凡（すべ）ての事は神の旨（むね）によりて召されたる神を愛する者のため悉（ことごと）く働きて益をなすを我等は知れり（ローマ八・二十八）

これより先（さき）月曜会と名づけた祈祷会を自宅に開いていた。これは個人問題の解決、全国リバイバルのため祈る目的であった。大正四年四月、或る朝のこと一度（ひとたび）主の御手に委ねた妹の行方はいよいよ神が示し給うとの確信が与えられ、これを一同に証（あかし）して感謝を求めた。所（ところ）が数日の後、突然一電報を受けた。読んでみれば驚くべし、妹が広島救護院に居るから迎いに行けとの通知であった。直ちに準備して行った。自分はその事務所に着き、自分の身の上を証（あかし）し、妹タツなる者、御厄介になり居（お）るやと問うたら、此（ここ）に居（お）られますと障子一重（ひとえ）の次の間に居たが、私が明（あ）けんとする時、彼も兄の声なるを覚（さと）り、口には住所姓名すら語ること能（あた）わざるも兄のあることは心に覚え、何（いず）れの日か尋ね来るならんと待ち居たと見え、痩せ衰えたる身なれども撥（は）ね起きて内より障子を押し退（の）けんばかりに兄さんと言うて只（ただ）泣き伏した。彼の心状（しんじょう）を察する私は共に感涙（かんるい）に咽（むせ）び、暫時（ざんじ）は言葉も出でなかった。彼は如何にしてここに至ったかを察するに、体の健康な間は何者かの許（もと）にて玩（もて）あそばれて居たが一度（ひとたび）病に罹（かか）るや大阪梅田駅まで伴（つ）れ来たり、広島までの切符を与えて放逐せられたようである。何処（どこ）に行くか何処（どこ）に止（とど）まるかも知らざる彼は広島を通過するをも知らず、宮島駅にて車掌が見付けて広島に送り返したるも、彼の行く所はなし又旅の労（つか）れにて歩行も出来ず、駅に倒れ居るを京橋警察の手を経て広島救護院に収容せられたものと見える。

彼に会うたその姿を見るに体は全く痩せ衰え数年間湯に入ることもなく髪を結ぶこともなく病苦の中（うち）に呻吟（しんぎん）したものにて一見、人の像（かたち）を失い、惨状を極むる容貌であった。その時私の心に浮かびたることは、この妹は兄があっても語ること出来ず、これを呼び求むることを知らず、只（ただ）ひそかに救いに来たるを待って居たらしい。我等の救われたのも恰（あたか）もその通りで天に父のあるを知らず、これを呼び求むる途（みち）を知らず、然（さ）れど魂の内には何者か救い主のあることを覚え、何時（いつ）かは救い出ださるならんと魂は黙して飢え渇き、言うことの出来ない不安と恐れと苦痛の中（うち）に悩める時に、主イエスは天の栄光を棄て難きこととせず、父なる神の聖旨（みむね）に従い我等を救わんため、世に降（くだ）り給うた。そして堕落の底にある我等の所まで届き給うた時、初めて長く求めていた救い主はこれぞとばかりに主イエスの御手に抱きつき救われたることを思い出され、神の愛の深きことに感泣（かんきゅう）した。又如何にしてこの救護院に居ることを発見したかと言うに、いよいよ病勢募（つの）り危篤となったから、受け持ちの医師は妹に尋ねてお前の兄弟か親戚か誰か引き受ける者はないかと尋ねた時、唯（ただ）『宮内（みやうち）の長谷（はせ）』とのみ語った。医者と事務員とがこの事を語り合って『宮内（みやうち）の長谷（はせ）』では所（ところ）の名か家の名か更に分からず、これではとても探す由（よし）なしと語り合っていた時、医師の玄関に待っていた車夫がこれを聞き『宮内（みやうち）の長谷（はせ）』なれば私の国にあります、邑知（ゆうち）郡の宮内（みやうち）と言う所に長谷（はせ）と言う家があって私共の国では常に『宮内（みやうち）の長谷（はせ）』と称えております、故に病人の語られるはこの家のことでしょうと偶然車夫の言葉によりて通知を出すことになった。これ即ち本人の妹の嫁いでいる家のことであって、それから私の方へ打電した分（わ）けであった。そして病人は重態なれば最早（もはや）何時（いつ）召されるとも許（はか）られず、先ず魂の救いに就（つ）いて福音を聞かせた所（ところ）が白痴にも関わらず、御聖霊の御働（おはたら）きあって直ちに主イエスを受け入れて罪の懺悔をなし、確実に救われたと見え、忽（たちま）ち顔色（かおいろ）変化し、かくも恐ろしきまで窶（やつ）れ衰えた顔にも救いの喜びをたたえ、感謝するに至った。

医師の語らるるには今この病人を伴（つ）れて帰ることは途中案ぜらるるから二三日止（とど）まって葬式を済まして帰る方がよかろうと忠告せられた。しかし彼はすでに救われたから例（たと）え途中如何（いか）なることがあっても思い残すことはないから横川（よこがわ）駅から二等車に乗せ、途中看護に注意しつつ、主の守りの中（うち）に神戸に安着した。

そしてその時すでに神癒を信じていたから必ず今一度癒し給うことを信じ、ただ神の憐れみを求めて祈っていたが、ある人注意して万一の事があったら医者の診断書も必要なれば一応医者に見せ置くべしと勧められたが、信仰には万一ということはない必ず癒し給うと信じ、殊（こと）に斯（か）かる奇跡的に今日（こんにち）まで保ち給うた神はこの証（あかし）を遂ぐるまで決して召し給う筈（はず）がないと信じ、ただ祈り続けていた。

一方妻は彼の癒されんことを切に求め、かれの看護に極力励んだ。その時妹はすでに肺結核の三期になっていたが、少しも伝染を恐れる風（ふう）なく、彼と共に臥し彼の残した物を食し、ただ一意専心（いちいせんしん）看護に努めた。ある時彼の食したる残り物を食するを見て如何（いか）に神癒を信ずるからとて注意すべきことは霊の常識によりて注意すべきである、不注意によりて伝染を招くことは聖旨（みむね）でないと妻に忠告した所が、妻は答えて万一いささかにても之（これ）を恐れる所があっては神の愛を徹底せしむることが出来ません、私はすでに救われていますから、主に召されても躊躇することはありません、この魂を救い、今一度癒して戴くことは大いなる働きなれば身命（しんめい）を擲（なげう）つとも惜しむ所はありませんと答えた。その彼を愛すること肉身（にくしん）も及ばぬことを見て常に感謝して互いに彼のために祈っていた。遂に神はその祈りに応え給うて彼は全く癒され、体は健康体とせられた。

その後果たして妻は伝染を受け肺病に罹（かか）り、暫（しばら）く家庭の繁忙（はんぼう）を避け須磨（すま）の地に静養せしめることになった。留守宅は私と妹の二人のみで、私が御用のため出る時は妹一人留守をしているのであるが、夕方帰りて見ると涙を流して何事か祈っている。誰のためそんなに泣いて祈るのかと妹に尋ねたら、姉（ねえ）さんのため毎日祈っております、姉（ねえ）さんは私をあんなに愛してくださって私が癒されたから同じエス様は姉（ねえ）さんを癒してくださると信じて祈っておりますとの答えであった。

これによって教えられたことは如何（いか）に白痴でも赤心（まごころ）こめて愛の実行をなせばキリストの愛は人々の心に届き、その愛を感ぜしむるものであることを教えられた。これは将来伝道の助けとなり、如何（いか）なる精神病者或（ある）いは意識なきものであっても理屈や教理や学説や説明を以て教えること能（あた）わざるも愛の実行なれば神の愛を徹底せしめ得ることを教えられた。

そして妻は斯（か）かる祈りに応えられ、間もなく全癒（ぜんゆ）して以前に勝る健康体とせられた。彼の家出したことも発見したことも病の癒されたことも此（こ）の賎しき者をして貴き使命を完（まっと）うせしめんがため、神の深き聖旨（みむね）の内にあったことを教えられ、神に召され神を愛する者には凡（すべ）ての事悉（ことごと）く働きて益をなすを我等は知れりとの御言（みことば）の裏書きとなった。

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