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「神の僕の生涯 ペンテコステの前後」

第十九章 神と人とより独立せしめらる

柘植不知人
Fujito Tsuge



すべてキリストイエスにりて神を敬いつつ世を渡らんと志す者はせめを受くべし(二テモテ三・十二)。

大正五年十月十日聖霊のバプテスマを受けたる結果自然所属日本伝道隊員と相容あいいれざる傾向を生ぜしめるサタンの働き起こり、遂に大正九年五月日本伝道隊年会に至り、信仰上の講和を保ちがたくなり、その年会中夜間やかん山に登り、祈って主のむねを求めたる時、たちまち天より声あって『今よりわれは主なり……われおこなわば誰かとどむること得んや』(イザヤ四十三・十三)との御声を聞き、伝道隊を離れ、独立して主に仕うること神の聖旨みむねなることを明らかに示された。

又同九年八月有馬ありま修養会に於いても幹部の人々との間に相容あいいれざる点多く、その時まで各修養会にて共に奉仕し来たった先輩達とも一致を見出すことあたわず、この修養会に於いて神癒会を開かんとすれども幹部これを許さず、遂に他所にて別荘をって神癒会を開きたるに多くの人々神癒を求め来たり、そのうちには備前びぜん香登かと武田たけだおしげ子宮癌にて最早もはや医術を施すによしなく、人為じんいの尽き果てたる状態であったが瞬間のに癒されたるを初めとして多くの人々この時癒され、神のくすしき御栄みさかえを拝した。

これがためいよいよ迫害起こり、自然独立するのむなきに至った。この時も山に入りて主のむねを切に求めたるにたちまち神の栄光は僕を取り巻き、神の臨在いよいよ輝きて、ただ聖名みなを畏れ、血潮を崇めて塵灰ちりはいに伏した時、おごそかな声あって『我は全能の神なり汝我が前にあゆみて完全まったかれよ』(創世記十七・一)との御言みことばと共に天の使いはただしき者の周りにえいをつらねてこれを助くとの御言みことばの如く周りに数知れぬ天の使いは立樹たちきの間より顔をいだし、僕の周囲をとり巻き居るを見た。この時戦慄して血潮を崇め、主よ我に何を為さしめ給うやと叫んだ。

今日まで我は全能の神なりとの御言みことばを読むとき何か律法おきての如き観念に捕らえられきびしき神の声なるが如く感じたるも、その時このことばの真意を示されたるに、これぞ真の愛の御声にして例え汝は如何ほど弱く、如何ほど愚かなるとも我が前に歩むなれば我汝をまっとうし、つこの天の使いはくの如く常に汝を守るのであると示され、今更いまさらの如く驚きかしこみ、いよいよ将来の使命に向かい如何なる故障こしょう迫害があっても何ものも恐るるに足らない、ただ勝利の秘密は神の前に歩むにありと示され、この時いよいよ使命のため立ち上がる確信を強められた、

大正十一年八月有馬ありま修養会に於いてインウード師第二回の来朝講演があった。この集会にで居る時いよいよ日本にリバイバルの起こらなければならぬことを深く感じたるが故にこれがために祈祷を献げ、先ず日本の先輩がたより恵みたまえと祈った。その祈祷は先輩をさばきたるものなりと誤解せられ、二人の兄弟を使いとして遣わし下山げざんを要求せられた。私は静かに考えて聖書の記事は善いことも悪いこともことごとく実現するものであることを思い、この時も主のむねを求めんがため山に入って主のむねを待ち望んだ。その時『事を行うエホバ事をなしてこれを成就とぐるエホバその名をエホバと名のる者かく言う、汝われに呼び求めよ、われ汝にこたえん』(エレミヤ三十三・二、三)との御言みことばが与えられた。

この有馬ありまの山中にて第一には万物の主として、万物を聖旨みむねのままにべ治め給う神を示され、第二回目には全能者として我汝をまっとうせんと、全能の神として顕れ、第三回目には事をなしてこれを成就とぐる神として顕れ給うた。これらの御言みことばに信頼する時は最早もはや何事も顧みる余地なく、いよいよ主より授けられたる使命のためには悪を防ぎて血を流すとも死に至るまで忠信でなければならぬことを深く印象せられ、また日本各地修養会に於いて感じたることは信者のすべてが年々同じ祈祷を繰り返し、昨年の聖潔きよめは駄目であったが本年こそ永久変わりなき聖潔きよめ恩恵めぐみらしめ給えとは毎年各修養会を通じての叫びであることを確かめた。

指導者たる任に当たれる者はこれらの叫びをただ信者の不信仰にのみ帰し置くべきはずでない、彼等をして幾度いくたび修養会にでても同じ叫びを継続せしむるはこれ全く指導者の責任であることを深く感じた。

ここに於いて一段まされる真に聖霊の働きによりて死と甦りの恩恵めぐみを徹底せしむる所の一大聖会の必要を痛感した折柄おりがらなれば、いよいよ神の導き給うままに従いて歩み、奉仕する内に、神は落合おちあい聖会を起こし給うに至った。