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苦しみを耐え忍ぶ

ジェシー・ペン-ルイス著

"TAKE IT PATIENTLY"
by Jessie Penn-Lewis

もし、あなたがたが善を行って、そのために苦しみ、
その苦しみを耐え忍ぶなら、それは神と共にある恵みです。
(ペテロの第一の手紙二章二〇節)


このようなところにまで、あなたは召されたのです。あなたは暗闇から驚くべき光の中へ召されました。それは、「あなたがたを召された方の素晴らしさを、あなたがたが告げ知らせるためです」(ペテロの第一の手紙二章九節)。これは天的な召しであり、イエス・キリストを生かし出すことです。これは不当に苦しめられて、悲しみを耐え忍ぶことであり、「善を行って、そのために苦しみ、その苦しみを耐え忍ぶ」ことです。「これは恵みです」(一九節)。「これは神に受け入れられることです」(二〇節、A. V.)。これは神に喜ばれることです。そうです、これは私たちの死すべき体において現されたイエスのいのちです*。これは主が歩まれたように歩むことです。それゆえ、御父に喜ばれるのです。

*コリント人への第二の手紙四章一〇、一一節(訳者注)

天の主から私たちに与えられた模範を見ることにしましょう。

1 主は何一つ罪を犯さなかった(二二節)

主は罪人たちと共に数えられましたが*、敵に向かって、「私は御父からの多くの良いわざを、あなたがたに示してきた。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのか?」と言うことができました(ヨハネによる福音書一〇章三二節)。彼らは理由なく主を憎みました。主は「不当に苦しめられ」、悲しみを耐え忍ばれました。

*イザヤ書五三章一二節(訳者注)

2 主の口には何の悪巧みも見いだされなかった(二二節)

「かつてこの人のように話した人はいません」*。「すべての人は彼を賞賛し、彼の口から出る恵みの言葉に驚いた」(ルカによる福音書四章二二節)。しかし、主は「不当に苦しめられた」のです!

*ヨハネによる福音書七章四六節(訳者注)

3 主は苦しめられても、脅すことをされなかった(二三節)

主は打つ者にご自分の背中をまかせ、侮辱されても、つばきをかけられても、御顔を隠されませんでした*。主は聖なる、害のない、汚れのない方でした。主は善を行って、そのために苦しまれました。

*イザヤ書五〇章六節(訳者注)

主はののしられて、苦しみをお受けになりました。主は非難の痛みを感じられました。主はあざけられ、ののしられました。主は、「そしりが私の心を打ち砕いた」(詩篇六九篇二〇節)と仰せられました。主は、「彼の血は私たちや子供たちの上にかかってもいい」*と言った者たちに臨もうとしている、恐ろしい出来事をご存じでした。しかし、彼は黙って、脅すことをされませんでした。

*マタイによる福音書二七章二五節(訳者注)

4 主は黙ってすべてを神に委ねられた

「彼は、義しく裁く方にご自分を委ねられました」(二三節)

「ご自分の言い分を委ねられた」(欄外)。主にとってそれは、「御父が与えて下さった杯」*でした。使徒パウロはコリント人に向かって、「なぜ、むしろ不正を甘んじて受けないのですか」**と言いました!これは何という召し、何という模範でしょう!

*ヨハネによる福音書一八章一一節(訳者注)
**コリント人への第一の手紙六章七節(訳者注)

私たちはこれまで何度も、「ことばの争い」によって、苦い涙を流しながら、神と共に一人で逃れてきました。しかし、もし私たちが不当な苦しみを受ける恵みを知っていたなら、そうせずにすんだでしょう。

今日の邪悪な世にあって、どうすればこのような恵みを受けられるのでしょうか?

罪を犯して苦しむことがないように注意しなさい。自己弁護や自己防衛は、小羊の精神と正反対です。使徒は、自己弁護や自己防衛から解放される方法をはっきりと示しています。その方法を見ることにしましょう。

「彼は私たちの罪を、ご自身の体において、木(十字架)へと運ばれました。それは、罪に対して死んだ私たちが、義に生きるためです。彼の打たれた傷によって、あなたがたはいやされたのです」(二四節、欄外)

ペテロは、「愛する兄弟パウロ」*と同じように、十字架の力を知っていました。彼はキリストの受難の証人でした(ペテロ第一の手紙五章一節)。それゆえ、彼は生き生きと模範なる御方を描写することができたのです。カヤパの屋敷で主を否んだことを思い出して、どれほど彼の心はおののいたことでしょう。その場所で、柔和なへりくだった御方は、友の一人によって「傷つけられ」たのです!しかし、主は愛のこもったまなざしでペテロを見つめ返されました。主のまなざしを思い出すたびに、ペテロの目からは涙があふれでたことでしょう。主のまなざしがペテロの心を砕きました!そうです!ペテロはカルバリを知っていました。彼は、悲しみを耐え忍び、不当な苦しみを受ける生活の秘訣を、次のように記しています。

「彼は私たちの罪を、木(十字架)へと運ばれました。それは私たちが死んで・・・」

私たちは主と共に死にました。それは私たちが彼の足跡に従うためです。

*ペテロ第二の手紙三章一五節(訳者注)

続く章では、このように生きる生活から生じる、祝福に満ちた結果を見ます。未信者の夫を持つ妻の場合について、それを見てみましょう。これは特別なケースですが、あらゆる人間関係に適用することができます。

「『同じように』、妻たちよ、あなたがた自身の夫に服従しなさい。」「そうすれば、言葉によるのではなく、その妻の生活態度を通して、彼らは獲得されます。」(ペテロ第一の手紙三章一節、欄外)

「同じように」、姉妹たちよ、あなたがたの兄弟を獲得しなさい。「XXさんに福音を聞かせることさえできたら」という声を、しばしば耳にします。しかし、「言葉によらずに」愛する者を獲得することができる、とペテロは私たちに告げています。

あらゆる反対や、あらゆる不当な苦しみを耐え忍ぶことによって、「勝ち取り」なさい。

そうするなら、「柔和で穏やかな霊」という天の飾りが、土の器の中に盛られます。これこそ、神の目から見て非常に価値のあるものです。

神が栄光を受けられますように。アーメン。