なぜなら、あなたは、主よ、私を死から、私の目を涙から、私の足をつまづきから、解放して下さったからです。(詩篇一一六・八)
ダビデは絶体絶命の危機にあり、死に瀕していた。それにもかかわらず、神は彼を解放された。それで、自分をつまづきから守って下さったことのゆえに、彼は主を賛美したのである。
欠乏や苦しみの中で、抜け出す道がわからない時、私たちの足はつまづきそうになり始め、落胆してしまう。失望、絶望、神に対するつぶやきに陥るよう誘惑されて、神とその約束を信じないところにまで至ってしまう。状況を自分で掌握して、誤った罪深い諸々の道に陥るおそれもある――そうするなら、確実につまづくことになる、これはとても危険である。信仰が試みられる時、忍耐しないなら、私たちは永遠の死の瀬戸際でぐらつく危険をおかすのである。
しかし、主は優しい方であり、私たちの力では耐えられない誘惑に私たちがあうことをお許しにならない。私たちが実際につまづく前に、主は常に別の道、のがれの道を備えて下さる。ダビデ自身、これを経験した。神は彼を掴んで、あらゆる危険の中から救われた。私たちもこれを経験することができる。確実に、誘惑や戦いがなおも訪れるであろう。しかし、私たちの真実な神からの助けや慰めに欠けることは決してない。主の助けのしるしにより、私たちは何度も何度も、喜びと平安の時を過ごすのである。
ヨハン・クリストフ・ブルームハルト
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