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「信仰生活」

第八 慕う所は天にあり

藤井武
Takeshi Fujii



一 信仰の本領

現代思想と信仰生活

十九世紀に於ける最も目覚ましき現象の一つは生物学及び歴史学の発達であった。ヘーゲルが一たび歴史の哲学的価値を高唱して以来、歴史研究の潮は大浪うちて動き出した。同時に前世紀以来断えざる進歩を続けつつありし自然科学殊に生物学は、ダーウィンの努力を機会としてみに躍進を始め、殆ど抵抗しがたき勢いを以て人心を支配するに至った。現代人の思想を形成すべく最大の影響を与えたるものは、近時の生物学及び歴史的研究の発達であるといって略々誤らない事を我等は信ずる。

生物学と而して歴史的研究である。前者の対象は見得べき物であって、後者の領分は限られたる時である。生物学は霊界には通用しない。歴史的研究は永遠の世とは没交渉である。ここに於いてか之等の二大勢力によって支配せらるる現代人の思想は自ら唯物的にして且つ現世的ならざるを得ない。ハックスレーは曰った、「現代に於ける科学の進歩は何を意味するか。それは我等が霊魂と呼ぶ所のものを人類の思想のあらゆる地方より駆逐する事である」と。ルナンがその著『イエス伝』中、墓中のイエスを叙し終らんとするの言に曰く「弟子等は彼の復活を信じた。しかしながら歴史家に取っては、イエスの生涯は彼の最後の呻吟を以て終ったのである」と。誠に現代人の思想と縁遠きものにして復活又は来世、霊魂又は贖罪等の如きはない。十八世紀の中頃バットラーが基督教の天啓を論ぜし頃に至る迄は、なお死後の生活の如きは何人も怪しまざる前提として取扱われたのである。然るに今は基督者又はその教師と称する者さえ多く之を信じない。現代人の着眼は専ら現世に於いてある。その確信は主として試験管内の反応又は顕微鏡下の映画より来る。すべて永遠なるもの又は見えざるものは最早や彼等の心中にその地位を見出さないのである。

しかしながら現世的にして唯物的なる現代思想必ずしも悉く排斥すべきではない。その中に又或る捨てがたき一面がある。何か。曰く経験の尊重これである。生物学と歴史的研究とによって養われたる心は、経験の範囲に移し得ざる何物をも確実と見ることが出来ない。故に凡ての真理を己が経験上に実現せんと欲するは現代人の強き要求である。彼等は伝統的教理をそのまま受入るるに堪えない。彼等はその足を地より浮かして、手の届かざる真理に垂れ下るに堪えない。彼等は免に角己が心臓に訴える限りを信ぜんと欲する。彼等は少なくとも事実を以て証明し得べきだけを告白せんと欲する。如何に深遠なる真理と雖も、もし実験に基かざるもの、又は自己の遂に経験し得べからざるものならんか、乃ち彼等に取っては鳴る鐘や響く繞鉢にょうはちと異ならないのである。しかして我等は大体に於いて現代人の此の特徴を貴しとする。たとえ如何なる真理にもせよ、自己の良心の深き所に触れて其処に確かなる反響を見出さざる限り、何人も実際上未だ之を我がものとすることは出来ないのである。実験と没交渉なる教理又は信仰箇条は、確かに空虚に非ずんば乃ち虚偽たるを免れない。

現代人は経験の中に生きる。此の点に於いて彼等は正しくある。しかしながら彼等の経験の対象は何か。現世殊に現在である、また物質である。彼等の心は地を離れない。彼等の眼光は見ゆる物の裏にまで徹しない。現世以上更に確実なる永遠の生活については、彼等は遂に何ものをも実験することを知らない。物質の下に於ける最も深刻なる霊の働きもまた、彼等の認識の届かざる所にある。経験を重んずるは現代人の優れたる特徴であるにも拘わらず彼等の経験そのものは余りに浅薄である。此の世と物!此の世を住み心地よき所たらしめん事、物を豊かならしめん事、およそ此辺に現代人の努力は存在するのである。うべなり、社会主義又は社会問題の今に至て隆盛を極むること。社会組織の改造により経済的欠陥を除去する事を以て人生の最大問題となすが如きは、けだし呪われたる現代精神の見苦しき錯乱である。

何故に現代人は「経験」を重んじながら、殆どその名にも値せざる平凡なる経験を以て満足するのであるか。彼等は何故に永遠の生活を現実化することが出来ないか。何故に物的宇宙の根底たる霊の世界の消息に参与することが出来ないか。経験の最も深きものは、永遠を味わうにある、神と交わるにある。しかして之を可能ならしむる所以はただ一つあるのみ。即ち信仰である。信仰の欠乏、これ現代人の経験を浅薄ならしむる唯一の原因である。

それ信仰は望む所を確信し、見ぬ物を真実とするなり。(ヘブル二の一)

信仰生活もまた実験の生活である。それは空しき想像ではない、いたずらなる思索ではない。意思と感情と理性とを以て成る全心全人格の上に確実なる反響を有する実験である。此の点に於いて信仰は哲学又は芸術と全然その性質を異にし、却って科学と範疇を均しくする。信仰を以て主観的の心理作用に過ぎずとなすものは誰か。少なくとも基督教の信仰については、之より甚だしき誤解はない。真実なる信仰は万人の実験を以て証明し得べき客観的事実である。然り、信仰は実験である。ここに「確信し」また「真実とする」と訳せられし二箇の原語が明らかに此の事を表示する。

「確信し」の原語 hypostasis は又「実体」を意味する。故に或いは此の一句を訳して「信仰は望む所のものの実体なり」と言う(英訳聖書参照)。蓋し信仰によって未来のものが現実に存在すると同様の地位に立たしめらるとの意である。「実体」に代えて仮に「現実化」といわば、その義一層明白であろう。近頃エジプトの墳墓より発掘せられし遺物によれば、此の原語は新約聖書の記されたる時代に於ける一箇の法律語であって、地券即ち土地を代表する権利証書のいいであったという。依て知る、此の語を訳して「確信」というも、それは単に主観的の確信ではなくして、客観的の確実性を有する確信であることを。換言すれば、信仰によって我等は或るもの(望む所)を自ら実験し而して之を確信するのである。

次に「真実とする」という。その原語 elenchos もまた特別に強き意味を有する。即ちそれは「証拠」又は「証明」の意に於いて用いらるる哲学上の用語である。故に前の句と同様に又此の句を訳して「信仰は見ざる物の証拠なり」とも言う。信仰によって我等の目に見えざるものが他に何の証明をも要せざる確実性を帯びしめらるとの意である。本文の訳語としては邦訳聖書の如く前の語を「確信し」といい此の語を「真実とするなり」と言いて適当たるを失わぬであろう(改正英訳参照)。しかし此の場合に於いてもまた「真実とする」は単に主観的の独断によるのではない、客観的の証明に基くのである。信仰そのものが即ち証明である。換言すれば、信仰によって我等は或るもの(見ざるもの)を自ら実験し従って之を真実とせざるを得ないのである。

斯の如く信仰生活は実験の生活である。信者はいたずらに想像しない、彼は実験によって確信する。信者は妄に独断しない、彼は実験によって真実とする。自己の経験の中に生くるの点に於いて、基督者と現代人とは甚だ相似たる性質を有する。しかしながら最も注意すべきは、経験の対象如何である。現代人の経験の現世的唯物的なるに対し、基督者の経験の対象は何であるか。曰く「望む所」である、曰く「見ざるもの」である。即ち未来殊に来世永遠の生活である、また霊界の事殊に救贖に関する神の摂理である。均しく経験に生くると雖も、現代人の心暫くも境遇を離れず、その目常に地に向かって注がるるとは正反対に、基督者の心は断えず未来にかかるのである、その目はいつも天に向かって注がるるのである。基督者は信仰によって「望む所」を実験し而して之を確信する。即ち信仰によって未来の希望は鮮やかに彼に啓示せられ、しかして之を啓示する者は昨日も今日も永遠までも変わらざる神であることの十分なる理由があるのみならず、その希望は彼の全心を充たして尚余りあるものであるが故に、之を以て己が人生観の基調となさざるを得ないのである。また基督者は信仰によって「見ざるもの」を実験し而して之を真実とする。即ち信仰によって霊界の事実は明確に彼に啓示せられ、しかして之を啓示する者は恩恵と真実との神であることを疑うべき理由がないのみならず、その真理は必ず彼の最も深き霊性を満足せしむるに足るものであるが故に、之を以て己が生涯の根本的法則となさざるを得ないのである。

貴き生活とは何か

その確信は「望む所」にあり、その真理は「見ざるもの」にある。かくて基督者は此の世の人殊に現代人の経験せざるものを経験する。しかして「望む所」及び「見ざるもの」と、現に在る所及び見ゆるものとは全く別個の原理によって支配せらる。前者の上に行わるるは永遠、神秘、超自然の法則である。後者の上には主として暫時的又は機械的又は自然的なる法則の行わるるに過ぎない。故に或る人の人生観が二者の何れを本位とするかによって彼の生涯は全然別種の趣を呈せざるを得ない。来世と霊とを重んずる基督者は其の思想に於いて言語に於いて行動に於いて、現世と物とを重んずる世の人殊に現代人の到底解する能わざる途を辿る。世の人が歓楽に耽りつつある時、彼等は何事をか悲しみつつあるのである。世の人が不安失望の谷に沈む時彼等は不思議にも平安の峰にありて希望の歌をうたうのである。何故に多数者の感ずる不安を彼等は感じないか。何故に此の世の歓楽の筵に彼等は携わらないか。世の人はその理由を解しない。故に嘲って曰う、愚である、狂であると。

愚か、狂か。信仰生活の価値果たして如何。誰かよく之を断定し得るものぞ。神ならずして、何人か正しき判断を下し得るものぞ。しかして我等は知る、人の目に愚にして狂なる信仰生活こそ、神の前にはいと美しき誉れを受くべきものであることを。

古の人は之によりて証せられたり。(二)

人の前にあらず神の前に、如何なる生活が貴き生活であるかは、ただ神の証明によってのみ之を知ることが出来る。神の証明という。何処にさるものがあるか。曰く聖書中にある。神の霊感によりて成りし聖書中に証明せらるる生涯こそ、紛れもなく聖旨にかなうものであると断ぜざるを得ない。故にもし貴き生涯の謬らざる実例を見んと欲せば、ただ聖書に於いて証せられたる古の人の生涯に之を探るべきである(本文の場合にありては勿論旧約聖書である)。

然らば問う、古の人が神に証せられたるは何によりしか。それは事業ではなかった、知識でもなかった、道徳でもなかった。ただ信仰であった。曰く「之によりて証せられたり」と。之、即ち望む所を確信し見ざるものを真実とする信仰である。その目を天につけて歩みたる信仰生活である、此の世の人より愚よ狂よと嘲られたる超自然的生活である。それが何よりも神を悦ばしめたる生涯であると聖書は大なる文字を以て我等の前に立証するのである。誠に貴き証明である。神に悦ばれんが為に、我等は「肉によれる智き者」たるを要しない。「能力ある者」たるを要しない。「貴き者」たるを要しない。ただ信ずる者たるを以て足る。これ何人にも能わざることなき生活である。多くの場合に於いて神は却って「智き者を辱かしめんとて世の愚かなる者を選び、強き者を辱かしめんとて弱き者を選び、有る者を亡ぼさんとて世の卑しき者、軽んぜらるる者、即ち無きが如き者を選び給」う。彼等はただ信仰によって望む所を確信し見ざる物を真実としつつ日々を送ればよいのである。この狂愚に似たる信仰的生涯こそ人の生涯の最も貴きものである。神は大いなる満足を以て彼等を受け、何かの方法により親しくその旨を彼等に示し、以て証となし給うのである。之に反して、信仰によらざる如何なる華々しき生涯も神に悦ばれない。たとえ此の世の歴史に特筆大書せらるるとも、信仰なき生涯は畢竟神の前に虚しきものたらざるを得ない。

信仰的宇宙観

ここに於いてヘブル書記者は旧約聖書中より信仰的生涯の実例を列挙せんと欲する。それ等は何れも信仰によりて世の人と全く趣を異にする経験を味わいしものである。しかして経験の内容は一々相異なると雖も、均しく一箇の大いなる基礎的経験の上に立つのである。独り旧約の聖徒等のみではない。何時の世何処の国たるを問わず、凡ての信者の経験が皆そうである。故に記者は個々の生涯に入るに先だちてまず此の共通なる基礎的経験を一言している。

信仰によりて、我等は諸々の世界の神の言にて造られ、見える物の顕わるる物より成らざるを悟る。(三)

これ即ち信者の宇宙観である。全宇宙――時間的にも場所的にも最も広き意義に於ける宇宙――の根本の立場に関する了解である。凡ての信仰的経験はみな此の大いなる宇宙観に基づく。しかして或るものの根本の立場は、それが如何なる原理によりて成立したるか、又如何なる本源より流れ出でたるかによって定まる。

我等の宇宙は如何なる原理によりて成立したのであるか。タレース、プラトー、アリストートルを始めとして、幾多の哲学者物理学者等がその説明を試みたるに拘わらず、何人も真相を穿つことが出来なかった。然るに我等はただ信仰によって此の深遠なる問題に関する啓示を受入れ、恰も造化の当初に於ける目撃者であるかのように、之を我が実験的知識となすことが出来るのである。即ち諸の世界は神の言によって造られたのである。ここに「世界」と訳せられたる原語は常に時間的の観念を有する。多くの場合に於いて、寧ろ「時代」と訳するが適当である。「諸の世界」とは宇宙を歴史的に観察して、凡ての時代を包括したる観念である。ベンゲルこれを遺憾なく説明して曰う、「偉大なる複数である。天地がその目標に達する迄の筋途と、天地間に存在する或いは見える或いは見えざる万物と、その筋途の尽くされし時に於ける永遠の状態と、而して又その後に起こることあるべき凡ての変化と、之等一切のものを示す語である」と。斯の如きものが「諸の世界」である。しかして我等は信仰によって知る、この諸の世界を造り(組立て)たる力は神の言である事を。言は此の場合には命令であった、即ち意思の発表であった。神は万物の各部及び全部の構造と、その万世に亙りての断えざる摂理とを、驚くべき調和を以て組立つべく、まず己が意思を決定し、然る後此の意思を発表して、以て其の全能の力により之を実現し給うたのである。故にただ万物の存在その事のみではない、それが遂に未来永遠に達すべき筋途まで、一つとして愛なる神の意思の外に出ることが出来ないのである。「諸の世界は神の言にて造らる」という。語は短しと雖もその事実の偉大さよ。しかして神を信ずる者に取っては此の事実は如何にしても疑うべからざる実験的知識である。彼は恰も二二ヶ四の真理を悟ると同様なる確実さを以て、此の偉大なる事実を悟るのである。

かく諸の世界の造られたるは神の意思の発表による。然らば万物の本源の何処にあるかは自ずから明らかである。見えざる物については言う迄もなく、見える物さえ素々もともと顕わるる物を本源として出でたのではない。顕われざるもの、我等の感覚を超越したる或るものより成ったのである。それは何か。神の思想(観念)である。諸の世界が神の言によって造られたるものである以上、現実の世界の実現するに先だちて、その原型としての観念の世界が神の心の中にあったに相違ない。見える万物は顕われざる此の観念を本として成ったのである。神は己が言の力によって、己が思想の中より、現実の宇宙を引出したのである。造化の原理は神の言にある、その本源は神の観念にある。

神の言によって造られたる宇宙は、遂に彼の意思のままに完うせらるるであろう。神の観念より成りたる万物は、一つとして彼の知らざるものを含まないであろう。凡ては神の知る所であって、しかしてまた彼の欲する所に向かって進みつつある。基督者の宇宙観は之である。彼は信仰によりて実験的に之を知る。信仰生活の箇々の内容は相異なるであろう。しかし此の基礎的経験に至っては何人も変わらない。すべて神を信ずる者は、宇宙を斯の如くに見るが故に、世の人の如く現に在るもの又は見える物に捕らわれない。彼の心は望む所にあり。彼の目は見ざる物につく。

二 旧約時代信仰史大観

歴史の中心

へブル書十一章四節以下は、旧約聖書中より拾録せられたる信仰的生涯の列挙である。記者は素より例示の目的を以て之を掲げたに過ぎない。しかしながら其の着眼の深さよ。歴史上何の意味もなく見える事実さえ、ここには貴き光を発して現わるるのである。誠に或る人の言うが如く、これ旧約聖書の優れたる摘要である。

歴史の理想的編纂法は、地上に起こりし多くの国民及び出来事のうち全体に対して中心的地位を占むるものを選びて記述するにあるとは、近世史家ランケの教えたる卓見であるが、古き聖書記者の歴史観は常に之であった。彼等は人類の歴史が或る時まではユダヤ人を中心として、然る後に主として異邦人より成る基督者が之に代わりて、最後には再びユダヤ人に中心が復帰して、動くべきことを知った。しかして地上の出来事として中心的地位を占むべきものは政治又は戦争又は芸術ではない、信仰である。神が諸の世界を造りて之を導く限り人と神との結合なる信仰が最も重要なる地位に立つは当然である。国民として或る時まではユダヤ人、次に基督者、最後にたユダヤ人が中心となるもまた彼等の信仰の故に外ならない。人類歴史は実に信仰生活を中心として動きつつあるのである。従ってへブル書十一章の如きは、理想的歴史観の良き見本であると言うことが出来る。

歴史の中心は政治ではない、戦争でもない、文芸でもない、信仰である。一たび此の見地に立ちて、即ち信仰の峰に立ちて、人類歴史の野を大観せんか、その光景は普通歴史の場合に於けると全然一変する。多くの所謂いわゆる大立物は此処にはその華々しき姿を失い、却って彼等の後ろに隠れて見えざりし小さき男女が星の如くに輝き出づるのである。

我等は暫くヘブル書記者と共に、信仰の峰より眸を放ちて旧約時代の歴史のパノラマを見渡そうと思う。

アベルの信仰

信仰によりて、アベルはカインよりも勝れる犠牲を神に献げ、之によりて正しと証せられたり。神その供物につきて証し給えばなり。彼は死ぬれども、信仰によりて今なお語る。(四)

見渡せば遠く遠く地平線のほとり、歴史の視界の将に尽きんとする所に、一人の牧羊者の其の手に何か犠牲を携えて神を礼拝しつつあるを見る。アダムの子アベルである。彼は神の前に於ける己が罪の責任を深刻に意識した。しかして信仰によって遂に或る啓示を受けた。それは尚漠然たりとはいえ極めて貴き経験であった。何人かの血による犠牲を以てするに非ざれば、罪の始末は付かないとの真理之である。彼は勿論その大いなる犠牲者の誰であるかを知らなかったであろう。しかし何時か事の実現すべきを確信した。犠牲者の出現(望む所)と罪の贖い(見ざるもの)、アベルの目は其処に向かった。乃ち彼はその信仰を象徴せんが為に、羊の初生の肥えたるものを選び、之を屠りて神に献げたのである。此の供物は疑いもなく兄カインのそれに勝るものであった。カインは今日多数の所謂信者の如く、ただ形式的に之を為したに過ぎない。従ってその供える所も何の特徴なき通常の産物に過ぎなかった。

罪の自覚と犠牲の必要に関する意識、それは普通人の目に愚かなるものであること、六千年の昔も今と多く変わりはなかったであろう。しかし神は之をみして、特にその供物につき何か顕然たる証明の徴を与え給うた(創世四の四)。かくて数えるに足らぬ原始の牧羊者の名は天の記録の第一頁に掲げられたのである。

アベルはカインの殺す所となって世を去った。しかしその信仰の故に神はとこしえに彼を顧み給う。神は自ら其の事を証して曰く「アベルの血の声地より我に叫べり」と(創世四の一〇)。彼は即ち信仰によりて今なお語るのである(へブル一二の二四参照)。

エノクの信仰

信仰によりて、エノクは死を見ぬように移されたり。神之を移し給いたれば見出されざりき。その移さるる前に神に喜ばるる事を証せられたり。信仰なくしては神に悦ばるること能わず。そは神に来たる者は、神の在すことと神の己を求むる者に報い給うこととを必ず信ずべければなり。(五、六)

罪の意識に胸うてるアベルを見送りて、我等は次に最も超然たる歩みを運べる一人を見る。アダムより七代目のエノクである。彼の生活は神と共に歩むの生活であった(創世五の二四)。人がその友とかおを合わせて共に語り、互いにその心を悦ばせんとつとむるが如く、彼は常に見えざる友と面を合わせて語った。しかしてその心を悦ばせんとつとめた(創世記に「神と共に歩む」とある語を七十人訳は「神に悦ばる」又は「神を悦ばせんと力む」の意に訳している)。エノクは何人よりも神と親しくあった。彼の全生涯が神の感化の下にあった。従ってその最後もまた普通人と全く異なる経験であった。主の手に引かれつつ此の世を超越して歩みし彼は、また主の手に引かれつつ人の知らざる中にそのまま後世に移されて了ったのである(我等はこの経験の内容を知らない。しかしそれは死の特別なる一種ではなくして、死と性質を異にする奇蹟であったと見ざるを得ない)。斯の如き生涯とその最後とは、一方より見れば彼の信仰の表現であって、他方より見れば之に対する神の満足の証明であった。唯に死を見ずして移されたる最後の奇蹟のみならず、移さるる前に神が彼の親しき友となりて歩み給いしその事が、彼の信仰に対する神の証明であったのである。

エノクの生涯によりて一しお確かめらるる真理は、神に悦ばるるは信仰のみによるとの事之である。蓋しエノクの神に悦ばれたるは、ただ彼が友に近づく如くに親しく神に来たりしが故に外ならなかった。しかして凡て彼の如く神に来たる者は、勿論真の神の見えざる所にありて実在し給う事と、また彼を求むる者には彼に適わしき恵みを以て報い給う事とを信ずる者であるに相違ないからである。エノクはこの信仰によって静かに神と共に歩んだ、しかしてただ之によって神に悦ばれた。

ノアの信仰

信仰によりて、ノアは未だ見ざる事につきて御告みつげを蒙り、かしこみて、その家の者を救わん為に方舟を造り、且つ之によりて世の罪を定め、また信仰による義の世嗣となれり。(七)

世界歴史の一紀元たる大洪水の彼岸に於ける最後の信仰生活である。ただ見る、一人の老翁の孜々ししとして巨大なる方舟を建造しつつあるを。その長さ四百五十尺、幅七十五尺、高さ四十五尺に余る。何事ぞ。彼は人々に宣言して曰う、「今や罪の世の運命は迫った。神はやがて洪水をもて全人類を滅ぼし給うであろう。我はその啓示を受けて心に畏み、我が家の者を救わん為に斯の如き巨船を造りつつあるのである。汝等もまた神を信じて救われんことを求めよ」と。人々は如何に彼の老もうを嘲り笑ったであろう。しかし彼ノアは憚らなかった。彼の信仰の目に洪水は既に押し寄せつつあるが如く見えた。故に衆人環視の前に彼は甘んじて狂者に似たる行為を続けた。

事実は遂に信仰の勝利に帰した。世は彼の警告にも拘わらず悔改めざりしが為に滅び失せた。しかして独り彼とその家族とのみ救われた。即ちノアは信仰によって世の罪を定めたのである。また己は信仰によって神に義とせられたのである。

アブラハムの信仰

信仰によりて、アブラハムは召されし時嗣業として受くべき地に出で往けとの命にしたがい、その往く所を知らずして出で往けり。(八)

大洪水を此方に超えてより、我等の目は先ずアブラハムの上に落ちざるを得ない。アブラハム、彼は誠に信仰の民の父祖である。一人の彼の生涯に於いて幾多の深刻なる信仰的実験が繰返された。

我等は先ず彼がその家族を率いて漂然として故郷ウルを出で、再び帰らざる旅路に上るを見る。何の故の移住ぞ。彼は神に召されて「汝の国を出で、汝の親族に別れ、汝の父の家を離れて、我が汝に示さんその地に至れ」との命令を聴き、乃ち之に従ったのであるという。その行先は何処ぞ。未だ少しも之を知らない、ただ導かるるままに進むのであるという。「彼は家なき流浪者として、今日はその天幕を泉の傍に張った、明日は見えざる案内者が何処に綱を結ぶべく命ずるかを知らずして」。如何に愚かなる冒険よ。しかし信ずるアブラハムに取って、神の命令に従うは幼児の母に従うよりも安全にして且つ正当であった。彼は信仰によって現にある所よりも望む所を選び、見ゆるものよりも見えざる者に頼ったのである。

信仰により、異国に在る如く約束の地にやどり、同じ約束を嗣ぐべきイサクとヤコブと共に幕屋に住めり。これ神の営み造り給う基礎もといある都を望めばなり。(九、一〇)

彼は導かれて遂に約束の地カナンに入った。しかし此処にても何等現世的幸福は彼に許されなかった。「神は此処にて足踏み立つる程の地をも嗣業に与え給わざりき」(行伝七の五)。彼は他国の君主に仕え他国の民の中に相変わらざる幕屋を張って住つた。始めにはサラと唯ふたり、後には一子イサクを交えて。やがてサラの彼に先立ちて眠るや、僅かにマクペラの野の洞穴を買取りてここに彼女を葬った。この涙を以て手に入れし一画の墓地こそは地上に於ける彼の唯一の財産であった。サラ逝きて後イサクの子ヤコブの誕生があった。彼等二人にもまた神の同じ約束が繰返された。しかして彼等と共に老アブラハムは死に至るまで此の世の人の解する能わざる寂しき生活を続けた。

何故に彼は斯の如き数奇なる境遇を選んだのであるか。彼は寂しみを解せざる異常なる鈍感の人であったのであろうか。否、却って彼の霊的感性が余りに鋭敏であったからである。彼の眼には他の人の見るを得ざる或るものがいと鮮やかに映じた。それは一つの都であった。都――他国人の間に張る寂しき天幕ではない、愛する者と共に集い住む都である。天幕の如く畳みて移し得べき一時的の仮寓ではない。基礎ありて動かざる永久の住所である。之を設計しまた築造する者は人ではなくして神である。故に其処には人の業に伴う凡ての欠陥が除かれて、完全なる福祉が充つるに相違ない。「神の営み造り給う基礎ある都」、新しきエルサレム、それが遂にアブラハムの眼に映じた。しかして此の優れたる希望あるが故に、現在の不遇は忍び得てなお余りがあったのである。

アブラハムは如何にしてこの都を望見することが出来たか。地上に於ける失望が即ちその原因であった。すべて信ずる心の為に最大の福祉の一つは失望である。神は故なくして己を信ずる者を失望せしめ給わない。失望は必ず更に大いなる恩恵へ導く門である。余は此の真理を呼んで失望の福音という。聴かれざる祈祷、充たされざる約束、裏切られたる期待、それ等の蔭に必ず愛の聖手が動きつつある。小なる恩恵に満足し易き心は、斯くして始めて更に大なる恩恵を受くるに適わしきものとせらるるのである。アブラハムの地上に於ける失望は、彼の眼をしてひたすら天に向けしめた、しかして約束にまさる限りなき福祉は、彼の確実なる希望となってその胸に宿った。

信仰によりて、サラも約束し給う者の忠実なるを思いし故に、年過ぎたれどたねをやどす力を受けたり。(一一)

アブラハムの生涯のともサラもまたその信仰を夫と共にした。彼女は最早や年進みて到底胤を宿すに適せざる時に至り「汝に男子あらん」との啓示を受けた。こは勿論信ずるに難き約束であった。彼女自身さえ始めには笑って之を打消した。しかし重ねて「エホバにあに為し難き事あらんや」との言を聴くに及び、彼女の信頼は全然見ゆる所のものより見えざる所の者に移った。約束し給う主は忠実である、故に老媼我が如き者にも必ず子は与えらるるであろうと信じて彼女は待った。果然、事はその通りに実現した。しかして彼女の信仰は証せられた。

この故に死にたる者の如き一人より、天の星の如く、また海辺の数えがたき砂の如く夥しく生まれ出でたり。(一二)

アブラハムのすえは地の砂の如くまた天の星の如くならんとは、彼がカナンの地に落ち着きし当初より幾たびか示されたる約束であった(創世一三の一六、一五の五、二二の一七)。ただその成就は到底覚束なく見えた。然るにも拘わらず、アブラハム之を信じ、サラまた之を信じた。「この故に」、彼等夫妻の信仰の故に、神は、死にたる者の如き一人(アブラハム)より、遂に星の如く砂の如き夥しき子孫を生まれ出でしめ給うたのである。これまた彼等の信仰に対する著るしき証の一つである。

彼等は皆信仰を懐きて死にたり。未だ約束のものを受けざりしが、遥かに之を見て迎え、地にては旅人またやどれる者なるを言いあらわせり。斯く言うは、己が故郷を求むることを表わすなり。もしその出でし所を思わば、帰るべきおりありしなるべし。されど彼等の慕う所は天にある更に勝りたる所なり。この故に神は彼等の神と称えらるるを恥とし給わず。そは彼等の為に都を備え給えばなり。(一三―一六)

彼等、アブラハムを中心として同じ約束を望みつつ同じ幕屋に寓りし妻サラ、子イサク、孫ヤコブ等、彼等はみな信仰を懐きて、望む所を確信し見ざるものを真実としつつ、墓に下った。誠に彼等は死に至るまで約束のものを受けなかったのである。約束とは何か。まず第一にカナンの地の領有であった、次にその子孫による天下万民の福祉であった(創世二二の一八)。最後に神の営み造り給う基礎ある都であった。之等の恩恵は何れも皆遠き未来のものたるに過ぎなかった。此の世の立場より見てそれは殆ど夢であった。しかしながら信ずる彼等に取っては、決してそうではなかった。彼等は遥かに之を「見」たのである。しかして之を「迎え」たのである。「見る」とは勿論実物を実見することである。「迎える」の原語は或る人の手を握りて己に近く引付け而して彼を抱き占むることを意味するという(ユースタシウスの説明による)、いかに適切なる表現よ。彼等は信仰によりて遥けき未来に実在せる恩恵を歴然と実見することを許された。加之しかのみならず、現在既に手を伸べて之を握り之を引寄せて抱き占むるほど痛切なる実験をさえ許されたのである。彼等は信仰によって遠き未来を全く現実化した。かくて世の人には夢の如き約束も、彼等に取っては何よりも確かなる実験的希望であった。誠にイエスの言い給いし通りである。曰く「汝等の父アブラハムは我が日を見んとて楽しみ、且つ之を見て喜べり」と(ヨハネ八の五六)。

既に己が永遠の行先を望見し且つ之をしかと心に抱き占む、従って彼等は此の世に在りながら実は此の世に属せざる者であった。現に彼等自身が地に在る間明らかに告白して曰った、「我は旅人なり、やどれる者なり」と(創世二三の四)、又「わが旅路の年月は云々」と(創世四七の九)。之等の語の響きに出でたる心の基調は明白である。世の子らは世にありては決して斯の如くに己を呼ばない。地上の旅人寄寓者は必ずや天の国の市民でなくてはならぬ。彼等の故郷は彼処にあるのである。故に彼処を求めつつ彼等は地をさすらったのである。此の世は彼等に取っては外国であった。従って彼等の生活が世の子らの期待と了解とにわざりしが如き、もとより当然のことと言わねばならぬ。

彼等の流浪の生活は、神の召しに応じて断然とメソポタミヤの郷土を出でし時に始まった。故に彼等にして世の子らの如く、地上に於ける幸福を願わば、その出でし処に帰りさえすればかったのである。カナンよりメソポタミヤまで、途は遠しと雖もさまでの困難なくして帰り得る。もし彼等にその心だにあらんか、機会は勿論幾らもあったであろう。しかしながら彼等は遂に再びその出でし所を思わなかった。彼等は堪えがたき寂寥の中にありながら、遂に再び地上の幸福を思わなかった。これ必ずしも苦闘の結果ではない、却って悦楽の結果であった。即ち彼等には慕うべき更に勝るものがあったのである。天にある所のもの之である。天にある限りなく福いなる故郷の光景が、歴然と彼等の眼に映じかたく彼等の心を捉えたるが故に、言うに足らぬ地上の故郷の如きは自ら彼等の記憶より消え去ったのである。かくて寂しき幕屋の中に於ける彼等の生活は、実は世の子らに勝りて福いなるものであった。

かたき信仰、強き希望!彼等と神との関係は一通りのものではなかった。まこと神は自ら己を呼びて「アブラハムの神イサクの神ヤコブの神」といい(創世二八の一三、出エジプト三の六)、彼等もまた此の名を以て神を呼んだ(創世三一の五、三二の九)。この特別なる称呼は疑いもなく彼等と神との関係の永遠的性質を表わすものである(マタイ二二の三一)。少なくとも双方の間には斯の如き意味に於いての黙契があった。アブラハム等はこの関係を確信して少しも疑わなかった。然らば如何、万一にも神の側に於いてこの黙契に背き、彼等の十分なる期待を裏切りて、約束のものを備え給わざりせば如何。神はいかばかり恥とし給うであろう。これ勿論あり得べからざる事である。神は永遠に彼等の神と称えらるるを恥とし給わない。何となれば彼は必ず彼等の為に都を備えて、すべて其の名に伴う期待を完うし給うからである。

信仰によりて、アブラハムは試みられし時イサクを献げたり。彼は約束を喜び受けし者なるに、その独子を献げたり。彼に対しては「イサクより出づる者汝のすえと称えらるべし」と言い給いしなり。彼思えらく、神は死人の中より之を甦らすることを得給うと。乃ち死より之を受けしが如くなりき。(一七―一九)

見よ、モリアの地に、播祭の柴薪たきぎを取って其の子に負わせ、自らは火と刀とを手に執りて、共に山路を辿り往く父の姿を。途すがら子は曰う「父よ」。父答えて「子よ、われここにあり」。子「火と柴薪はあり、されど燔祭の羔は何処に?」。父「子よ、神自ら燔祭の羔を備え給わん」。遂に或る処に到るや父は其処に壇を築き、柴薪をならべ、しかして子を縛りて之を壇の柴薪の上に載せ、更に手をのべ刀を執りて之を屠らんとするのである。

へブル書記者は此の悲壮なる出来事を説明して曰う、「信仰によりて、アブラハムは試みられし時イサクを献げたり」と。事は彼に対する神の試みであった。神の試みは素より人の心を知らんが為ではない。更に勝れる恩恵に導かんが為である。神は今に至るまでアブラハムの信仰を悦び給うた。しかして今や彼を更に勝れる恩恵に導かんと欲し給うた。「神アブラハムを試みんとて、之をアブラハムよと呼び給う。彼言う、われここにあり。エホバ言ひ給いけるは、汝の子、汝の愛する独子即ちイサクを携えてモリアの地に到り、わが汝に示さんとする彼所かしこの山に於いて彼を燔祭として献ぐべし」。この声は疑うべからざる神の言として彼に臨んだに相違ない。斯の如くにしてアブラハムの信仰生活は忽ち最大の危機に遭遇した。

「信仰によりてイサクを献げたり」という、献げよとの命令が疑うべからざる神の声なるが故に、凡てを忘れて単純に之に従ったというだけの意味であろうか。信仰がもし実験の事でないならば、それが明白なる矛盾を意とせざる盲従に過ぎぬならば、多分そうであろう。しかしながら少なくともアブラハムの経験そのものに於いては、問題は今少しく複雑であった。人としての堪えがたき私情は別として、彼にはなお信者としての深き煩悶があった。彼は此の声の出所の神にある事を確信するが故に、却って大いなる疑問に逢着せざるを得なかったのである。疑問とは何か。曰く神の言の矛盾である。即ち先には神この一子イサクにつき約束して言い給うた、「われ彼及び其の後の子孫と契約を立て、永久の契約となさん」と。しかして今はまた同じイサクをその若きがままに献げよと命じ給う。二つの言は明白なる矛盾である。約束を信ぜんか、命令を如何せん。命令に従わんか、約束を如何せん。信者アブラハムの煩悶はここにあった。彼に取って信仰は実験以外の事ではなかった。故に自己の良心の上に何かの解決を得ない限りは、矛盾せる二つのものを共に受入るることは不可能であった。彼は疑い惑うた、神の真意は果たして何処にあるのであろうか、神は今我をしてイサクを献げしめて、如何にして彼の子孫に対し永久の契約を立てんとし給うのであろうか、知らず、われ今彼を献ぐべきか、或いは献げてはならぬのであろうかと。

アブラハムの煩悶その絶頂に達せし頃、光明は遂に彼に臨んだ。「彼思えらく、神は死人の中より之を甦らすることを得給うと」。復活!これ人の心曾て思わざりし新しき啓示である。しかして実に偉大なる解決である。神の言の矛盾を解くには又斯の如く神にふさわしき奥義がある。アブラハムは深刻なる煩悶を経て遂に之を発見した。今や彼の堪えがたく痛める心にまた新しき貴き希望が湧いた。かくて信仰によりて望む所を確信しつつ彼はイサクを献げたのである。

「乃ち死より之を受けしが如くなりき」は寧ろ「乃ち譬喩として死より之を受けたり」と直訳するにかない。イサクは現実に殺されずして再びアブラハムの手に帰された。しかし一たび献げ切りたる彼に取っては、その子が死より復活したると少しも異なる所はなかった。彼は復活の譬喩としてイサクを受けた。復活に関する彼の観念はなお完からぬものであったとするも、免に角アブラハムは後の日に起こるべき大いなる恩恵をイサクの復帰に於いて譬喩的に実験したのである。

イサク、ヤコブ、ヨセフの信仰

信仰によりて、イサクは来たらんとする事につきヤコブとエサウとを祝福せり。
信仰によりて、ヤコブは死ぬる時、ヨセフの子等を各々祝福し、その杖の頭によりて礼拝せり。
信仰によりて、ヨセフは生命の終らんとする時、イスラエルの子らの出で立つことにつきて語り、又己が骨のことを命じたり。(二〇―二二)

アブラハムを送りて、我等は更に彼の子孫イサク、ヤコブ、ヨセフを見る。

彼等もまたみな望む所を確信し見ざるものを真実とする信仰の徒であった。しかして彼等の生涯を代表するに足るものは、三人に通じて現われたる互いに類似せる或る預言的行動である。

イサクは年既に老い目も早やくもりて見る能わざるに及び、二子ヤコブとエサウとを祝福した。彼自身の願いは長子エサウに対する勝りたる祝福にあったにも拘わらず、欺かれて却って季子おとごヤコブに之を帰した。彼は何故その錯誤を発見したる時之を取消さずして、己が自然の欲求を蹂躙しつつ敢えてエサウに劣れる祝福を与えたのであるか。答えて曰う、彼の祝福は己が意思の発表ではなくして神の意思の伝達であったからである。彼はただ示さるるままに口を開いて、己が前にある者の未来を預言した。その結果は内心の欲求と正反対であった。しかしながら彼は神の啓示の実現を信ぜざるを得なかった。故に先の言を取消さずして却って之を確認したのである。

ヤコブもまた病重くして死に近づきし時、その子ヨセフの子等を招きて、各々之を祝福した。ヨセフが長子マナセをヤコブより見て右方に、季子おとごエフライムを左方に坐せしめたるにも拘わらず、ヤコブは殊更にその両手を交錯して、右手をエフライムの頭に、左手をマナセの頭に載せ、以て弟の子孫は兄の子孫よりも大いなるものと成るべきを預言した。これまた己が私情を排し人の期待にそむきて、ただ神の啓示に従いし行動であった。

之より先、彼は自ら死期の近きを知ってヨセフを呼び、己をエジプトに葬らずして先祖等の墓場にき往くべきを誓わしめた。しかしてヨセフの之を誓うや、床上に臥せるヤコブは静かにその老衰の体を反して顔を枕に対せしめ、祈祷の姿勢を以て神を礼拝した。創世記に之を叙して「床のかみにて拝みをなせり」という(四七の三一)。へブル書記者が「その杖のかしらによりて礼拝せり」といえるは、右の本文に対する『七十人訳』に依ったのである。多分ヤコブは其の時杖をも用いたであろう。何れにせよ、彼の態度はその信仰を表示して遺憾なきものであった。イスラエルの民がエジプトを出でて再び先祖等の地に帰るに先だつこと数百年にして、ヤコブは既にその啓示を受け、しかして望む所を確信して少しも疑わなかったのである。

信仰によりてイサクがその子等を祝福したようにヤコブもまたその孫たちを祝福した。信仰によりてヤコブが己の屍のエジプトよりカナンに移さるべきを命じたように、ヨセフもまたイスラエルの子らが何時かその地を出で立つべき日を望み見て、己が骨をも携え上るべき事を遺言した(創世五〇の二四―二六)。彼は若くしてその地に来たり、幾多の辛酸を嘗め、遂には大臣の位にまで上りて、殆どエジプトを己が国とする程の深き関係に入りし人であった。然るにも拘わらず、彼の心は常に神の約束に結ばれ、その成就の日を見んことをもて何よりの楽しみとなしたのである。

モーセの信仰

信仰によりて、両親はモーセの生まれたる時、その美しき子なるを見て、王の命をも畏れずして三月の間之をかくしたり。(二三)

イサク、ヤコブ、ヨセフ等は去って、イスラエルの子孫は既にエジプトの国中に充つるに至った。暫く隠れたる信仰の閃きは、また彼等の中の或る者に於いて現われた。それは一人の嬰児の両親であった。当時王の命によればイスラエル人に生まれし凡ての男児は殺されねばならなかった。しかしながら此の両親は己が子の常ならぬ美わしさを見て、神の或る聖旨を覚った(先には秀麗なる青年ヨセフが選ばれて、エジプトに於けるイスラエル人の救手となった)。神は此の児の存在を必要とし給う。斯く示されたる彼等に取っては、王の命にそむくの危険の如きは何でもなかった。故に彼等は三月の間之をその家に匿した――嬰児モーセの両親アムラムとヨケベデ、彼等もまた先祖等の如く、信仰によりて現在と見ゆる物とを無視して歩んだのである。

信仰によりて、モーセは人と成りし時、パロの女の子と称えらるるを否み、罪のはかなき歓楽を受けんよりは、寧ろ神の民と共に苦しまんことを善しとし、キリストのそしりはエジプトの財宝たからにまさる大いなる富と思えり。これ報いを望めばなり。(二四―二六)

嬰児モーセは奇しき摂理によってエジプト王パロの女の子として育て上げられた。しかして当時の文明国なるエジプトの凡ての学術を教えられ、言語行動共に有力であった。従ってその前途の栄華期して待つべきであった。然るに所謂分別盛りの年輩に及び、彼は自己の前に開ける此の自然の途を取って進むことを断然拒絶してしまった。即ち己が兄弟たるイスラエル人に同情して、或る日彼等の一人がエジプト人に撃たるるを見るや、彼は忽ち後者を撃殺したのである。この一挙は彼の有する凡ての特権の抛棄を意味した。

殺人その事の是非は別として、何故にモーセはパロの女の子と称えらるることを否んだか。曰く信仰によってであった。イスラエル人にしてパロの女の子とせられし彼の前には二つの途が開いて居った。甲の導く所は歓楽と財宝であった。乙のもたらす所は苦しみと謗りであった。甲は勿論何人に取っても甚だしく心ひかるる途たるに相違ない。モーセにしてもし現在と見ゆる物とに重きを置く普通人なりせば、必ずや之を選んだであろう。しかしながら彼もまた先祖等の如く信仰の人であった。故にその心は現に在るものに向かわずして望む所に向かった、その眼は見ゆるものに着かずして見ざるものに着いた。しかして一たび此の立場より観察せんか、二つの途の光景は忽ち一変する。見よ、偶像国の宮廷の腐敗し切りたる空気中に於ける歓楽、しかもそのはかなさ!之に反して、選ばれたる民と共に苦しみ、神のみわざに参与して彼の悦びのみかおを仰ぐ福いは如何ばかりぞ。エジプトの財宝を我がものにせばという。しかしキリストの謗り(キリストにる謗りではない。キリスト彼自身の負い給う謗りである。イスラエルの信者は昔よりキリスト己と共にあり給うことを信じた。勿論先在のキリストである。)を我がものにして彼の負うべき謗りに我もさらされ従ってまた彼の受け給うべき光栄に我も与かることを得ば果たして如何。モーセは信仰によりて斯の如くに見た。彼は乙なる途の彼方に横たわる貴き報いを確実に望見した。かかるが故に何の未練もなく甲なる途を棄ててしまった。

信仰によりて、彼は王の憤恚いきどおりを畏れずしてエジプトを去れり。これ見えざる者を見るが如く耐えることをすればなり。(二七)

後四十年、モーセは長く隠遁したるミデアンの野より漂然として再びエジプトに姿を現わした。しかしてイスラエルの全民を率いて潮の退くが如くに出で去った。これ所謂イスラエルの出エジプトであって、世界歴史上に於ける最大事件の一つである。人の立場より見て、かくも無謀なる企ては無かった。事は悉く自然に逆った。就中なかんづく危きものは王の憤恚であったが、果然それは遂に実現した。民の逃げ去りたる事王の耳に入るや、彼はその心を剛愎かたくなにし、直ちに軍勢を率いて彼等の後を追った。「パロの近よりし時イスラエルの人々……痛く恐れたり是に於いて……モーセに言いけるは、エジプトに墓のあらざるが故に、汝我等を携え出して曠野あらのに死なしむるや云々」(出エジプト一四の一〇―一二)。しかしモーセは答えて民らに曰った「汝等恐るるなかれ。立ちてエホバが今日汝等の為になし給わん所の救いを見よ……汝等は静まりて居るべし」と。如何にして彼は斯くも無謀の企てをかくも平静に断行することが出来たのであろうか。他なし、ただ天にいます見えざる者を見るが如くにして、凡ての困難に耐えたからである。

信仰によりて、彼は過越すぎこしと血を注ぐこととを行えり。これ初子ういごを滅ぼす者の彼らに触れざらん為なり。(二八)

出エジプトなる大事件中に於ける最も意味深き一段である。イスラエルの全民を救い出すべき機会の漸く熟したる頃、モーセは新しき啓示を受けた。それは或る日を期して、全会衆みな夕暮に羔を屠り、その血を家の門口に塗り、肉は夜の中に旅支度のまま急ぎて之を食らうべしというにあった。しかして斯く血を門口に塗るは、その夜エジプトの国中を巡りて凡ての初子を撃ち殺すべき天の使いが、イスラエル人に触れざらん為の記号としてであるとの事であった。モーセはその通りに実行した。しかし不思議なる啓示である。何故に羔を屠りて所謂過越の祝いを守るに非ざれば、イスラエルは救い出されなかったのであろうか。何故に屠られし羔の血を門口に注ぐに非ざれば、彼等は禍を免るることが出来なかったのであろうか。其処には是非とも何か深き意義がなくてはならない。之を実行したる多くのイスラエル人は多分自らその意義を解しなかったであろう。しかしながらモーセにありてはそうではなかった。我等は当時に於ける彼の地位に照らして斯く断ぜざるを得ない。即ち彼は今己が目前に著るしき対照を見つつあったのである。一つは神の新たにイスラエルの民に施さんとし給う異常なる恩恵であった、他は神に対する彼等の過去及び現在に於ける罪深き態度であった。如何に不釣合なる対照よ。かくも値せざる恩恵を受けんがためには、何か深刻なる条件の必要があるとは、恐らくイスラエルの救出者の胸に人知れず囁かれし鋭き声であったであろう。この良心に対してかの啓示は与えられたのである。羔を屠る過越と、その血を各自の門口に注ぐこと、モーセの良心には必ずや明確なる反響があったに相違ない。過越は犠牲である、血の注ぎはその犠牲を己が為のものとして受入るる各自の表白である。まず此の二つのもの備わりて然る後直ちに救出は実現するのである。モーセは此の啓示の中にキリストの贖いを如何なる程度まで了解したかを我等は知らない、しかし少なくとも彼がその核心を掴みし事だけは疑うべくもない。アベルの献げたる犠牲さえ贖いに関する萌芽的信仰の発現であったとするならば、ましてモーセの実行したる過越と血の注ぎとは、更に遥かに進みたる信仰的意識の表白でなくして何であろうか。アブラハムが復活を信じて之を譬喩的に実験したように、律法の伝達者モーセもまた罪の贖いを信じて之を譬喩的に実験した。「信仰によりてモーセは過越と血を注ぐこととを行えり」。然り、キリストの血による贖いに関する信仰によりて。

イスラエル人の信仰

信仰によりて、イスラエル人は紅海を乾ける地の如く渡りしが、エジプト人はかせんと試みて溺れ死にたり。(二九)

モーセに率いられたるイスラエルの民等は紅海の岸に臨みし時、後よりエジプト軍の追撃を受けた。然るに一夜東風強く吹き荒んで海水しきりに退けられ、遂に海中一帯の乾ける所を現出した。水はその両側に分たれて垣の如くになったのである。勿論それは何時落ち懸るやも図られざる危険の状態であった。しかしながらイスラエル人等は此の時みな神の保護の手己が上にあることを確信した(彼等には之を信ずべき十分の理由があった。出エジプト一四章)。故にその危険を少しも顧慮しなかった。彼等は大海を恰も乾ける地の如くに見て進み出でた。しかして遂に之を渡り終えた。

エジプト人もまた続いて海を渡らんと試みた。彼等はその危険を何と見たのであろうか。形に於いてはイスラエル人と同じ行動である。しかし精神に於いては全然異なる。イスラエル人の冒険は信仰の発現であった。エジプト人のそれは愚かなる模倣であった。神は特に己が民の信仰を証せんがため、信仰より出でざる冒険を見苦しき恥辱に終らしめ給うた。

信仰によりて、七日の間廻りたれば、エリコの石垣は崩れたり。(三〇)

モーセ去りて後、イスラエルの民はヨシュアに率いられてヨルダン川を渡り、堅城エリコに迫った。神はヨシュアを通して彼等に啓示を与え、或る特別なる方法によりてエリコを彼等の手に渡さんことを約束し給うた。即ち契約の箱を中に、喇叭を携えたる祭司七人を先頭にして、イスラエルの軍勢は静粛裡に七日間邑の周囲を巡るべきであった。しかして七日目には之を七たび繰返し、その最後の巡回終ると共に祭司等の喇叭の音を合図に一同大いなる喊声かんせいを挙ぐべきであった(ヨシュア六章)。斯の如き方法により戦わずして城が落つべしとは人の智慧より見て余りに愚かなる期待であった。しかし彼等は約束し給う者の忠実とその全能とを信じた。故に示されたるままに愚かなる行動を実行した。しかして見よ、神は彼等の信仰を証せんがために、特に奇蹟を施して、エリコの石垣を見事に崩壊せしめ給うたのである。

ラハブの信仰

信仰によりて、遊女ラハブは平和をもて間者を受けたれば、不従順の者と共に亡びざりき。(三一)

イスラエルのカナン入りは天地の神の聖意に基づくとは、エリコの市民等のみな均しく感知せる所であった。何となれば彼等はイスラエルがエジプトを出でて以来今に至るまで断えず神の奇蹟的保護の下にありし事を既に聞いて居ったからである(ヨシュア二の一〇)。然るにも拘わらず彼等は神に従わんとの意思を起こさなかった。彼等は堅く門を鎖してイスラエルを阻まんとつとめた。ただ一人遊女ラハブのみは間者として来たりしイスラエル人を歓迎した。常に節操を売りし彼女は今また国をも売らんとするのであるか。否、彼女のたましいはエホバの前に目さめたのである。エホバその地をイスラエルに賜いし事明らかなる上は(ヨシュア二の九)、之に従うこそエホバを信ずる者の為すべき分であった。事は甚だしく愛国心と矛盾するように見えた。しかし神よりも国を愛する者は彼のこころに適わない。国人みな神に逆らわんとする時、信者は国賊の謗りを免るることが出来ない。ラハブは信仰によりて凡ての悪名を甘受しつつ間者を助けた。故に神は独り世より卑められたる彼女を滅亡より救いて、以てその信仰を証し給うた。

その他雲の如き証人

この外何を云うべきか。ギデオン、バラク、サムソン、エフタまたダビデ、サムエル、及び預言者たちにつきて語らば、時足らざるべし。(三二)

信仰の峰より旧約歴史の野を大観して、我等の眼はイスラエルのカナン入りにまで及んだ。しかもなお其処より脚下近き辺に至るまで、点々として無数の貴き生涯の散在するを見る。士師としてはバラク、ギデオン、エフタ、サムソン(ギデオンがバラクの先に、サムソンがエフタの先に出づるは多分信仰の戦士として一層顕著なるが故であろう)、王としてはダビデ、預言者としてはサムエルその他(時代的にはダビデよりもサムエルが前である。しかし前記の如き理由に加えるにサムエルを預言者の列に入れんが為転倒したのであろう)、指摘し来たれば際限もない。歴史ならぬ例示を目的としたるへブル書記者は、一先ず此辺にて端折らねばならぬ。

少なきものは実に信仰的生涯である。しかしながら多きものもまた信仰的生涯である。之を世の人の全体に対比せずして、天に記録せらるる彼等の名のみについて見んには、我等は深き感謝を発せざるを得ない。独り旧約の聖徒等のみではない。使徒等がある、殉教者等がある、改革者等がある。その他多くの無名の忠実なる男女がある。また我等の親しき兄弟姉妹の誰彼がある。ああ信仰によりて彼等は各々世の人と異なる途を歩んだ。ただ彼等ありしが故に、暗き此の世に光明は絶えなかったのである。彼等の故に、我等は心より聖名を讃美しまつる。

彼等は信仰によりて、国々をしたがえ、義を行い、約束のものを得、獅子の口を塞ぎ、火の勢力いきおいを消し、剣の刃を逃れ、弱きよりして強くせられ、戦争いくさに勇ましくなり、異国人ことくにびとの軍勢を退かせたり。(三三、三四)

これ皆普通歴史に現わるるが如き尋常の功業ではない。人の智慧と能力とを以てしては望むべからざりし場合のみである。彼等は世の人の予期に反し、ただ信仰によりて之に当たったのである。しかして事の成就は信仰の力としてよりも、寧ろ彼等各自の信仰に対する神の証明として之を見るべきである。信仰によってダビデは「国々を服え」た。即ちペリシテ人を撃ち、モアブを縄にてはかり、スリアに代官を置く等の類之であった(後サムエル五の二五、同八の一以下)。信仰によってサムエルは「義を行い」、善き正しき道をもて民を教えた(前サムエル一二の二三)。信仰によって預言者等は「約束のもの(成就)を得」た。例えばイザヤはエルサレムの奇蹟的救助を、エレミヤは聖召当時の約束の成就を見た(ここに約束とは終局的の大いなる約束を意味しない、個々の予備的約束である)。信仰によって預言者ダニエルは「獅子の口を塞ぎ」、彼の三人の友は「火の勢力を消し」た(ダニエル六の二二、同三の二七)。また信仰によってエフタは「剣の刃を逃れ」(士師一二の三)、サムソンは「弱きよりして強くせられ」(士師一六の三〇等)、バラクは「戦争に勇ましくなり」(士師四の一五)、ギデオンは「異国人の軍勢を退かせ」た(士師七の二一)。

女は死にたる者の復活を得、(三五)

ただに士師又は王又は預言者等の如く人の中にて力ある者のみではない。弱き者、然り婦人さえ、自然を超越せる神の能力を信じて、しかしてその信仰を証せられた。例えばザレパテの寡婦並びにシュナミ人が、死にたる子の復活を得たるが如き之である(王上一七の二二、同下四の三五)。

或る人は更に勝りたる復活を得んためにゆるさるることを願わずして極刑を甘んじたり。その他の者は嘲笑あざけりと鞭とまた縄目と牢獄ひとやとの試煉こころみを受け、或る者は石にて撃たれ、鉄鋸のこぎりにて挽かれ、剣にて殺され、羊、山羊の皮を纏いて経あるき、乏しくなり、悩まされ、苦しめられ(世は彼等を置くに堪えず)、荒野と山とほらと地の穴とにさまよえり。(三五―三八)

人の智慧と能力とを以てしては望むべからざるものを信仰によって望み、しかして信ずる通りに之を与えらるるは、素より感謝すべき恩恵たるに相違ない。しかしながら信仰生活の最も純粋なるものはその望む所を現世以上、即ち来世に置くにある、しかしてこの大いなる希望の故に、現世にありては凡ての艱難を甘受するにある。ノアはその望む所のものを己が生くる間に獲得した。しかしアブラハムは未だ約束のものを受けず、遥かに天の都を望みつつ喜んで死についた。士師等は信仰によりて剣の刃を逃れ、婦人等は死にたる者の復活を得た。しかし又或る人は信仰によりて却ってゆるさるることを願わず、甘んじて極刑(拷問車の上に身体を伸ばして棒又は鞭にて撃たるる刑を意味するという)に身を曝した。何となれば彼等の望む所は来世にあったからである。換言すれば、彼等は死にたる者が再び死ぬべき肉体への復活(蘇生)よりも更に勝りたる復活、即ち再び朽ちざる霊体への復活を何よりの望みとなしたからである。この悲壮なる死の最も著るしき実例は第二マカビー書に記さるる老エレアザル及び或る母とその七人の男子とにある。彼等は来たらんとする世の輝くいのちを望みしが故に、励みてその堪うべからざる絶大の苦痛に堪えた。

同じ理由により或る人はまた嘲弄的虐待や鞭などの試煉を甘受した(マカビー書にその実例がある)。ミカヤ(王上二二の二六)又はエレミヤ等は縄目に繋がれ牢獄に投ぜられて試みられた。ザカリヤは石にて撃ち殺された。イザヤは(信ずべき伝説によれば)鉄鋸にて挽かれて果てた(本文には「鉄鋸にて挽かれ」の次に「試みられ」の一語がある。此の語は余りに弱くして、到底斯の如き位置にあるに適せずとは殆ど一人の例外もなく感ずる所である。故に多くの学者は最初の原本には形の類似したる他の語があったのであろうと想像している。しかしカルビン等の説の如く、前の語の註釈として書き加えられしものが誤って本文に入ったのであろうと見るは問題を一層簡単に解決する)。ウリヤ(エレミヤ二六の二三)また預言者等(王上一九の一〇)は刀剣にて殺された。

壮烈なる死に勝るとも劣らざる苦痛は断えざる艱難の生涯である。彼等選ばれたる信仰の戦士が前者を以て世の光となったように、又他の恵まれたる神の子らは後者を以て地の塩となった。「毛深き人」(王下一の八)と言われしエリヤを始めとして預言者らは羊、山羊などの皮にて造りし粗き衣を纏って此処かしこ経あるき、あらゆる欠乏と艱難と困苦とを味わい、内にも外にも罪の世と似つかざる旗幟きし鮮明なる生活を送った。誠に世は彼等に値しなかったのである(「世は彼らを置くに堪えず」は「世は彼等に値せざりき」と改訳するを可とする)。即ち世は彼等を排斥する事によって、実は自ら彼等を受入るるだけの価値なきものである事を説明したのである。かくて彼等神の預言者は享楽の巷を棄てて荒野と山と洞と地の穴とにさまよった。

彼等と我等

彼等はみな信仰によりて証せられたれども、約束のものを得ざりき。これ神は我等の為に勝りたるものを備え給いし故に彼等も我等と共ならざれば、全うせらるる事なきなり。(三九、四〇)

アベルより預言者等に至るまで、彼等旧約時代の信者はみな信仰によりて神に悦ばるることを証せられたけれども、未だ一人も約束のもの即ち救いの完成を獲得しなかった。蓋し救いは完成せらるるまでに、彼等の立場よりも更に一段勝りたる或るものを必要とするからである、キリストの贖い即ち之である。贖いなくしては完うせられない。故に神は始めより之を備え給うた。まず未だ贖われざる時代がある、次に贖われて未だ完うせられざる時代がある、最後に完成の時代が来る。旧約の信者等はその第一段に属するものであった。第二段に属する者は我等である。彼等は「望むべくもあらぬ時になお望みて信じ」た。我等に取っては来世の希望はキリストの贖いによって一層確実なるものとせられたのである。やがて彼等も我等と共に完うせらるるであろう。彼等にしてなお望む所を確信したるならば、して我等に於いてをやである。

〔第一七号、一九二一年一〇月〕