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イエスの目下の消息
藤井武
Takeshi Fujii
一 イエスは今も生きている
今より十数年前、渋沢子爵(当時男爵)が米国ヒラデルヒヤ市に、有名なる実業家、故ワナメーカー氏を訪問した時の事であった。子爵は案内を受けてワ氏経営の日曜学校を参観した。そうして求められるままに一席の挨拶を述べていうた、「私はキリスト者ではなく儒者であるが、儒教もキリスト教もその精神において変わりはない云々」と。ワ氏はこれを聞いて当惑した。元々自分が求めた挨拶ではあったが、しかしこういう風に言われては、そのまま黙って済ますわけにはゆかなかった。礼儀は礼儀、真理は真理である。やむなく彼は子爵の後を承けて起ち上り、いうた、
私は儒教に対して心からの尊敬を表します。しかし儒教とキリスト教とは同一ではありません。その間に一つの根本的差別(a vital difference)があります。孔子は死んで葬られました。そうしてそのまま眠っています。キリストも一度は死んで葬られました。けれども彼は甦ったのです、三日目の朝に甦ったのです。彼の墓は虚しくなりました。キリストは今も生きています。そうです、現に今この部屋の中に彼は私たちと一緒にお出になるのです。
ここまで述べてきたときに、この老翁の双眼から熱涙が溢れでて頬を伝うて下ったという事である。私は当時この話を恩師の口から一度はその書斎において、次には公開の席上において聞いた。またこの報道を載せたサンデースクールタイムスの原文をも閲読した。その度毎に、何かしら言いがたい清らかなる感動に打たれるのであった。アーメンという声が私の胸の中に湧き起こるのであった。久しぶりに今これを想い出して見てもやっぱり同様である。実に気もちのよい挿話である。
この渋沢子爵の前になされたワナメーカー氏の証明こそは、すべての真実なるキリスト者のものである。「キリストは今も生きている!」我らは堅くそう信じている。ほかの人はみな死んだ。みな墓に入った。そうしてそのままに眠っている。ただイエスだけは如何なる意味においても眠ってはいない。彼は復活したのである。彼は墓を破って出て来たのである。彼は前よりも一段と、否、比較にならぬほど優秀なる存在状態に上ったのである。そうして今も確かに生きている。まことにすべての偉人とイエスとの間にこの一つの根本的差別がある。
偉人はみなある意味において今も生きていると言えば言い得る。すなわち彼らは偉大なる感化を世に残している。彼らはいつまでも人心を支配している。感化は力である。偉人は死んでも力を失わない。その意味において彼らは今も生きている。彼らを慕う人々の胸の中に。
しかしながらイエスが生きているというはこれとは全く事がちがうのである。感化は力であるが、力は必ずしも生命ではない。偉人の感化いかに力づよくあっても、所詮一つの記念物に過ぎない。感化は衣のように残る。しかし人は衣を遺して逝く。遺された衣において人は今も生きるのであるというは余りにも寂しい考え方ではないか。イエスはそういう風には生きないのである。彼は譬喩としてでなく真実に生きている。唯に感化をもってではなく、生命そのものをもって、人格そのものをもって、今もなお生きている。
もちろんイエスにも感化はある。絶大なる感化がある。しかしほかの偉人たちと異なり、彼の場合においては彼自身の存在が一切である。存在を離れてものはない。彼は真理を説いたというよりも、むしろ彼自身が真理であった。彼は人を生かしたというよりも、むしろ彼自身が生命であった。光が物を照らすはそれ自身が光であるからである。明るさを光から切り離して考えることはできない。そのように、イエスの感化を彼自身の存在から切り離して考えることはできない。夕映のあるところに夕陽はある。感化のあるところにイエスはある。彼は感化を衣のごとくに己の手より人に与え世に遺すのではない、彼の存在そのものが感化
であり、彼の人格そのものが霊感である。イエスは感化において生きない、かえって感化はイエスにおいて生きる。
「イエスは生きたもう!」千九百年前のある春の日の朝、彼の葬られし墓の前に立って天使はかく呼ばわった(ルカ二四の二三)。その声は永く今にいたるまで絶えない。すべて彼を知るものはみなこの証をつづける。ギリシャ人のまえにパウロはかく証した。渋沢子爵のまえにワナメーカーはかく証した。そうして今われらの同胞のまえに私もまたかく証する。イエスは生きている!疑うものは来て見るがよい。彼の声が聞こえるではないか。彼の手が我らの心臓に触れるではないか。その事を思わずして、世の偉人たちに往くようにイエスに往く多くの人々の愚かさよ。天使はまた言うたのである、「なんぞ死にし者どもの中に生ける者を尋ぬるか。彼はここにいまさず、甦りたまえり」と(ルカ二四の五、六)。しかり、彼はいと高き天に昇りて神の右に坐している。
二 「キリスト」の名に暗示せらるる彼の職分
キリスト・イエスという。「イエス」は人名であって、彼の親の命名に係る。彼の生まれるまえに、母マリヤも義父ヨセフもひとしく「その名をイエスと名づくべし」という告知を天使から受けたのであった(ルカ一の三一、マタイ一の二一)。それは旧約にある人名「ヨシュア」のギリシャ化したもの。「エホバは救う」との意味を有する。ゆえにヨセフヘの天使の告知には「己が民をその罪より救いたもうゆえなり」との註解が附いていた。すなわち彼は母の胎内にある時からしてすでに民の救い主たるべきを予想せられ、そのゆえにイエスという名をもって生まれて来たのである(ただしこの名は当時において珍しきものではなかった)。
これに反して「キリスト」は固有名詞ではない。それはヘブル語の「メシア」のギリシャ訳であって、油をそそがれたものすなわち受膏者を意味する。受膏者は一種の職名である。
元来ユダヤにおいては古くから人の身体に油をそそぐという慣習があった。思うに南国苦熱の地において、芳わしく柔らかなる油をもって膚をうるおすは、けだし心身に快適の事でなければならぬ。「油と香とは人の心を喜ばすなり」と賢者もいうた(箴言二七の九)。このゆえにあるいは嬰児もしくは病人を力づくるために(エゼキエル一六の九、ヤコブ五の一四)、あるいは賓客をもてなすために(詩二三の五、ルカ七の四六)油をそそぐ事は行われた。
この古き通俗の慣習からして、何時とはなく一種の公なる儀礼が生まれた。ある高くして聖なる職務に就くときに、油をそそぐ事はその任命の表式となった。それは意においては神の満悦を暗示し、形においては能力の賦与を象徴したのであろう。かくして膏を受けたものの第一は王である(前サムエル一○の一)、第二は祭司である(レビ八の一二、三○、詩一三三の二)、第三は預言者である(王上一九の一六、詩一○五の一五、イザヤ六一の一)。この三種の職にあるものがすなわち受膏者であった。
王と祭司と預言者と。三者は相待ちてイスラエルの精華を成す。俗界において民を統治するものは王であり、霊界においてこれを指導するものは祭司および預言者である。祭司は人より神への代表者、預言者は神より人への代言者、すなわち祭司ありて神への道を開き、預言者ありて天啓の真理を示し、また王ありてゆたかなる生命を備え、かくてこの三重の受膏者の職分のゆえに、選民イスラエルは護られ、教えられ、導かれたのである。
しかしながら王も祭司も預言者も未だ救い主そのものではなかった。彼らはみななお甚だ不完全なるものであった。ダビデ又はソロモンや、アロンの子孫や、エリヤ又はエレミヤなどによって、イスラエルは救われない。彼らはみな来たるべき者の型に過ぎない。やがて来たるべき者が来るであろう。そうしていかにかして王の職分、祭司の職分、預言者の職分を完全に果たすであろう。イスラエルはその日を待った。衛士が晨を待つにまさりて彼らはその日を待ちこがれた。
ここにおいてか受膏者すなわちメシヤは来たるべき救い主を呼ぶところの名となるに至った(ダニエル九の二五、二六)。「メシヤ(キリスト)は来たる」というて、イスラエルはその国民的待望のこころを表白した(ヨハネ四の二五、七の二七、三一)。
時満ちて、来たるべき者はついに来た。イエスはすなわちその人であった。人々は当初その事に気付かなかったけれども、次第に意識しはじめた。たとえばサマリヤの女はいうた、「この人あるいはキリストならんか」と(ヨハネ四の二九)。しかしこの大いなる意識を最も明白に代言したものはシモン・ペテロであった。彼はピリポ・カイザリヤの地方においてイエスの問いに答えていうた、
なんじはキリスト、活ける神の子なり。(マタイ一六の一六)
シモンのこの告白がいかに比いなきほどの満足をもってイエスに受容れられたかは人のよく知るところである。後にはベタニヤのマルタもまた同じようなる言を発した(ヨハネ一一の二七)。そうしてある時にはイエスみずからこの名を自分に適用している(ルカ二四の二六)。
かくのごとくにしてユダヤの古き職名なるキリストは、いつしか救い主としてのイエスを呼ぶために用いられた。人々はイエス・キリストまたはキリスト・イエスというて、これを固有名詞のごとく扱うようになった。
イエスはまことにキリストである。彼は「もろもろの人をてらす真の光」として世に来たのである。神がイスラエルを通して万民に与えようとする福祉はみな彼の中に籠もっているのである。そのゆえに彼は人として生まれたのである。イエスはキリストであって、そうしてキリスト以外の何ものでもない。さればこそ「イエス」の名も彼に適わしい。キリストであることは彼の全部であるとさえ言い得る。
このゆえにイエスの職分は当然キリストの名によって暗示せられる。ただに地上にありし日の彼のみならず、一たび天に挙げられし後の彼にありても同様である。イエスは今何をしているか。我らはまずキリストの名について探ろう。
キリスト――メシア――受膏者。先に見たとおりそれは本来ユダヤの職名であり、そうしてこの名に値する職務として預言者と祭司と王とがあった。三者は互いに異なる色彩のごとく相寄りて全き光を形づくる。従ってキリストの職分を分解して見るときは、おのずから又この三つに還元する。
キリストとはいかなる者か。彼は天啓の真理を示す預言者であり、人より神への途をひらく祭司であり、またゆたかなる生命を備うる王である。そうしてイエスはそのキリストである。ゆえに彼は常にこれら三重の職分を果たしつつある。ある時彼みずから言うた、
我は途なり、真理なり、生命なり。(ヨハネ一四の六)
祭司必ずしも途をひらかず、預言者必ずしも真理を示さず、王必ずしも生命を備えない。しかしイエスにありては間違いはない。何となれば彼は開くまえに示すまえに備うるまえに、自ら途そのものであり真理そのものであり生命そのものであるからである。彼にありては存在が一切である。まことにヨハネの言うたとうり、彼は光について証するものではない、彼は光自体である。ゆえに必ずかがやき、常に輝く。
その地上にありし日と同じように、今もイエスは我らの途であって我らをしっかりと神に結びつけてくれる。今もイエスは我らの真理であって我らを永遠の事に慧からしめてくれる。今もイエスは我らの生命であって我らを育み、力づけ、そうして世に勝たしめてくれる。
三 彼は預言者として真理を啓示しつつある
ある美しき春の日の夕がた、ふたりの人がエルサレムから数哩の村里に向かい、相語りながら歩いて往った。後ろから今一人の旅人がこれに追い付き、話の仲間入りをした。いつしかこの人が主なる話手となっていた。彼の言うところは不思議に輝かしいものであった。二人は熱心に耳を傾けた。やがて目ざす村里に辿りついたのちに、この人の姿は突如として消え失せた。そのとき二人はハタと思い当る事があった。そうして互いに顔を見合いながら言うた、「途にて我らと語り我らに聖書を説き明かしたまえるとき、我らの心、内に燃えしならずや」と(ルカ二四の一三〜三二)。
ちょうど右の二人がもったような経験を私もまたしばしばもつ。私もまた多くは夕がた野みちを歩きながら、しばしばある者と途づれになり、そうしてその者の口から輝かしいことを聞いては、私の心が内に燃えるのである。
殊に最近七年の間、私はこのようにして色々の事を学んだ。それはいずれも私としては目いまだ見ず耳いまだ聞かぬ事どもであった。いや、耳ではあるいはすでに幾度びか聞いていたかも知れない。しかし少なくとも心において未だかつて思わなかった事ばかりである。つまり心が鈍くあったために、「聞いて聞けども悟らず、見て見れども認めなかった」のである。その頑硬な心がある事からして砕かれた。そうしてそれ以後、私は日毎に新たに驚異すべきものを見聞しつづけた。
今その一二の例を挙げて見ようか。まず第一に私の学んだのは、「神の道は義である」ということであった。これは野原においてではなく、ある会堂においての経験であった。そのとき私は一つの苦い酒杯を飲み干したばかりであった。そうして神の道は時として甚だ邪曲であると、心外にも思いつめていたのであった。しかるにこの私の満腔のおもいに真正面からぶつかるところの声がある人の口から発せられた。普通ならば私の良心はいよいよ凝結して鉄のように反発するはずであった。けれどもその時はそうでなかった。不思議にもその一声一声が鋭い剣のように私の心臓に刺さるのであった。それは私にとっては人の声ではなかった。人ならぬある者が来て私の霊魂に語ったのである。聞いているうちに、「そうだ、全く!」と私の霊魂が叫んだ――この自分の思いを憚りなく踏みつけるところの専横なる言に対して!神の道は義である、義である、義である。そうでなくてどうしよう。余りにも当然なる天下の公理だ。たとえ私のために準縄はゲヘナの谷に落ちたとしても、神の道は必ず義でなくてはならぬ。そうだ、確かにそうだ。では私は血まみれのまま、感謝をもってすべての咎を受けよう、そうして永遠に聖名を讃美しよう。幾度びか私の繰り返す告白ではあるが、そう思うたときに私はたちまち霊に感じて携え上げられた。口いうことのできない光輝のなかに私は自分を見いだした。
次に私は「罪人のうち私が頭首である」ことを学んだ。ああいかにそれは私にとって高価な真理であったことよ。自分に関するあらゆる幻滅、言いがたき恥辱のおもい、ふしどにての涙、森かげにての乱れたる祈り……それらのものがみな払うべきの代価であった。しかしとにもかくにも、私は遂に見せつけられたのである、石炭よりも黒い自分のたましいを。
恐らくこの真理のごときは多年聞き慣れていたものの一つであろう。しかし何時自分はほんとうにそう思うた事があるか。人の犯す罪はみな自分の犯し得るものであって、あらゆる悪しき醜きものの卵を自分は持っていること、イエスが山の上にて説いたあの正しき量りによれば、神のまえに自分はあらゆる罪をすでに犯しまた現に犯しつつある者であること、いかなる弁明も自分には適わしくなく、かえって自分自身が頭からこれを悪みこれを怒りこれを排斥せずしては措きがたい者であること、そういう事を何時自分は承認したか。自分を顧みることは苦痛よりほかの何ものでもなく、そこに砂漠の溜り水ほどの望みもないことを何時私は見きわめたか。みな最近数年の間に、ある者が来て容赦なく私の着物を引剥ぎ私を赤裸にしてからの事に他ならない。
第三に私はまた学んだ、「私の義はただキリスト、私の聖潔はただキリストである」ことを。かくも黒きたましいを抱いて、私はどうして神のまえに生きよう。何処かに私の義がなくては、私はこの神の造りたもうた宇宙に自分の存在を要めることができないのである。また何処かに私の聖潔がなくては、私は糞尿の中に生きる蛆虫である。余りにもみじめである。堪えられない。「我らの負債を免したまえ」(義)、「我らを悪より救い出したまえ」(聖潔)と、我らが人としての本性は祈る。
棄てられた雛のように、私は怯えながら、目をあげて見まわした。そのとき一羽の大きな牝鶏が双の翼を拡げて、ココと呼ばわりおるを見た。ただちに私は馳せ寄ってその翼の蔭にうずくまった。見よ、私の不安は跡なく消え去ったのである。今や私の上に私をおおうところの完全なる義がある。私はそれを衣のように着ている。そうしてただそのゆえに私は自分の罪を神に忘れていただく。それよりほかに私を神に和らがしむる理由は一つもない。
聖潔もそのとおりである。キリストのみが私の聖潔である。私は同じように彼を着る。そうして彼にあって私はすでに潔い。この潔さはやがて必ず私自身のものとなるであろう。私はその事を瞬時も疑わない。
かように逆理的な真理も、長らく私はただ耳にて聞いていただけであって、目には見ず、もちろん心に真実におもうた事がなかった。しかるにある者が来て、それらをみな見せてくれた、みな握らせてくれた。その都度、私の心は驚異し、火のように燃えた。
以上は僅かに一二の例に過ぎない。私が彼から学んだ真理はそのほかなお際限のないほどに豊かである。すなわち私はキリストの事、神の事、人の事のほかに、自然の事を学んだ。救贖の事のほかに、創造の事を学んだ。個人の事のほかに、歴史の事を学んだ。殊に偉大なる真理は、それら一切を寵めての永遠の摂理の事である。世の創の前より世の終の後にまでかけての神の経綸の事である。いかに太初にロゴスは神と共にあったか。いかに神は永遠の世界から歴史の世界にまで進み出たか。いかに羔は世の創の前から屠られたか。いかに聖なる新婦は立てられたか。またいかに羔の婚姻は成るか――実に神の国の真理は大きい。その広さ長さ高さ深さとも量り知ることができない。しかもこれを一貫して統べ括るところの比いなく貴い中心的原理があって、すべては渾然たる無限の調和を成している。ただに神の国としての存在がそうであるばかりでない。やがては天に地にまた地の下にあるところの、見ゆるもの見えざるもの、祝福まれたるもの誼われたるもの、一切の存在が神の国によって意味づけられるのである。キリストこそは万物の中心である。この立場から宇宙を見るときに、宇宙は生動する。人生を見るときに、人生はおごそかさそのものである。物として無意義なるはない。事として偶然なるはない。すべては永遠の栄光のなかに、それぞれの地位に相列なる。これを垣間見ることを許されて、私もまたダンテとともに言いたい、
ああ豊かなる恩恵よ、そのゆえに
私は眼を永遠の光に向け
ついにその中に眺めを尽くした。
私は見た、その深処にはるか低く
愛をもて一巻に綴じ編まれて
宇宙に片々と散るものみなあるを。
すなわち本体、偶然、その諸相
みなもろともに鏤ばまれてあれば
右いうものはただ単一の光。(天国篇三三)
かくのごときは素より地上の哲学ではない。パウロのいわゆる「隠れたる智慧」すなわち「神われらの栄光のために世の創の先より予め定めたまいしもの」であって、遥かに高くこの世の智慧を超越する。これを受くるは天の国の饗応にあずかる事に他ならない。ゆえに、そこにはこの世ならず清らかなる甘美さがある。私はいつもおもう、神の国の真理を味わうにまさる喜びが何処にあろうかと。しかもその大きさは無限であるゆえに、真理は真理に増し加えられてやむときを知らない。祝福の饗応は永遠につづくであろう。神の栄光の富が尽きるまで、彼に満つるものがみな我らに満たされるまで。
世には慧い人が多い。殊に現代の日本には恐ろしく博学なる人たちがあるようである。彼らは何でもよく知っている。しかるにひとりこの神の国の真理だけは、彼ら智者達者に秘められて、かえって嬰児のごとき私などに示されるというは、何という皮肉であろう。
けだし神の国の真理は隠れたる智慧であって、この世の智慧を超越する。従ってこれを学ぶの途もまたこの世の智慧を学ぶがごときではないのである。ある一つの条件が充たされないかぎり、秘密は解けない。これを聞いて聞けども悟ることなく、これを見て見れども認めることがない。長らく私自身がそうであった。しからばその隠れたる真理がどうして遂に私に顕われたか。一つの条件とは何か。たびたび言うたとおり、ある者が私に来たのである。そうしてこれを私に顕わしたのである。
ある者とは?真理の霊である。真理の霊によるのでなければ、このたぐいの真理は啓かれない。パウロもいうた、「されど我らには神これを霊によりて顕わしたまえり。霊はすべての事を究め、神の深き所まで究むればなり。それ人のことは己が中にある霊のほかに誰か知る人あらん。かくのごとく神のことは神の霊のほかに知る者なし。我らの受けし霊は世の霊にあらず、神より出づる霊なり。これ我らに神の賜いしものを知らんためなり」と(前コリント二の一○〜一二)。すなわちパウロはここにこれを世の霊と区別して、もってその特性を明らかにしようとしている。世の霊とはこの世の智慧を獲るの原理たる能力である。それによって我らは哲学を究め科学を学び文学を修め芸術を練る。しかしそれによって我らは遂に神のことを究めることが出来ない。神のこと殊にその深き所までを究むるものは、ただ神のものなる真理の霊があるのみ。そうして真理の霊は誰にでも臨まない。エマオ村への途上の旅人に似て、この者もまた己を受けるだけの心的準備ある者にのみ近づく。私にある心的準備のできるまで、真理の霊は私を訪れなかった。それゆえに私は悟らなかった、神の道が義であることも、罪人のうち私は頭首であることも、私の義と聖とはキリストであることも。それら一切の逆理的真理は「世の霊」の咀嚼に適するものではなかったのである。ただ時満ちてあるカタストロフィ(大団円的異変)が起こり、さしも頑硬であった私の心が内側から崩れ始めるに及んで、真理の霊は切りに私の胸の戸を叩いたのである。そうして驚異すべき数々の光明をもたらしたのである。
さらば我らはさらに進んで真理の霊の本体を明らかにせねばならぬ。
真理の霊とは何であるか。能力であるか、人格であるか。もし後者ならばそれは誰が子であるか。
イエスはまさに世を去らんとするに当り、弟子達を慰めていうた、
われ父に請わん、父は他に助け主をあたえて永遠に汝らと共に居らしめたもうべし。これは真理の霊なり。(ヨハネ一四の一六、一七)
助け主すなわちわが名によりて父の遣わしたもう聖霊は汝らに万の事を教えん。(ヨハネ一四の二六)
わが去るは汝らの益なり。我さらずば助け主なんじらに来たらじ。我ゆかばこれを汝らに遣わさん……彼すなわち真理の霊きたらんとき汝らを導きて真理をことごとく悟らしめん。かれ己より語るにあらず、およそ聞くところの事を語り、かつ来たらんとする事どもを汝らに示さん。彼はわが栄光を顕わさん。それは我がものを受けて汝らに示すべければなり。すべて父の有ちたもうものは我がものなり。このゆえに我がものを受けて汝らに示さんと云えるなり。(ヨハネ一六の七、一三から一五)
以上の言によって見れば、真理の霊はただの能力ではなくして、生ける人格であること、かつまたそれはイエスとある特別なる関係にあるものであることは、疑いを容れない。しかしさらに精密に原文の意味を探るとき、我らは知る、真理の霊はイエス彼自身と別なる人格ではないことを。すなわち右の最初の章句に「他に助け主云々」とある言が証明する。これは「今ひとりの助け主云々」と訳すべき語であって、ある人と別人ならぬいわば半身のごとき関係にあるものを意味する(『旧約と新約』誌第五〇号「聖霊に関する考察」参照)。真理の霊は実にイエスと一体をなすところの人格である。イエスに代わって彼の意のままに第二の彼として働くところの人格である。このゆえに先ずイエスが去らなくては彼が来なかったのである。またこのゆえに彼はすべてイエスのものを受けて我らに示すのである。一言にしていえば、彼はイエスの霊である。彼においてイエス自身が働きつつあるのである。彼が真理を啓示するはすなわちイエスが己の霊をもってこれを啓示するのである。
ここにおいてか我らは知る、我ら世にありて無きがごとき者、殊に理知のはなはだ杳き者が、不思議なる光明を得て、この世の哲学者らの及ばない高所から人生と宇宙とを大観することができるなどという事実そのものの中に、イエスの現在に関する大いなる証明が存することを。彼イエスは世にあるあいだ預言者の完きものとして真理を啓示しつづけた。「恩恵と真理はイエス・キリストによりて来たれり」と、彼を見し者は叫んだ。まことに彼は「恩恵と真理とに満てる者」であり、むしろ真理そのものであった。しかるにその彼が一度び世を去るとともに復た我らと交渉なき世界に潜んでしまったのであろうか。もしそうであるならば、私などが有つところのこの真理の喜悦は、これは何処から来るのか。「無学の凡人」なるガリラヤの漁夫たちがエルサレムの司、長老、学者らを怪しませたのはどうしてか(行伝四の五〜一三)。パリサイの亜流、一パウロの言説が、偉大なるギリシャ哲学と相並んで、西洋二千年の思潮の流をそそぎいだす泉となったのは何故か。
目をひらいて見よ。真理の君なるイエスは、今もなお旅人のごとくに真理の子を追うではないか。今もなお静かなる細き声のうちになんじの前を過ぎゆくではないか。彼は砕けたる霊魂にむかうて語りつつある。耳ある者は聴くべしである。
四 彼は祭司として執り成しつつある
姦淫の現行犯人として捕らえられた婦人が、パリサイ人や学者などいう厳めしい顔付きの人たちに引き立てられて、エルサレムの宮にあらわれる。折から祭のために集うていた大衆の真中に彼女は立てられて、曝しものにせられる。そうしてそこに坐して教えていたひとりの教師のまえに訴えられる。いわく「師よ、この女は姦淫のおりそのまま捕らえられたるなり。モーセは律法に、かかる者を石にて撃つべき事を我らに命じたるが、汝は如何に言うか」。彼女の良心は痛む。しかるに教師は答えず、身を屈め指にて何やらん地に物を書く。訴える者は執拗くも迫る。教師は身を起こしていう、「なんじらの中、罪なき者まず石を打て」。また身を屈めて地に物を書く。群衆は老人をはじめとして一人一人散りゆく。遂に教師と彼女とのみが遣る。教師は再び身を起こして彼女にいう、「おんなよ、汝を訴えたる者どもは何処におるぞ。汝を罪する者なきか」。答えて「主よ、誰もなし」。教師「われも汝を罪せじ、往け、この後ふたたび罪を犯すな」。
かかる教師を見いだしたことは、罪人彼女にとってどんなに感謝すべき救いであったであろう。この人の存在のゆえに、痛める彼女の良心は和らげられたのである。この後決してふたたび罪は犯すまい。そう思いさだめて、失望の谷底からなおも雄々しく彼女は起ち上ることができたのである。
良心の痛みは致命的である。罪を犯してそれを意識するとき、我らの眼に輝きは消え、我らの胸に平安は失せる。我らはおもう、自分の人格はもはや抛たれし陶物のようにひびわれて、また合わせられる望みがないのであると。もろもろの失望のうち、この人格的失望にまさって暗いものはない。昔の詩人もいうた、「なんじの手は夜も昼もわが上にありて重し、わが身の潤いはかわりて夏の旱のごとくなれり」と(詩三二の四)。このような経験を幾度びか繰り返すうちに、我らは全く生きるに倦む。
私は今もしばしば罪に陥る。もしかの姦淫の女が見いだした教師のような人を私も見いだすことがなかったならば、どうして自らを支えようか。
感謝すべきかな、私にもその人がある。私は罪を犯す毎に彼に頼りたのむ。私の良心は彼を避所としてその蔭に逃げ込む。
宮の教師が罪の女を迎えた心は限りなき同情であった。しかも律法をふりかざす学者やパリサイ人らに直面し、また祭につどえる全国からの群衆を証人としながら、あえて姦淫の現行犯人を庇うことを躊躇わなかった彼の同情は、素より尋常のものではあり得ない。そこには確かに恐るべき罪人の責任を己に引き受けるだけの用意がなくてはならなかった。
私の弁護者もまたそうである。彼は第一に私の立場をみな諒解してくれる。私がどんなに弱い者であるか。誘惑がどうして私を襲うか。そのためにどんなに私が悩むか。すべてそれらの事を遺憾なく彼は思いやってくれる。人のひとりだにわかってくれぬ事でも、彼だけは不思議に皆わかってくれる。それは彼みずからかつてその最も幅ひろい生活をもって、人生のあらゆる種類の試み、あらゆる姿態の悩ましさを実験したことがあるからである。その意味において彼は最大の凡人である。
次にしかしながら彼は一度も試みに敗けたことのない人である。驚くべき人である。彼には道徳的の汚点というものが水の飛沫ほども附いていない。彼は潔い透き徹るほどに潔い。彼は完全なる義人である。しかり、彼は超人である。
さらにありがたい事は、この同情ふかき義人が、私の罪のために特別の備えをなしていてくれることである。すなわち彼は私が過去において犯した罪、また今後不幸にして犯すことあるべき罪の、一切を償うに足るだけの絶大なる犠牲を払うてくれた。言いかえれば、彼は私の罪をすべての意味において解消させるために、遂に己の生命までも棄ててくれた。
これだけの用意が彼にできている。それゆえに彼は新しい罪に泣きながら彼に縋りつくところの私を受け入れて、憚らずこれを庇うことが出来るのである。またそれゆえに私は致命的なる良心の痛みを彼の手に託してこれを忘れることが出来るのである。
彼はかつて「主よ、わが兄弟われに対して罪を犯さば幾たび赦すべきか、七度までか」と問うた者に対し答えていうた、「否、われ七度までとは言わず、七度を七十倍するまでと言うなり云々」と(マタイ一八の二一以下)。七度を七十倍するまで!幾百幾千度たりとも限りなく!これは人の口から聞くことのできる言ではない、彼がこのような勧めをすることのできたのは、彼自身に七度の七十倍を七百七十倍するまで赦すだけの用意があったからであった。あるいはもっと正確にいえば、人の罪に対する無限の赦しを神にむかうて要求するだけの用意があったからであった。
ただ一度でも致命的なる傷手である。それが数の数え得るかぎり完全に癒されて、その度毎に今生まれた嬰児よりも無垢なる者にして戴くことができるとは!福音とはこれでなくて何か。かような途が備わっていればこそ、私は日々に衰えたる手を強くし、弱りたる膝を立てなおして、目標にむかうて勇ましく躍り進む。
この私のための助け主は誰であるか。
ヨハネの記すところによれば、
わが若子よ、これらの事を書き贈るは、なんじらが罪を犯さざらんためなり。人もし罪を犯さば、我らのために父の前に助け主あり。すなわち義なるイエス・キリストなり。彼は我らの罪のために宥の供物たり。ただに我らのみならず、また全世界のためなり。(ヨハネ一書二の一、二)
みずから「義なる」者であって、そうして「我らの罪のために宥の供物」となって死んだところのイエス、すなわち今は甦って天にあるところの彼である。「父の前に」というは特にその意味を含む。イエスである。昇天のイエスである。彼があるかぎり、我らは新しき罪に胸うつ毎に右の音ずれを繰り返し聞くことができる。いわく「人もし罪を犯さば、我らのために父の前に助け主あり」と。アーメン、感謝である。
パウロも言うている、
誰かこれ(神の選びたまえる者)を罪に定めん。死にて甦りたまいしキリスト・イエスは神の右にいまして、我らのために執り成したもうなり。(ロマ八の三四)
しかしこの侍もしき助け主、天にありて我らのために執り成すイエスをつとめて紹介してくれたものはヘブル書記者であった。
我らにはもろもろの天を通りたまいし偉なる大祭司、神の子イエスあり。されば我らが言いあらわす信仰を堅く保つべし。我らの大祭司は我らの弱きを思いやることあたわぬ者にあらず。罪を外にして、すべての事われらと等しく試みられたまえり。このゆえに我らは憐憫を受けんがためまた機に合う助けとなる恵を得んがために、憚らずして恵の座に来たるべし。(へブル四の一四〜一六、二の一八)
イエス我らのために前駆し、とこしえにメルキゼデクの位に等しき大祭司となりて、その処に入りたまえり……すなわち彼につきて、「主ちかいて悔いたまわず、なんじは永遠に祭司たり」と言いたまいしがごとし……このゆえに彼は己に頼りて神にきたる者のために執り成しをなさんとて常に生くれば、これを全く救うことを得たもうなり。かくのごとき大祭司こそ我らに相応しき者なれ……そは一たび己を献げてこれ(犠牲の献供)を成したまいたればなり。(へブル六の二〇、七の二一〜二八)
ヨハネが俗語にて助け主(弁護士などと同意)というものをヘブル書記者は宗教語にて祭司という。その意味するところは異ならない。弁護士と大祭司、二者はひとしく罪人の友である。ひとしく罪人の弱きを思いやり、あらゆる適当にして有効なる理由を提供して、もってその罪の赦免をはからう。その事を呼んで執り成しという。我らのために執り成しをなすところの弁護士また大祭司は誰か。イエスである。「死にて甦り、今は神の右にいます」ところのキリスト・イエスである。彼には、すでに献げたる犠牲のゆえに、如何なる罪のためにも執り成し得るだけの用意がある。このゆえに我らは憚らず彼に頼りたのむ。そうして「心は濯がれて良心の咎をさり、身は清き水にて洗われ、真の心と全き信仰とをもて神に近づく」(へブル一〇の二二)。
イエスは今や神の右に坐して断えず我らのために執り成している。我らはそれを疑わない。何となればもしそうでなかったならば、我らの日々の罪のために、我らの良心は必ずや破産してしまったであろうから。
五 彼は王として戦いつつある
「ガリラヤ人よ、汝は勝った!」
背教者と呼ばれるローマ皇帝ユリアヌスは、今一たび異教の戦士に立ち還って、キリスト教を撲滅しようと試みた。彼は思慮なき祖先たちがなしたように迫害をもってかえって信仰の火を煽るの愚を学ばなかった。彼の武器は剣よりもさらに力づよきものであった。すなわち古代ギリシャの信仰および学問の復興これである。新プラトン主義に強烈なる道徳的活力を注入して、もってキリスト教に取って代わらしめようとするのが彼の戦略であった。
しかしながらこの試みも見事に失敗した。朽木のように異教の哲学は倒れた。野火のように生命の音信は拡がった。帝国はキリストの手に帰したと見えた。失意の皇帝は呻くがごとく叫んだ、いわく「ガリラヤ人よ、汝は勝った」と。
由来この世の権者にしてユリアヌスと同じ歎声を発したものは決して少なくない。後年の英雄ナポレオンもその一人である。彼もまたいうた、「アレキサンダー、シーザー、シャールメン及び私自身は、みな帝国を打ち建てた。しかし我らは何を基礎として我らの天才の創造を築いたか。ただ力の上にである。ひとりイエス・キリストのみはその帝国を愛のうえに打ち建てた。そうして今という今なお幾千万の人が彼のために死のうと欲している。キリストを除いてその他のすべての存在には何という不完全の多いことであろう!」と。
しかるに他方においては「おお蒼白のガリラヤ人よ」というて彼を嘲るスインバーンの徒もまた昔から未だ絶えたことがない。
蒼白か、勝利か、いずれも共に事実である。彼は主のまえに芽のように、乾いた土から出る樹株のように育った。われらが見るべき美わしき容なくうつくしき貌はなく、われらが慕うべき艶色はなかった。彼は侮られて人に棄てられ、悲しみの人として悩みを知った。また顔をおおうて避けることをせられる者のように侮られた。彼自身がそうであったから、彼に属く者どももまたおのずからそうでなくてはならぬ。彼らの中には肉による智き者がおおからず、能力ある者がおおからず、貴き者がおおくない。彼らは概して世の愚かなる者であり、弱き者であり、卑しきもの軽んぜらるるもの、すなわち無きがごとき者どもである。その数から見ても、彼らは「小さき群れ」でないことはない。
ただにこのようにキリストの徒は皮相の事において劣れる者であるばかりでない。甚だ遺憾なことに、彼らはまたその本質的なる問題についてさえしばしば見苦しき失敗を繰り返すのである。たとえば彼らは間もなく初めの愛を離れた。彼らは幾度びか世と姦淫した。また彼らの中に断えざる嫉妬と紛争とがある。皇帝ユリアヌスがその若き日の信仰を棄てて再び異教に帰ったのも、一つには教会内の醜さを見るに堪えなかったからであった。
キリストの徒は弱い、そうして醜い。必ずしも外観だけではない。彼らが真実に世の光となって燈台の上の燈火のように暗黒を照らしたことが、今までに果たして幾度びあったか。むしろ大抵の場合に彼らは世の芥のごとく、万の物の垢のごとくあった。
しかるにも拘わらず、久しき時に亙りて歴史を視透してみるときに、この小さき群れの足跡は勝利そのものであることを、何人も疑うことができない。
実にこの数うるに足らぬ存在を地上より拭い去らんがために、今にいたるまでいかばかりの努力が繰り返されたか。剣と火と、ペンと巻物と、王座と黄金と、念珠と護符と、望遠鏡と顕微鏡と、小刀と糊と、赤旗とスローガンと、およそ人の頭脳の発明し得べくまた世の権力の使用し得べきあらゆる道具が用いられた。炉の火は様々の薪により焚き直されて、小さき群れは幾度びとなくその中に投げ込まれた。しかるに、見よ、彼らは一度として焼け失せぬのみか、かえって煉られたる白銀のようにしては再び現われ来るではないか。そうしてなおも侮られ卑しめられながら、確実に地の極までを占領しようとしているではないか。
これはまさしく大きな歴史的矛盾である。この矛盾を指摘して、優れたる教会史家ゾームは言う、「しかも教会は依然として打ち勝ちがたくあった。キリスト教の驚異とその最大の功業とはまさにここにある。すなわち遂に滅ぼされなかったという事にある。たとえこれを代表する徒輩はいかにみじめであっても、やっぱり勝利を得たという事にある。背教と荏弱と罪悪とはキリスト教の不滅の勢力を毀つにいささかの力もなかった。それは俗化したけれども、なおかつ全世界を醗酵させるだけのパン種たるを失わなかった。それは追随者の大多数によって裏切られたけれども、なおかつ選ばれたる者の一つの小さき群れとして、罪過に拘わらず、世界を征服するに足るだけの精神がその中に存した……キリスト教会の歴史において我らを取り巻く一切の陰影と暗黒とを破りて、たとえば昼いま盛りなる太陽が、密雲を引き裂きその裂け目のここかしこから燦然と輝きながら上りゆくように、まことのキリスト教の不滅の光明はとこしえに堂々と顕われ出でるのである」と(ゾーム『教会史綱要』英訳二一、二二頁)。
しからばこの目ざましき矛盾を解くところの原理は何であるか。ゾームは最後にそこに触れて一言を加えた。曰く「教会は勝った。ただしキリスト者のゆえにではなく、かえって彼らにも拘わらず勝った――すなわち福音の力によって勝った」と。この説明は正しい。けれども足りない。福音はたとえば地に蒔かれた種子である。種子は水濯ぐ者の如何に拘わらず育つであろう。しかし必ずやこれを育てる者がなければならぬ。
水そそぐ者の如何に拘わらず種子を育てる者は誰であるか。キリスト者の如何に拘わらず教会を勝たしめる者は誰であるか。キリストである、イエスである。彼がみずから教会の先頭に立って、烈しき戦いをたたかいつつあるのである。
古の預言者的詩人は昇天のイエスの幻影を見て歌うていうた、
エホバわが主にのたもう、
我なんじの仇をなんじの承足とするまでは
わが右に坐すべし。
エホバはなんじの力の杖を
シオンより突きいださしめたまわん。
なんじはもろもろの仇のなかに王となるべし。
神はイエスを己が右に坐せしめて、これに王としての尊厳と権力とを賦与し、かつその最後の勝利をかたく保証する。イエスの戦いはここに第二期に入りて、その地上にありし日よりも遥かに確実なるものとなる。神みずから彼のために力を備えたもうがゆえである。
しかし戦うはもちろん神のみではない。イエスはそのあいだ安閑として王座に静坐しているのではない。坐すべしというは尊厳と権力との地位を指示するに止まる。この高き尊厳と権力とを受けて、イエスはこれを適当に使用せねばならぬ。戦いは彼のものである。神は彼を助ける。しかし進んで陣頭に立つものはイエス自身に他ならない。
在天の王としてのイエスの戦いはいかにして戦われるか。まず第一には彼が率いるところの軍団による。
なんじのいきおいの日に
なんじの民は聖なるうるわしき衣をつけ
心よりよるこびて己をささげん。
なんじは朝の胎よりいづる
壮きものの霊をもてり。
小さき群れは数うるに足らぬとはいうものの、なお出陣の日に彼の霊感によって輝き、朝露のように若々しく躍り立つものが少なくない。石にて撃たれるとき目を挙げて神の右に立ちたもうイエスを見、「主よ、この罪を彼らに負わせたもうな」と叫んだステパノを初めとして、信仰の勇士は代々相襲ぐ。王なるイエスは彼らの傍に立ちて「雄々しかれ」とこれを励ますがゆえである(行伝二三の一一)。
しかしながら先にも見たとおり、イエスの勝利は必ずしもその民のはたらき如何には依らない。たとえ軍兵は衰えても、イエスは神と共にみずから大いなる戦車を全地の上に駆る。
主はなんじの右にありて
そのいかりの日に王たちを撃ちたまえり。
主はもろもろの国のなかにて審判をおこないたまわん、
此処にも彼処にも屍をみたしめ
寛濶なる地をすぶる首領を撃ちたまえり。
神はイエスの右にありて、もろともに世の王たちを撃ち、もろもろの国のなかに審判を行いたもうという。もしイエスにしてすでに神の座位に坐することを許されたのであるならば、従ってまた「天にても地にても一切の権」が彼に与えられたのであるならば、この事はあえて怪しむに足らない。イエスは今や神と共に間違いもなく「摂理」の総攬者である。たとえ方法は如何にもあれ、彼は自然と歴史との全体をその掌の中に掴んでいなければならぬ。そうしてすべての被造物とすべての出来事とをしてひとえに己が意を成さしめなければならぬ。
イエスは今も王として戦いつつある。敵は強い。戦いは烈しい。しかしながら
かれ道のほとりの川より汲みて飲み
かくてこうべを挙げん。
彼の勝利はすでに定まる。なお世にある時さえ彼はいうた、「雄々しかれ、我すでに世に勝てり」と。まして今いと高き所に昇りて父の右に坐しをる時をや。世界は彼の意のままに動く。その力の杖のまえに、皇帝ユリアヌスが何かあろう。暗黒の君サタンが何かあろう。「ガリラヤ人よ、汝は勝った」。しかり、彼は勝った。そうして彼はさらに限りなく勝ちてまた勝つであろう。また彼のゆえに我らもひとしく勝ちてまた勝つであろう。声きこえる、いわく「懼るな小さき群れよ、なんじらに聖国を賜うことはなんじらの父のみこころなり」と。
「旧約と新約」第一〇七号、一九二九年五月