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「覚醒」

The Awakening

2.覚醒

II The Awakening

フリードリヒ・ズンデル
Friedrich Zuendel



ブルームハルトの戦いは一八四三年一二月二八日に終わりを迎えたが、その章が終わると共に新たな章が始まった。この章は前の章よりも意義深いものであった。その章とは、悔い改めと刷新の広範に及ぶ動きである。それにより数百の人生が変わり、それはその町の遥か遠くまで広がったのであった。

ゴットリーベンの魂のためのブルームハルトの戦いは、その生々しい劇的出来事のゆえに、続いて起きたこの覚醒よりも、彼と同時代の人々の関心を引きがちであった。これはブルームハルトを苦しめた。ある旧友が「ゴットリーベン・ディタスの病気についての説明」の写しを一部せがんだところ、彼はすこしためらって、「でも、これがメトリンゲンではないのですよ!」と念を押してから、ようやくそれを渡した。ブルームハルトにとって、メトリンゲンの意義は、この戦いの後にそれが経験した変化にあるのであって、この戦いそのもののゆえに得られた名声にはなかったのである。

ブルームハルトの戦いにより、彼の会衆のうちに厳かな雰囲気が生じた。しかし、それが最も大きな影響を及ぼしたのは、彼自身と、彼の家族と、彼の最も親密な支援者であるクラウシャー市長とモーセ・スタンガーの二人に対してであった。ゴットリーベンだけでなく彼らにとっても、それは裁きと悔い改めの時であった。聖書から次々と洞察力が彼らに臨み続けた。そして、それによって新たに生じた自覚は、彼らを刺し通して罰するものであった。「私たちは鉄の櫛ですかれているところです」と、彼らの一人は述べている。

すでに一八四一年のこの戦いの前から、この覚醒の最初の兆候が現れた――それはブルームハルトの堅信礼の授業の時のことであった。彼は一つの印象的な出来事について述べている。

二十数名の生徒が私の周りに座っていましたが、その少年たちの一人が叫んでいるのに私は気がつきました――その少年は問題児で、見込みがないと見限っている人もいました。涙がその顔を流れ落ちていました。私はどうすればいいのかわからなかったので、その少年を後に立たせておき、授業の後で、「一体どうしたのですか?どうして叫んでいるのですか?」と尋ねました。その少年は信じて疑わない様子で、「『あなたの罪は赦されました』という声が耳にささやくのを聞いたのです」と私に言いました。そのようなことはまったくの予想外で、同様の出来事を私は一つも思い出せませんでした。その時から、その少年はまったくの別人になったのです。

次に、一八四二年の聖金曜日、この戦いの直前に、ブルームハルトは別の突破口が開かれるのを感じた。当時、メトリンゲンの教会出席者たちは良好であり、ハウグステットの独立心の強い悪名高い教区支部でさえ良好であった。しかし、教会の中で皆が眠っていたのであった。

自分が説教している間、目を開けていられない人々を、ブルームハルトは大目に見がちであった。きつい仕事や不眠や病が原因の場合、彼はよくこう言っていた。「それなら、少し居眠りしなさい!そうするなら具合がよくなって、もっと話をよく聞けるでしょう」。しかし、彼はこうも言った。「人々の中には自分に満足しているから寝ている人もいます。自分は何でも知っていると思っていて、何か新しいことを聞いても、それを煩わしく思うのです。彼らは新たな命の息吹に期待していません。このような場合、いったい何を言えるというのでしょう?ただ眠らせておくしかありません」。

しかし、この聖金曜日、奉仕の前に聖具室に座していたブルームハルトは、このような聖なる日に会衆が居眠りしているのを見ることに我慢できなかった。彼は心の底から必死に神に叫んだ。すると、その叫びは聞かれたと彼は感じた。それから彼は元気に出て行った。用意していた説教は取りやめにして、その代わりにヨハネ一九・二六〜二七「女よ、あなたの子を見なさい・・・・・・見よ、あなたの母です!」について説教した。そこに居た人々によると、ご自分の者を愛する救い主の愛をブルームハルトは大きな情熱を込めて語ったので、俯いていた頭は一つ一つ驚いて上がって行ったのである。人々は聞き始め、とりこになり、聞き続けた。眠気は去って、二度と戻ってこなかったのである。

しかし、真の覚醒は一八四三年のクリスマスの頃の、この戦いの最後の決定的夜に始まった。その夜、多くの人々が「イエスは勝利者だ!」という叫びを耳にしたのであった。翌朝、他の人々は村の至る所で自分の聞いた事を伝えた。それと同時に、「アビスに落ちる!アビスに落ちる!」という陰惨な叫びをも伝えたのである。皆が動揺した。ブルームハルトはこう報告している。「人々は村の中ではあまりそれについて話していません。しかし、明らかに驚愕し、動揺しています。一人また一人と、人々は私のところに来て、自分の罪を告白していきます」。新たな動きが進行中であることに彼が初めて気づいたのは、またもや、堅信礼の授業を受けている生徒たちの間でのことであった。自分の罪を密かに告白する手紙を、彼は数名の生徒から受けたのである。このクラスの変化は顕著であった。少年たちの中には、彼に告げずに、祈りの集会をここかしこの家で始めた者もいた。

一八四四年が始まると、この動きはその教区の大人たちにも広がった。大晦日に、どんちゃん騒ぎとその気性で有名なメトリンゲンのある若者が、牧師館の入口に現れた。ブルームハルトの意見によると、「彼は悪評で、その性質はあまりにもねじ曲がっていたので、私は彼に話すのを避けていました。嘘をつかれるのを恐れていたからです」。今、この人は恥じ入った面持ちで玄関に立ち、「牧師にお会いしたいのですが」とハンスに尋ねた。

「牧師に何の御用ですか?」と、懐疑的なハンスは尋ねた。

「ああ、ハンス」と彼は答えた。「私は悲惨です!昨晩、私は地獄にいました。『再び脱出する唯一の道は、牧師に会うことだ』とそこで言われたのです」。

ハンスは彼を階上のブルームハルトの書斎に連れて行った。ブルームハルトは彼に椅子を勧めたが、「いいえ、牧師さん、私は罪人の法廷に座しているのです」と彼は言った。この人がひどく真面目なことがわかって、ハンスは部屋を出た。ブルームハルトはこう振り返っている。

青ざめて、震えながら、まったく彼らしくない様子で、彼は私に「牧師さん、私は赦しと救いをまだ受けられるとお思いですか?」と尋ねました。彼が言うには、丸一週間眠れなかったとのことでした。「もしこの重荷を胸から去らせることができないなら、私は死んでしまいます」と彼は言いました。私は少し自制しつつ、「特に自分の罪を告白しない限り、あなたが真面目であるとは信じられません」と彼にきっぱりと言いました。しかし、共に祈らずに、このように取り乱した人を去らせるようなことは、私には到底できませんでした。私はそれまでしたことのない新しいことをしました。両手を彼の上に置いて、祝福の言葉を二、三述べたのです。すると、それで彼は明らかに安心したようでした。

二日後に、この人は戻って来た。ブルームハルトはバースにこう書き送った。「昨日、この哀れな罪人が戻って来ました。玄関に立つ彼はあまりにも落胆して苦しんでいたので、その光景を見た家政婦の一人が泣き出すほどでした」。今回、その人は自分の罪を告白するつもりだったが、依然としてそうすることができなかった。三度目の訪問で、彼は遂に「今こそ告白します」と宣言し――告白したのであった。

彼は異例の正直さで自分の罪を告白しました。それにより、人々の間にはびこっている多くの悪に対する洞察を、私は初めて得たのです。彼は依然として悩んでおり、私の慰めに永続的効果はありませんでした。「私に完全な平安を与えるには、あなたの職務の権威によって赦しを宣言して下さらなければなりません」と彼は言いました。自分の罪を正式に赦してもらうことを彼は望みました。その求めに応じない理由は何もなかったので、私は両手を彼の頭の上に置いて、罪が赦されたことを宣言しました。祈りから立ち上がった時、彼の顔は感謝で輝いていました。

これはブルームハルトの生涯で二度目の転機であった。第一の転機は――「主イエスよ、助けて下さい!」という彼の叫びに対する応答であり――これにより、彼は数々の厳しい戦いに導かれたのである。そして、これらの戦いを通してはじめて、彼は記念すべき勝利に導かれたのであった。今回、その報いは思いがけず彼の膝に落ちた。ブルームハルトはこの重要な瞬間について、後にこう記している。

この罪の赦しがあの人と私に与えた印象を、私は決して忘れることができません。言い尽くせない喜びが彼の顔から輝き渡りました。私は聖なる霊の軍勢が働いている全く新しい領域に入ったように感じました。私はそれをまだ理解できませんでしたし、理解しようともしませんでしたが、他の人々がやって来る時は、同じ単純で注意深い方法で行動し続けました。

この訪問者が牧師館を去った時、彼は楽しげにハンスに話しかけた、「さて、私は戻って、友人たちに話さなければなりません。友人たちはこれまで私の汚れた冗談を聞いてきましたが、今や、私の話から救いを見いだす方法を聞けるのです」。そして、彼は自分の言葉を守った。翌日、彼は悔いている別の人を連れて牧師館に戻った。同じ手順で、同じ結果であった。すぐに別の人が来て、また次の人が来た。

数週間後、ブルームハルトの報告によると、告白を望む人々が押し寄せたので、彼は絶えず忙しくしていた。「朝の七時から夜の一一時まで大忙しです。思いがけない人々が何時間も居間に座って、静かにひっそりと自分の番を待っていました」。

一月二七日にブルームハルトはバースにこう書き送った。

人々は夜の八時まで来続けました。すでに一六名の人々が私に告白をしました。その内の一〇名は最後に私に贈り物をくれようとしましたが、たいてい私は献げ物による罪の赦しを固辞しました。みな少なくとも三回は来なければなりませんでした。依然として何かを隠していたために平安を得なかった数名の人は、七、八回来ました。もう一つ。町の酔っぱらいの一人が、先日の月曜から酒に触れなくなりました。昨日の朝、私はこれを彼とその奥さんから聞きました。

三日後に、彼は再びこう書き送った。

昨日、朝の八時から夜の一一時まで、次々と訪問者が来て、総勢三五名に達しました。皆が深刻な良心の痛みに苦しんでいて、平安を求めていました。中には苦しみで激しく泣いている人々もいたので、彼らが来た最初の時に、私は罪の赦しを与えました。なぜなら、彼らの心は張り裂けそうに思われたからです。全部で二四名が平安を得ました。この新たに覚醒した男たちや女たちは、様々な家で、毎晩集まりました。

二月早々、自分のところに来て告白した訪問者の総計が六七名に達したことを、ブルームハルトは報告した。訪問者たちに対するブルームハルトの振る舞いは優しいものであり、おしつけがましいと言うより、むしろ受け身的であった。しかし、彼は真理を強く主張して、いかなる言い訳も拒んだ。

「どうしてやって来られたのですか?」と尋ねると、「他の人々が幸せになるのを見たので、自分もそうなりたかったからです」という人々もいます。確かに、この人々には依然として多くのことが欠けています。しかし、一度来ると、否応なく引き込まれてしまうのです。何と一変してしまうことか!どの家でも、人々は集まって、神に立ち返っています。どうか神が、分別と知恵を、忍耐と愛に組み合わせることを助けて下さいますように」。

この動きはハウグステットにも及んだ。最初は嘲っていた人々や、妻たちが行くのをたしなめていた人々も、一週間後に姿を見せた。彼らは自分たちの敵対的姿勢のゆえに深い後悔の涙を流し、「それ以来、何の平安も安息もありませんでした」と告白した。

祈りの集会の出席者たち――真に敬虔な人々――が姿を見せるのは、少し時間がかかった。ある夜、牧師館の庭に、彼らの指導者の一人がやって来て、ハンスに言った、「えー、ブルームハルト牧師が今なさっていることは、まったくカトリック流ですね!」。

「そう思われますか?」とハンスは答えた。「牧師は告白するよう人々に求めていません。しかし、人々が平安を求めてやって来る時、牧師全員の義務として、人々に仕えているのです。あなたは自分の罪のために赦しを得ましたか?」

「はい」。

「結構です。それなら、他の人々が赦しを得るのを見守っていて下さい」。

二、三日後、この人は戻って来た。彼はまず自分の批判をハンスに詫びた。その批判のせいで、それ以来、彼の良心はひどく痛んでいたのであった。次に、他の人々のように、彼はブルームハルトに会いに行き、戻って来た。もはや自己義認の聖徒ではなく、砕かれた罪人となって。

祈りの集会の別の出席者が、牧師館を訪問した。その人は、敬虔で立派な性格のゆえに、高い尊敬を受けている人であった。その人は階段でブルームハルトに会うと、「ブルームハルト牧師、皆があなたに会いに来ているので、私は……」と言った。

「何か悩みでもおありですか?」とブルームハルトは遮った。

「まあ、そういうわけではないのですが」と、その人は答えた。

「もちろん、そうでしょう。あなたは親愛なる善良な人ですから」と、ブルームハルトは暖かく言い、手を握り、その場を離れようと、「さようなら」と述べた。翌早朝、その人はブルームハルトと話すために待っていた。その人は恐ろしい夜を過ごし、自分の罪をことごとく自覚させられたのであった。そして今、戻って来たのである。善良な敬われている人としてではなく、多くの罪人の一人として。後に、ブルームハルトはこう評している。「彼は来るだろうと、私は思っていました。私はいつも彼のことを祈っていたからです」。

ブルームハルトの働きは成長し続けた。二月一〇日に書いた手紙の中で、彼はこう述べている。

毎日、夜の一一時半まで、私は人々と一緒にいます。次の朝の六時には、すでに誰かが待っており、これが一日中休み無く続くのです。他のことはほとんど考えられません。昨日の子供の奉仕では、月刊の新聞の働きのために、中座するよう求められました。その結果、今日はさらに多くの訪問者がありそうです。(中略)これを私はどうすればいいのでしょう?すでに私の想像を超えています。今までに一五六名の人が来て、悔い改めの涙を流しました。たとえ最初は涙を流さなかったとしても、二回目、あるいは三回目の時に涙を流したのです。どうすればこれに対処できるのか、私には謎です。私が聞いた多くの罪は、時として私を恐怖で凍り付かせるものでした。それらの罪を知るときはじめて、あなたは私の立場の困難さを理解できるようになるでしょう。(中略)様々な集会が人で混み合うようになって来ているので、私はすぐに整理のために何かをしなければなりません。

一週間後、悔い改めた訪問者の数は二二二名に達した。この頃、バースは友人の一人に手紙の中で、こう振り返っている。

最近、私はメトリンゲンにいたのですが、そこで新たに覚醒した人の数名と会いました。彼らとまみえたことは、私にとって喜びでした。確かに、彼らの中には、長年祈りの集会の出席者だった人もいますが、その人々といえども一つ思いではなかったのです。今、彼らは新たな命に捕らえられています。これはすべて奇跡のように見えます。

後に、バースは再びこう書き記した。

何年も、私たちは種を蒔き続けてきました――その種は良い種だったこと、種売りは私たちを騙していなかったことを、私たちは知っています――しかし、何の結果も生じず、人々はまったく元のままでした。それでも、何も失われてはいませんでした。発芽には長い時間がかかるのです。メトリンゲンはこの完全な例です。マチトルフは三〇年熱心に宣べ伝えました。彼の後、グロスがさらに一四年宣べ伝えました。私はこの同じ土地をさらに一四年耕し続けました。先人たちが蒔いたものから少しでも収穫を得ることを望んでいたのです。しかし、それはかなうことなく、私はそれにふさわしくありませんでした。
 次に、私の後継者であるブルームハルトが説教壇を引き継ぎました。最初の五年、状況はますます悪くなるようにしか思われませんでした。道徳の水準は低下し、その教区の霊的生活は衰退しました。しかし、今、火が燃え始めて広がり続けています。一人また一人と、牧師に会いに来ます。最も強情で粗野な人々ですら、来て、落胆して泣いています。しかし、自分の罪を告白すると、彼らはみな赦しの平安に満ちます。恐るべき隠れた罪が露わになりました――おそらく、それは広く行き渡っている罪なのでしょう。しかし、今や、上は八〇代から下は小学生まで、三五〇名以上の人が来ました。そして、この大火はハウグステットの教区支部にまで広がりました。この教区支部は最近まで、断固として受け入れようとしないかのように見えていたのです。二〇名以上の人がそこから来ました。
 人々は、マチトルフやグロスや私自身から受けた数々の見識について、いつも話しています。それらの見識を彼らは長らく抑え付けようとしてきたのですが、今ではそれに基づいて行動しようとしています。特に、堅信礼の授業の重要性が明らかになりました。なぜなら、この授業で自分の良心を貫かれたことを、ほとんど全員が認めているからです。

―――――――――――

数週間たって数ヶ月になっても、この覚醒は進み続けた。ブルームハルトは友人に情報を送り続けた。三月早々、彼はこう書き送った。

想像してみて下さい!昨日、私の堅信礼の授業に出席している二四名全員が毎日自分たちの家で集まっているのを聞きました。彼らは歌い、聖書を読み、ひざまづいて、皆が交代で祈ります。最も啓発されている人が集会を導き、他の人々に自分の読んだ箇所について質問します。すべてがこのように子供のような無垢な方法でなされるため、これを聞く人は誰でも深く感動せずにはいられません。

しかし、ブルームハルトは、真心のこもったこの運動に感謝していたとはいえ、くつろいで悦に入るような人ではなかった。それどころか、自分が経験したことはさらに大きな神の計画の前味わいにすぎない、と彼は感じていたのである。そして、他の人々がこれに加わることを彼は願った。「さらなる聖霊の傾注、ペンテコステの再来を、私は望んでいます。キリスト教の状況が変わるには、これが起きなければなりません。このような悲惨な状況のままでは、キリスト教は存続することができないからです。キリスト教初期の賜物と力――ああ、その再来を私はどれほど願っていることか!私は信じていますが、私たちがそれを求めることを、救い主はまさに待っておられるのです」。

「聖霊の新たなる傾注を願い、そのために祈れ!」。これが彼の生涯の標語となった。この霊が常に教会の中に働いていることを、ブルームハルトは決して疑わなかった。しかし、個々のクリスチャンが「私は聖霊を受けています」と主張する時、彼はそれに反論したのであった。

私たちは神の霊を受けている、というのは実際のところ本当でしょうか?聖霊は唯一のはずですが、それでも、数千の霊がみな「自分は真理の霊である」と豪語して、キリスト教圏を支配しているのです!それでは、誰が聖霊を受けているのでしょう?諸教会でしょうか?しかし、諸教会の間の無数の微妙な食い違いのうち、互いに対立しあっていないものがあるでしょうか?そのありかを言えもしないのに、「聖霊は現存しておられる」と言える人の気が知れません。
 論争して正しさを認められたいという精神が、かなりはびこっています――「自分には真理の霊があり、他の人々にはない」と思っているのです。しかし、もうひとりの方、慰め主、神とキリストの個人的代理者は、どこにおられるのでしょう?この方は、キリストを受け入れている人々と共にとどまって下さいます。(中略)私たちが受けているものを見る時、「おお、主イエスよ、これこそそのためにあなたが木に懸かって下さった約束の霊ではないでしょうか?」と私たちは歌わずにはいられません。使徒たちの時代のように国々を速やかに刺し貫いて、イエスの足下に服させる御霊はどこにおられるのでしょう?私たちが口を開いて福音を宣べ伝える時、人々を心の底から奮い起こして、「救われるにはどうすればいいのでしょう?」と叫ばせる御霊はどこにおられるのでしょう?
 聖霊は、神から個人的に臨む時、手で触れることができなければなりませんし、目で見ることさえできなければなりません。聖霊は人類から暗闇の軍勢を追い払い、傷ついた人類をよりよい状態に引き上げ、悪をことごとく抑えなければなりません。最も堕落した人々の間でも、そうしなければならないのです。たとえ今はご自分をそのように現しておられないように思われたとしても、聖霊はかつてこのような方法でご自身を現されたのです。人々が目を閉ざして「聖霊はここにおられる」と思いたいのなら、その話の邪魔はできません。しかし、それとは別の考えを持つことを、どうか優しく私に許可して下さい。

ブルームハルトが書斎で過ごした長い日々と、彼がそこで聞いたことがどれほど彼の心に食い込んで、霊的見分けを必要としたかを想像するなら、彼の喜びは苦渋に満ちた魂の探索と緊張によって度々損なわれたことが分かるであろう。彼はバースにこう書き送った。

ドアを閉ざさない限り、私自身の時間は一瞬もありません。そしてこれまで、ドアを閉ざすことはできませんでした。大いに苦しんでいて待てない人々が度々いるからです。昨日、自分の番のだいぶ前に、ある人が階上に送り込まれてきました。他の訪問者たちが彼に、「あなたが一番傷ついています。最初に階上に行った方がいいですよ」と言ったのです。昨日、二〇名の人との相談もありました。(今日はさらにそれ以上です。)相談は三時間続き、それが終わる頃には、お互いにとても親しくなったように皆が感じました……。
 一般的に言って、こうした相談は素晴らしい発展を遂げました――月曜日には三一名の青年男子、火曜日には二一名の人、水曜日には四六名の人と相談しました。彼らはみな誠実に心から話してくれました。木曜日には三三名の女性、昨日には別の五〇名がやって来ました。すべてがとても順調に運びました。

三月早々、ブルームハルトはこう書き記した。

昨日の朝、私は個人的な会話をし、月刊新聞の仕事をしました。それで、ハウグステットには少し遅れて着きました。そこで私は祈りの集会と堅信礼の授業をして、二一名の成人と話をし、二六名の子供と会いました。家に着いたのは六時頃でした。家ではすでに人々が待っていました。論説に取りかかったのは一一時半でした。すると、朝の二時に玄関の呼び鈴が鳴りました。老女が横になって死にかけていたのです。私は彼女のもとに駆けつけ、彼女をいくらか慰めることができました。それから家に戻ったのですが、家に戻るやいなや、また呼び鈴がなりました。市長の子供が死にかけていたのです!私は再び出かけましたが、私が着いた時には子供はすでに死んでいました。

教区の子供たちがこの覚醒に参加したこと、特に自分たちで集まって祈る子供たちの習慣を、ブルームハルトは喜んだ。しかし、彼は見せかけの敬虔にことごとく反対した。例えば、「学校の子供たちが休み時間に祈りのために集まっているのですが、そのせいで授業に遅れてやって来て、上の空なのです」と告げられた時、「もし私が教師なら、その子たちの耳を叩いていたでしょう。そんな祈りが何の役に立つというのでしょう?」と彼は言った。それでも、村の子供たちの間に以前感じた「陰気さ」がなくなったことに、彼はホッとしていた。また、祝福を受けるために――過ちを告白するための場合もあった――彼の学びにやって来た子供たちのゆえに、彼は元気づけられたのである。

三月中旬に、ブルームハルトはバースにこう書き送った。

当然のことながら、多くの喜びと戦いが隣り合わせでした。それでも――毎日が勝利の日です。なぜなら、「戦えば戦うほど、ますます勝利!」だからです。私は屈したりしません。万事良くなると私は確信しています。

復活節までに、幾つかの例外を除いて、この運動は会衆全体を捕らえていた。それにはハウグステットも含まれていた。その冬の間に、この運動は近隣の村々にも広がり、さらに遠くのシュワルツワルトにまである程度広がっていた。これについて話し合われるようになるやいなや――それはまた嘲られもしたのだが――さらに遠くに広がったのであった。必然的に、この覚醒により、嘲る者たちの中には好奇心を抱く者もいた。間もなく、彼らも訪れるようになった。他の教区から来た群衆も、彼の日曜の奉仕に出席し始めた。結婚や葬式のような特別な奉仕にも出席し始めた。ある時、ある無名の人の葬式に到着してみると、教会が見知らぬ人で一杯なのを見てブルームハルトは驚いた。四月六日、彼はバースに「教会の庭では、もはや聴衆全員を収容しきれません」と書き送った。

他の会衆の会員が現れ始めた時、ブルームハルトは喜ぶどころか、困ってしまった。この流入は他の教区の出席者が減少したことを意味するのを、彼は知っていたからである。教会の定期刊行物を書いた時、彼はこう心配した。

私はどうすればいいのでしょう?この洪水をどう導けばいいのでしょう?この並外れた運動全体のゆえに、私は考えずにはいられません。これは教会の中で起きているので、「それには主の御手がある」と考えても僭越ではないはずです。私が相手にしているのが主だとするなら、人間的思惑で主に抵抗するより、それが引き起こす労苦、汗、心配、不安、誤解、戦いを何でも引き受けた方がいいでしょう。
 私は人々を引きつけるために何もするまいと、わざわざ取りはからいました。私が訪問者をおだてていると言える人は誰もいません。事実、メトリンゲンに行くよう自分の教区民を励ました牧師たちを、私は数名知っています。(訪問して彼らが益を受けたのかどうかは、他の人々の言論にお委ねします。)しかし、私は確信しています。間もなく、私の仲間の牧師たちの教会は前よりも栄えるようになり、ここに群がる人々の数は自然に減って行くであろうと。
 外部の人が私の家に個人的に訪れましたが、それはさらに負担でした。確かに、送り返せる人は、その人自身の牧師のもとに送り返しましたし、そのことのゆえに私に感謝した人も数名いました。しかし、私の同僚の中には、個人的告白の価値を信じる私の信仰を共有しない人もおり、そのせいでとても気まずくなっています。結局のところ、彼らの教区民の中には、あまりにも自分の罪に打ちひしがれていて、もはやそれを負っていられない人がいたのです。
 私は人々に――すなわち、自分の牧師に耳を傾けてもらえない人々に――助言します。誠実で熱心な友人に、祈りにより、神の御前で、自分の心を開き、使徒ヤコブの言葉に従って、「互いに自分の罪を告白しなさい」。もし心から悔い改めて、内側を完全に新たにされることを願うなら、必ず赦しを得られます。
 時折、訪問者は自分の人生の出来事の中から、告白らしきものを打ち明けてくれます。しかし、私が外部の人々を自分自身の会衆の会員のように取り扱っており、そうして他の誰かの権威の領域を侵害しているという噂に、私は断固として反論します。私は彼らに罪の赦しを与えたことは決してありません。しかし、これはどんなに強調しても強調しきれないのですが、もし私の尊敬すべき同僚たちが、自分の教区民に隠れた罪を自覚させ、次に解放の機会を与えるなら、大いに益になるでしょう。

この運動には必然的に嘲りが伴っていたが、それにもかかわらず、この運動に捕らえられた人の中にはとても熱心な人々もいた。その熱心さを描写することは困難である。ブルームハルトに会うためにメトリンゲンに向かって歩いていることが知られると、その村民は「メトリンゲンへの巡礼者」としてからかわれるか、笑われるのであった。「エルサレムに向かっているのかい?楽しみな!」。

驚くべきことに、いわゆるリバイバルに伴う過度の興奮は、メトリンゲンにはまったくなかった。公に悔い改めを宣言することや、邪悪さを公表することもなかった。この覚醒はあまりにも深刻なものだったので、そのための余地はなかったのである。この覚醒は現実に深く根ざすものであった。人々は内なる衝動に駆り立てられていたのである。

至るところで、やましい良心は打たれた。旧敵は和解した。盗まれたものが戻ったことも数件あった。ある店では、着飾った男が店に駆け込んで、硬貨を売り台の上に置いて、再び飛び出して行った。

以前の過ちを正そうとする努力が、すべて円滑になされたわけではない。例えば、貧しい新婚の夫婦がいて、彼らは負債の利子を払えそうになかったのだが、債権者が年利支払いの欄に一つ署名するところを、たまたま二つ署名した。夫婦は家に戻った時にこの間違いに気づき、感謝してそれを――言わば、神の助けとして――受け入れた。数年たった。今、悔い改めの潮流に捕らわれて、この夫婦はこの問題をブルームハルトに打ち明けた。そして、彼の助言に従って、この間違いを債権者に告白し、慈悲と忍耐を求めた。昔の負債を払える立場にはなかったからである。不幸なことに、債権者は憤りをもって応じ、即刻の支払いを要求した。

数年後、人々を悔い改めに促した動機について語った時、全人類に及ぶ運動を願う自分の願いをブルームハルトは打ち明けた。

 持つべきものを持っていないことを、すべての人が悟る時が来るでしょう。彼らは自分の痛ましい空虚さを感じ、自分でも分かっていない何かを切望するでしょう。突如として、彼らは自覚するでしょう。「私たちは何と貧しくて弱いのでしょう、何と惨めで堕落しているのでしょう!自分たちの思想、信念、希望は、なんと脆いのでしょう!」。そして、自分に欠けているものを持っているように見える人々に、彼らは目を向けるでしょう。
 このような方法で回心が始まるのです。機が熟すなら、これは一日で全世界に広まるでしょう。そして、正しくて真実なものを持っている人々のもとに、それを求める人々の洪水が押し寄せるでしょう。ああ、その時が早く来ますように!
 悔い改めには一つのことが大事であることがわかりました。それは、他の人々の助けを進んで求め――受け入れる――姿勢です。今の、敬虔を気取った、自己を愛する輩は、「私には誰も必要ありません。私は自分で神に対して物事を正すことができます」と自惚れています。しかし、人々が静かに自分の救いを成し遂げようとしている限り、どうにもならないでしょう。互いの必要性を悟り、互いに手を差し伸べて、自分を開く時はじめて、彼らは前に進めるようになるでしょう。

一八四六年に、メトリンゲンにおけるこの運動の印象を述べたある友人に宛てて書かれた手紙の中で、ブルームハルトはこの覚醒の原因及びこの戦いとの関係について、さらに深く探っている。この友人の指摘によると、人々は依然としてショック状態にあり、この戦いによって引き起こされた恐怖が主な動機である、というのである。ブルームハルトはこう応じた。

 メトリンゲンの生活に関するあなたの御意見に感謝します。しかし、あなたが記しておられるこのショックを、恐るべき一連の出来事に対する機械的反応と解釈するのは間違っています。この戦いとこの覚醒との関係は、そのような外面的なものではありません。どちらかと言うと、この覚醒はこの戦いの結果であり、この戦いによって勝ち取られたものなのです。戦いと勝利を通して、悪魔の軍勢は打ち破られました。悪魔の軍勢はもはやまったく働くことができないか、弱々しく働けるだけです。心と知性を暗くしていた呪文は取り除かれ、以前は鈍くて閉ざされていた知性は敏感になりました。しかし、盲目のせいで、人々は多くのとんでもない行いを不注意に行っています。光に対する彼らの最初の反応が、自分の真の状態を知ってショックに陥ることであるのは、まさに自然なことです。多くの場合、自分の振るまいが悪いことだとは彼らは決して気づいていませんでしたが、突如としてこの光があまりにも力強く彼らを打ったため、もはやそれを自分から隠していられなくなったのです。

この運動全体を概観するなら、その客観性が明らかになるであろう。あるいは、こうも言えるかもしれない。その神的起源の印が明らかになるであろう、と。この運動に関する捏造は一切無い。ブルームハルトの場合も、彼のところに来た人々の場合もである。人々はただ良心の呵責に基づいて行動した。ブルームハルトはこのような運動を決して夢想だにしていなかったし、ましてやそれを生じさせようなどとはしていなかったのである。

確かに、この戦いに巻き込まれていた間、罪の力は秘密にあること、罪が白日の下にさらされない限り、良心から重荷が取り除かれることはまずないことに、彼は気づいた。そこで彼は、心のこもった兄弟らしい方法で、日曜日に集まる聴衆たちに、「もし良心に何か問題があって、内なる平安がないなら、私のところに来て下さい」と告げ始めた。ところが実際は、自分のところに来るよう聴衆を招くことは、ほとんど必要なかったのである。なぜなら、聴衆は当然悔い改めの心構えを持っているはずだ、と彼は思っていたからである。この覚醒の間、彼の説教により、聴衆の心の最も深い部分に光が当てられ、聴衆にのしかかっている重荷が露わにされるかのように思われた。

ブルームハルトは強力な話術で、悔い改めるよう人々を攻撃するようなことは決してしなかった。「回心した人」が「回心していない人」を攻撃すること――「鉄は熱いうちに打て!」という標語に従うこと――議論や他の説得術を使うことに、彼は同意しなかった。罪人が、新たな貴い性格らしきものを見せびらかして、他の罪人に自分を押しつける光景を目にするのを彼は恐れた。そのようなことは、たとえ回心の結果であるように見えたとしても、悪い実以外の何ものでもない、と彼は警告した。「心や振る舞いが元のままのこの『回心者たち』は、いつになったらまったくいなくなるのだろう?」と彼は嘆いた。

ブルームハルトの率直なやり方を批判する人もいたが、他の人々は「彼はあまりにも優しすぎる」と感じた。ある時、ブルームハルトは別の町で説教するよう招かれたが、招待した牧師は後で、「彼はあまりにも優しく話しすぎました」と不平を鳴らした。ブルームハルトはこう答えた、「福音は必ず悔い改めを生じさせます。あなた自身の悔い改めから生じたものは何でも、さらなる悔い改めを生じさせます。しかし、あなた自身の悔い改めから生じていないものは何であれ、要塞の城壁にぶつかるシャボン玉のように効果がないのです」。

「多くのクリスチャンは、自分自身の回心よりも、他の人々の回心に関心を寄せているのではないだろうか」と、ブルームハルトは心配した。彼は言った、「他の人の罪について、どれほど多くの噂話を聞いたとしても、その罪が赦しを求める願いをもって私のところにもたらされない限り、私の関知するところではありません。私はただ贖いの光の中でのみ、罪を見ます。私の仕事は決して裁くことではなく、ただ赦すことだけです。キリストが来られたのは世を裁くためではなく、世を救うためなのです」。こうして彼は注意深く、個々人の自由を守ったのであった。書斎の中では、個人的に、彼は完全な真実を要求したが、決して押しつけがましくはなかった。「どれくらい告白すればいいのでしょう?」と尋ねられると、「あまり話したくないことでも話して下さい」と彼はよく答えたものだった。罪の赦しを与えるのにあまり気が進まないことも、しばしばあった。罪があまりにも大きく、咎があまりにも重かったわけではない。その人が何も隠していない確証を欲したからであった。

ブルームハルトは自分の人格を軽視していたが、控えめだったわけではなく、主の御名によって行動するよう召された僕であると自分のことを思っていた。彼からは大きな力と平安が発せられていたので、「彼のもとに来る罪人に、まるでイエス・キリストご自身が御手を伸ばしておられるように感じます」と評された。「あなたたちが地上で解くものは、天でも解かれます」「あなたたちが誰かの罪を赦すなら、その罪は赦されます」という御言葉を思い出した者も数名いた。これがこの覚醒の顕著な特徴の一つであった。しかし、ブルームハルト自身が決して倦むことなく指摘したように、目に見える効力もあった。「回心者の多くは、新たな力が自分たちから流れるのを感じます。この力には体を癒す効力があります。彼らの容姿全体を若返らせるのです」。

バースへの手紙の中で、ブルームハルトはメトリンゲンのある人について記している。その人は居間から階段をよじ登って書斎に着き、ブルームハルトの祝福を受けると、赦しの確かさに圧倒されるあまり、牧師の首に抱きついて、キスの雨で彼の息を詰まらせたのであった。この赦しは贖いと解放の素晴らしい根源となったので、以前の罪を避けることは人々にとって困難なことではなかった。とはいえ、警戒している必要はあったのだが。例えば、以前アルコール中毒だった人は、「渇きが消えました」と宣言した。以前は酒場に引き寄せられて抵抗しようがなかったのだが、今では、酒場を見ただけで嫌気がするようになったのである。

おそらく、この覚醒の最も例外的特徴は、そのすべてを含む作用範囲であろう。この覚醒は二つの党派――回心者と非回心者――を生じさせたりはしなかった。それどころか、党派心は消え失せたのである。ほとんど例外なく、この運動は町のすべての人を捕らえた。これは、ある程度、ブルームハルトのやり方のおかげであった。党派主義や党派間の争いは、彼の周りでははびこらなかったし、彼はほとんど敵をつくらなかった。彼の秘訣は人々を信頼したことであった――万人の内にある善性を彼は大いに確信していたのである。彼が引き起こした変化は、劇的ではあったが、憎しみや、喧嘩や、迫害を、滅多に起こさなかった。他の説教者たちが「迫害された」と不平を鳴らそうものなら、彼はこうたしなめたのであった、「あなたが敬虔だから迫害されたのだと思ってはなりません。おそらくそうではないでしょう。どのみち、あなたはあまり敬虔ではないからです。あなたの聴衆の一人が『自分は好かれていない』ともし気づくなら、その人にはあなたに怒る理由があるのです」。

誰も除外されなかったという事実は、この運動全体――悔い改めと、人々が見いだした平安――が真に神の働きだったことを示している。もう一つの確かなしるしは、それが長続きしたことである。最初から、この覚醒は他のリバイバルと同じ道を辿るのではないだろうか、とブルームハルトは恐れていた。「もしこの運動が成長と拡大を続けないなら、もし聖霊が引き続き私たちの上に新たに注がれないなら、この運動は徐々に消えて行くでしょう」。ある程度、これは現実のものとなった。しかし、一八四四年に覚醒した者たちの子孫たちに尋ねるなら、たとえ当時の痕跡はなくなっていたとしても、彼らの輝く目からその答えが分かるであろう。

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バセルの町議員であり、バセル宣教協会の会長であった、アドルフ・クライスト-サラシンの報告書から、この覚醒の翌年のことがわかる。一八四五年五月一日、彼はカルーの年次宣教祭に参加し、そこからメトリンゲンを訪問した。

 カルーは地方からの人々でいっぱいでした。町の人々は田舎者たち――推定六千名――によって完全に締め出されてしまいました。正面のバルコニーから、大きな市場とそれに押し寄せる群衆とを、私たちは見下ろしました。
 メトリンゲンから来たブルームハルト牧師の登場が、この祝祭のハイライトでした。誰もが彼を見たがりました。彼の会衆の中に覚醒が起きて以来、誰もが彼の名を心にとめて、口にしています。彼は驚くべき力で演説しました。彼の情熱が集会全体に浸透充満しました。彼が発した問いの幾つかが、彼の発言の本質を捉えています。「私たちは本当に、こんな惨めな状態にとどまり続けなければならないのでしょうか?クリスチャン生活はこんな乞食のように貧しくあり続けなければならないのでしょうか?なぜ、信者たちですら、覚醒の最初の動きを見るとき、『その大部分は長続きしないだろう』と言うのでしょうか?なぜこのように信仰に欠けているのでしょう?すべては新しくなるべきではないのでしょうか?」。ブルームハルトによると、御霊が新たに傾注される時、何か新しいことが起きなければならないし、何か新しいことが私たちに与えられることになる、とのことでした。私たちはそのために祈るべきです。そうするなら、それは到来して、この私たち自身の間や、遠く離れた所で、偉大な出来事を見るようになるでしょう。
 この祝祭の後、私はブルームハルトとメトリンゲンまで旅をしました。高所にあるけれども肥沃なカルーから、約二時間でした。村に入った時には遅くなっていました。どの家でも天に感謝を献げるべき理由がブルームハルトにはありました。ある家では深刻な夫婦喧嘩がやみ、また別の家では贖われたアルコール中毒者が玄関に立っていました。こちらでは反抗的な十代の若者が従順になり、あちらでは仇敵同士が自分を低くして和解しました。明かりのついた校舎からは、元気な歌声が聞こえてきました。自分たちの牧師を待っている間、半時間、約二〇〇名の人々が一緒に歌っていたのです。私たちはそこに駆けつけ、ブルームハルトは遅れたことを詫びました。
 ブルームハルトの日毎の御言葉の解釈や祈りは独特でした。彼の声が帯びている調子は壮大な感じがしました。「この牧師は聴衆たちと真に心でつながっている」と私は感じました。その後、その学校の教師が、自分の生徒たちがどのように変わったのか――今、生徒たちの学習態度がどれほど改善して積極的になったのか――を説明してくれました。
 触れるべき個人的な物語がたくさんあります。罪の重荷があまりにも重く良心にのしかかったため、肉体的に影響を受けた人々もいました。ある人は、話す時、あまりにも胸苦しくなったため、不安で喘ぐほどでした。牧師が両手を上にのせ、罪は赦されたという保証を与えてはじめて、その人は安心したのです。
 「このようなことが自分に触れることはない」と誇る、頑固な性格の別の教区民が、ある日、来て、ブルームハルトに告げました。「先日、家に帰って来て、ドアを開けようとした時のことです。子供たちが私のために熱心に祈っているのが聞こえました。それで、私の心に大きな重荷がのしかかるのを感じました。今、私は助けを求めて来たのです」。彼もまた平安を見いだしました。
 この覚醒の間に開かれた一つの集会で、村人の多くが――特に子供たちに関して――祈りがかなえられつつあることを公に語りました。どの家でも、夫婦はひざまづいて共に祈りました。
 この覚醒が起きてから、この教区の六人の老人が、死ぬ前に平安を見いだしました。まるで、最後まで残る平安を見いだすために、取っておかれたかのようでした。どの人の場合も、ブルームハルトがその目を閉じて、その場に居た人たちと共に賛美歌を歌ったのでした。
 翌早朝、私は村で人々と話をし、スタンガーと一緒に一時間すごしました。彼は年配の、経験豊かな、信心深い人でした。この運動に関する彼の感想は重要です。新たに覚醒した人々について話す時、スタンガーは喜びの涙を流しました。そして、その人々の生活が一八〇度変わったことを、私に保証してくれました。彼自身、以前は気むずかしかった親戚の何人かが変わるのを見てきたのです。
 その朝遅く、私はブルームハルトに伴って、ハウグステットの教区支部で毎週持たれている聖書の学びに出かけました。以前は、敵対的な村民たちが、メトリンゲンからの近道を、意地悪く塞いでいました。今では、彼らは彼を父親のように愛しています。特に敵対していた町長が、ベルが鳴った時、真っ先に学校に現れました。晴れた朝の一〇時でしたが、それでも約一五〇名の人々が来て、教室を満たしました。聖書の学びを逃したくなかったのです。
 ブルームハルトは、イエスの周りにいた人々について話しました。「盲人、足萎え、らい病人――何という一団をイエスは選ばれたのでしょう!この一団は裕福な人々を何と苛立たせたことでしょう!しかし、彼は最も貧しい人たちと付き合われたのです。これを知るのは嬉しいことです。そうではないでしょうか」。
 その後、ブルームハルトはその人々の二、三名と話をしました。校長は私に、「この覚醒が起きてから、畑仕事は前よりも順調です」と話してくれました。「前は恐るべき呪いや誓いがなされていたのですが、今ではすべてが平和に行われ、うまく収まっています」。
 メトリンゲンに戻ったのは真昼時でした。人々は自分たちのテーブルの周りに座っていましたが、ブルームハルトが来るのを見ると、立ち上がって手を振りました。私は取り憑かれていた女性にも会いました。彼女は完全に健康のように見えました。
 他の二人の友人が、夕食の時、牧師館で私たちに加わりました。そこではすべてがとても質素であり、灰暗色の皿とスプーンが並んでいました。そこには明るい四人の子供と、ブルームハルトの妻のドリスがいました。彼女は夫の仕事を完全に共有しています。事実、家族全体がブルームハルトの働きに巻き込まれないわけにはいかないのです。彼に会うために待っている人々の列が、しばしばできるからです。

ブルームハルトは人々に悔い改めを迫るような人ではなかった。必要とあらば、きつく話すこともできた。しかし、雄弁や祈りで変化を強いようとする「霊的な」試みに、彼は身震いした。この覚醒は自然に生じたのであり、彼はその流れの速さのままに流されようとしていたのである。

 私が行ったことは、私が求めたり、生じさせたり、強いたりしたことではなく、求めていなかったのに私の道に舞い込んだものだったのであり、まったく不相応なものでした。実際、私は困惑しました、なぜなら、私は自分のことを罪人と考えており、神は私を例外視することを望んでおられるとは到底思えなかったからです。自分も同罪だと感じる罪、私自身まだ赦しを受けていない罪に関して、他の人々に赦しを与えるのは難しいことがわかりました。私は時間に追われていたので、「これらの罪を告白したものと見なして下さい」と救い主にお願いしました。なぜなら、私には次の機会にそうするつもりがあることを、救い主はご存じだったからです。こうして、一時的に和らいだ良心と喜びの霊と共に、続けていくことを許されたのです。間もなく、私の望んでいた機会を、仲間の牧師が与えてくれました。

平安を求める人々を通してブルームハルトが直面したこの苦悩は、現実の避けられないものであった。この苦悩がいかに一般的で広まっているのかを理解するにつれて、この覚醒にはもっと広い意義があること、キリスト教だけでなく全人類にとっても意義を持つことを、彼は理解し始めた。

他の人が彼の立場にあったなら、「このようなことは私のような人でなければ無理です」、「自分の努力の効力に驚くまでもありません。私には必要な能力があるのです」と思う人もいたかもしれない。そのような人は、またもや新たな宗派を創立していたかもしれない――使徒たちの時代から、そのようなことが無数にあったのである――そして、「キリストの真の教会」を確立しようとしたかもしれない。

ブルームハルトは自分の全存在をもって、このような偏狭な傲慢さに反対した。おそらくこれが、彼に多く与えられた理由であろう。メトリンゲンにおける覚醒により、彼は全世界のためにいっそう大胆な希望を持つよう導かれたが、いっそう深い個人的謙遜にも導かれたのである。偉大な数々の奇跡が後に起きた時、一人一人の内に驚愕の畏怖の念が生じた。他の人々が祈りに対する同様の応答を強要した時――あるいは、自分の祈りが聞かれた例を列挙し続けた時――ブルームハルトはよく次のように警告したものだった。「それが自分の功績であると一度でも見なすなら、それ以上何も期待できないでしょう」、「個人的栄誉のために奇跡を願うことこそ、奇跡を永遠に受け続けることを邪魔する最大の妨げなのです」。

自分の仲間の牧師たちも必ず同じことを経験できるし――経験すべきである――と彼は感じていた。「自分たちに何かがある、というわけではありません。私たちの力は神聖な御言葉から来ます。私たちは御言葉を飾り立てずに伝えなければなりません」。内なる平安を求める人々が彼に群がった時、仲間の牧師たちの寛大さを彼はどれほど望んだことであろう。一八四四年四月に、彼はバースにこう書き送った。

 すべての牧師がなすべきことは、「心に重荷を感じる人は誰でも、私に会いに来て下さい」と、教会で告知することです。ああ、状況は変わらなければなりません。なぜなら、私にははっきりと分かっているからです。これまでなされてきたことは、なされるべきことと比べたら無にすぎないのです。

後に、彼は再びこう記した。

 至る所で、人々は良心の解放を待っています。周辺のあらゆる村から、人々が私に押し寄せて来ます。「あなたの牧師のところに行って下さい!」と言えたなら、どれほど嬉しいことでしょう。人々には申し訳ないのですが、私には何もすることが許されておらず、人々を返さなければなりません。私のクリスチャンの兄弟たちが、私の関心に気づいてくれさえするなら……。ああ、私がどう感じているのか、全世界のために私の心がどれほど燃えているのか、神はご存じです!

自分の村の外の人々のためのこの嘆きから、はっきりとこの関心が分かるが、ブルームハルトは他の牧師たちの権威の領域を侵害することを拒んだ。そのせいで、また、彼の同僚の多くの冷たいよそよそしい態度のせいで、普遍的運動になり得たはずのものは、彼本人と結びついた局所的現象の様相を徐々に帯び始めた。数千の人々を覚醒させて捕らえた、悔い改めと赦しの基本的力は、「ブルームハルトの特殊理論」として書き記される結果となった。彼の神学上の友人たちの中には、これをほとんど異端と見なす人もいた。これを彼は大いに悲しんだ。彼にとって、この覚醒は神の歴史の中でも、紛れもなく幸先の良い出来事であり、彼は真っ先にそれを経験した者にすぎなかったのである。

「彼はカトリック主義に戻りつつある」という批判に、彼は特に反対した。なぜなら、彼は徹底的なプロテスタントであり、ルターの精神と書き物に深く根ざしていたからである。彼はローマ・カトリック教会に何の敵意も抱いていなかった――ローマ・カトリック教会はキリスト教の偉大な歴史的形態の一つであると彼は思っていた。しかし、宗教改革の火付け役となったのは、メトリンゲンの運動を特徴付けていたこの二つの要素――告白と罪の赦し――の乱用であったことを、彼は承知していた。それ以来、プロテスタントの人たちは、教会生活のこの二つの特徴に対して、それがイエスの御言葉に基づいているにもかかわらず、警戒感を抱いてきたのである。「まことに、私はあなたたちに告げます。あなたたちが地上で縛るものはみな、天でも縛られ、あなたたちが地上で解くものはみな、天でも解かれます」(マタイ一八・一八)。

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この戦いの間、ご自分に従う者たちを通して働くことになるとキリストが約束された力を、ブルームハルトは幾らか経験した。当時、彼は戦士としてその力を知るようになった。今、その力を、救い主ご自身の御心にしたがって、平和をつくる者――愛と和解をもたらす者――として、彼は実際に発見したのである。キリストは重い罪――殺人、姦淫、盗み――さえも、それが明るみに出されるなら、すぐに赦して下さるのを彼は見た。また、言語道断の罪人でも、自分の心の重荷をただ告白するだけで、平安を見いだせることを彼は見た。

しかし、どうして他の人に告白する必要があるのだろう?密かに神に告白すれば十分ではないのだろうか?確かに、すべての過ちを自分で熟考して、神の御前ではっきりとそれを悟り、神に対してそれを認めることは大切である――しかし、実際のところ、神は最初からそれをご存じだったのである。それについてまだ知らない他の誰かの前で告白するときはじめて、この秘密は実際に暗闇から日の光の中に引きずり出されるのである。

個々人の開かれた姿勢と、メトリンゲンの諸集会が帯びていた健全な調子は、この覚醒の実際の性質を反映していた。この覚醒は悔い改めに基づいていたので、霊的高慢を助長するものが何もなかったのである。この覚醒にあずかった人はみな、自分たちの過去を公平に見つめ、率直に自分自身を他の誰かに開いた。そして、敬虔ぶった自己欺瞞から必ず癒されるであろうことを、全員が長く確信していたのである。他方、熱心さのおかけで純粋に感情的な平安を得た人々は、自分の幸せを維持するために、霊性に関する熱心さの程度にほぼ依存しているようであった。

ブルームハルトは、告白に関するあらゆる批判に対して、メトリンゲンの証拠をあげて反論した。

 確かに、告白は間違って用いられるおそれがあります。偽善的になるおそれ、自分の罪をひけらかすおそれ、酒場の乱暴者のように、臆面もなく、すべてを漏らしてしまうおそれがあるのです。告白を善行と見なして、義人ぶるおそれさえあります。しかし、悪魔がすべてを堕落させてしまったからといって、私たちはそれをみな投げ棄ててしまっていいのでしょうか?
 クリスチャンたちは時々、あれこれ重い罪に陥ります。そして、異教徒からクリスチャンへと戻らなければならないことがあります。どうすればそうできるのでしょう?「信じます」と言えばそれで済むと、あなたはお考えでしょうか?断じてそんなことはありません!「私は悔い改めなければなりません」と言う必要があるのです。しかし、どのようにそうするのでしょう?咎を自分の心の中に抱えたまま、何日も、何週間も、何ヶ月も、何年も、泣き続けるのでしょうか?もし私たちが異教徒になってしまっていたなら、バプテスマの時にそうしたように、再び告白して赦しを受けなければなりません。これより明白なことが何かあるでしょうか?このような新たな開始により、途方もない解放がもたらされることを、誰も否定することはできません。

ブルームハルトはまた、罪の赦しの問題について詳しく議論した。「罪の赦しは自分で自分に与えるしかない」と、あまりにも多くの人が考えていたからである。

 罪の赦しが、それを受ける人々に及ぼす影響は、「その人はまったくの別人になってしまった」と誰もが感じるほどです。この運動が広がり続けて、最終的に私の二つの村を覆ったのは、これが主な理由でした。
 一二名の人については、当時の圧迫の下、私は罪の赦しをあまりにも早く与えてしまいました。この人々は、酷い悪行を故意に打ち明けなかったので、罪の赦しにより、少しも解放を得ませんでした。それだけではありません。そのようなことがあった後には必ず、私は胸苦しくなって、数時間後には全身疲労を覚えたのです。まるで、突如として、力がすっかりなくなってしまったかのようでした。この全般的な無気力状態は、二、三日続くことがよくありました。しかし、後で私は自分の過ちに気づきました。そして、それ以来ずっと、罪の赦しを与えることに注意するようにしています。それをまったくやめてしまうこともできたのですが、それは臆病であると考えました。罪の赦しには現実的な何かがあることを、私は自分の経験からますます確信するようになりました。私に委ねられた魂に対して罪の赦しを差し控えることは、私にはできません。
 その同じ夏の終わりに、私は遠くにいる瀕死の同僚を訪問しました。彼は私に告白して、罪の赦しを求めました。私は、友人のよしみで、罪の赦しを与えました(神に関する事柄では、まったく見当違いなことでした)。そして、今しがた述べたように、家に着いた時には具合が悪くなっていたのです。こうして、神から賜ったこの権威――私たちが地上で解くものは天でも解かれるという権威――は、何と重大な問題であるかを私は理解したのです。
 私が述べたことはあまりにも大胆であるように思われるかもしれません。しかし、私の会衆のほぼ全員に罪の赦しを与えた後、その聖書的根拠が私に対して明らかになりました。ヨハネによる福音書二〇章二一節から二三節で、復活したイエスは弟子たちに、「父が私を遣わされたように、私もあなたたちを遣わします」と言っておられます。そして、彼らに息を吹きかけて、「聖霊を受けなさい。あなたたちが誰かの罪を赦すなら、その罪は赦され、誰かの罪をとどめておくなら、その罪はとどめておかれます」と言われました。
 この力は神から与えられたものなので、無為のまま活用せずにいてはなりません。さもなければ、神はこの賜物を撤回されるでしょう。キリスト教の大部分がこの素晴らしい力を失ってしまったのは、これが原因です。この力は教会を建て上げて維持する上で、有用かつ必要です。結局のところ、ほとんど誰もこの力を信じておらず、用いていないのです。

この覚醒の直後にブルームハルトを訪問して、その後彼の最も親しい友人になった、アルザス地方の製造業者であるディーテレンの報告は、この運動がどのようにブルームハルトの直接的影響を超えて広がっていったのかを描写している。ディーテレンは、メトリンゲンへの訪問や活発な文通を通してブルームハルトから受けたものを伝えた、最初の人々の一人であった。この覚醒に遭遇した後、彼は自分自身の地区にいる病人を世話するために、一週間に一日をささげはじめた。彼は慰めの言葉と自分の金銭をもって病人たちに仕えた――財政状況のおかげで、朝には金の詰まった財布を持って出かけ、財布を空にして戻って来ることができたのである。

病人たちの中には、窓から自分を見かけると、すぐそばにある黙想書を取ってそれを開く人もいることに、ディーテレンはすぐに気がついた。そこで、ブルームハルト自身の流儀にならって、彼は自分が訪問した人々とさらに自然な兄弟関係をはぐくもうとした。

 初めて会う人々が敬虔を気取り始める時、私は日常のことにこだわって、彼らの負債、ヤギ、肥料について話します。すると、彼らは最後には高みから降りてきます。いきなり教化に飛び込むのは間違っています。聖書朗読や祈りで人々に飛びかかるなら、正直者は尻込みし、悪人はあざ笑い、弱者はフリをするでしょう。

このようなやり方で、ディーテレンは多くの人々を覚醒させ、再び信じる理由と、悔い改めて立ち返る勇気とを彼らに与えたのである。自分の村から歩いて数時間の所に住んでいる、ある貧しい家族について、彼はこう述べている。

 私は肺病で意気消沈している婦人、自分の惨めさを酒で紛らわそうとしている男、ボロをまとった六人の子供、散らかってゴチャゴチャしている家を見いだしました。私はその人々に同情して、訪問を繰り返すことによって、彼らの信頼を勝ち取り、彼らの心に語りかけることができました。ある日、その男が私に言いました、「長い間、皆が私たちを不幸の中に放置していたので、『誰も気にかけちゃくれない。神からさえも見捨てられた』と考えそうになっていました。私たちは、低く、低く、沈んで行くがままでした。ところが、あなたが来て下さり、何度も来てくれました。そこで、私たちはこう思ったのです、『ここに、私たちを訪問して、訪れ続けてくれるヨソ者がいます。このヨソ者が私たちを見捨てなかったからには、神もまた私たちを見捨ててはおらず、まだ希望が残っています』。こうして、私たちは新たに神に信頼するようになったのです」。