一 我は肉にも恃むことを得るなり
時は多分紀元元年の頃であった。即ち後年に至り人類の歴史と万物の運命とを一変せしむべき人の子イエスが、なお頑是なき五六歳の児童として、ナザレの街上に嬉戯せる頃であった。小アジアなるキリキア州の首都タルソの
タルソは当時繁栄を極めたる都であった。それは
嬰児の家はタルソ土着のものではなかった。タルソの市盛んなりと雖も異教国の都に過ぎない。然るに嬰児の父はユダヤ人であった。
両親は嬰児に命名してサウロと呼んだ。此の語は「願いし者」の意味であれば、多分彼等の長き祈りに応えて与えられし子であろうとの事である。果たして然らば彼は特別に父と母との大いなる望みを担って世に出でたであろう。
我は八日目に割礼を受けたる者にして、(五)
割礼はユダヤ人の最も重しとする儀式である。それは始めアブラハムに啓示せられたる神の契約の徴であった。
イスラエルの血統、(五)
八日目に割礼を受けたる事は其の人自身の
ベニヤミンの族 、(同上)
へブル人より出でたるへブル人なり。(同上)
彼の体内を巡りし血液中に異邦人の分子は一滴だもなかった。父の系統よりするも、母の系統よりするも、みな
律法につきてはパリサイ人、(同上)
系図を誇り得たるサウロはまた経歴についても申し分がなかった。ユダヤ人の生命となしたる律法との関係より言えば、彼はまず第一にパリサイ人であった。パリサイ人と聞いて我等は直ちに偽善と倣慢と冷酷とを連想する。しかしパリサイの理想は貴くあった。そはだらしなき近代人の理想と比すべくもなかった。何か。曰く「義の追求」である。人は如何にして神の前に義しく在り得べきか、この霊魂の至上の願いが彼等パリサイ人の最大の問題であった。否むしろその唯一の問題であった。彼等は此の一つの問題の解決の為に全力を傾注した。彼等は思った、我等に神の与え給いし律法がある。之を
しかして若きサウロの如きは即ちその一人であった。彼をしてラビ(イスラエルの教師)たらしめんと望みたる彼の父母は、始めより彼に施すにその目的に適う教育を以てした。彼は多分六七歳の頃より、「聖書の家」と称えられし地方的会堂(シナゴグ)と関連したる一種の初等学校に遣られて、旧約聖書を学ばしめられたであろうとの事である。その教育の方法は曾て久しく我国に行われたる漢書の素読の如く、教師の口誦によりて児童等をして暗誦せしむるにあった。従って聖書の文句は自ら彼等の頭に彫り付けられた。十五歳に至りサウロは正式なるラビ教育につかんがため、エルサレムに往って「解釈の家」と称うる学校に入った。しかして此処に数年の間有名なる碩学ガマリエルの指導の下に、律法その他の旧約聖書の研究にいそしんだ。ラビ・ガマリエルは寛容の人なりしと雖もなおパリサイ人たるを失わなかった。彼の豊かなる感化に浴せし弟子サウロはパリサイ人として更に熱心なるものであった。今や聖書に関する
熱心につきては教会を迫害したるもの、(六)
忠実なるパリサイ人の特徴は律法に関するその熱心に於いて現われた。サウロの熱心は如何ばかりであったか。彼はすべて微温的の態度に堪えなかった。彼は事を終局まで徹底せしめずしては已むことが出来なかった。彼は善しと見たる事は飽く迄も之を追求した、同様に悪しと感じたる事は如何なる手段に訴えても之を排斥した。然り、之を迫害した、之を絶滅せしむべく
イエスが人類の救い主として公然世に現われ、エルサレムの都をうち騒がせし頃、サウロは何処に如何にして在りしか、今より確かむるよしもない。或いは郷里タルソにありて同胞子弟を教えつつあったであろう。或いは諸方を巡回して異邦人にユダヤ教を宣伝しつつあったであろう。何れにせよ、福音の火は未だサウロの衣に届かなかった。勿論その怪しげなる異端についての高き噂は彼も屡々之を耳にしたに相違ない。その首唱者の
ステパノの壮烈なる死は有司等の教会撲滅の決心を促した。しかして彼等は議会に於ける新進気鋭の議員サウロを推して之が執行委員長たらしめた。彼は直ちに猛烈なる運動を開始した。即ち彼は自ら部下を率いてエルサレム中の諸会堂を襲い、信者を捉えて之を鞭うち、また彼等の家庭に
「熱心につきては教会を迫害したるもの」という。然り、幾多の教会がなお揺藍の中にあるままに、彼の血
律法によれる義につきては責むべき所なかりし者なり。(六)
サウロはパリサイ人として忠実であった、また熱心であった。教会の迫害に於いて現われたる彼の熱心はその具体的の一例に過ぎない。彼は他の冒涜に対して律法を擁護せんが為に熱心であった。同時に自らその一点一画を実行せんが為に熱心であった。彼は人として守り得べき凡ての誡めを守った。勿論何人も完全に律法を守ることは出来ない。神の前に律法によれる義を認められん事は絶対に不可能である。その事はサウロもまた自ら告白している。曰く「律法によらではわれ罪を知らず、律法に貪るなかれと言わずば貪りを知らざりき。されど罪は機に乗じ、誡めによりて各種の貪りを我が衷に起こせり」と(ロマ七の七、八)。しかしながら神の立場があると共に又人の立場がある。神の見て甚だしく不完全となし給う者にして人の目に間然する所なき者がある。凡て
八日目に割礼を受けたる者、イスラエルの血統、ベニヤミンの族、へブル人より出でたるへブル人、しかして律法につきては厳格なるパリサイ人、熱心につきては最大なる教会迫害者、律法の義につきては責むべき所なき者、斯の如き者が彼であった。完全なる血統と遺憾なき経歴である。此の二箇の条件を兼ね備えたる者は
二 これを塵芥の如く思う
然るに意外!期待は悉く裏切られた。同僚の期待も世人の期待もまた古き両親の期待も、然りまた実に彼自身の期待もすべて見事に裏切られた。前途最も多望なる有為の好漢サウロは未だダマスコの門に入らざるに先だち、
此の驚くべき変化は如何にして起こったか。それには大いなる原因がなくてはならない。一言にしていえば、彼の心中にありし最も深刻なる煩悶が、キリストによりて完き解決を得たからである。誠にサウロにも煩悶があった。そは多分人のたましいの曾て経験したる最も深刻なる煩悶の一つであったであろう。彼の理想は義の獲得にあった。神の前に義しき人として立ち得ん事、これ彼の何よりも切なる願いであった。しかして彼は此の理想実現の途が律法の実行にある事を信じた。故に事いみじくも律法に関わらんか、彼は狂せんばかりに熱心であった。その基督者に対する恐るべき迫害の如きも
されどさきに我が益たりし事はキリストの為に損と思うに至れり。(七)
一たび此の経験を得て後
然り、我はわが主キリスト・イエスを識ることの優れたる為に、凡ての物を損なりと思い、彼の為に既に凡ての物を損せしが、これを塵芥の如く思う。(八)
ああ、我が主キリスト・イエス、彼を識り彼を我がものとすることの福いよ。彼の中に我が最も深き要求を満足せしむべき一切のものがある。否、我が眼未だ見ず、我が耳未だ聞かず、我が心未だ思わざりし貴きものが、彼にありて備えられているのである。彼にありて我は新しき生命に入った。彼にありて我はカより力に進みつつある。彼にありて我は恩恵に恩恵を加えられつつある。彼にありて我は栄光より栄光に進みつつある。此の至上の福祉に比較せんか、凡て此の世の成功幸福何かあらん、総理大臣又は大統領の地位何かあらん、カーネギー、ロスチャイルドの富何かあらん、人の空しき誉れ何かあらん、学位何かあらん、栄爵何かあらん、功業何かあらん、勢力何かあらん。これを慕う者をして勝手に慕わしめよ。ただ我にありては――我はすべてこれらの物を損となす、しかして彼キリストの為に既に凡ての物を損したのである、自ら抛棄したのである、その途は我が前に広く開きたりと雖も、我は惜しみなくこれを抛棄したのである。今や我に割礼はあるも無きに均し。我は特にへブル人ではない、パリサイ人ではない。我が優秀なる血統と経歴及びこれに基く現世的幸福の希望は今や一つも我が
パウロは斯の如くにして断じて人の期待に
三 キリストを識ることの優れたるため
パウロは惜しみなくその凡ての物を抛棄した。そは言う迄もなく或る一つの貴き真珠を手に入れんが為であった。かくも貴き真珠とはそもそも何か。彼は既に「キリストの為に」といい(七節)、「わが主キリスト・イエスを識る事の優れたる為に」といって(八節)、その名を明らかにしている。しかし彼が優秀なる血統、経歴等によって得べかりし此の世の成功の生涯に代えて、特に選び取りし新しき生涯の如何なる性質のものであるかについては更に
パウロは或る他の処にて同じ問題に対し最も簡潔なる答を与えて曰った「キリスト・イエスは神に立てられて我等の義と聖と贖い(身体の贖い)とに為り給えり」と(前コリント一の三〇)、又或る他の処に於いては同じ事を系統的教理的に
彼は此処にも大体に於いて三段に分かちて語る。第一はキリストを獲かつ彼に在るを認めらるる事である。
これキリストを獲、かつ律法による己が義ならで、ただキリストに対する信仰による義、即ち信仰に基きて神より賜わる義を保ちてキリストに在るを認められ、(九)
基督者の生涯は、まずキリストを我がものとして獲得し、而してキリストに在る者として神に認めらるるに始まる。キリストは自己を提供して我等をして彼を獲得せしむ。彼は曰った「我は生命のパンなり……汝等我が肉を食らい我が血を飲め」と。如何にして彼の肉を食らい彼の血を飲まんか、如何にして彼を獲得せんか、曰くただ彼を信ずるによってのみ、全き我を彼に委ぬるによってのみ。我等がキリストの生涯殊にその十字架上の死について知り、砕けたる心をもて彼の前にひれ伏し、「主よ今よりただ汝にのみ頼りまつる。願わくはこの僕を悉く汝のものとなし給え」との告白を発するその刹那より、我は彼を獲得して、彼は永遠に我がものと為るのである。
しかしてかくキリストを獲得すると共に神は直ちに我等を「キリストに在る」者として認め給う。即ち彼を信受したるその時より、我等もまた彼の性質を受けたる者、神の子として扱わるるのである。神は如何なる状態に着目して我等を斯の如くに扱い給うか。信仰の日より我等は全くキリストに似たるものと成るが故であるか。否、事実はその然らざる事を証明する。信仰によりて勿論我等のたましいは大いなる革命を経験する。しかし我等が一々の思想と言語と行為とは必ずしも直ちに変わらない。我等の生活はその原理に於いて本質に於いて根底に於いて確かにキリストに属するものと成る。しかしその個々の態様は未だ
何をか「律法による己が義」と言う。律法の中に定められたる凡ての誡めを自ら
ここに於いてか、キリストを獲得すると共に直ちに「彼に在る」者として認めらるるの意味がわかる。神は我等の側よりはただ信仰のみを要求し、而して凡て信ずる者には自ら義を着せ給うのである。我等に未だ行為はない、勿論律法による己が義はない、ただキリストを信ずる一つの信仰あるのみ。而してこの信仰により神より賜わる義を衣の如くに纏って、我等は安んじて神の前に進むのである。故に曰う「キリストを獲、かつ律法による己が義ならで、ただキリストに対する信仰による義、即ち信仰に基きて神より賜わる義を保ちてキリストに在るを認めらる」と。如何にしてキリストを獲たるのみにて直ちに彼に在るを認めらるるか、曰く神より賜わる義を保ちてである。後者は前者の奥義的説明である。
先ずキリストに在るを「認めらるる」に始まる基督者の生涯は、次にこれが実現に移る。神は初めに彼を義とし次に彼を聖め給う。我等はただに神より賜わる義を衣の如くに纏うのみならず、更に聖霊の力によりて己が生活を聖くせらる。これ即ちキリストの聖を我が上に実現する事である。パウロはここに此の事を称して「キリストを識る」と言った。そはただに知的に解するの意味ではない、「実験的に識る事」である(マイヤー)。故に「ただ自らキリストに似たる者と成るによりてのみ可能である」(アルフォード)。仮に「識る」の字に代えて「己が生活に於いて実現する」との語を以てせば、その大体の意味は一層明瞭を加えるであろう。
キリストと、その復活の力と、又その死に倣いて彼の苦難に与る事とを識り、(一〇)
キリストを我が生活に於いて実現する事である。殊に彼の復活の力と、彼の苦難に与る事とを、我が生活の上に実現する事である。これ基督者の生涯の第二の階梯であって、又その貴き特権である。
キリストを我が生活に於いて実現するという、彼の聖きが如くに聖く生くるという、果たして有り得べき事であろうか。そは我に取って過大の野心ではないか。何人か肉にある間罪より全く離れ得ようか。誠に我等は事実上未だ絶対に罪なき生涯に入りたる人あるを知らない。しかしながら事実有りしにもせよ、無かりしにもせよ、聖書は明言して言うのである、「肉によりて弱くなれる律法の成し能わぬ所を神は成し給えり。即ち己の子を罪ある肉の形にて罪の為に遣わし、肉に於いて罪を定め給えり。これ肉に従わず、霊に従いて歩む我等の中に律法の義の完うせられん為なり」と(ロマ八の二〜四)。肉にありながら罪なき生涯は絶無なりしと言うことなかれ。少なくともナザレのイエスの地上に於ける生涯はそれであった。彼は勿論神の独子であった。しかし同時に純粋なる人であった。彼の肉そのものに我等の肉との性質上の相違は断じて無かった。然るにも拘わらず、彼は全く罪なき聖き生涯を送りて、見事に肉に於いて罪を定めてしまった。しかして此の事実は独り彼のみならず、すべて彼の霊に従って歩む者の生活に於いて実現せんがために起こったのである。然り、我等もまた肉に従わず、聖霊に従って歩まば、律法の義を全うすべき生活に入ることが出来るのであると聖書は明言するのである。しかしてこれ実に我等の願いではないか。罪の痛みに堪え得る者は知らず、然らざる者は唯にキリストの贖いによりて罪あるまま義とせらるるの恩恵のみを以て満足することが出来るか。否、彼は更に前なる恩恵を慕う、みたまによって我が残れる罪を現実に悉く聖められんことを望む、我が生活の上にキリスト彼自身を実現せんことを欲する。我等が「キリストを獲かつ神の賜う義を保ちて彼に在るを認めらるる」は、
基督者生活の第二の階梯は「キリストを識り」の一語を以て尽きる。しかしパウロは己が実験に訴えて、なお少しく言い足さざるを得なかった。その生活は主として如何なる方面に特徴を有するか。曰く積極的には彼の復活の力の実現、曰く消極的には彼の苦難の参与の実現これである。
彼の復活の力とは何か。多くの聖書学者はこれを解して、キリストの復活が信者に対して有する所の効力であると言う。しかし前後の関係は明らかに別箇の解釈を要求する。キリストの復活の力は彼が復活したるその実力に外ならない。キリストに或る実力があった、それによって彼は復活した。如何なる実力ぞ。曰くみたまに充つる生命である。此の生命ありしが故に彼は復活せざるを得なかったのである。此の生命はこれを復活の力と呼ぶの最も適わしきを覚える。何となればこれ罪と死との法にうち勝つ実力であって、唯に体的復活を実現するの原因たるのみならず、また霊的復活を維持するの原因であるからである。体的復活と霊的復活とは縁故の遠きものではない、姉妹である。キリストの場合に勿論霊的復活の事実は無かりしと雖も而も彼の生命は畢竟霊的復活の生命の理想であった。即ち愛である、また勝利である。みたまによる愛と勝利との生命が彼の復活の力であったのである。而して我等が彼を実験によりて真に識る時我等もまたこの力を己がものとして実現せざるを得ない。我等もまた彼の如くにみたまによって罪の法を超越して歩む。我等もまた勝利の生涯に入る。我等もまた全き愛に向かって進む。
この積極的の一面が基督者生活の著るしき特徴にして且つ福いなる特権である事は言う迄もない。しかしながらキリストの足跡を踏む者に更に注意すべき又感謝すべき消極的の一面がある。何ぞ。曰う「又その死に倣いて彼の苦難に与る事を識り」と。キリストの苦難に我も与る事、彼の十字架上の死に於いて絶頂に達したる大いなる苦難に倣いて我もまた彼の為に苦しむ事である。彼を識りて而して此の事を識るほど当然なるはない。彼自身が「悲哀の人」であったのである。故に彼の苦難に与らずして彼を我が生活の上に実現することは出来ない。我等がキリストを識るの程度は、彼の為に負いし苦難の程度に比例する。彼と酒杯を共にする者にして始めて
主の飲み給いし酒杯に我も与るという、ああ、これ如何ばかりの特権ぞ、名誉ぞ、福祉ぞ。心真に主を愛する者は此の特権、名誉、福祉に与らずしては已むことが出来ない。愛は労苦を要求する。愛する者の為に苦しまずして、我に果たすべきの
主にのみ十字架を負わせまつり、
我知らずがおにあるべきかは。
然り、我知らずがおにあるべきかは。我もまた彼に似たる十字架を負わんと欲する。我はこれを負わせられん事を祈る。これ
基督者生活の第三の階梯は復活である。
如何にもして死人の中より甦ることを得んが為なり。(一一)
始めに義とせられ、次に聖めらる。何れも偉大なる恩恵である。しかしながら基督者の生涯はこれを以て終るべきでない。そは最後には完全にして永遠なるものと成らねばならぬ。神の完きが如くに完く、神の在るが如くに永遠に亙りて朽ちざる生涯と成らねばならぬ。これ実に人の理想である。基督者は遂に此の理想に達せずして満足することが出来ない。しかして神は必ずその子等を此処に達せしめ給う。父なる神は必ず彼等をして全く己に似たる者たらしめ給う。
完全にして永遠なる生涯を我等が現在の状態に於いて直ちに実現することは出来ない。何となれば現在の肉体はその機関として余りに不完全にして且つ早晩朽つべきものであるからである。此の肉体にありて、我等は霊に従って歩むことが出来る、キリストの地上生活を兎に角或る程度まで実現することが出来る、彼の如くに世に勝つことが出来る、彼の苦難に与ることが出来る。しかしながら遂にこれ不完全にして且つ暫時的たるを免れない。我等が理想の生涯はまた理想的なる身体を要求する、
キリストは復活した。彼は一たび死して葬られたりと雖も、三日目の朝に至りその身体は朽ちざるものに化せられて、新しき生命を獲得し、屡々弟子等の前に現われ、遂に天に昇った。事は拒むに由なき歴史的事実である。然り、彼は確かに死者の中より甦った。彼はその完全なる復活体を以て今も神と共に生きつつある。彼の肉の日に於ける霊に充ちたる生命の故に神は彼を復活せしめずして措く能わなかったのである。然らば乃ち彼を識り彼を己に実現するの生涯もまた此の終局に達せずして已むことを得ようか。「もしイエスを死人の中より甦らせ給いし者のみたま汝等の中に宿り給わばキリスト・イエスを死人の中より甦らせ給いし者は、汝等の中に宿り給うみたまによりて汝等の死ぬべき体をも生かし給わん」(ロマ八の一一)。「されどまさしくキリストは死人の中より甦り、眠りたる者の初穂と成り給えり」(前コリント一五の二〇)。彼の復活は我等の初穂である。彼の如くに我等もまたいつか復活して堂々と死より凱旋する。しかして彼に似たる者と成りて完全なる永遠なる生涯に入る。
ああ復活、しかしてこれに伴う来世の生涯、涙は悉く拭われ、再び死もなく、悲歎も号叫も苦痛もなき生涯、世々「神と羔とに
第一に「キリストを獲、かつ律法による己が義ならで、唯キリストに対する信仰による義、即ち信仰に基きて神より賜わる義を保ちてキリストに在るを認められ」、第二に「キリストと、その復活の力と、又その死に倣いて彼の苦難に与る事とを識り」、而して第三に「如何にもして死人の中より甦ることを得」る、これ即ち基督者の生涯の輪廓である。此の一つの真珠を得んが為に、パウロは己が
四 後のものを忘れ前のものに向かって励みつつ
パウロは既に善きかたを選んだ。こは彼より奪うべからざるものである。彼は今(ピリピ書を認めし時)繋がれてロマの獄にある、しかしてたとえロマ皇帝よりその地位を交換せん事を申込まるるとも、勿論これに応ずべくもなかった。キリストに在るの生涯は全世界の帝王たるよりもなお限りなく貴くある。
しかしながら此の貴き生涯は既に悉くこれを取れりと言うことは出来ない。如何なる基督者も既に全き生活に入れりと言うことは出来ない。何となれば基督者生活に三段の階梯ありて、何人も未だその終局に達しないからである。我等の完全にして永遠なる生活の開始はなお全く未来に属する。キリスト再び来たりて我等の身体を栄化し給う時にのみ此の事が成就する。しかのみならず、現世にありてキリストを識り、彼の復活の力を味わい、聖名の為になやみを受けて彼の苦難に与る事も、また未だ決して十分ではない。我等の肉体を以てキリストの聖き地上生活を再現せんが為には限りなき進歩を必要とする。故に唯に我等の来世生活が全く把握の外にあるのみならず、現世生活そのものにも性質上なお辿るべき無限の前途があるのである。基督者生活の完成は畢竟未来の問題である。
われ既に取れり、既に全うせられたりと言うにあらず、唯これを捉えんとて追い求む。キリストはこれを得させんとて我を捉え給えり。(一二)
未来の問題である。故に我はこれ(基督者生活の完成)を捉えんとの期待を以て疾駆しつつ追求するのである(追求の原語にこの意味がある)。しかして我がこの期待は空しきものではない。何となれば我をしてかく努力せしむるものは我自身に非ずして、キリストであるからである。彼は我をして完全なる生活を捉えしめんが為にまず我自身を捉え給うたのである。その時まで我が捉えんとして追求したるものは此の世に於ける成功であった。然るにキリスト来たりてその偉大なる手をもて我を捉え、しかして我が追求の方向を一変せしめた。今や我が目と我が手とが地にあるものを離れて天にあるものに向かうに至りしは即ち彼の捕捉の結果に外ならない。彼が我をして追求せしむるのである。故に確実である、信頼するに足る。問題は未来に属すると雖もなお確実である(始めに「取る」といい、後に「捉え」というも、意味に変わりはない。ただキリストに捉えられたるの事実に関連せしめんがため言い換えしのみ)。
未来である、しかして確実である。ここに於いてか「希望」なきを得ない。希望は唯に欲求ではない、また期待ではない。必ず充たさるべき欲求、確実なる未来に対する期待、これを称して希望という。基督者生活は希望の生活である。然り、そは実に大いなる希望の生活である。
兄弟よ、我は既に捉えたりと思わず、唯この一事を務む、即ち後のものを忘れ、前のものに向かいて励みつつ、標準 を指して進み、キリスト・イエスによりての神の高き召しにかかわる褒美を得んとするなり。(一三、一四)
基督者生活が希望の生活なる事を力説せんと欲して、パウロはその心に或る喜ばしき緊張を覚えた。故に彼は特に「兄弟よ」と呼びかけて書翰の読者の注意を促した。彼の筆に此の一語の上る時、そは必ず問題の軽からざる事を暗示する。
彼は力強く繰り返して曰った「我は既に捉えたりと思わず」と。彼は既に基督者生活を送ること三十年、最も忠実なる主の僕として、はた偉大なる異邦人伝道者として、何人も及ばざる高き途を歩みつつあった。キリストに在る栄光の生涯の記録に於いて、とこしえに日の如く輝くものは、実に聖パウロの名である。彼は基督者生活の開拓者であった、世界教化の先導者であった、基督教の定礎者であった、霊界のチャンピオンであった。然るにも拘わらず、彼は自ら言うのである「我は既に捉えたりと思わず」と。彼の如き多くの名誉ある記憶を以てして、彼はなお自己の生活について満足しなかった。彼の既に実現したる凡ての貴きものも、一たびこれを彼の理想たる基督者生活の完成に照らす時は未だ言うに足らぬものであった。もしこれを不満といいべくば、貴き不満である。パウロは曾て一たびも自己の過去と現在とについて満足を感じなかったのである。
然り、彼の如きは徹底的なる希望の子であった。彼は多くの凡人の如くに現在に於いて生きなかった。また多くの偉人の如くに過去に於いて生きなかった。彼はただ未来に於いて生きた。彼にとって人生殊に基督者の生涯は恰も競走者の境遇であった。競走者の眼中前途に立てる目標のほか何もない。彼には過去もない、現在もない、誰か競走中立ち止まり振り返りて我が来し方を眺むる者があろうか。我は既に幾ばくの途を辿りしかを彼は知らない、また知る必要がない。彼はただ知る、未だ目標を捉えざる事を。此の事を彼は刻々に自覚しつつある。故にこれを捉える迄は、唯一事を務むるのみ、即ち我が後ろの行程を忘れ、前途に向かって身を提しつつひたすらに目標を目指して
パウロは未だ目標を捉えざる事を自覚する。故に唯一事のみを務めた。彼は此の世に在って種々の事を為そうとしなかった。彼はその精神をかの事この事に分たずして、唯一つの事に向かって集中した。しかしてこれ実に力の秘訣である。力は統一と共にある。分裂のある所に何があっても力は無い。パウロは何故に力の所有者であったか。何故に彼は今より千九百年前の交通至難なる日に、欧亜に跨る前後三回の大伝道旅行を試み、到る所の都市に福音を浸潤せしめ、一人にして能く幾千のたましいを生命に導き、基督教をして全人類のものたらしむるの基を据えたるが如き、異常なる力の所有者であったか。他なし、聖霊彼に臨みて、彼の全精神を唯一事に集中せしめたからである。
斯く彼は一元的生活者であった。しかしてその一事とは何ぞ、曰く「後のものを忘れ、前のものに向かって励みつつ、標準を指して進む」事これである。競走者パウロはすべて後のものを忘れた、即ち基督者生活に於いて自己の今日まで辿り来たりしすべての行程を忘れた。我は品性に於いて幾ばくの進歩を為したか、我は伝道の為に如何ばかりの力を尽くしたか、幾人の霊魂に福音を伝えたか、幾つの教会を創設したか、幾通の手紙を書いたか、幾千哩の旅行を為したか、我は聖名の為に如何ばかりの迫害を受けたか、如何に艱難に堪えたか、如何に誘惑を斥けたか。凡そ之等過去に於ける自己の成業を顧みんには、何人よりも快心の笑みを湛え得べき者はパウロであった。しかしながら彼は一つも之等過去のものを顧みなかった、顧みるの余裕が彼には無かった。未だ目標を捉えずしてなお競走中にありながら悠々として頭を後に廻すが如きは彼には堪えがたき遊戯であったのである。故に彼は決して老人めきたる過去回憶に耽らなかった。彼は自己の業績を悉く忘れてしまった(また勿論過去の失敗を追想してくよくよ思い煩うが如き非信仰的心理を知らなかった)。彼は多分思ったであろう、かの日来たりて、我が競走の終りし後に、我は緩々来し方を顧みて楽しまんと。
後のものを忘れたるパウロの心はそれだけ前のものにあった。前のものとは何ぞ、前に残れる馳場である、即ち基督者生活の完成に於いて未だ実現せざるすべての高き階梯である。パウロの前途に無限の進歩的未来があった。彼は一歩を進むる毎に更に新しき、広き、高き光景の己が前に当りて展開するを見た。しかしながら彼はこれを見て唯に失望しなかったばかりでない、却って基督者に与えられたる馳場の遠大なるを讃美し感謝した。しかして恰も競走者が前方に身を提して(励みと訳せられし語に此の意味がある)進むが如く、パウロの心もまた常に前方に提進しつつあった。彼は断えず望んだ、求めた、憧れた。彼は永久の青年であった。彼の心情は暮れざる春であった、其処には新しき芽がいつも萌え出ておった、理想の花が凋むことはなかった、希望の歌が消える時はなかった。更に深き愛、更に聖き行い、更に大いなる活動を彼は求めた。殊に又キリストの再臨と天国の実現と永遠の生活とを望んで心焦がれた。誠にただ希望に於いて生きたるものは彼パウロであった。
しかして斯く後のものを忘れ、前のものに向かって励みつつ、彼の目指して進み往きたる目標は何であったか。目標なくして競走者は走ることが出来ない。目標は明確なるを要する、具体的なるを要する。人生の偉大なる競走者パウロの目標は果たして何であったか。それは単に漠然たる抽象的の「完全」ではなかった。むしろ完全なる人であった。即ちキリストであった。キリストの生涯が彼の明確にして具体的なる唯一の目標であった。これを狙って彼はまっしぐらに突進した。彼処に到達したる時に彼の競走は終りて、彼は貴き勝利の冠を戴くのである。キリストの如くに成らん事、キリストの生涯に似たる生涯に入らん事、彼の如くに神に従い、彼の如くに人を愛せん事、彼の如くに朽ちざる復活体を
競走は言う迄もなく勝利を得んが為である。しかして勝利は必ず褒美を伴う。褒美と勝利とは勿論同一ではない。褒美は如何に卑しくとも、勝利は貴きものたる事がある。しかしながら原則として褒美は勝利の表彰である。貴き勝利には貴き褒美がある。勝利の性質は褒美の如何によって知ることが出来る。従って勝利を目的とする競走者の心に、褒美は大いなる影響を与えざるを得ない。
キリストに在る競走者の受くべき褒美は何であるか。パウロはここにその実体については語らずして、ただそれが如何に貴きものであるかを説明している。曰う「キリスト・イエスによりての神の高き召しにかかわる褒美」と。彼はキリスト・イエスによりて神の高き召しに与った。彼自らは優秀なるパリサイ人として此の世に於いて成功せん事を求めつつありし時、意外にも神はキリストを遣わして彼を召し給うた。即ちダマスコの途にて「サウロ、サウロ」との声の彼の耳に響きし以来、彼は世より呼び出されて、全く新たなる途についた。その時神は既に或る褒美を備えて、これを与えんが為に彼を呼び給うたのであるという。乃ち知る、彼の受くべき褒美はいわば神の彼を召し給いし主なる理由である事を。従ってそは彼の召されし以来世を去る時に至るまでの凡ての悪戦苦闘に酬いるに足るものである事を。
然らば何ぞ。「彼等は朽つる冠を得んが為なれど、我等は朽ちぬ冠を得んが為にこれ(競走)をなすなり」(前コリント九の二五)。「我は今供物として血を注がんとす。わが去るべき時は近づけり。……今よりのち義の冠わが為に備われり」(後テモテ四の七、八)。「汝死に至るまで忠実なれ。さらばわれ汝に生命の冠を与えん」(黙示録二の一〇)。冠である、名誉の月桂冠である。但し
福いなるかな、タルソのサウロ。しかして彼の経験は又実にすべての基督者の経験であるべきである。
〔第七号、一九二〇年一二月〕
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