口火を切ったこの戦いと悔い改めの運動は、神の王国にとって確実に意義のあることであると、ブルームハルトは感じた。次に、これに続いた諸々の奇跡は、豊かな約束を同様に与えるものであった。ブルームハルトは、これらの出来事を以前の出来事の有機的発展として見た――これらの出来事を通して、神が紛れもなく確かに語っておられるのを、彼は聞いたのである。
一八四四年の冬、人々が泣きながら牧師館に来た時、人々の中には内なる平安を経験しただけでなく、肉体の病の思いがけない癒しを経験した者もすでにいた。大腿部に重いリューマチを患っていたため、しばしば転倒する人がいたのだが、その人は告白の後で癒された。ブルームハルトが赦しのしるしとしてその人の上に両手をのせたところ、その人は何かが自分の太腿から動いて体の外に出て行くのを感じた。そして、その時から全く治ったのを感じたのである。最初、その人は自分の幸運をまったく信じず、次の発作を待っている間、ずっと静かにしていた。しかし、発作はまったく起きなかった。リューマチは治ったようであった。このような多くの奇跡にブルームハルトは気づいた。どの奇跡も彼に励ましと再確信を与えた。前の章で描写したように、彼の牧師としての働きに対する論争のせいで、仲間の牧師たちから孤立してしまってからは、特にそうであった。
ブルームハルトの教区民たちは、告白する時、痛みや疼痛から癒されるために――「共感」魔法のようなささやかな形の魔術による――迷信的な慣習についてしばしば彼に告げた。この問題に彼は心底悩まされた。戦いの間、このような慣習の恐ろしさを身にしみて味わったため、「そのような慣習で得られる助けは、どれも神の権威を侵害するものであり、敵対勢力に誉れを帰すものである」と感じるようになっていたのである。しかし、ブルームハルトがそのような慣習を拒否するよう人々に告げると、人々はよく彼にこう尋ねたのであった。「でも、私たちはどうすればいいのでしょう?医者は遠くに住んでおり、出血や何かの非常事態に対処しなければならない時、とても待つことはできません。それに、どのみち、私たちは貧しすぎて医者を呼べないのです」。
これに対して、ブルームハルトは確信をもって、よくこう答えていた。「悪魔がしてきた以上のことを、救い主はあなたにして下さいます。もちろん、自分の身に降りかかったことが、自分の何らかの行いに対する罰ではないかどうかをよくよく考えることは、常に良いことです。しかし、もしそうでないなら、諦めてはいけません。祈りなさい!それを私に知らせてくれるなら、私はあなたと共に、あなたのために祈ります」。この方向に進むよう彼を励ましたある出来事を振り返って、ブルームハルトはこう記している。
ある朝のこと、一人の母親が取り乱して飛び込んで来ました。間違って、沸騰した麦のお粥を、自分の三歳の子供の上にこぼしてしまい、どうすればいいか分からなかったのです。私は駆けつけて、その子が全身をやけどして、金切り声をあげているのを見つけました。その部屋は人々でいっぱいで、間もなく、「誰それさんが呪文を知っているから、すぐに来てもらうべきだ」という提案を誰かがしました。しかし、私はそれを許せませんでした。慰めの言葉を数語与えてから、静まって祈るよう人々に求めました。それから、私はその子を両腕に抱えて、切なる願いをささげました。すると、その子はただちに静まっておとなしくなり、もはや痛みを少しも感じていないかのようでした。とはいえ、焼け痕が消えたのは数日後のことでした。
その後、神の助けの出来事が次々と起こり始めた。重い眼病を患っているある子供の両親は、医者に診てもらったところ、その医者は「手術が絶対に必要です」と宣告した。この診断に恐れをなして、両親はカルーに行き、前の牧師だったバースに、「子供に手術を受けさせるべきでしょうか、それとも、ブルームハルト牧師のところに連れて行くべきでしょうか?」と尋ねた。バースは答えた、「救い主は自分の子供を癒すことができるし、癒してくださる、という信仰があるなら、何としてもブルームハルトのところに行きなさい。しかし、そのような信仰がないなら、手術を受け入れなさい」。
「私たちには信仰があります」と両親は答え、ブルームハルトを訪問した。その後、視力は大いによくなり、三日後には、子供の視力は完全に回復したのであった。
間もなく、この話が広まり、ブルームハルトの会衆ではない人々が、肉体の癒しを求めて彼のところに押し寄せ始めた。毎週、新しい人々がやって来て、自分たちが受けた助けのゆえに神に感謝しながら帰って行った。あらゆる種類の病――目の問題、結核、湿疹、関節炎等――が消え去った。同様の奇跡が牧師自身の家庭にも起きたが、家族は黙っていた。その時そこにいたある人は、後にこう述べている。「あまりにも多くの奇跡が起きたので、もはや詳しいことは思い出せません。主がそばにおられることを明らかに感じていたので、奇跡は自然なことであり、誰もそれについて大騒ぎしなかったのです」。
ある日曜のこと、歩いて一時間の所にある村から来た若者が、自分のせむしの弟をメトリンゲンに連れてきた。次の日曜に二人がまたやって来た時、二人とも歩いていたのだが、その少年の方は依然として背がかなり曲がっていた。しかし、少しすると、その少年はまっすぐになって健康になったのである。何が起きたのかと尋ねられた時、「背中に何かがいたんだけど、今はいなくなりました」と少年は単純に答えた。
ある日のこと、一人の大学生がやって来た。その学生は目がひどく悪くて、手を引いてくれる人を必要としていた。また、光にあまりにも敏感なため、ろうそくの薄暗い明かりでさえも、痛みを覚えるほどであった。その日は土曜日であったが、その日の夕方にブルームハルトは毎週集会を開いていた。その集会は温かな雰囲気で知られており、ブルームハルトはその若者に、暗い聖具室から耳を傾けるよう招待した。この若者はそうした。その集会の終わりに、その聖具室に明かりが持ち込まれた時、この若者はもはや光に悩むことはなくなっていた。日曜の朝までには、良く見えるようになって、助け無しで歩けるようになったのである。
復活節に、結核にかかっているおしゃべりな若者が、かなり遠くからメトリンゲンにやって来た。医者はサジを投げていたのだが、その若者は「復活節の間に自分は癒される」と確信していた。日曜礼拝の前、彼を黙らせることができるものは何もないように思われたが、その後、彼は次第に哀愁を帯び始めた。説教が自分の心を矢のように貫いたたため、「自分は変わらなければならない。牧師に会わなければならない」と彼はつぶやいた。その後、心砕かれて押し黙りつつ、彼はブルームハルトの書斎に向かった。夕方に再び現れた時、彼は明るく元気になっていた。彼はもう一日滞在し、それから家に帰って仕事を再開した――その仕事は、医者が病の第一の原因であると宣告したものと同じ仕事であった。その仕事に彼は元気にとどまり、あまりにも幸せだったため、仕事をしながら歌を歌うほどであった。そして、二年後に原因不明の死を遂げるまで、あらゆる点でもちこたえたのである。
麻痺性の脊椎感染症にかかっていて、治療のために温泉を巡っている女性が、一八四六年の夏にメトリンゲンに来て、牧師館のそばの家屋に宿泊した。日曜日毎に、彼女はブルームハルトの説教を聞くために、教会の庭に連れてきてもらった。彼女が参加した二番目か三番目の日曜日に、彼はザカリヤについて説教をし、回心の二段階について語った。
第一段階は覚醒です。ザカリヤはいなかる代価を払ってもイエスのもとに行くことを願い、何があっても退きませんでした。彼は嘲りをものともせず、木に登りました。その所で彼は見いだしたのです。イエスが実際に自分を探しておられることを。イエスはご自分に従う者たちの不平にもかかわらず、ザカリヤを赦し、受け入れました。このように示された優しさと愛に、ザカリヤは圧倒されたのでした。多くの人がここまで到達します。
第二段階は回心です。第一段階に達した人々の多くは、「自分は目標に到達した」と思います。もし彼らがザカリヤの立場にあったなら、文句を言う人を鼻であしらい、注目されたことに得意になっていたでしょう。しかし、非難の正しさを認め、心を入れ替えて、賠償すること――これが必要だとは思わなかったでしょう。他方、ザカリヤは、文句を言った人の正しさを認め、自分が騙した人全員に返済することを約束し、こうして、イエスが自分を赦されたのは正しかったことを証明したのです。その時はじめて、イエスは彼について、「今日、救いがこの家に来ました」と仰せられたのです。
その病んでいる女性は、ブルームハルトはその説教を特に自分のためにしていると思い、その後の説教も教会の庭で聞き続けた。翌日の夕食後、彼女は彼に訪問してくれるよう乞い求め、自分の病気のことは何も言わずに、自分の心を彼に注ぎだした。
その午後五時に、ブルームハルトは牧師館の数名の客と散歩に出かけようとしていた。すると、その女性の付添人が、涙を流しながら彼の所に駆けつけてきて、言った、「あなたを驚かせるつもりはないのですが、私の女主人が歩いています!」。彼らはただちにその女性の宿に出かけた。すると案の定、彼女はそこにいて、階上で歩いて彼らを出迎えたのである。皆が彼女の部屋に集まり、ひざまづいて神に感謝した。
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精神的な問題を抱えている個々人に関する奇跡は、しばしば劇的であった。そのため、そのような事例については慎重に述べる必要があるかもしれないが、肉体と精神の癒しに関する一つの物語については詳しく話す価値があるだろう。
ある裕福な婦人がいたが、夫の突然の死によって鬱病の状態に陥ってしまい、自殺性向に悩まされていた。彼女は母親と共にメトリンゲンにやって来た。最初、彼女は宿に滞在していたが、自殺未遂の後、宿の主人は彼女の宿泊を拒んだ。ブルームハルトは同情して、彼女を自分の牧師館に迎えることに同意した。彼は彼女に一室を与え、付添人を用意した。彼は付添人に「昼であれ、夜であれ、この女性を一人きりにしてはいけません」と厳重に指示した。
この病の婦人はまったく宗教的ではなく、ブルームハルトの祈りの集会に出たいとは思っていなかった。精神的に病んでいる人々の多くと同じく、彼女もまた彼を明らかに嫌っていた。それでも、彼女は滞在することに同意した――彼の助けを必死に求めていたのである。ある朝、近くの部屋にいた時、ハンスはその未亡人の部屋から怪しい物音を聞き、彼女の付添人を呼んだ。何も返事がなかったので、彼は付添人を探し、階下に彼女を見つけた。階下に彼女は水を取りに行っていたのである。
「すぐに来て下さい。何か変です!」とハンスは叫んだ。
彼らは一緒に階段をかけのぼり、扉に鍵がかかっているのを見つけると、駆け下りて通りに出た。そこから彼らが上を見上げて開いた窓を見ると、その未亡人は横木に縄を吊して首を吊っていた。ハンスは再び中に駆け込むと、斧で扉を破り、生気の失せた体を取り下ろした。斧の音に目が覚めて、ブルームハルトらが駆けつけて来た。ブルームハルトは、その婦人が自分の首を吊ったスカーフをハンスが緩める手助けをした。そして、彼らは彼女をベッドの上に置いた。
彼女を蘇生させるために懸命の努力がなされたが、どうにもならなかった。それでもブルームハルトは敗北を認めることを拒み、「こんなことがあってはなりません。祈りましょう!」と言った。それで、彼とその妻のドリスとゴットリーベンとハンスはひざまづいて祈った。次にブルームハルトは、その婦人の口を開けておくようハンスに頼み、口に息を吹き入れた。最初、その婦人は数回息をしたが、再び死んだような状態に戻ってしまった。しかしついに、彼女は長い狼のようなうめき声を上げた。
ブルームハルトは特使を遣わしてその地区の医者にすでに知らせたあった。医者が到着した時、彼はその婦人のうめき声を聞いた。そして彼女を診察し(彼女は依然として意識不明であった)、彼女は死んだも同然であると宣告した。彼女が絶え間なくうめき声を上げていることについては、それは苦しみの表れであって、回復の予兆ではないと断言した。それから彼は、諦めたかのようにその家を去った。その婦人は再び昏睡状態に陥った。ハンスは彼女のそばにとどまった。その後、夕べの黙想の間、その歌で彼女は目覚めた。彼女は顔に喜びの表情をたたえて、「牧師は何と良い方なのでしょう!」と言った。そしてハンスの方に向いて、「フリッツ、あなたもそこにいるの?」と言った(フリッツとは彼女の亡くなった夫の名前であった)。
「そうとも」とハンスは答えた。やや困惑しながらも、彼女を決して動揺させまいとしたのである。
「まあ、あなたも生き返って良かったわ!あなたのように私も死にました。私は地獄にいましたが、良い方であるブルームハルトが私を呼び戻して下さったのです。もう二度とそこには行きたくありません」。
ハンスは優しく彼女に話しかけ、彼女は徐々に落ち着いてきた。十時にモーセともう一人の人がハンスと交代するためにやって来た。これに彼女は動揺した。
「離れて、離れて!地獄に戻りたくないの」。彼女は次にハンスに向かって言った、「連中は私を連れ戻そうとしているの!フリッツ、あなたは一緒にいてくれるでしょ?」。
二人はそこを去り、ハンスが残った。しかし長いこと、彼女は地獄に連れ戻されるのではないかと不安なままだった。ついに、ハンスはささやかな策を試してみることにした。
「ご婦人」と彼は言った。「今は静かにして、少し眠った方がいいとは思いませんか?」。
「そうね、ありがとう、フリッツ。そうかもしれないわね」と彼女は答え、間もなく、健やかな眠りに落ちた。翌朝五時に目が覚めた時、彼女は「ディタスさんはいますか?」と言った。
「はい」
「あなたを主人と勘違いしていたとは、なんと変なことでしょう!」
これを聞いて、ハンスは彼女を叱って言った、「ご自分が昨日何をしでかしたかわかってらっしゃいますか?どうして自殺などできたのです!」
「はい、よく分かっています。それは強欲のせいだったのです。主人が生きていた時、私たちは毎年フローリン金貨を千枚ずつ蓄えていました。それが終わってしまった事実を乗り越えられなかったのです。それが自殺したかった理由です。『女中が一瞬でも出て行ってくれさえすれば!』と私は思い続けました。夜毎に、私の中で何かが、『あのスカーフが見えるかい?あれで首を吊ることができますよ』と言いました。しかし、もう二度とそんなことはしません。自殺の結果どこに行くことになるのか、今では分かっているからです。私は地獄にいました。二度とそこに戻りたくありません。ああ、牧師は良い方です!」。間もなく、彼女の体、魂、霊はすっかり良くなった。三ヶ月後に彼女は再婚し、その教区の活発なメンバーになった。
幾つかの事例でブルームハルトは気がついた。たとえ病人が自制して癒されようと堅く決意していたとしても、弱さのせいでとち狂ったことをしてしまうおそれがあるのである。そのような人は、たとえ相当問題があったとしても、不治の病にかかっているわけではない、とブルームハルトは述べている。「聖書的な意味で、人の霊はみな――聖なるものであって、神に属しており――不滅です。死ぬことがあり得ないものは、病にかかることもあり得ないのです」。
これを信じていたから、ブルームハルトは奇妙極まりない訪問客でも受け入れた。牧師館に着くなり宙返りをした訪問客さえも受け入れたのである。その訪問客は、カルーから来る道中のあいだ、ずっとそうして来たらしかった。彼もまた癒された。
教会の集会の間、聖具室にはたいてい病んでいる人々がいた。その中には、てんかん患者や精神を病んでいる人もいた。集会に参加している健常者たちがショックを受ける様子や、大げさな哀れみを示す様子から、この病人たちを守るために、ブルームハルトはこの部屋を用意したのであった。それでも彼は、病人に同情と理解を示すべきことを要求した。「異様な出来事に驚いたり、あまり心配してはなりません。その代わりに、攻撃されている人々のために祈りなさい」。
教会の本堂に関しては、精神的に病んでいる人に対してまったく閉ざされているわけではなかった。ブルームハルトが望んでいたのは、自分の会衆が自分たちを戦う教会と見なすことであり、執り成しの祈りによって苦しむ人々を助けることであった。時として、これがまさに礼拝のさなかに必要になることもあった。ある時、一人の男が説教のさなかに立ち上がり、冒涜的な下手な詩を歌い始めた。それに対して、ブルームハルトと会衆たちは詩歌を歌い始めた。その男は静まった。またある時、一人のてんかん患者が激しく痙攣しだし、それから死んだように倒れた。その人のすぐそばにいた人々は、当然のことながら、その人を起こすことを望んだが、ブルームハルトは彼らに、「その人をそっとしておいて、その代わりに、その人のために祈りなさい」と言い、説教を続けた。やがて、その人は意識が戻り、自分で起き上がった。
精神的に病んでいる人々を快く受け入れる姿勢のために、ブルームハルトは時として危険にさらされることもあった。例えば、乱暴な振る舞いを引き起こす病を抱えている人々のような場合である。ある時、講壇の近くに座っていた一人のがっしりした男が錯乱に陥り、立ち上がってブルームハルトを講壇から追い出そうとした。そのような人の取り扱いに長けているハンスが、すぐさまその人を落ち着かせた。
ブルームハルトが詳しく述べている二つの物語は、偽りの敬虔によって引き起こされた病に関するものである。ある少年は、まだ子供部屋にいる時に、冗談半分で自分の兄弟姉妹たちに説教し始めた。その子の両親は感嘆して聞いていたが、それがその子を増長させた。数年間、その子はますます熱心かつ厳かに説教し続けた。しまいには、自分の両親に向かって悔い改めを説くようになった。それに両親は涙した。他の人々もこれに注目し、この小さな預言者の話を聞くために群がった。この少年はたちまち大きな話題になった。まったく突然、説明不能な病により、この預言者の栄光は終わりを迎えた。その子はおしになってしまったのである。医者は助けることができず、その少年をブルームハルトの所に連れて行くよう両親に助言した。その出来事をブルームハルトが知った時、彼はその少年に大声で、「五番目の戒めは何ですか?」と言った。返事はなかった。彼がその質問を強く繰り返したところ、ようやくその少年は口ごもりながら、「あなたの父と母を敬えです」と何とか答えることができた。すると、ブルームハルトは憤然とその子を叱りつけた。特に、向こう見ずにも自分の両親に説教したことについて。「あなたの両親に悔い改めを宣べ伝えることを神が望まれたとしても、神は決してそのためにあなたを用いることはありません」。その後、この少年はすぐに回復した。
もう一つの事例は、ブルームハルトの書斎にやって来た女性についてのものである。その女性は尋ねた、「幻や啓示についてどうお考えか教えて下さい。昨日の教会学校で、あなたが幻や啓示に信頼していないことに私は気がつきました。しかし、あなたは間違っていると思います」。そして、彼女は自分のことを彼に話し始めた。その話によると、彼女はこれまでの人生をほとんど病の中で過ごし、働くことができなかったのだが、過去数年間、神は彼女を慰めて、素晴らしい埋め合わせをして下さった、とのことであった。明るい光が常に自分を取り囲んでいる、というのである。この光の中で、彼女は時々イエスを見、イエスが彼女や父なる神に語るのを聞いた、とのことであった。そして時折、御父が御子にお答えになるのを聞く、というのである。
耳を傾けている時、ブルームハルトはこの女性の周りに奇妙な霊的雰囲気を感じた。そして、その女性が「自分は並外れた賜物を持つ幻視者と見なされている」と言っていたのを聞いたことを思い出した。何か重大な間違いがあることに彼はハッと気づき、「それはすべて悪魔からです!」と言って、素っ気なく彼女の話を遮った。すると、彼女は部屋から飛び出して行った。
しかし翌日、その女性は涙を流しながら戻って来て、自分を癒してくれたことをブルームハルトに感謝した。彼女が言うには、彼女が彼のもとを去った時、怒りと痛みを感じたものの、その時から明るい光は消え去った、とのことであった。そして、自分の経験はすべて病気や欺き――際限ない霊的高慢の実――であったことを悟る謙遜さが、彼女に与えられたのであった。
これらの報告はメトリンゲンの奇跡を次々に物語るが、それが起きた日常生活の文脈の中で語られることはない。それゆえ、これらの報告は物語の全貌を告げるものではない。一言で言うと、次の単純な事実が欠けているのである。すなわち、その教区では神が常に近くに臨在して下さっていたため、人々は悔い改めと信仰の精神をもって神の御前に自分たちの必要を持って行くことができ、そして、同じように静かに単純に、何度も神の助けを受けることができたのである。
一八四六年二月に、ブルームハルトは自分と同じ考えを持つ一人の同僚に、自分自身の病気について書き送った。
病がすぐに消え去らない時、それを受け入れるしかないことも時々あります。この前の夏の間、私はずっと咳で喉が痛みました。また、肩の関節に問題があったので、腕がほとんど使い物になりませんでした。私は祈りましたが、祈りで神に癒しを強いることはできません。ですから私は、それが徐々に消え去ることを望みつつ、耐え忍びました。今ではよくなっています。
単純な方法で、メトリンゲンの人々はすべてを神に委ねた――それには農場の家畜の間の病によって引き起こされた困難も含まれていた。ブルームハルトはこう説明している。
牛は「私たちの日毎の糧」の一部ではないでしょうか?私たちは主の祈りでパンのために祈ります。ですから、牛の健康のためにどうして祈ってはいけないことがあるでしょう?これはあなたや私には奇妙に思われるかもしれませんが、農民にとってはそうではありません。不幸なことに、農民にとっては牛の方が子供よりも大事なことがしばしばあるのです。結局のところ、農民たちはただ祈っているだけなのです――家畜小屋の一角にひざまずいて、主の祈りを祈っているのであり、ただそれだけのことなのです。しかし、獣たちはすぐによくなります。このようにして助けを受けた多くの事例を挙げることができます。
時々、牛は悪鬼たちに苦しめられることがあります。もしこれが奇妙に思われるのでしたら、イエスが悪鬼どもを豚の群れの中に送られたことを思い出すべきです。人々はこれを魔女のせいにして、解決を求めて魔術に向かいがちですが、私はこれを阻止しています。悪鬼どもに立ち向かう最大の助けは――もし人々が正しい立場に立つなら――主の祈りであることを、私は人々に保証しています。
このように劇的な出来事にもかかわらず、ブルームハルトの教区民たちの信仰は事実、単純率直なものであったことに変わりはない。彼らの真似をしようとする者は誰でも、次の事を忘れてはならなかった。すなわち、彼らが神の保護に対して並々ならぬ信頼を寄せていたのは、裁きと悔い改めによってだったのである。
―――――――――――
ブルームハルトの影響力を地元の当局者たちが大いに煩わしく思ったのも不思議ではない。数名以上の聖職者や医者が、「彼は自分たちの権利を侵害している」と不平を言った。特に一八四八年まで、州政府はこのように顕著な「敬虔主義」に対してあからさまな嫌悪感を示していたため、既成の教会組織によって認可されていないキリスト教の活き活きとした表れは、疑いの目で見られたのである。
これらの困難は二つの方法で緩和された。当局者たちに対してはブルームハルトの気転によって、ブルームハルトにとっては様々な友好的なつながりによってである。政府当局者に対する自分の義務をブルームハルトは痛感していた。「人々に従うよりも神に従いなさい」と彼を促した短気な人々からの圧力に彼は警戒した。彼は自分の良心に照らして勇敢に自分の立場を守ることができたが、常に当局者の視点から物事を見ようと努めていた。そして、彼の誠実さと配慮のおかげで、不要な争いの危険性は減ったし、上司の聖職者たちから惜しみない信頼が得られたのであった。
ブルームハルトの評判をさらに高めて、政府の最高位の人々にまで至らせたもの――そして、後々彼にとって有利に働いたもの――は、ビュルテンブルグ王の訪問であった。この出来事は次のように起きた。ある日曜日の朝のこと、二人の奇妙な紳士が歩いて町にやって来て、オックス亭にチェックインした。その後、二人は教会の礼拝にやってきて、オルガンの隣の席を選んだ――その席は最善の場所ではなかった。オルガン奏者は難聴で、楽器や聴衆の耳にびっくりするような音を奏でたからである。その直後、休暇でシュトゥットガルトから来た軍の新兵が、「オルガンの隣のあそこにいる方をご存じですか?あの方は王様ですよ!」とハンスに言った。
礼拝の後、書斎で、ハンスはブルームハルトに王が朝の礼拝に出席していたことを話し、牧師館の庭を散歩している人を指さした。ブルームハルトは「そうかもしれませんね」と答えたが、それ以上何もしなかった。訪問者が人に知られるのを望んでいない様子だったので、その意向を尊重したのである。その人は午後の礼拝にも出席した。夕方になると、州政府の馬車が来て、その人を連れて行った。
このような邂逅(それに他の政府当局者に関する同様の出来事)のおかげで、官憲からの厳しい詮議から、おそらくブルームハルトは守られていたのであろう。しかし、幾つもの障害が彼の道に立ちはだかった。一八四六年一月、省庁が彼に禁止令を下した。「人々を専門医に委ねずに、牧師の職務の中に癒しを含めること」を禁ずるというのである。ブルームハルトは一二ページの文書でこれに返答し、こう締めくくった。「私はもはや他所から来た人の上に手を置くことはしませんし、週末に誰もここにとどまらせることをしません。要するに、人々の不平に耳を傾ける以上のことはしません。もしかすると、幾つか助言を与えるかもしれませんが、そうしたら人々を去らせます。しかし、もし奇跡が続くようなら――なぜなら、神の御手が縛られることはないからです――人々はここに群がり続けるでしょう。誰も私に不従順の咎を着せることはできません」。
同年五月、ブルームハルトは別の大きな制約を受けることになった。その制約は、困っている彼の上司たちをなだめようとしてのことであった。一八四六年六月一八日付けの手紙の中で、彼は友人にこう述べている。
外部の障害にもかかわらず、状況は進展しつつあります。約四週間前、人々が自分の病について話すのを私は許可しないことにしました。それ以来、他所から来た人々と個人的に会うことを私は拒まなければなりませんでした。人々は私の教会の礼拝に出席して満足しなければなりませんでした。私はこれを自発的に行っています。そうしなければ、すべてを失ってしまうかもしれないからです。こうした状況全般にもかかわらず、依然として教会の中で多くのことが起きています。とはいうものの、病人たちの群れはかなり減りました。
同じ頃のある日のこと、彼は講壇から次のように告知した。メトリンゲンの外から来た訪問者たちを牧師館の中に入れないことを約束したというのである。しかし、彼の実直な性格のゆえに、この新しい制約を受け入れることは、彼にとって心が痛むほど困難なことであった。
あなたたち、病んでいる人たちよ、教会に来なさい。あなたの苦しみを救い主の御前に置いて、注意深く説教を聞きなさい。私や会衆が必ず執り成しの祈りをします。あなたたちの具体的な病状を知ることは、私には必要ありません。
この知らせを聞かなかった人々は来続けたが、ハンスが彼らを追い返そうとする時、ブルームハルトの目には涙が溢れた、「気の毒な人たち!紳士、役人、学生、商人――誰も彼らを止めません。しかし、この気の毒な人々は中に入ることを許されず、押し返されているのです」。もちろん、訪問者たちが来続けたのは、ブルームハルトの禁令を知らないためだけではなかった。彼らの多くはただ、「ブルームハルトに会わなければならない」と感じたのである。何ものも彼らを止めることはできなかった。
ある日、何とか玄関から潜り込んだ農民が、階段を上り始めた。ブルームハルトはその農民を追い返すよう命じた。
「でも、ブルームハルトさん」とその人は言い返した。「私は今はどこも悪くありません。ただお礼が言いたかったのです」。
「それはよかったですね」。
「確かに私には具合の悪いところがかなりありました。例えば……
「どこが悪かったのか知りたいとは思いません。でも、具合の悪いところがあったのですね?」
「そうです、私はあなたが仰ったことをそのまま行いました。あなたの集会に参加して、注意深く耳を傾けたところ、今はよくなりました」。
中に入れなかった人々に対しては、ハンスが非公式に連絡係の役を果たした。人々の必要に対して耳を閉ざせと彼に命じた者は誰もいなかった。そして、ブルームハルトの書斎に入る次の機会に、自分の思いや心を満たしている事柄を交わるのは自然なことであった。しかし、このような間接的手段が生じはしたが、ブルームハルトと訪問者たちとの交流の手段は、禁令違反であるとの非難を引き起こすほどのものではなかった。
それでも、ブルームハルトと教会当局者たちとの間にある程度摩擦が生じるのは避けられなかった。(医者や聖職者や記者たちの圧力の下にある)教会会議と(人々の不幸の波に直面していた)ブルームハルトとが共通の見解に達するとは、まず期待できなかった。当時広く受け入れられていた見解は、体の世話は医者に任せるべきであり、聖職者は純粋に霊的な問題だけに専念するべきである、というものであった。この二分法を断固として支持する教会会議は、信仰が体の治癒に影響を与えうることを示すいかなる証拠にも難色を示した。その証拠が疑わしく、繰り返されるものである場合はなおさらであった。彼らの目に、ブルームハルトはこの調和した責任の区分を進んで乱しているように映ったのである。「宗教の役割はただ慰めを与えることである――苦しみによってもたらされる祝福と忍耐の価値とを強調することである」と彼らは彼に告げた。
実際のところ、ブルームハルトは決して誰にも立ち向かおうとしなかった。ある政府の役人に対する報告書の中で彼はこう記している。「精神病の治療をするつもりはまったくありませんでした。私の助けを求めてやって来る人々は、重荷を負う魂であり、内側にも外側にも解放してくれる力を見いだせないでいるのです。私が用いている唯一の治療法は、神に対する信頼と、神への確信に満ちた祈りとを呼び覚ますことです」。医者に対しては、彼は次のことを明らかにした。すなわち、用いうる医学上の助けは何でも用いるよう、彼は人々に望んでいたのである。
医学的な助けを拒むこと、特に手術を拒むことは、完全に間違っています。祈りだけが病の治療法であるとするのは間違っています。今日、癒しの力が不足しています。ですから、人々が自分の技量や経験から互いに与えうる助けを用いてはいかがでしょうか?そのような助けを拒むことは強情の所産であり、神の意向とは関わりなくすべてを神から無理矢理得ようとする厚かましさの所産です。
しかし、教会会議がブルームハルトに、嘆願者を全員追い返すよう命じた時――自分から追い返すだけでなく、神から直接助けを受ける希望も撥ね付けるよう命じた時――ブルームハルトはもはや従うことはできなかった。医者の手におえない病に直面する時は、なおさらであった。一方において、彼は自分の経験や行いを裏付ける聖書に頼り、他方において、他の市民と同じように自分の信念に基づいて行動する自由権に頼った。このような命令に従った牧師はかつていないと、彼は力説した。確かに、よそ者がメトリンゲンで夜を過ごしてはならないという教会会議の要求は異常なものであり、一人の牧師に課すには非現実的な命令であった。
ブルームハルトは既成の秩序に従うつもりでいたが、この命令にはやや柔軟に対応した。そのため、証人として喚問された二人の同僚の前で、不従順という理由で公に懲戒処分を受けた。
このように制約がきつくなりつつある間、一つの医療専門家との友好的な出会いが、彼に再び確信を与えた。一八四六年のある週末のこと、シュタインコフという名の医学生が奇跡を調査するためにシュトゥットガルトからメトリンゲンにやって来た。牧師館を避けて、彼はオックス亭に宿泊した。日曜礼拝の後、ドイツの様々な地域から来た若者たちの群れの中に、彼は興奮しながら飛び込んだ。彼が言うには、チュービンゲン病院の以前の患者に会ったとのことであった。人々はその患者を治療不能として退院させたのであった。彼が彼女に、「まあ、マグダレナさん、あなたもここにいたのですか?」と挨拶すると、彼女は「ええ、もちろん。私はここでいやされました!」と答えた。ブルームハルトがまだ妨げを受けずに働けた一八四五年一二月に、自分は教会の後で二、三回ブルームハルトに会ったこと、自分の病について彼に告げたこと、そして病がどのように良くなったのかを、彼女は彼に告げた。シュタインコフは驚いて、自分と一緒に牧師館に来るよう彼女を招いた。彼は自己紹介をして、メトリンゲンに来た目的を述べた。それから部屋を借りて、ブルームハルトの許可を得た上で、その患者を調べた。彼の調査結果は次のように文書に書き記された。
一八四四年三月、ワイルドバドの近くのエンザルから来た、三五歳のマリア・マグダレナ・ラップを、チュービンゲンの病院は受け入れた。彼女は天然痘を患っていたからである。様々な治療法を施した。しかし、発疹は数日間は消えるのだが、決まって体の他の部分に再発した。ヒ素を投与したところ、発疹は消えて、数日間、患者は発疹から解放された。
しかし、一八四四年の冬、吐血、血便、胃の痛みが始まった。それ以来――それは間違いなく慢性胃炎の結果だったのだが――患者は温かい食物を摂取できなくなった。吐血という災いが二、三週間ごとに繰り返された。数回、患者は死にかけた。天然瘡が再発して、前と同じようにいつまでも消えなかった。
彼女を診察した医師全員の判断にしたがって、治療の見込み全くなしということで、ラップは一八四五年七月に退院した。最後の手段として、彼女はワイルドバドの鉱泉を数週間試してみたが、だめだった。彼女は一二月にブルームハルト牧師の助けを求めてメトリンゲンに行った。その時まで、彼女の容体に変化はなかった。一回目の訪問の後、彼女は早くもだいぶ具合が良くなったのを感じた。さらに一、二回牧師に会った後、彼女の症状は消え始め、筆記者が一八四六年五月にメトリンゲンで彼女を見つけた時には、彼女は教会の集会に参加していて、すっかり健康を回復していたのである。
ラップの病気に関する詳細な経緯はチュービンゲン病院で見ることができる――長期に及ぶ失敗に終わった治療の末に――彼女はその病院で治療不能を宣告されたのであった。
上記が真実であることの証言者
医学生 K.シュタインコフ
メトリンゲン、一八四六年五月二四日
これと同じ頃に起きた物語は、手が痙攣して開かない一人の婦人に関するものである。この病気もチュービンゲンで治療を受けたが、治らなかった。彼女は土曜日に着いて、ブルームハルトに会うことを望んだが、追い返されてしまった。しかし、ブルームハルトはハンスを通して彼女の病気について聞き、夕方の集会に彼女を招くよう彼に告げた。翌朝、ハンスを見ると、彼女は牧師館の庭を意気揚々と横切って来て、「今、牧師に会わなければなりません!」と告げた。
「ご婦人、それは無理です」。
「なぜですか?」と彼女は自分の手を伸ばして答えた――手は開いており、平らかで、すっかり良くなっていた。昨夕の黙想の間に手が開いたことを、彼女は彼に告げた。不幸なことに、その婦人は後でチュービンゲンに戻って行き、そこで自分を治療した人たちに自分の手を見せた。彼女は詐欺師と見なされて、あまり温かく受け入れてもらえず、これに彼女は激怒した。ブルームハルトは彼女の憤慨について聞き、「家に帰って、静かにしていなさい。そしてまず、新たな一歩を踏み出しなさい」と助言した。
この事例はブルームハルトにとって不愉快な結果をもたらした。一つは、この婦人は結婚していなかったにもかかわらず子供が数人おり、そのせいで彼女の治癒を不愉快に思う人がいたことである。もう一つは、彼女は自分が癒されたことを誇らしげに派手な方法で言いふらして、ブルームハルトを大いに困らせたことである。彼女の話には真実も含まれていた。ブルームハルトは教会で彼女に挨拶した時、同情と祝福のしるしとして彼女の不自由な手を握りしめた。しかし、彼女は尾ひれをつけて脚色してそれを述べたため、その奇跡はブルームハルトが約束を破った証拠としてたちまち誤解されて引き合いに出されるようになった。彼女が評判を求めている間――おそらくそれが原因で――病気が再発し、さらに批判的疑念が強まった。
このような病気の再発はしばしば起きた。これはブルームハルトを苦しめたが、驚かせはしなかった。彼は自分が受けた神の助けを、来るべきものの前味わいとしてしか見なしていなかったのである。しかし、この事例のように、病気の再発は自分が受けた助けを誤解したことと関係しているように思われることもあった――すなわち、癒しのわざを、神のわざではなく、ブルームハルトのわざのように誤解してしまったのである。
ブルームハルトに連絡して欲しいと求める病人の群れに呑まれていた、友人のディーテレンへの手紙の中で、ブルームハルトは助けを受けるのにふさわしくないように見える人々に与えられた助けについて書き記している。
人々の病が再発する時、それは彼らの内側をさらに深い状態に導くためのものではないだろうかと、私はいぶかります。多くの病人がやって来るので、軽薄な方法で来る人も必ずいます。主はご自分の分を果たして下さいますが、その代わりに人々からも何かを要求されます。
しかし、悪人についてはどうなのでしょう?私の経験によると、主はそれにはほとんど注意されません。極悪人が最上のものを受けることが何度もあり、しかも他の人々よりも速やかに受けるのです。これに私は驚きます。なぜでしょう?おそらく彼らは他の人々よりもへりくだっていて、砕かれているからでしょう。(中略)ああ、主の愛情のこもった優しさ――それはただであり、私たちの身に余るものなのです。
個人的に話すのをやめることにブルームハルトが同意して以降、訪問者の流入はかなり落ち込んだ。結局のところ、メトリンゲンを代表していたもの、メトリンゲンで得られるものと言えば、ブルームハルトとの個人的会話だったのである。個々人に対する彼の慰め、忠告、叱責、赦しの言葉は、たぐいまれなる力を帯びていた。神は彼に人々を助ける特別な能力を賜ったのである――それは癒しだけではなかった。多くの人々が、個人的問題についての明確な展望、自分の召命の方向性、責任を全うする力を受けたし、困難な状況が和らぐのを経験した。牧者による実際の世話を人々は必要としており、この必要は数千もの人々の内に気づかれることなく眠っていたのだが、力強く目覚めたのである。ブルームハルトの助言で益を受けた人は、当然のことながら、さらなる助言を求めた――自分や、自分の親戚や、友人や、敵について、助言を求めた。しかし今や、この避難と希望、同情と平安の場所は閉ざされたのである。
ある程度、ブルームハルトの助言を受けることは依然として誰でも可能であった。彼が講壇から与える助言を受け入れれば良かったのである。しかしやがて、個人的ではないこの伝達方法に大部分の人は満足できなくなり、メトリンゲンはその主な魅力を失ったのであった。その魅力はどこにも見いだせないものであり、無条件の愛、率直な誠実さ、健全な慰めであった。一八四七年の経済不況や一八四八年の政治的動乱の間、メトリンゲンはますます静かになっていった。
自分の会衆ではない農民たちとの直接的な接触が下火になった間も、旅をするお金がまだある上流階級の人々に対する牧師としての働きは継続した。彼の家庭には、助けを必要とする長期の訪問客が常に滞在していた。そのような客の一人であった一人の女性――その女性は何年も後にバド・ボールでブルームハルトの所に滞在した――は次のように証ししている。
少女だった私は重い目の病気を患っていました。有名な医者たちの助言で、私は幾つもの治療コースを受けました。それらの治療コースはあまりにも過激だったため、私は数年間具合が悪くなってしまいました。しばらくの間、私は死んだも同然でした。薬の影響から私はゆっくりと回復しました。しかし、全体的な健康が良くなる一方、視力はますます悪くなりました。長く迷った末に、私はもう一度医者に相談することにしました。医者は治療の見通しを示すことができず、「読書や執筆や編み物をやめるなら、これ以上悪くなることはないでしょう」という微かな望みしか私に与えてくれませんでした。
私はブルームハルト牧師の説教を聞き、牧師の働きについてそれ以上正確には知りませんでしたが、牧師に引き寄せられるのを感じました。「こここそ、この惨めな状態から助けてもらえる場所です」という感覚しかありませんでした。問い合わせたところ、思いがけないことに、「来て、半年滞在して下さい」という招きを受けました。目は良くなりませんでしたが、悪くなることもなく、私は自分の病に耐える力を受けたのです。
二年後、私はまったく同じ状態で戻り、何の役にも立てませんでした。ある日、ブルームハルト牧師が、「ご家族は、もう一度あなたに医師の助言を求めさせる気はおありでしょうか?」と私に尋ねました。私は「はい」と答えないわけにはいきませんでしたが、「でも、そうしないことに決めています。前の治療がひどい結果をもたらしたからです」と付け加えました。「そう言わないで下さい」と牧師は答えました。「あなたはただここがとても好きなのです。だから医者を避けているのです。目を治療してもらえるとどうして信じないのですか?私はシュトゥットガルトにいる有名な眼科医を知っており、その人は私の友人です。もう一度その人に診てもらってはどうでしょう?」。
私たちはシュトゥットガルトまで旅をしました。ブルームハルト牧師は肘掛け椅子に座って、親身に気遣いつつ診察を見守ってくれました。私はその様子を決して忘れません。医師の診断はこうでした。「何もできることはありません。薬は視力の衰えを早めるだけです。視神経がすり減っており、筋肉と粘膜は弱くてほとんど機能していません。いまだに視力が残っているとは、まったく驚きです」。これは他の医者たちの結論と寸分たがわず同じでした。
家に帰る汽車の中で、ブルームハルト牧師は私に、「悲しいですか、わが子よ?」と尋ねました。
「いいえ」と私は答えました。「最初からすべてわかっていました。私はただ、医者が手術をしようとするのではないかと恐れていたのです」。
「そうですか」と牧師は言いました。「人々が何も出来ない時、救い主は来て助けて下さることを、あなたはご存じだと思います。今、あなたはひたすら信仰と望みを持ち続けなければなりません」。
その日から九年たちましたが、私は失明しませんでした。依然として近眼ですが、私の目は驚くほど回復しました。何の痛みも感じませんし、光に対する過敏症もなくなりました。眼鏡のおかげで毎日読み書きできますし、人並みの生活ができます。状態が悪くなるたびに、私は個人的に、あるいは手紙で、そのことをブルームハルト牧師に伝えました。すると間もなく、再び助けが与えられました。救い主は私に偉大なことを行って下さったのです。
―――――――――――
旅の途中、ブルームハルトは助けを求める人々に常に囲まれていた。エルベフェルトから徒歩で約一時間のところに住んでいるある工場労働者は、皮膚の痛みで苦しんでいた。すでに医学的手立ては尽きていた。その時、「有名な牧師がエルベフェルトに来ていて、その牧師の執り成しの祈りにより、多くの人々が重病から癒された」という話を聞いたのである。その人は、「敬虔な紳士たち」を尊重していなかったのだが、自ら会いに行くことを決意した。
彼はエルベフェルトに着くとブルームハルトを見つけ、自分の苦しみの物語を語り始めた。ブルームハルトはただちに問題を見抜いて言った、「親愛なる友よ、今は時間がありませんが、あなたが助けを必要としていることはわかります。集会に参加して注意深く耳を傾けなさい。そうすれば、救い主が助けて下さいます!」。その人はこれほど素っ気なく扱われたことに怒りを隠すことができず、ブツブツこう言った。「これが親身になってくれるブルームハルトとやらだ!宗教的な連中なんてこんなもんだ。しかも今度は教会に行けだとさ!」。しかし、その人はとにかく集会に出席することにした。自分の病状についてブルームハルトが何か言ってくれるだろうと期待していたのである。事実、その人は悟らなかったが、ブルームハルトはそうしたのである。「求めなさい、そうすれば与えられます」という御言葉について彼は説教したのである。集会後、半ば励まされ、半ば腹を立てて、その人は教会に背を向けて帰路についた。「この敬虔な連中ときたら、同情も何もありゃしない!」と彼は腹を立てたが――説教の御言葉が頭の中に響き続けた。
すると突然、自分の肌の奇妙な感覚に、その人は気づいた。多くの点から始まって、それはますます広がり、強まっていった。疑念はあったが好奇心をそそられて、その人は家に急ぎ、自分の部屋の鍵を閉め、自分の体を調べた。驚いたことに、病がたちまち消えていくのを彼は見たのであった。結果に確信が持てるようになるまで、彼は興奮を自分一人だけに抑え続けていたが、その後、エルベフェルトに急いで戻って行った。そして、知人たちを通して、この良い知らせがブルームハルトに伝えられたのであった。
一八四四年の夏以降、記念すべき幾つかの出来事をブルームハルトは個人的に経験した。その経験を彼は一生忘れなかった。ある時、隣村の祭から数人の仲間の牧師たちと一緒に歩いて戻る間、彼は次のような節を作詞して、仲間たちに披露した。
イエスは勝利の王である、
イエスはすべての敵を征服した。
世界は間もなくイエスの足下にひざまづく、
その圧倒的な愛によって。
イエスは御力をもって我らを導く、
暗闇から輝かしい光へと。
有名な曲にあわせてこの詩を歌っている間、近くの森の中から数百の声が突然加わったように思われた。それはあまりにも力強かったので、人々の中の少なくとも一人はびっくりして歌うのをやめた。しかし、ブルームハルトは元気に歌い続けた。彼が家に着くと、彼を出迎えたゴットリーベンは、彼がついさっき作詞して歌ったのとまったく同じ詩を復唱したのである!
自分の生活に敵対的な攻撃が加えられている時に経験した神の助けについて、ブルームハルトは数例述べている。一般的に言って、彼は滅多に敵をつくらなかったが、迷信や魔術に対する反対運動のために、数名の人が彼に殺意を抱き、少なくとも一人が殺害計画を立てていたことが明らかになった。一時の間、警察が彼の家の夜間警護を行ったほどであった。
一八四四年七月の間、ブルームハルトは毎晩、自分の家の広間に沿って歩く足音を聞いた。毎晩建物を捜索し、入口に施錠したにもかかわらずである。この鬱陶しい出来事はそれ以上ひどくならなかったので、彼らはそれに慣れてしまった。ある晩、隣の納屋から色々な騒音が聞こえてきた時ですら、それを気にしなかったのである。
ブルームハルトの母親が訪問中で、その翌朝、母親の帰宅に合わせて荷物を運んでもらうことになっていた。御者が早く着いたところ、納屋から煙がモクモクと立ち上っているのに気がついた。彼は状況を理解すると、「火事だ!」と叫びながら村を駆け抜けた。すぐにその庭は、様々なバケツを持ってきた隣人たちで一杯になった。
オックス亭の主人がその一団を率いた。そして、自分が納屋の扉を開けて火が噴き出してきたら、必ず火を避けるようにと命じた。それから、彼は扉をこじ開けた。扉は燃える藁の山に曝されていたが、その火はすぐに鎮火された。中で人々は、納屋中に散らばった様々な放火の痕跡を見つけた。その痕跡の中には、数ダースのマッチ箱や、たくさんの細長いマメの支柱があった。その支柱はおけの中に入れられており、その先端は上方のブルームハルトの寝室の床の方を向いていた。すでに端の方は焦げていた。この騒ぎでブルームハルトだけが落ち着いていた。皆が家の中に戻ると、彼はその日のために予定されていた聖書の御言葉を読んだ。「あなたを害するために造られる武器は、その目的を達しない」(イザヤ五四・一七)。
その同じ月、夜の侵入者の謎が解き明かされた。その顛末はこうである。ある夜、ブルームハルトは自分の寝室の真上に物音を聞き、「イエスは勝利者である」と叫んだ。翌朝――ブルームハルトの誕生日――裏口の扉に挟まれた手紙が見つかった。その手紙は一枚の紙切れに鉛筆で殴り書きしたものであり、一八四四年七月一六日付けでこう書いてあった。
親愛なる友人たちへ
私は今朝四時にあなたたちの家を去ります。しかし、私は侵入したときと同じではありません。私は殺意を抱く殺人者としてやって来たのですが、それは「イエスは勝利者である」という叫びを聞くまでのことでした。確かに、イエスは勝利者です。今や、私の良心は目覚めました。私はこの夜の残りの時を、屋根の材木の間で絶望の内に過ごしました。しかし、あなたたちの努力は空しいものでした。なぜなら、悪魔があなたたちの邪魔をしていたからです。今日も、もしキリストの血が力強く叫んでいなければ、私のなすべきことであと残されていたのは、あなたの心臓を突き刺すつもりだったこのナイフを取って、自分の胸を刺すことだけだったのです。神の燃える目が私を見て、私の胸を突き刺しました……私は自分の行いの報いを受けるでしょう。私は忠実に悪魔に仕えて来ましたが、今では地獄が私に対する悪魔の褒美です。いと高き方の御名が呼び求められるのを聞いた時、何かが私の中を通り抜けていきました。それは私を大いにおとなしくさせたので、いま私が望んでいるのはただ、ありのままの私を見てもらいたいということです。どうか優しく私のために天の父に執り成して下さい。
あなたちの誠実さに感謝します。イエスのために私を覚えていて下さい。
あなたの敵より。
署名は判読できなかったが、ブルームハルトがこの手紙を夕方の聖書の授業で取り上げて、祈りを求める筆者の嘆願の箇所に来た時、「その人は近くの村から来た人です」と言った人がいた。
ある日の午後、ブルームハルトは聖書の授業でハウグステットに行った。夫の命を害そうとする最近の幾つかの出来事に心配して、ドリスはハンスを夫に会いに行かせた。暗闇の中、夫が一人きりで家に帰ることがないようにするためである。ブルームハルトは、護衛が必要だという考えにイラついて、「今晩は満月だということをドリスは忘れているに違いない」と言った。しかし、彼女の用心は的中したのである。
突然、二人の人が森の端に現れた。最初、ブルームハルトは彼らのことを、畑から遅く帰ってきた農民だと思った。次に、月明かりに照らされて武器が光るのを見ると、彼らのことを猟師だと思った。ちょうどその時、この二人はブルームハルトに狙いを定めた。ブルームハルトはすぐさま「イエスは勝利者である」と叫んだ。これを聞いて、二人はすぐにライフルをおろした。その後、森の中に銃を持つ人がもう一人現れたので、彼らは驚いた。その人は銃を構えて撃鉄を引いた。ハンスはかばうために飛び込もうとしたが、ブルームハルトはハンスをおしとどめて、この殺し屋志望者のために大声で祈った。すると、その人は銃を下ろした。森から出ると、彼らはまたもや武装した二人組に会った。この二人は草地の中に半分隠れていたのである。今や揺るぎない決意でハンスは叫んだ、「やってみろ!引き金を引け。弾は出ないぞ!」。これを聞いて、この武装した二人組は――明らかに遠くから来たよそ者であった――武器を下ろし、危害を加えずに自分たちの道を進んでいった。
牧師でありブルームハルトの親友であるウィルヘルム・ホファカーは、自分にとって最も印象的だった経験についてこう記している。
私はかつて、メトリンゲンで日曜日の第一礼拝に出席しました。刈り入れ直前の夏のことでした。私は前列の、賓客のために用意されている会衆席の一つに座りました。教会は聴衆ですし詰めで、外の庭も混み合っていました。始まりの祈りの間、空は暗くなってゆきました。雷は轟き、雲は雹が降りそうな怪しい色になりました。するとまったく突然、ブルームハルトは礼拝式の決まった進め方から静かに離れて、こう言ったのです。「愛する神よ、もし私たちの罪のために私たちを罰しようとして、収穫の祝福を取り消されるのでしたら、それに反対してあなたに嘆願するようなことは敢えてしません。しかし、きっとあなたは恵み深く、あなたの御言葉を私たちに何の妨げもなく聞かせてくれるにちがいありません」。彼はこうして礼拝式を続けました。このような大胆さに接して、私は席の下に隠れたいと感じました。すると見よ、突然空が明るくなって、数分後には再び青空になり、太陽が輝き始めたのです」。
ブルームハルトにとって、事が常に順調に運んだわけではなかった。依然として、彼は求めに対して消極的な応答を受けることを恐れることなく、あらゆることの中に神の御手を見たのである。苦境から脱した時はいつでも、「信仰のおかげでまた切り抜けられました」と彼はよく述べていた。彼はこれをバースへの手紙の中でこう述べている。
病についての私の考えは聖書的です。子供の頃から聖書を読み続けてきたので、この考えは私の内に根付いています。後に、その正しさを示す証拠が繰り返し与えられました。経験を通して、それはますます強められ、遂に確信の域にまで達しました。私の金言は「すべては神から来る」です。
信仰は義務です。病人のほとんどは、自分の良心を探って膝をかがめるよりは、むしろ十時間歩くことを選ぶでしょう。しかし、これは不信仰です。そして、不信仰がやましい良心と結びつく時、それは罪です。紆余曲折した方法で神の助けを求めるべきであるとは、福音は何も言っていません。
数人の批判者たちが示した一つの批判は、ブルームハルトにはまったく解せなかった――肉体の病の癒しのために祈った彼の確信は忍耐と服従の原則に反する、と批判者たちは主張したのである。神に懇願しさえするなら、神はいつでも私たちを助けようとして下さる、と彼は信じていた。もし私たちがそうしないなら、神が来て助けて下さるのを邪魔しているのは私たちに他ならないのである。神に何かを求めることは、神に強いることではない。なぜなら、真の祈りには否定的な答えを受け入れる覚悟があるからである。彼が述べているように、「信仰と忍耐への召しを求めること。信仰はすべてを望み、忍耐は何も望まない」のである。
自分の欲望のために神に強いるような類の祈りを、彼は確かに嫌悪していた。そして、いくつかの団体で流行っている長い情熱的な祈りに対して彼は警告した。と同時に、「一回や二回求めても与えられないものが、三回、四回と祈ることで与えられることもあります」と彼は認めていた。彼はしばしばパウロの例を取り上げた――「三回」(二コリント一二・八)――その後、神はその特別な求めに応じるつもりはないと彼は見なしたのである。
ブルームハルトの癒しの祈りに対する反対の背後には、「敬虔な人は苦しみからの解放より、模範的忍耐に倣うことを好む」という考えがあった。何年も静かに苦しみに耐えている人々の忍耐をブルームハルトは尊敬していたが、助けを求めて祈ることを禁じる「忍耐」には、それがいかなるものであれ、疑念を呈した。彼はかつてこう言った。「神の助けを邪魔するかんぬきを引き抜くことより、神の御旨に対する誤った従順に陥ることの方がずっと容易です」。また別の時に、彼はさらに率直にこう述べている。「どうして苦しむことを望んで、信じることを望まないのでしょう?その理由をよく調べて見ると、ほとんどの人は悔い改めることよりも苦しむことを望んでいることがわかります」。ある病気の婦人に彼はこう書き送った、「自分の忍耐を見せびらかすことに気を付けて下さい。あなたに求められているのは信仰です。もしこれを無視するなら、あなたは咎ある者となるでしょう」。耐えるばかりで救いを求めるのを拒むことは、偽善である。
誤りに導かれている気の毒な人々――自分の忍耐について神に告げる際、どうして彼らは自分が信奉している幻想に決して気づかないのでしょう?苦難によって人の内的生活が良くなることもありえることを、私は否定しません。しかし、次のこともよく知れ渡っています。慢性的な病に苦しんでいる人々は、やはり同様に、ますます頑固で、自己中心的な、怒りっぽい、短気な人になることが、しばしばあるのです。明らかに、大抵の場合、人々は自分が最も必要とするものに欠けています。神の直接的介入に欠けているのです。
このような感情のほとばしりの理由は、偽善的態度に対するブルームハルトの苛立ちだけではなかった。人類に対する同情と、神との最悪の関係でさえも完全に回復されうるという確信もその理由だったのである。要するに、神は求められさえするなら助けを送って下さると、ブルームハルトは確信していたのである。
「ブルームハルトは精神的に病んでいる人々の治療を医者に任せるべきである」と要求した聖職者であるデ・バレンチ博士は、彼は自分の働きを「教え、叱責、慰め」という牧会的世話に限定するべきであると述べた。これに対して、自分がどのように単純な信仰に達したのかを、特に精神的に病んでいる人々に配慮しつつ、ブルームハルトは説明した。
一般的に言って、あなたが要求している霊的圧力は病をひどくするだけであり、本当に精神錯乱を引き起こす刺激を増すことがしばしばです。教え、叱責、慰めは、最初の内は少しも助けになりません。助言を求められるたびに、私はこの三つの方法を用いることを身内の者たちに禁じています。私のカウンセリングでは、この三つの方法を注意して控えめに用いることしかしていません。真に必要なのは、天から来るものなのです。そうでなければ、何も助けになりません――ためになる以上に害を及ぼす、誤った「助け」にしかならないのです。
しかし、天からのこの賜物をどうすれば受けられるのでしょう?確かに、かつては開かれていた天の門が、今は閉ざされているように思われます。多くの祈りがなされていますが、その効き目は何と乏しいことか!人々がやって来て、「散々祈ったのに、何も変わらなかった」とほとんど絶望して言うことが何と多いことか。
新約聖書によると、人という道具を通して賜物を与えることを神は願っておられます。福音は神の僕たちによって、キリストのための大使たちによって宣べ伝えられなければなりません。これらの使者たちは教会のために霊的な賜物と力とを帯びていなければなりません。こういうわけで使徒たちは並々ならない力を授かったのです。その力は宣べ伝えと癒しの両方のためでした。
キリスト教はもはやこれを全く何も知りません。ですから、不幸に直面して諦めきってしまい、多くの人は不正な手段を試しているのです。ですからまた、酷い医療科学が入り込んでいるのです。福音が与えるべきなのに長らく失われていたものの代わりを、医療科学はその技術をもって果たしてくれると期待されています。この場合、医療科学は総じて不信仰を表しているにもかかわらず、福音の僕たちよりも遥かに忠実に働いてきたことを、称賛されてしかるべきです。特に精神病の場合、大抵の牧師は医者たちと共に重病患者を見捨ててしまうのです。
しかし、このような状況が変わる望みはないのでしょうか?悪霊の軍勢との戦いで、私は通常の牧師以上のことを敢えてしました。私は自分にまったく頼らず、自分は他のどの牧師にも優るものではないことを認めました。しかし、私はその問題に取り組むにあたり、神に求める確かな権利を持つ福音の僕として取り組んだのです。
しかし、天の門は私に対してまだ完全に開かれているわけではないことがすぐにわかりました。私は落胆して諦めようと思いました。しかし、どこにも助けを得られそうにない病人を見ると、私は平安ではいられませんでした。私はイエスの御言葉を思い出しました。「求めなさい、そうすれば与えられます。探しなさい、そうすれば見いだします。叩きなさい、そうすれば扉は開かれます」。私は思いました。「もし不忠実、不信仰、不従順、怠慢、怠惰によって、教会とその僕たちが悪鬼どもを追い出す力を失ったのだとすると、イエスがルカによる福音書一一章五節から八節の御言葉を語られたのは、まさにこのような霊的飢饉の時のためではないだろうか」と。あなたたちのうちの誰かに、友人があるとして、その人のところへ真夜中に行き、「友よ、パンを三つ貸して下さい。友だちが旅先から私のところに着いたのですが、何も出すものがありませんから」と言ったとする。すると、彼は内から、「面倒をかけないでくれ。もう夜で戸は閉まっているし、子供たちも私も床に入っているので、起きて望みのものをあげるわけにはいかない」と答えるであろう。私はあなたたちに言う。たとえ友情に免じて与えることはしなくても、しきりに願うので、起き上がって必要なものをすべて与えるであろう。真夜中に戸口に立っているこの人を、私は理解することができました。神は私の友人でしたが、私は神から何も受けるのにふさわしくありませんでした。それでも、自分の会衆の一人を諦めてしまうのは耐えられなかったのです。私は叩き続けました。「そんなことは神を試みることであり、図々しく、霊的に厚かましい、狂信的なことだ」と言う人もいるでしょう。しかし、私は自分の訪問客を戸口に立たせておくことができませんでした。長いあいだ忍耐しなければなりませんでしたが、遂に神は私の求めに応じて下さいました。神にこれほどうるさくせがんだことは、私の過ちだったのでしょうか?
私の嘆願の結果は何だったのでしょう?このたとえ話の中に出てくる気の進まない友人は、「帰って下さい。私が自分であなたの客に必要なものを持って行きます。そうするのにあなたは必要ありません」とは言いませんでした。そうではなく、その人は自分の友人にパンを三つ与えたのです。それは、その友人が自分でそれを客のために自由に用いるためでした。おそらくパンは余っただろうと推測されます。客が一度に三つのパンを食べ尽くしたとは考えにくいからです。このように述べる意味はこうです。神は、特に悪鬼憑きを征服するために、私に力を授けて下さいました。私がこの力を授かったのは、悪魔にひどく苦しめられている私の会衆の一人を解放するためであり、私はその人の世話を任されたのです。
私はこの三つのパンを用いて、その一部を残しておきました。それでも、その備えは僅かなのに、新たな客たちが来ました。彼らが来たのは、自分たちの必要を顧みてもらえることを知っていたからであり、私が「まどろんでいる友人」のところにわざわざ行って、真夜中でも施し物を求めるであろうことを知っていたからです。毎回、私は必要なものを受け、多少余りました。
哀れな苦しんでいる人が私のところに駆け込んで来る時、どうしてそれを拒めるというのでしょう?「どうしていつも私の家に来るのです?町には他にも家がたくさんあるではありませんか――大きな広々とした家があるではありませんか。そこに行って下さい」と、私は厳しく言うべきだったのでしょうか?彼らは私にこう答えていたでしょう、「ご主人、その家々にはもう行って来ましたが、『あなたたちに食物をあげるわけにはいきません。友人に必要なものをもらいたいからといって、私たちを煩わさないで下さい』と言われました。どうか食べる物を与えてくれないでしょうか?私たちは飢えて傷ついているからです」。私はどうするべきだったのでしょう?彼らの苦しみが私の心に触れました。私にとって煩わしいことではありましたが、私は何度も出かけて行って、さらに多くのパンをもらいました。私はパンを何度ももらいました。最初の時よりもずっと早くもらいましたし、ますます多く余るようになりました。もちろん、このパンは万人の口に合うものではありません。時々、どういうわけか、飢えたまま私の家を去る人もいます。
このように、ブルームハルトは自分の行動を弁護したが、仲間の「福音の僕たち」を非難した。彼らには使徒時代の諸々の賜物を回復しようという意欲がほとんどなかったからである。彼は確信していた。自分に与えられたものの目的は、もっと良い時のために祈る用意のあるすべての人に、神は新しい勇気と力とを与えることを願っておられるということを示すためであると。
「私は罪を赦す権威を父から受けています。私が赦す人は赦されます」とイエスは言われました。主がなさったことは継続されるべきです。彼が人としてなさったことはみな、この時代の終わりまで、他の人々によってなされるであろうからです。父は彼に権威を与え、彼は他の人々に権威を与えます。彼は弟子たちに、「父が私を遣わされたように、私もあなたたちを遣わします」と言われました。それで、彼の弟子たちは悔い改めた罪人たちに、イエスのようにはっきりと、「元気を出しなさい。あなたの罪は赦されました」と言うことができたのです。この力は、今日福音を宣べ伝えている人々のために、依然として力を発揮します――彼らもまた、罪を赦す権威を持つべきなのです。一体何がこの確信をぐらつかせることができるというのでしょう?
神は特定の人の執り成しを他の人々の執り成し以上に――特に自分自身の執り成し以上に――聞いて下さるし、人が仲介人を通してご自分に近づくことを願っておられる。しかし、これを受け入れるのが困難な人々もいる。ヤコブの手紙五章一四節が洞察を与えてくれる。「あなたたちの中に病気の人はいますか?その人は教会の長老たちを呼んで、祈ってもらいなさい」。ヤコブは奇跡的助けを個人に対する賜物ではなく、全教会に対する賜物と見なしている。ブルームハルトがしばしば指摘したように、彼に与えられた力の意義は、牧師や治療家としての働きを遥かに超えて及び、メトリンゲンの遥か彼方にまで及んだのである。
「あなたを通して神がなさっていることはみな、あなたでなければ出来ないことなのでしょうか、それとも、他の人も真似できるものなのでしょうか?」と尋ねられたなら、私はこう答えなければなりません。「私に与えられたものは、まさに戦いの結果だったのです――同じように誰もがこれを一瞬で受けられるかどうかは疑わしいです」。しかし、私は確信していますが、これは広まらなければならず、私たちは福音の当初の力の完全な回復を求めなければなりません。しかし、さしあたって、私を通して起きたことは、刷新を求めることの正しさを示しています。
しかし、天が開かれない限り、この刷新は決して起きないでしょう。「使徒時代の再来を経験するには、ただ信じることだけが必要である」と思うのは間違っています。いいえ、これらの力はゆっくりと勝ち取るしかないのです。二千年に及ぶキリスト教の不忠実さと背教は、主の不興だけでなく、悪魔の軍勢の台頭をも招きました。まず必要なのはキリスト教圏の回心です。
この刷新はやがて到来するであろうこと、それには戦う価値があることを、ブルームハルトは決して疑わなかった。彼は勝利を味わい、彼を通して他の多くの人々も勝利を味わった。神は、ご自分に頼る一人の人を通して一つの村に与えたものを、全世界に与えることを願っておられる。暗闇に対するメトリンゲンの勝利によって、私たちは今日の悪鬼どもに立ち向かう勇気を持つべきであり、さらに偉大な数々の出来事の到来を望んで期待するべきである。
私たちは渇いている民です。神が御霊をふたたび注いで下さらなければ、何ものも私たちの渇きをしずめることはできませんし、この干ばつ終わらせることもできません。使徒たちの時代、この約束のほんの一部しか成就されませんでした。今、この約束はもっと大々的に成就されなければならないのではないでしょうか?この御霊の流れが到来するでしょう――確信をもってそれを待ちましょう。渇きによって私たちは死にかけており、人々の内側も外側も悪化しつつあります。しかし今、この御霊を私たちは必要としているので、神は再び御霊を与えて下さるでしょう。
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