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「神の僕の生涯 ペンテコステの前後」
第十六章 台湾伝道(四)
柘植不知人
Fujito Tsuge
祈りをききたもうものよ諸人こぞりて汝にきたらん(詩六十五・二)
一、嘉義
南部の働き一先ず終わりて嘉義に帰った。同地は日本キリスト教会の主催にて嘉義町中央公園に天幕を張り、七日間伝道をなした。昼は教会にて聖別会を開いた。信者一同長く準備祈祷会を開きて待ち望み居たるため、初めより自由にして臨在輝き聖霊の御働き著しく、会毎に信者は恵まれ、中には様々なる病人の癒されたる者起こり、斯かる純福音に接したることは初めてのこととて彼等は驚いて主を受け入れ喜びに満たされ、熱心に市街を練り歩きて広告をなした。夜の集会には初めより聴衆天幕に充ち、会毎に道を求むる者増加し、リバイバルの光景を呈するに至った。
その集会に二人の子供を連れ、毎夜来たる二十五六才の姉妹あり、何か深き仔細あって道を求むるが如く、一番後の方に居り、集会終わると去って、また次の夜も来ている。今夜は悔い改めるならんと思えばまた去る。かくして一週間の期間は過ぎて仕舞った。翌日我等の宿所に嘉義避病院より是非面会したしとの電話があったが、その時我等は外出していた。帰りてその旨を聞いたが出立の時間も迫り居れば御気の毒なれど面会出来ずと電話で断った時、突然話が切れて何だか話の結末要領を得ずして終わった。暫時にして一人の看護婦車夫を伴い来たり、一人の命を助くると思ってこの車で来てくださいと言う。急ぎてその病院に至れば毎夜天幕に来たった婦人が電話室に倒れ泣き伏し、二人の子供は母に抱きつき母を宥めていた。漸く正気に帰り、事情を聞けば、この婦人は幼少にして親に離れ、他人の手に育てられ、自然に心も荒み、実家を飛び出し女にも不似合いな生活をなし、多くの罪を犯し、看護婦として満鮮に渡り、一男子と結婚してこの二人の子を挙げたがその夫に死別し、自殺を計りしこと一再ならず、後人の夫と私通してこの地に渡ったが、またもその男は急病して死に、今はこの病院に入りて糊口を凌ぎ居り、この度の天幕に行き説教を聞きて、罪の恐るべきことを示され、今夜こそ悔い改めようと思って行くが、あまりの罪悪で人の前に告白することも出来ず、遂に集会は終わり、昨夜も一睡もせず、せめてもの事と思い、今朝電話をかけ、最後に行くこと能わずとの一言、ああ最早救わる時はない、これが永遠の亡びの宣告であると思った苦しみのあまり、逆上して突然電話室に倒れた。斯かる罪人にても救わるべきかとの質問であった。
私は救いの要領を話して悔い改めに導いた時に、死より生命に移って救いの喜びに入った。大急ぎで車を馳せ宿に帰り、駅に出づればその婦人は全く別人の如く喜びに満たされて見送りに出で、ただ感謝です、感謝ですと言っていた。その後台中にて奉仕中その婦人より小包が来た。中には浴衣一枚入っていた。何か救いの記念に御送りしたいが、貧しくして許さず、ただ心ばかりの献げ物なれども御受けくださいとあった。彼女が救われたことの如何に幸いなるかを感謝し、主の愛の万分の一にもとの彼の意を受けて感謝した。
二、台中
この地にては日本キリスト教会の尽力によりて開かれた。昼は聖別会を同教会にて開き、夜は天幕伝道会、会員一同熱心に広告をなしたるため、初めより聴衆は天幕に充ち、驚くべき主の臨在顕れ、救わるる者日々に加わり、今日まで台中に曾てあらざりし聖会なりと人々驚いた。殊に昼の聖別会に於いて医者の見放した重患者多く癒されて主の聖名は高らかに崇められた。また私の宿所であった松本典獄の宅にて監獄の役人等を集めて特別集会をなし、また婦人会も開かれ、台中の主なる家庭の婦人達多く集まって救いを受け、また癒さるる者も起こり、監獄の役員達の中に恵まるる者多く同署内に一大霊的覚醒が起こった。
内地人の集会終わりて後、台人教会の切なる要求あって三日間の集会を開いた。台中教会は台湾中最大の会堂であるが、全く立錐の余地なきまでに多くの人集まった。特に昼の信者聖別会にてはこれこそマカイ師の福音であると称し、彼等には特別なる意味ある集会であった。一同恩恵に満たされ、感涙に咽び、大いなる栄光を拝して閉会した。
三、台北
新築伝道を経て台北に帰った。台北は聖公日基組合連合主催にて尽力せられ、早天祈祷会は日基、午前は組合、午後は聖公会にて開き、夜の伝道は公園に天幕を張って会場となした。さすがに台湾第一の都市にして各派の信者も多く、午前午後の聖別会にて驚くべき聖霊の御行起こった。大体台北各教会はこれまで渡台せる先輩等にして講演せざる者なく、信者は皆相当聖書智識も養われ居れども、この度の集会は天的空気に充ち、感涙に咽び、今日までの微温き信仰を悔い改め、如何なる罪も告白し赦しを求め、真に砕かれ、溶かされたる集会にして、聖霊の働きは実に深刻を極め、また病める者も多く癒され、最後に至っては台北病院を始めその他の所より重態患者のため来訪を求むるもの頻々として尽きず、甚だ多忙な奉仕であった。夜間の伝道会はとても天幕に入り切れず、天幕の袖を開き放し、公園広場に人山を築きたるが如くなった。我等もこの地は台湾最後の奉仕とて一同全力を尽くし、集会の光景は全くリバイバル的にして救わるる者多く起こった。
内地人伝道終わりて市の東西にある二カ所の台人長老教会より招かれ、更に五日間の集会を続け、矢張り昼は信者のため、夜は未信者の伝道会とした。これまたマカイ師自ら経営せられたる教会にして熱心なる者多く又霊的経験に進み、何となく霊気堂に溢れ、臨在更に輝くと共にマカイ師の信仰今なお生きて語れるが如く感ぜられ、集会中誰一人ハンカチを手にせざる者なく、特に十字架の奥義について語れる時、主の贖いの愛に全会衆溶かされ、俄然リバイバルの光景を呈し、説教未だ終わらざる内にここかしこに泣く者、或いは罪を懺悔する者、或いは祈り出す者起こり、全会衆総崩れとなるに至った。夜間伝道会にても多くの台湾人集まり、第二集会には全会衆止まりて救いを求むるに至り、有名なる悪徒、無頼漢など多く救われたという。
集会終わってマカイ師宅に招かれ、未亡人と親しく語りかつ祈って茶菓の饗応を受け、大いなる恩恵を受けた。なお淡水に於ける台人ミッション女学院より切なる招きを受け、二回の集会を開いて驚くべき栄光を拝した。午後の集会に於いて主は我等のため生命を棄て給えり、我等も兄弟のために生命を棄つべしとの聖言を以てキリストの愛を語れる時、説教の未だ終わらざる先に全生徒すでに恩恵を受け、泣き叫び、涕泣やや久しく、一同全く身も魂も神に献げ、亡ぶる魂のために献身せんことを誓った。この光景全く聖霊のみの御働きにして実に厳かを極め、物凄き有様であった。宣教師教師等も共に恩恵の座に伏し、互いに献身を新たにせられた。
集会終わって如何にして俄然かくの如き御行の顕れたか一教師の語るを聞くに、台湾人医者の妹にして未だ年若き少女、霊に満たされ、多年この学校のリバイバルのために祈り続けたる者ありしためだと言われた。