の御旨である。これらの文化的達成は、王である人類が地を所有することであり、神の尊い僕たちによる創造的職務であり、地を祝福するために神が定められた統治の務めである。「生めよ、殖えよ、地に満ちよ、地を従えて支配せよ」(創一・二八)。したがって、啓示されている極めて単純な諸々の法則を完全に誤解でもしない限り、「聖書は思想が退化したものであり、文化の敵である」と聖書に問題を見出すことはありえない。否、聖書が退けているもの、神に反するものは、文明そのものではなく、文化を代表する数百万もの人々が神から離反していること、罪人が天から隔たっていること、偽りの「宗教的」まがいもの、いと高き方の主権を否定すること、傲慢と反逆の精神、神を意識的に排斥することなのである。要するに、主ご自身に対して反乱することである。「われわれはこの人に支配してもらいたくない」(ルカ一九・一四)。

このように、文明史の外枠は神に敵対するものではないし、反キリスト的でもない。問題はむしろ、その精神であり、行いの道徳的実質である。文化的進歩を道徳的に応用すること、神に対する個々人の心構えが肝心なのである。さらに、政治と歴史は神の御計画によって完全につながっており(詩二一・一、一列一一・一四、一一・二三、イザ四五・一〜七)、この世界の至高の主であるいと高き方によって支配されている。

1.ダニエルの第四世界帝国の奥義。ダニエルの預言の第四世界帝国は、決して滅んではいない。ネブカデネザルの像の鉄の部分は、腿から足まで達している(ダニ二・三三)。この預言によると、それは今の時代の終わりまで続く。この王国が粉々に打ち砕かれた後、ただちに人の子の王国が設立される(ダニ七・七〜一四、二・三三〜三五、二・四四)。

ダニエルのこの第四帝国をはっきりと直接的に「ローマ」という名称で記述している箇所は、聖書中どこにもない。しかし、古代ローマ帝国がその第一段階であったことに疑いはない。この第四帝国はローマと共に始まる。

しかし、古代ローマは滅んだ。キリスト後の最初の二世紀の間ですら、皇帝たちの輝かしい時代があったにもかかわらず、ローマの力は内面的にも外面的にも衰退した。テオドシウス帝による帝国の分割(紀元三九五年)によって、ローマ帝国は二つの部分に分かれた。ローマに首都を置く西ローマ帝国(皇帝ホノリウス)と、コンスタンチノープルに首都を置く東ローマ帝国(皇帝アルカディウス)である。これはネブカデネザルの像の二本の足によって示されていると、無数の注解者が考えている。西ローマ帝国は、そのあとすぐに、北方からの侵略者によって滅ぼされた(オドアケル、紀元四七六年)。また、東ローマ帝国は千年後(一四五三年)にサルタン・モハメッド二世統治下のトルコによって滅ぼされた。

それにもかかわらず、元々ローマ帝国に属していた土地の中から、極めて強力な決定的衝撃がいくつも出て来て、この旧ローマ帝国圏内にいた生き残りの文明人たちはさらなる発展を遂げた。この事実を見るときはじめて、われわれは聖書預言を理解できるようになる。個々の違いがあるにもかかわらず、また、ローマが政治的に滅んでいるにもかかわらず、聖書預言は、その後の諸々の発展をこの帝国に関係するものと見なしている。また、それを一つの歴史的統一体として示している。初期ローマ帝国からこの時代の終わりの時まで続くダニエルの同じ第四帝国として示しているのである。

ローマの行政はローマ教会の中に生き続けている。この教会の教区は国家の行政区と一致している。この世界帝国の首都であったローマは、世界教会の首都、法王の座となった。

ローマの言語は教会のラテン語の中に生き続けており、法律・薬学・自然科学の国際的専門用語の中で依然として使われている。

ローマの法律は法令の中に生き続けている。東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス(紀元五二七〜五六五)が制定した corpus juris Romanum(ローマ法典)は、中世を通して遙か現代に至るまで、ラテン民族とゲルマン民族の法学の基礎となった。

ローマの軍隊は諸々の軍事組織の中に生き続けている。それは、軍備と西洋の防衛体制の模範となった。われわれは依然として大尉(captain)、少佐(major)、大将(general)、大隊(battalion)、連隊(regiment)、軍隊(army)、歩兵(infantry)、砲手(artillery)、騎兵(cavalry)といったラテン語を用いている。

中央ヨーロッパの支配者たちはカイザル(Kaiser)と呼ばれた。中世の時代、彼らはローマで戴冠式を行った。例えば、紀元八〇〇年のシャルルマーニや、九六二年のオットー大帝のように。東ヨーロッパと南ヨーロッパの支配者たち(ロシアとブルガリア)の支配者たちはツァー(Tsar)と呼ばれた。この二つの称号はローマ人のカイウス・ユリウス・カエザルという個人名に由来しており、これが称号になったのである(紀元前一世紀)。

一八〇六年になってはじめて、ナポレオンによる攻撃の間、「ローマ」カイザルとしての帝国の威厳をオーストリアのフランシス二世が放棄したのであった。

また、ローマの国家観念の精神も生き残っている。その特徴は、極めて厳格な規律、鉄の意志、中央集権化、共同体への個人の服従、国家への忠誠、「永遠のローマ」(Roma aeterna)という句が表している国家の永続性に対する信念、ローマ皇帝礼拝のような国家の偶像化、人たることが市民たることの中に埋没してしまうことである。

最後に、ローマの自体の歴史にも、ある謎がある:

紀元前千年頃――貧しい村。
紀元百年頃――人口百万人の都。
中世――中規模の地方都市。
十六世紀以降――漸増。
一八七〇年以降――力強い急速な成長。
ローマは、その公式な建設年である紀元前七五三年よりも、少なくとも三百年古い。
七十万人の住人と三十万人の奴隷。
人口二万五千人から四万人。五四六年には、民族大移動の期間にたびたび略奪されたせいで、五百人の住人しかいなかった。
一八七〇年、イタリア統一。人口二十一万五千人。
一九五〇年。人口百万人以上。

これらの出来事の多くは歴史的出来事にすぎない。その多くは短い期間現れては消え去ってゆく。こうした事実に注意するのが大切なのは、次のことを理解させてくれるからである。すなわち、ローマが滅んだ後も、その地域の人々のその後の発展やその過程全体の背後で、絶えず同質の力強い歴史的力が働いてきたのである。この力は絶えず新たな形で、その永続性、活力、力を示す。これから、広義の意味で、これはみな実際には一つの王国であることがわかる。同時に、諸世紀に及ぶこの継続性は、預言者たちの信頼性と、彼らの現実把握力と、彼らの歴史的洞察力の正確さとに対する、壮大な証しになる。

しかし、この第四帝国に関する聖書預言全体の中心及び強調点は将来にある。実際のところ、厳密に言うと、この預言はネブカデネザルの荘厳な像の「足」ではなく、むしろその足の「指」と大いに関係している。これは次のことをはっきりと示している。この第四帝国が究極的発展を迎えるとき、この反キリストの帝国には、その像の足の指(ダニ二・四〇)と、ダニエルの幻の第四の獣の十本の角とに相当する国家群が含まれるのである。そしてその中から、反キリストが最終的に「小さな角」として現れるのである(ダニ七・七〜八、七・二〇〜二五)。

しかし、この時代の終わりに、この第四帝国が最終段階を迎えるとき、その最初の段階がまったく回復されることになる。つまり、反キリストの時代、ローマ帝国が文字通り領土的に再生してよみがえるのである。この帝国は同じ国境と、間違いなく同じ首都を持つ――もっとも、聖書のどこにもこれは明確には述べられていない。過去においても、古代ローマ帝国の国境は不変ではなかった。いずれにせよ、たとえ国境が昔より遙かに広がり、その首都がよそに移ったとしても、王国はもとのままである。こういうわけで、首都が北京から五百七十マイル南方の南京に移っても、中国は中国であり続けた。首都がもはやセント・ペテルスブルクではなく今やモスクワになっても、ロシアはロシアであり続けた。あるいは、西ヨーロッパの歴史から例を取ると、イギリスの首都は元々ロンドンではなく、古代サクソンの王たちの時代、サウサンプトンのおよそ十二マイル北方のウィンチェスターだった。ロンドンが初めて首都になったのは十三世紀のことである。それでも、イギリスはイギリスであり続けた。同様にダニエルの第四帝国は、その究極的発展を迎えたとき、たとえ首都がその最初の首都である文字通りのローマではなく他の都に移ったとしても、同じ帝国であり続けるのである。

「終わりの時代に古代バビロンがユーフラテス河畔に再建され、反キリストの世界帝国の中心になる」と信ずべき多くの根拠を預言書の中に見出したと、多くの有名な注解者が考えている。「あらゆる売春と偶像崇拝の母」(黙一七・五)であるバビロン!「地のあらゆる忌むべきもの」の中心であるバビロン!バビロンは、神なき現在の人類史のあらゆる宗教的・道徳的背徳の初めであり、終わりである!

諸々の世界帝国は、自らを中東のバビロンに結びつけて、バビロンを自分の中心としたときはじめて、預言者の幻の中に十分に現れるようになった。それゆえ、預言された第一の世界帝国の主権者であるネブカデネザルは、バビロンを自分の首都にした。メディアとペルシャは数世紀存在していたが、クロスがバビロンを征服してそこにペルシャの首都を移したときはじめて、預言されていた世界帝国になった。ギリシャも同じである。何世紀にもわたるギリシャの高度な文明の発展は、預言者の展望に入っていなかった。アレキサンダー大王がペルシャを打倒した後、オリエントを征服してバビロンを自分の首都に選んだときはじめて、預言者の展望に入るようになった。そしてダニエルの第四世界帝国も、同じようにバビロンをメソポタミヤに再建して反キリスト主義の中心とするときはじめて、その絶頂に達するのではないだろうか?

われわれはこの問題に対して、十分な確信をもって答えることはしない。そのような進展の可能性は残る。しかし、この預言が成就されるとき、この預言は完全に解き明かされるだろう。

その時まで、われわれは待つ。自らの至らなさを覚えつつ、われわれは預言の御言葉を探求する。しかし、次のことはすでにはっきりとわかっている。世界史の歩みは、その中心であるオリエントの方に着実に向かっているのである。また、諸々の出来事の成り行きは、ますますはっきりと、最終的発展の前景に向かっているのである。

2.多くの時のしるしが、終わりが近いことを間違いなく示している。

通信手段の急速な発展。諸民族が互いに近づく。世界の出来事が拡大する。ヨーロッパはその気高い孤立から引き出された。十九世紀以降、世界史に初めて一体性が生じた。以前世界史と称されていたものは、一部の人類の歴史にすぎなかった。西アジア、エジプト、ヨーロッパ、アメリカといった、主導的文明の歴史といえども、一部の人類の歴史にすぎなかったのである。今では、すべてが一つの歯車となっていて、地上のあらゆる部分が互いに影響し合っている。

世界貿易。十九世紀。小規模産業が同様の大規模産業に吸収される――水平的建造。異なる大小の産業が吸収されて、巨大「企業」、合同企業になる。原材料から完成品に至るまで、様々な製品を生産・流通させるために、炭鉱・機械工場・波止場・海運・砂糖工場・映画事業・新聞等々が連結される――垂直的建造。

小売業の統制。強制的中央集権。配給券、クーポン券。「売買」をすべて禁じる可能性(黙一三・一七)。現代のボイコット制度。

政府による改善手段。反動と改革。新しい経済計画。しかし、これらが可能になるのは、ただ中央集権化と組織化によってのみであり、そうでなければ不可能である。ただこの方法によってのみ、崩壊の危機から救われる。組織化自体は反キリスト的ではなく、むしろ公共の福祉のために、諸国民の生活に必要な手段である。

国際交流の増加。世界の出来事の加速。

戦争技術の発展。極めて恐ろしい殺戮兵器の改良。先進的文明国自滅の危険性。したがって、ただ技術的観点のみから考えても、平和の維持には諸国民の相互理解がますます必要になる(一テサ五・二〜三)。

数百万人の軍隊。「一万の二万倍」すなわち二億(黙九・一六)。すでに一九一四〜一八の戦争で、四千万人が従軍した。戦死者だけでも九百万人。疫病による死も含めると、死者の数はさらに三千五百万人増える。

人類の三分の一が殺された(黙九・一五、一八)。確かに、今でもまったく可能である。航空機による攻撃!飛び交う爆弾!原水爆!ヨーロッパ全面戦争――ヨーロッパがまさに壊滅する。過度の文明は文化の破壊者である。

宗教の世界的宣伝。偽預言者が、小さな者も大きな者も、すべての人に反キリストを礼拝させる(黙一三・一二、一三・一六)。

宗教的自由の抑圧。霊的確信のかどによる集団処刑(マタ二四・九、黙一三・一五、一七・六、一八・二四)は、依然として今日もありうるのか?「進歩」や「世界の向上」にもかかわらず?ありうる。この現代でも、キリスト信仰ゆえの迫害はあったし、今もあるのである。

最後まで戦争と戦争の噂が絶えない(マタ二四・六〜七)。しかし、これらすべてにもかかわらず、

世界的な福音伝道。「この王国の福音は証しのために全世界ですべての国民に宣べ伝えられる。それから終わりが来る」(マタ二四・一四)。

紀元一五〇〇年までに。聖書やその一部の印刷物が十四ヶ国語で配布された。
一八〇〇年。十七ヶ国語で。
一八〇四年。英国及び外国聖書協会の設立。
一九三〇年。ロンドン聖書館の翻訳部長であるキルゴール博士によると、九百ヶ国語で(聖書協会全体の翻訳も含む)。こうして「五週か六週ごとに新たな言語がわれわれの協会の一覧に加わる」。
一九四八年。国語と主な方言の数は千百以上に達した。そのうち、英国の協会は七百七十を刊行し、毎年聖書を千百万部発行している。(「多くの言語の福音」一九四八年、一八七〜一八八頁)。

終わりの時代に諸国民に福音を伝えるための、本当に強力な備えである(黙七・九〜一一)。

イスラエル。一方において、紀元七〇年、エルサレムはタイタスにより滅ぼされ、百十万人が死んだ。そして、

続いて一三五年に、「星々の子」バルコクバ(民二四・一七参照)の敗北後、ユダヤ国家が滅び、五十万人が死んだ。ユダヤ人はみな、ユダヤとエルサレムから追放された(申二八・六四、レビ二六・三三)。

他方、神の裁きの下にあるにもかかわらず(イザ六六・二二、エレ三三・二〇〜二六、マタ二四・三四)、ユダヤ人が滅びないのをわれわれは目にしている。今日、破滅的裁きの諸世紀を経てもなお、ダビデやソロモンの最盛期の二倍以上のユダヤ人がいる。ある土地の住人の約四分の一が兵役につくことができるので、二サムエル二四・九から、ダビデの時代の総人口は約五百万人だったことになる。しかし今日、地上に約千二百万人のユダヤ人がいる。他方、ローマは別として、他の古代の文明民族はみな滅んだり、衰退したことに注意せよ。

上述した数字に加えて、
一〇九六年五月から六月:ドイツのラインランドで一万人のユダヤ人が殺された。
一二九〇年十一月一日:絞首刑に処すとの脅しにより、ユダヤ人全員(千六百人以上)が英国から追放された。三百七十年後にようやく、クロムウェルによって、帰還が法的に認可された。
一二九八年四月二十日から秋まで:フランコニア、ババリア、オーストリアで十万人のユダヤ人が殺された。
一三〇六年九月:死刑に処すとの脅しにより、十万人のユダヤ人がフランスから追放された。
一四九二年八月二日:宗教裁判による死刑の脅しにより、三十万人のユダヤ人がスペインから追放された。
一六四八〜五八年:ロシア、ポーランド、スウェーデンの間の戦争中、約四十万人のポーランド・ユダヤ人が死んだ。
一九三九〜四五年:第二次世界大戦中、少なくとも数十万人のユダヤ人が殺された。

さらに:一七九一年九月二十八日、フランス国民議会はユダヤ人に不利な特殊条例をすべて廃棄した。それ以来、

十九世紀には、ユダヤ人の影響力が急速に伸びて、政治・新聞・大型金融の分野で大きな力を持つようになった。

一八九七年。シオニズムの創設。祖父たちの土地に戻るための組織的努力がなされるようになった。

一九一九年二月二十七日。サン・レモでの会議。一九一七年のバルフォア宣言にのっとって、パレスチナはイギリスの管理のもと、ユダヤ人の国土であることが宣言された。一九二三年二月二十六日、ユダヤ人の衆議会(サンヘドリン)は、数世紀ぶりに会議を開いた。千五百年間死んでいたヘブル語が、再びエレツ・イスラエル(Erez Israel)、イスラエルの土地で、生きた公用語になった――一九一八年にはスコボ山上にヘブル大学が設立された。一九〇〇年には、その土地に約五万人のユダヤ人がいたが、一九三六年までに、その数はすでに三十七万五千人に達していた。現在、ユダヤ人の人口は百万人以上である。

一九四八年。紀元一三五年後、十八世紀以上を経て、パレスチナにユダヤ政府が樹立された。これらすべては中東の目覚めである。イスラエルの「いちじくの木」は芽を出した(マタ二四・三二。なおルカ一三・六〜九、マタ二一・一九を参照)。「死んだ骨」が動いて、つながり始めた(エゼ三七・七)。「神の世界時計の針」であるイスラエルは、すでに午前零時を指している。

このように、終わりの時に関する聖書の預言(マタ一六・二〜三)が歴史的に実現する可能性の証拠と、その文字通りの意味とを、われわれは至る所で目にしている。

1.政治的生活では:

オリエントの目覚め(黙一六・一二、九・一四〜一六)。
ユダヤ人のパレスチナへの帰還(イザ一一・一一)。
政治的世界の全般的動乱(マタ二四・六〜七)。

2.経済的生活では:

富む者と貧しい者との間の緊張関係(ヤコ五・一〜八)。
組織化と中央集権化(黙一三・一七)。

3.技術的生活では:

世界的交流の進展――諸国民相互の接近――戦争技術の改良――先進文明諸国民が自滅するおそれがあるため、世界的理解が必要であること。

4.宗教的生活では:

自己神格化(二テサ二・三〜四)。
心霊主義(一テモ四・一)。
見せかけの敬虔(二テモ三・五。なお一を参照)。
狂信(マタ二四・四〜五、一一、二三〜二六)。
偽りの教理(二テモ四・三〜四、二ペテ二・一〜二)。

5.道徳的生活では:

肉的な安全保障(マタ二四・三七〜三九、一テサ五・三)。
不道徳な行為(二テモ三・一〜四)。
傲慢な嘲り(二ペテ三・三〜四)。

6.自然界では:

地震と自然災害(マタ二四・七、ヨエ二・三、二・一〇)。
太陽と月と星々の諸々のしるしを参照せよ(マタ二四・二九)。
「一六〇〇年と一七〇〇年の間に四つの大きな地震が記録されている。一七〇〇年と一八〇〇年の間は七つ、一八〇〇年と一九〇〇年の間は九つである。過去四半世紀の間に(一九〇一〜一九二五)すでに四つあった――マルチニク地震(死者三万人)、サン・フランシスコ地震、メッシーニ地震(死者十万人)、東京地震(死者二十三万人)である。」(F.P.ケラー)

7.神の教会の生活では:

聖書の流通と世界宣教(マタ二四・一四)。
多くの人々はなまぬるいが(黙三・一六、マタ二五・五、ルカ一八・八)、忠実な者たちは目を覚ましていること(ルカ一二・三七)。
しかし真夜中に、「見よ、花婿だ!出迎えよ」(マタ二五・六)という叫びが響くであろう。
それにもかかわらず、遅延に有利な力が依然として明らかに働いている。したがって、これが成就する時を前もって特定しようとする試みは、すべて排斥されなければならない。特に、一人の「抑える」者と一つの「抑える」物とが存在する(二テサ二・六〜七)。しかし、この者や物が何なのかは、はっきりと述べることはできない。教会教父たちの大部分の見解では、これはローマ帝国である(エイレナイオス、テルトゥリアヌス、ヒッポリュトス、ヒエロニムス、クリソストム)。テオドレットの考えでは、これは異教の偶像崇拝である。J.P.ランゲはそれを国家生活の道徳的精神、カルバンは福音宣教、ダービーは教会と神の霊、バリンガーは悪魔と考えた。悪魔は天で自分の地位を「堅く保って」おり、反キリストが地に出て行くのを許す前に(黙一三・一〜一八)、大天使ミカエルによって追放されなければならない(黙一二・七以下)。アウグスチヌスは見事にこう述べている、「テサロニケ人たちはこれを理解していたが(『あなたたちは知っている』、二テサ二・六)、私にはさっぱり分からない。それでも、私は他の人々の推測を隠そうとは思わない」。