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「あなたの御旨がなされますように」

Thy Will Be Done

五一.病の霊

51. The Spirit of Sickness

クリストフ・フリードリヒ・ブルームハルト
Christoph Friedrich Blumhardt

ヨハン・クリストフ・ブルームハルト
Johann Christoph Blumhardt



ある安息日に、イエスが会堂の一つで教えておられると、そこに一八年間も霊のせいでかがんだままの女がいた。その女はかがんでいて、体を伸ばすことが全くできなかった。イエスは彼女を見ると、前に呼び寄せて、「女よ、あなたは病から解放されました」と言われた。そして、手をその上に置くと、たちまちその体はまっすぐになり、神を賛美した。
 イエスが安息日に癒されたのに憤慨して、会堂司は人々に言った、「働くべき日は六日あります。その間に、治してもらいに来なさい。安息日にはいけません」。
 イエスは彼に答えて言われた、「偽善者よ!あなたたちは誰でも、安息日であっても、自分の牛やろばを家畜小屋から解いて、水を飲ませに引き出してやるではありませんか。それなら、一八年間もサタンに縛られていた、アブラハムの娘であるこの女を、安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのですか」。
 こう言われたので、イエスに反対していた人たちはみな恥じ入った。しかし人々は、イエスがなさったすべての素晴らしい御業を喜んだ。(ルカ一三・一〇〜一七)

この箇所は、かがんだ状態で歩いていたある女について述べている。その女は体がとても曲がっていたので、見上げることがほとんどできなかった。彼女の病気は病の霊に由来していた、とルカは述べている。病の霊の中で、サタンは彼女を一八年間も縛り続けていたのである。

かがんだ体の中でサタンがこれほど直接的役割を演じられるとは驚きである。サタンの力はこれほど遠くまで及ぶのだろうか?私たちなら天然的用語で理解したであろう事柄において、暗闇の君がこれほど活発な役割を果たすことは可能なのだろうか?可能である。暗闇の権威がどれほど遠くまで及びうるのか、私たちは努めて理解しなければならない。この問いだけでも、親愛なる友よ、警鐘を鳴らすのに十分である。しかし、蛇の頭を打ち砕いてサタンに対して勝利された御方を忘れてはならない。この御方もこの箇所に登場される。それゆえ、暗闇の薄暗い領域の中に閉じこもる必要はない。実に、この御方を賛美すべきあらゆる理由がある。この御方は私たちを暗闇から解放して、光の中に導いて下さったのである。

死の力は悪魔に属す、と聖書は告げる(ヘブル二・一四〜一五)。悪魔は「初めから人殺し」(ヨハネ八・四四)である。悪魔は明らかに死を手中にしている。家を倒してヨブの子供たちを葬った、あの大風を誰が送ったのか?忌まわしい腫れ物で誰がヨブを苦しめたのか?これはサタンの力を示しているのではないだろうか?まさに、サタンは依然として肉体の病において自分の役割を演じているのである。

死は神の当初の御計画の一部ではなかったし、死を引き起こす病もそうである。病は死のはじまりに他ならない。新たな病のたびに、私たちの中で何かが死ぬ、とほぼ言える。病は人を少しずつ殺す。機能を次々に奪って行き、遂には最後の命の揺らめきもなくなってしまう。少しずつ、死の霊は私たちを墓場に追いやって行く。たとえ、私たちが特定の病に悩まされていない時でも。

ああ、親愛なる人々よ、私たちの世界を満たしているこのあらゆる衰退のゆえに、私たちはきっと溜め息をつくにちがいない。神の贖いを経験しない限り、私たちはアビスを真に足の下にするのを見ることはできない。自分に対する要求のゆえに驚いて口がきけなくならない限り――私たちはとても多くの地獄の束縛の中に陥っているので――神の栄光が働いているのを見ることはできない。神の憐れみにより、自分の状況を十分に自覚しないよう、私たちは守られている。聖書ですら、暗闇の霊がどれほど蔓延しているのかを、かすかに示しているだけである。それは、私たちが勇気を失って、惨めな気持ちにならないようにするためである。イエス・キリストは悪魔の働きを滅ぼすために来られた(一ヨハネ三・八)。私たちは絶えずこれにすがらなければならない。

◆ ◆ ◆

この福音書の御言葉は、イエスは悪魔の束縛を打ち破れることを示している。彼はその女の上に御手を置いて言われた、「女よ、あなたは病から解放されました」。これは、まさに主が病人や束縛されている人々のためになさったすべてのことと同じように、彼こそ蛇を踏みつけることのできる約束された方であることを示している(ルカ一〇・一九)。

このイエスは何者か?彼は何者か?イエスは断固たる抵抗により、暗闇の軍勢を完全に貶められた。サタンはイエスに対して極めて過酷なことを試みた。血が流れるほど彼を苦しめて、遂には自分の僕たちを通して、十字架に釘づけた。しかし、忍耐と天の御父を信じる信仰とをもって、イエスはサタンを征服された。「彼は私たちの違反のために刺し通され、私たちの不法のために砕かれた。刑罰を身に受けて私たちに平和をもたらし、彼の傷によって私たちは癒された」(イザヤ五三・五)。然り、癒されたのである!

十字架のおかげで、サタンはもはや昔と同じように人々を縛ることはできない。こういうわけで、サタンが私たちを攻撃する時、私たちはキリストの力によって抵抗して、サタンを征服することができる。信仰と決意をもって暗闇の霊と戦う者は誰でも、死の刺から自由にしてもらえる。勝利は勝ち取られているのである。

私たちの主は今や神の右に座しておられる。そして、諸々の賜物を受けて、私たちに与えて下さる。彼は天から戦っておられ、敵どもがその足台とされるまで戦われる。病の霊どもや、私たちの体や魂を変形させたり滅ぼそうとするこの軍勢がすべて取り除かれるまで、戦われる。被造物と天と地がこぞって喜べるようになるまで、戦われる。ああ、この勝利の壮大さを誰が思い描けよう。この勝利を私たちは、イエスとその勝利を信じるやいなや、受け継ぐのである!

ヨハン・クリストフ・ブルームハルト