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エクレシヤ(教会)の研究
藤井武
Takeshi Fujii
一 イエスのエクレシヤ観
水清く、山青きピリポ・カイザリヤのほとりで、イエスは初めて自分に関する人間の心からなる告白を聴いた。いわく「なんじはキリスト、活ける神の子なり」と。この言はたちまちイエスの心臓にまで響きわたった。善くこそ今は暁ってくれた、自分はまさにそれである。神から油そそがれたキリスト、永遠に活きたもう神の愛子。近代詩人の言によれば "Srtong Son of God, immortal Love" である。イエスをそれと認めることは小さな事ではない。まことにこれを人に示すものは血肉ではなくして、天にいます神自身である。聖霊に感じなければ何人もこのような告白をなすことは出来ないのである。イエスは前にも同じ意味の言を聞いたことがないではなかった(マタイ八の二九、一四の三三等)。しかし一時の感激からでなく、長い間の経験にもとづき決定的になされた告白としては、これが最初のものであった。あたかも我らがいわゆる知己を見いだした時のような悦びが、いま彼を満たした。
そうしてこの祝福されたるシモンの告白の中に、イエスは何か大きなものの影を認めたのであった。シモンの言はただ彼だけのものではない、彼を代表者として、やがて同じ告白を自分に向かってなすであろうところの或る者。そういう者の姿をイエスは今はっきりと思い浮かべた。
それは何か。何であろうとも、とにかくイエスの真実の知己であり、満率(一〇〇パーセント)の意味において「我が有」と彼が呼び得るところの者でなければならない。
イエスは仮りにそれに名を与えて「エクレシヤ」と呼んだ。そうしてその者を一つの建物に見立てていうた
バルヨナ・シモン、なんじは幸福なり……我はまた汝に告ぐ、なんじはペテロなり。われこの磐の上に我がエクレシヤを建てん。黄泉の門はこれに勝たざるべし云々。(マタイ一六の一七、一八)
まず代表的にこの認識をなしたところのシモンは名にし負うぺテロすなわち磐である。土台たる磐である。イエスが求めているところの「我がエクレシヤ」は、この磐の上に打ち建てられるであろう。否、イエス自らそういう風にしてこれを築き上げるであろう。シモン・ペテロの告白は、イエスにとっては、自分の家の土台石の発見に他ならなかった。今までそれを尋ねていたけれども見つからなかったのである。基礎がすでに据えられてしまえば、建築は難かしい事でない。イエスの目には早やそれが成上って、生き生きと輝いている容子が映った。陰府の門もこれを呑むことは叶うまじく見えた。
「我がエクレシヤ!」珍しい言である。イエスは従来ついぞ一度もそういう言い方をしたことがなかった。この後とても、四福音書に記されるかぎり、彼のこの語を用いたことは、ただ一回しかない(マタイ一八の一七)。そうしてペテロを土台のエクレシヤという彼の一言を盾にとって、ロマ天主教会があるまじき主張をなし、今なおそれを止めないために、右の一節はおのずから疑惑の目をもって見られ、近代本文批評学上とかくの論議を醸すに至った。多くの学者(ヴアイセ、ブリーク、ホルツマン等々)はイエスが曾てエクレシヤなる語を使ったことを否定し、右のごときは後年に教会が起こってから、誰かが勝手にイエスの口に挿入した偽作に過ぎないと主張する。
私は今本文批評について彼是いうまい。学者をして学説を提唱せしめよ。ただ私は信ずる、たとえその名はどうあろうとも、イエスがここに語ったと伝えられるところの彼のエクレシヤ、彼の親しきもの、彼に属く者の実体そのものは、絶えず彼の胸の中に懐かれていたことを。前にも後にも折に触れて彼はその思いを外に漏らした。
たとえば彼は幾度びか自分を新郎になぞらえている。この考え方は彼にとって本質的に妥当なものであったと見え、饗宴を責められたときの弁護などには殆ど無意識のうちに発露していることを見るのである。
新郎の友だち新郎と共に居る間は悲しむことを得んや。されど新郎を取らるる日きたらん。その時には断食せん。(マタイ九の一五)
また「天国は己が子のために婚宴をもうくる王のごとし」といい(マタイ二二の二)、「このとき天国は燈火を執りて新郎を迎えに出づる十人の処女に比うべし」という(同二五の一)。いずれも同じ意味の譬喩である。イエスは彼の自覚において、婚宴を待つところの新郎であった。彼の生涯は荊棘の中を往くような痛ましさに満ちながらも、なおその間に百合の花の咲きみだれているような芳わしさが常に伴うていたのは、全くこの自覚によるのであった。
「新婦をもつ者は新郎なり」(ヨハネ三の二九)。イエスが自分を来たるべき婚宴における華婿と自覚していたからには、当然また彼と並び立つべき華嫁の意識がなければならなかった。しからば神の子キリスト・イエスが己の佳偶としてこれに合うべく期待していたところのその者は誰であったか。
自分を新郎と呼んだイエスは、また或る人々を新郎の友だち或は新郎を迎えにゆく処女らに譬えているが、新婦は誰であるかを明らかにしない。しかし彼の時々の言を綜合してこれを推察することができる。
彼の譬喩によれば、彼みずからは新郎であるけれども、婚姻はまだ成ったのではない。その前に「新郎の取らるる日」があり、また新郎の再び「来たる」日がある。彼再び来たりて初めて新婦を受け取り、かくして共に「婚宴に入る」のである(マタイ二五章)。従って彼の新婦の誰であるかは、彼が再び来たりて受け取る者の誰であるかによって定まる。
その問題については、イエスはオリブ山上の預言の中に明白に教えていうた、
そのとき人々、人の子の大いなる能力と栄光とをもて雲に乗り来たるを見ん。そのとき彼は使者たちを遣わして、地の極より天の極まで四方よりその選民をあつめん。(マルコ一三の二六、二七)
人の子イエスが再び来たりて己を受け取るところの者は、個人ではない、団体である。「彼の選民」と呼ばれる一団の社会である。これに列なるものは四方に散在している。地にあるものもあれば、天にあるものもある。故に彼はまず使者たちを遣わして、地の極から天の極まで、あらゆる方向から彼らを呼び集め、そうしてこれを一つに纏めて己に受け取ろうとする。
ここにイエスは彼らを総称して彼(人の子)の選民というた。選ばれて彼の有となったものの意味である。彼らは特別に彼のものである。その関係は最も深い。イエスは或る時かれらの代表者ともいうべき人々にむかいその関係を譬えていうた、「我は葡萄の樹、なんじらは枝なり」と(ヨハネ一五の五)。枝は樹に列なりてこれと共に一体を成す。樹を離れて枝の生命はない。枝と樹とは二つではない、一つである。そのようにイエスの選民とイエスともまた二つではない、一つである。彼の民たるものが四方から集められて彼に合うは当然の事である。そのために彼はやがて再び来たるのである。
一方において、新郎イエスは来たりてその新婦を迎えるであろうという。他方において、人の子イエスは来たりてその選民を集めるであろうという。この二つの言が同じ事実を意味するものでなくてどうしよう。人の子がもし新郎であるならば、その新婦は彼の選民でなければならぬ。
イエスが自分の妻としてその心に懐いたものは、かの婦人またはこの女ではなかった。そういう風な考え方をするには、彼の自覚はあまりに高くあった。イエスには普通の人の知らぬ問題があった。人は往々にしてイエスが結婚しなかったことを怪しむ。しかし彼は結婚しなかったのではない。ただその対象として特定の婦人を考えることが出来なかったのである。多くの婦人のうちのひとりを自分の半身として選ぶことは、彼にとっては無意味であったのである。何となれば、彼は特別の意味において「人の子」であったから。彼の興味と熱情とはすべての人の上にあった。彼は個人を愛するにまさって人類を愛した。ベタニヤのマリヤまたはマグダラのマリヤを憶うにまさって迷える羊の群れそのものを憶うた。彼がもし「首」であるならば、個人は彼にとって「肢」に過ぎない。首は個々の肢ではなく、その列なりて組みなすところの「体」そのものと合わねばならぬ。イエスは「人類」を熱愛した。彼女を彼は自分の胸に抱いた。彼女をわが妻と彼は定めた。そうしてこれをその罪より潔め、聖なる新婦として己が前に立てんがために彼は己を棄てたのである。
昔からの数えがたき人々のうち、最もイエスに近かったと思われるものはエレミヤであるが、彼の場合にも同じような事を見うける。イエスと同じようにエレミヤも結婚しなかった。それは何故であったか。「エホバの言また我にのぞみていう、汝この処にて妻を娶るかれ、子女を得るなかれ。この処にて生まるる子女とこの地にこれを生む母とこれを生む父とにつきてエホバかくいいたもう、彼らは惨ましき病に死し哀しまれず葬られずして糞土のごとくに田地の面にあらん云々」と彼みずから言う(エレミヤ一六の一〜四)。惨ましき国民の運命を預言すべき者にとって、家庭生活は適わしくなかったのである。しかし仮りにこの理由を別にして見ても、我らは或る婦人と結婚生活を営めるエレミヤを想像するに苦しむ。「シオンの女」こそは彼の愛であった。ユダの民こそは彼の新婦であった。「わが民の女の傷みによりて我も傷みかつ悲しむ……ああ我わが首を水となし、わが目を涙の泉となすことを得んものを」と彼は叫んだ。エレミヤは国民を妻とした。その故に彼は結婚しなかった。
愛はただ個人を対象とすると思うは誤りである。事実がこれを証明する。ひとりイエスやエレミヤばかりでない。近くは我国に来て布教数十年、遂にこの土に骨を埋めたニコライのごときがある。聞くならく、彼は青春すでに上よりの召命を受け、日本を自分の妻とさだめてそのために生命を棄つべく決心し、しかして相思の人と相別れてロシアから来たのであると。この国が不幸にして己の故国と兵火相見ゆるに至っても、彼は立ち帰ろうとせず、国を挙げて燃ゆるがごとき敵愾心に直面しながら、安んじてここに踏み止まったのであった。
イエスの妻は全人類である。彼の愛はこれよりも狭き範囲に限られることができない。しかしながら人類はそのままに彼に結びつくことができない。罪にまみれた者がどうして聖なる者の佳偶であり得ようか。羔の新婦は罪から潔められた人類、生まれ更わった人類でなければならぬ。
罪の人類の生まれ更わったもの、イエスの半身はそれである。それを彼は慕うた。それを彼は求めた。彼の心はそれにむかって集中した。
更生の人類は如何にして得られるか。イエスがみずからこれを創造するよりほかない。新しき建物のように、彼がみずからこれを建立するよりほかない。
彼の死、彼の復活、それらはみな新しき人類を創造するの途であった。途はこれよりほかにはなかった。イエスは始めからその事を承知していた。故に彼はかくのごとくにして己の妻なるものを立てようと、絶えず準備していた。
建築はまずその基礎から据えてかからねばならぬ。選民イスラエルの基礎はアブラハムに見いだされた。更生人類の土台石は何処にあるか。
これを尋ねている最中の事である、かのシモン・ペテロの告白をイエスが聴いたのは。「なんじはキリスト、活ける神の子なり」と。心からこの告白をなすことのできる者、イエスをキリストと認めてその前にひれ伏すことのできる者、そういう者のみが確実に罪から潔められるのではないか。果たしてしからば、この短き告白こそはやがて更生人類の意識でなければならぬ。イエスの憩うべき新しき家は、これを最初に言い表わした人を土台石として建てられねばならぬ。
「なんじはペテロ(磐)なり。我この磐の上に我がエクレシヤを建てん」という言は、実にかかる時に発せられたのであった。
エクレシヤの字義については、我らは別に研究するであろう。しかしこの場合におけるイエスの発言として、それの実体が何であるかは、以上の考察により十分明白であるとおもう。イエスの「我がエクレシヤ」は、罪から潔められた人類、更生の人類でなければならぬ。そうしてそれは全くイエスのものでなければならぬ。枝の樹におけるがごとく彼に属くもの、しかり、彼の妻でなければならぬ。
二 エクレシヤに於ける人道的観念
附「教会」を「召団」と改訳せよ
エクレシヤの観念はイエスの人類愛に孕まれた。イエスは人類のすべてを愛した。彼は万人のために生命を捨てた。「主はただ一人の亡ぶるをも望みたまわず、すべての人の悔い改めに至らんことを望みたもう」(後ペテロ三の九)。彼の願いは、アダムにおいて堕落したる全人類がそのまま彼において更生せんことにあった。もしその事ができたならば、エクレシヤはすなわち万人の総団体であろう。旧き創造なる人類そのものと、新しき創造なるエクレシヤと、二者は少なくとも理想的には無条件に一致するものでなければならぬ。イエスのエクレシヤにはまず第一にこの人道的観念がある。
これをパウロの言をもっていえば、生来の人類は「血気のもの」であり、エクレシヤは「霊のもの」である。前者がアダムから出たように、後者はキリストから出る。アダムから出たものは人類全体である。同様にキリストから出るものもまたそうでなければならぬ。その意味においてパウロはキリストを「終わりのアダム」といい「第二の人」というて居る、けだし始めのアダム又は第一の人が血気のものであるに対し、これは霊のものであって、そうして等しく人類の典型たる地位に立つからである。その地位の重さにおいては、アダムとキリストとに甲乙はない。ゆえにパウロはまた次のようにも言うている、「されば一つの咎(アダム)によりて罪を定むることのすべての人に及びしごとく、一つの正しき行為(キリスト)によりて義とせられ生命を得るに至ることもすべての人に及べり」と(ロマ五の一八)。いずれも「すべての人」である。前なるすべては生来の人類であり、後なるすべてはすなわちエクレシヤに他ならない。
しかしながらアダムから出ることは血気の事、肉の事、自然の事であるに反し、キリストから出ることは霊の事である。そうして霊の事は自然の事のように簡単でない。それは機械的でなくして道徳的である。そこに意思のはたらきが要る。人は誰しも自ら識らずして、あたかも卵がかえるように母の胎から生まれ落ちる。かくて彼はすでにアダムの裔である。しかし人がキリストにおいて更生するためには、彼は自分の意思においてキリストを取り入れねばならぬ。すなわち彼を信ぜねばならぬ。信じない者は何時までも新たに生まれることができない。
ここにおいてか更生の人類は必ずしも生来の人類と一致することができないのである。実際において、信ずるものはむしろ少数である。彼らは己の上に動くところの或る大いなる手に抗いきれずして、遂にキリストの前に兜を脱ぐのである。何故に自分たちだけがこのように降服せねばならぬのかを彼らは知らない。多くの人が信じないでいることは、彼らにとって実に不思議である。けれどもそれは仕方がない。彼ら自身としては、何故かは知らねど自分たちは特別に神様に選ばれたものであると考えるよりほかない。
確かに選ばれたものである。信ずるは選ばれることである。神は全人類にむかって呼びかけたもう。しかし「呼ばるるものは多けれども選ばるるものは少なし」である。福いなるはかくして選び出されたものである。彼らは「今の悪しき世から救い出さ」れたのである(ガラテヤ一の四)。「暗黒の権威から救い出されて、父の愛しみたもう聖子の国に遷さ」れたのである(コロサイ一の一三)。されば彼らは讃美していう「讃むべきかな、我らの主イエス・キリストの父なる神。かれはキリストによりて霊のもろもろの祝福をもて天の処にて我らを祝し、み前にて潔く瑕なからしめんために、世の創の前より我らをキリストの中に選び、みこころのままにイエス・キリストにより愛をもて己が子となさんことを定めたまえり」と(エペソ一の三〜五)。
このように、更生の人類は生来の人類そのものではなくして、選ばれたるものの団体である。やむを得ない。彼らは「血脈によらず、肉の欲いによらず、人の欲いによらず、ただ神によりて生まれ」た者であるからである(ヨハネ一の一三)。かかる特別の祝福を受けた人々が互いに肢となって、そうして組み成すところの「体」、それがイエスの半身である。
イエスはこれを呼ぶに名を要した。何という名を以てすべきか。
「エクレシヤ」(呼び出されたもの)。当時ひろく行われし語の中にこれがあった(マイヤー)。すべて或る目的のために選ばれたる人々の集会を意味した。旧約のギリシャ訳(七十人訳)には「カーハアル」(集会)の訳語として度々用いられている(申命一八の一六、二三の一、士師二一の八等)。新約においてもこの普通の用例を見る(行伝一九の三二、三九、四一、同七の三八。邦訳には会衆や議会、集会などと訳されている)。
恰好の名である。選ばれたるものの団体を呼ぶに、これより適わしきはない。イエスは躊躇なくこれを選んでいうた「我がエクレシヤ」と。
イエスに倣うて、ヨハネもヤコブもこの名を用いた。しかし特にこの名を愛してこれを世界に普及せしめたものはパウロであった。彼はまことに「エクレシヤ」の使徒であった。
邦訳にいわゆる「教会」とは如何なる意味か。恐らくは宗教的集会の略か。いずれにせよ、原語の心もちが少しも表われていない。「教」は余計である。臭味がある。坊主くさい。羔の新婦を「教会」などとは映らない。爾今よろしく改称して「召団」といえ。
ただし私は繰り返し注意する。エクレシヤが「選ばれたるもの」の団体たるは、その成立ちの上からやむを得ずしてそうであるに過ぎない。本来の目標は全人類にある。エクレシヤは差別、排他を本領とせずしてかえって包容、同化を面目とする。この消息をパウロは奥義と呼んだ。そうして言うた「すなわち異邦人が福音によりキリスト・イエスにありて共に世嗣となり、共に一体となり、共に約束に与る者となる事なり」と(エペソ三の六)。選ばれたるは一つにならんがためである。全人類のための召団である。かの選民の祖なるアブラハムにむかってなされし「汝の子孫によりて天下の民みな福祉を得べし」との約束こそはエクレシヤの預言であった。
三 社会意識の理想として見たるエクレシヤ
近代思想の行き詰まりとその展開の途
(一)
現代の思想も生活も行き詰まった。人々はなやんでいる。なやみながら、またしても新たなる途を切り開こうと努力をつづけている。
それは何処に行き詰まったのか。またその新たに展開しようと努めているのは、どういう方面に向かってであるか。
(二)
ルーテルの宗教改革をもって始まったところの近世は、一言にしていうならば個人主義の時代であった。宗教改革そのものが、強大にして不当なる教会の権威に対する個人の反抗を意味した(プロテスタンチズムの名の起こった所以である)。制度によらず権威によらずして、個人の霊魂が直ちに神に迫り親しくこれと結びつく所に、プロテスタンチズムの信仰生活があるのである。しかもかくして解放されたる個人の霊魂は爾後四百年のあいだにあらゆる高踏雄飛を試みた。
そこには理性の燈をもって伝統の闇を駆逐しようとする啓蒙思潮があった。既存の世界秩序を根底からひっくり返して自由平等の社会を打ち建てようとするフランス革命があった。想像と感動との翼をかりて不可思議なる理想世界に高潮しようとするロマンチシズムがあった。また個人の自由の保証を立憲政治や法治国に求めようとする自由主義などもあった。
かく様々の形に燃えあがったところの近世の個人主義に、さらに油をそそいだものはカント哲学であった。カント哲学は、その人格のかぎりなき尊厳を高唱し、意思の絶対なる自律を強調することにおいて、まさに個人主義そのものである。個人の霊魂はここに己の価値を見いだして、厳かさのあまりに戦慄した。
プロテスタンチズムとカント哲学、この二つのものに織り成されて、個人主義のあらゆる色彩を発揮したものが、いわば近代人の思想と生活とであった。
(三)
個人主義は勇ましくあった。喊声はしばしば挙がり、解放は絶えず行われた。自由は海の水のように漲り、平等は浜の砂のようにたなびいた。長らくもろもろの封建的鉄鎖になやまされた個人の霊魂は、ここに飽くばかりの満悦を覚えねばならぬはずであった。
しかるに実際はどうかと見るに、人々の渇きは遂に潤されないのである。
カント哲学における人格の尊厳はありがたい。意思の自律も貴くある。しかしそれらを受け入れて見るときに、自分の立場はあまりに孤高なるものであって、少なからず心苦しいことに気付く。大体、カントの人生観には矛盾や分裂が勝ち過ぎる。今少しく調和があってほしい。今少しく自然と道徳とを和がせてもらいたい。無上命法の要求に多少は手加減を加えてもらいたい。さもなければ、弱き人間には堪えがたく感ぜられる。
プロテスタンチズムは真理であろう。我らが義とせられるのは信仰によるのであって、祭司の執成も要らなければ、自分の功績も要らない。聖書の解釈は各人自身のたましいの奥底に照らされた光によれば、それで善いはずではある。しかしながらそういう風にして来て見た結果はどうか。各人みなおのが好むところに割拠して、統一はもちろんのこと、適当なる同情の交換すら無い。すべてがてんでんばらばらである。さびしい。冷たい。教派の分立無慮幾百、右は再臨狂から左は社会派まで、その混乱の有様は、ほとんど百鬼夜行とでも評すべくある。
果たしてしからば、現代人たるもの豈なやみなからんやである。禍いなるは現代人である。彼らはみなその心の深所に欠乏を感じている。つまり彼らは漸く個人主義のさびしさを自覚し初めたのである。彼らは分裂孤立の途に行き詰まったのである。
(四)
もし泰西思想界における古来の二大潮流をプラトーンおよびアリストテレースの二つの名をもって代表せしめ得るならば(『旧約と新約』誌第一〇九号「調和か矛盾か」参照)、カントは疑いもなくプラトーンの流れに属する。そうして近代において、カントがプラトーン的人生観を復興したように、その対流たるアリストテレース的宇宙観を目醒ましくも再現したものは、ヘーゲルであった。ヘーゲルはもともとカントの徒であるが、その天分は彼をしてかえって師に対する思想上の敵国を形作らしめるに至った。それらの辺においても、カント対ヘーゲルの関係はプラトーン対アリストテレースのそれに酷似している。
ヘーゲル哲学は調和の哲学であり、体系の哲学である。人生のあらゆる矛盾は一つの原理によって統一せられ、大いなる秩序の中に見事に収まってしまう。そうしてその調和したる世界の内容の豊かさは、人の目を眩ますばかりである。
すなわちそれは大体においてカトリック的哲学であって、近世の個人主義的思想と相合うものでない。従って一時はその陸離たる光彩のゆえにやかましく持て囃されたけれども、幾ばくもなく棄てられて、もはや「死せる犬」のように顧みられなかったのである。
しかるに人々はようやくカント哲学の饗宴に飽きて来た。彼らはヘーゲルを棄てた後に、新カント派なる形においてカントの二元哲学を料理し直して見た。そうして今一応その骨までもしゃぶって見た。しかし如何に塩梅を加えても、カントはやはりカントである。その舌を刺すような二元の辛みは抜け切らない。近代人の渇きは一層熱さを増すのみ。
ここにおいてか卒然として彼らが想い起こしたものは、かの一度び棄て去ったところの肥えたる肉である。あれには辛みがない。「死せる犬」はまたもや拾われた。ヘーゲルの再発見が行われた。カント哲学の矛盾と分裂とに行き詰まった現代の子らは、最近にいたり続々と踵を回らして、調和と体系とのヘーゲル哲学に立ち帰りつつある。
同じ事が信仰の世界においてもまた見られる。プロテスタンチズムの寂しさに堪えかねた若き人々は、何処にむかって進もうとしているか。見よ、アメリカにおいてドイツにおいて、否わが日本においてさえ、立派なる新進の人たちにしてカトリック教会に逆転しゆくものの少なくないことを。私自身の友人にもある。聞くところによれば、二十世紀昭和の今日、信仰の立場からスコラ哲学を研究すべく仏国に留学する青年学士さえあるというではないか。
(五)
哲学としてはヘーゲルへ、信仰としてはカトリックへ。現代の行き詰まりはこれらの方面にむかって展開を求めつつある。
しかしながら何と弁護するにもせよ、今更にカトリックへの逆転などは、あまりに時代錯誤に過ぎる。カトリックの信仰はもはや十分に試験済みである。誰か石をもって飢えを満たすことができよう。今頃かかるものを追い求めてプロテスタントから戻ってゆく人は、血迷っているのである。地軸を反対に捩じ廻さないかぎり、カトリックの時代が再び来るであろうとは想像すべくもない。
ヘーゲル哲学にいたっては、その内容に幾多の新鮮味がある。すなわち文化味がある、社会味がある、歴史味がある。これみな新時代の舌に適する風味であるに相違ない。故にその大体におけるカトリック的色彩にも拘わらず、ヘーゲル哲学は少なくとも暫くは現代人を憩わしむる樹蔭として役立つであろう。
しかしながら現代の民衆の飢渇は意外に甚だしい。彼らは、その自ら意識するところによれば、個人主義に裏切られたのである。個人主義の社会に適応する資本主義に踏みにじられたのである。少数資本家の手に自己の労働の果を搾取せられたのである。その事を発見して、彼らは少なからず狼狽しかつ憤激している。しかり、烈しき復讐の念にさえ燃えている。そうして個人主義に復讐するものは社会主義よりほかにはない。この故に今の多数者のねがいはひとえに社会主義に集中する。
まことに社会主義こそ現代の要求である。しかもこの要求のまえには、ヘーゲルさえ物足りない。現代民衆の目から見れば、ヘーゲル哲学さえブルジョアの哲学、すなわち今は用なき個人主義の哲学の片割れに他ならない。ただその中には他のブルジョア哲学には見られぬ一種の社会味が加わっているがゆえに、彼らはそれだけを遠慮なく抽き出した。そうして手際よくそれを小脇にかいこみ、後は失敬してさっさと前進した(彼らのヘーゲル哲学から抽き出したものは言うまでもなく弁証法である)。
このようにして現代民衆が勇ましく切り開いて往ったところの野は何処であるか。それこそはかのマルクス主義である。
人はマルクス主義の流行を怪しむ。しかし怪しむをやめよ、過去四百年のあいだ個人主義の岸に満ち溢れていた大潮が、今や逆にぐんぐん引き返して来ただけの事ではないか。干潮の時が来たのである。すべてマルクス主義理論に含まるる重大なる迷謬にも拘わらず、その社会意識だけは当為なる時代の産物である。何人もこれを処分することができない。我国青年学生の熾んなるマルクス熱の如き、これに心理学的説明を加えんと欲するも難い。彼らは境遇上さほど切端つまった所にいるのではない。さればとて彼らの熱心は必ずしもその常習的なる浮薄きわまる流行追求の発作ばかりでもない。オイケンもベルグソンもアインスタインもみな狐火のように消えた。しかしマルクスだけは容易に消えないのである。何故か。恐らく彼ら自身すら不思議であろう。けれども大きな理由がある。それは時代の要求であるからである。時代が彼らの血管に沁みこんでいるのである。彼らはその個人的経験の如何に拘わらず、自ら識らずして時代の求めを求めつつあるのである。
(六)
思想の世界において、ヘーゲルへの復帰運動のかたわらに、マルクスへの盛んなる殺到がある。あたかもそれと同じように、信仰の領域においてもまた二つの試みを見る。カトリックへの帰還のかたわらに、新しきキリスト教への進出が試みられている。
新しきキリスト教、かれらはこれを名づけて社会的キリスト教(Social Christianity)という。一言もって説明すれば、社会主義的に改造したるキリスト教の謂である。その萌芽は早くサン・シモンまたはコムト等にあった。しかしとにかくにもそれが一種のキリスト教的運動となって現われたのは最近の事に属する。二十年来米国において称えられたところのいわゆる社会的キリスト教においては、その社会意識はなお鮮明なるものではなかった。しかしながらこの種の運動は近来ようやく社会主義の域にまで突き進もうとしているらしい。社会主義とキリスト教とを握手させようとするのである。我国においても賀川豊彦氏一派によって同じ意味の新宗教運動が始められたそうである。しかも或る論者のごときはこれを評して「賀川氏のキリスト教は恐らく今日までに現われた社会的キリスト教中の最も進歩したもの」であるといい、かつそれは「米国の社会的キリスト教の徹底し得なかった所まで徹底し、十分なる宗教的深みと強さとを兼ね具えたところの立派なる新キリスト教であると言うて差し支えあるまい」とさえ公言している(『思想』一九二九年九月号所載中島重氏「基督教と社会主義」)。
いずれにせよ、従来の個人主義的ブロテスタンチズムにあきたらずして、主として社会意識に重きを置くところの新しきキリスト教なるものが、現代の若人らによって追求せられつつあることは事実である。この運動は当分ますます勢いを加えるであろう。そうしてこれまた時代の要求の現われであること言うまでもない。
(七)
以上において我らは見た、現代の行き詰まりは個人主義に対する失望であることを。従ってまた、目下試みられつつあるところの展開は、主としてその反対なる社会主義の方向に向かってであることを。
ここにおいて私は一応反問せざるを得ない、個人主義は果たして我らを裏切ったのであるか、ルーテルの宗教改革は果たして間違いをなしたのであるか、カントの二元哲学も誤謬であるかと。
断じてそうでない。人は信仰によって義とせられるというプロテスタンチズムの旗印は、永遠の真理である。天が下にこれよりほかに救いの途はない。この至福なる音信を濁して、人の頸に負いがたき軛を負わせたところのカトリック教会は、従ってまた永遠の誤謬でなければならぬ。彼らと戦い、これを倒して天国の門を弱者のために開放したところの、ルーテルまたはカルビンの運動が、その原理において間違いであるはずがない。
道徳律法の無上権威を主張したカント哲学が真理でなくて何であろう。この恐ろしき声のまえに身震いしながら石のように立ち竦んだ良心でなくては、ひとえにキリストの十字架にのみ倚りたのむことの出来るものでない。カント哲学は野に呼ばわる声である。それのプロテスタンチズムにおけるは、洗礼者ヨハネのイエスにおけるがごときである。彼も是も真理ならぬはない。
故にもしプロテスタンチズムとカント哲学とを包括するに、個人主義の名をもってすることができるならば、しからば個人主義何ぞ我らを裏切ろうや。私はまず私のたましい唯ひとりになって、裸のままで神の前に出るのでなければ、一切の事は始まらないのである。「我はなんじにむかいて、ただなんじに罪を犯し、聖前に悪しき事を行えり」と告白し「ああ神よ、ねがわくは汝の仁慈によりて我をあわれみ、なんじの憐憫の多きによりて我がもろもろの愆を消したまえ」と祈求するとき、神と我とのほかに何があろうか。実に個人主義こそわがたましいが父に会うべき密室である。われらはまずここに入り戸を閉じて彼と相抱かねばならぬ。
しからば個人主義がわれらの渇きを満さないのは何故か。プロテスタンチズムはあまりに寂しく、カント哲学はあまりに厳しくして、ほとんど堪えがたいのは何故か。
私は明白に答えていう、それは個人主義そのものの故ではなく、かえってそれの不徹底の故であると。
個人主義に徹底すれば何処へ出るかの問題は暫く後にゆずろう。そうしてここにはとにかくプロテスタンチズムまたはカント哲学によって代表されるところの個人主義が、霊的生活の原理として永遠の真理である事だけを、認定しておこう。
この故にルーテル等の開拓に係わる近世の大道に躓いて、途中から引き返し、もしくは側に外れようとする一切の試みに私は反対する。およそ個人主義を否定して立つところの企ては、押しなべて誤謬である。たとえその中に如何なる真理が籠もっているにもせよ、神に対する霊魂の向背の原理において正しくない。
ヘーゲル哲学は偉大である。しかしそこから罪の悔い改めは永久に生まれぬであろう。マルクス主義は我らにパンを供給するかも知れない。しかし人はパンのみにて生きるものならぬを如何にしようか。カトリック素より論外であるとして、いわゆる社会的キリスト教にいたっては、その煮え切らなさ言語に絶する。キリストとベリアルと何の関係があろう。活ける神と唯物思想と何の調和かあろう。由来相闘う二つのものの間に立ちて鵺的妥協を試みるは、常に智者に似たる至愚者のわざである。見よ、その名は社会的キリスト教といえども実は社会主義でもなければ、キリスト教でもない。故にマルクス主義者もこれを蔑めば、キリスト者もこれを斥ける。ダンテが地獄の圏外で見たという惨めな魂――天は美を減ぜざらんがためにこれを逐い、地獄は醜を加えざらんがためにこれを受けないところの、かの「辱もなく誉もなき」民とは恐らくかかる輩のことであろう。
(八)
個人主義そのものは間違いでない。間違いはそれの不徹底にある。
長らく教会に繋がれていた個人の霊魂は宗教改革の剣にその鎖を断ち切られて、踊躍しながらひとりびとり神の懐に飛びこんだ。そうしてそこに言いがたき平安を見いだした。我らの霊魂は神に憩うまでは安きを得ないというアウガスチンの言を、数多の男女たちが実験した。
この平安の悦びはあまりにも深大なるものであった。ルーテル、カルビン等の改革者自身を始めとして、近世プロテスタント信者たち一同は、これに満たされてしまった。彼らはあたかも酔えるもののように、そこに腰を卸して、また他を思わなかった。
腐敗は停滞に始まる。個人主義の悲哀は、プロテスタント信仰の停滞にもとづく疾病である。元来プロテスタンチズムは分裂から出発する信仰である。その意味において、生命にいたる門は狭いのである。もし何時までも分裂の門の処に止まっていたならば、誰か悲哀なきを得よう。
しかしながら父の懐は奥深い。その内側には広き広きホールがある。神はここに備えして孤独の霊魂を待ちたもう。分つは集めんがため、裂くは合わさんがためである。
この故に分裂をもって始まるプロテスタント信仰は、分裂をもっては終らないのである。尾根を隔てて流るる谷川もついには同じ大海にそそぐように、信仰的個人主義の途は、必然イエスを中心とする一つの驚くべき社団へと我らを導く。
その間の消息を説明してパウロはいうた。
我らはユダヤ人、ギリシヤ人、奴隷、自主の別ちなく、一体とならんために、みな一つ霊にてバプテスマを受けたり。(前コリント一二の一三)
一体とならんための分裂であり信仰である。個人主義の途は一体に通ずる。一体とは何か。エクレシヤすなわちこれである。
(九)
エクレシヤは一体である。それは分裂に対するの合一であり、個人に対するの社団である。しかもその社会意識の深さたる、全く比類を見ない。エクレシヤの光耀は主としてここにある。
思うに人類の社会意識の歴史は人文そのものと共に古い。アリストテレースがいうたように人は本来社会的生物であり、そうしてエデンの園こそは原始人の社会の模型であったのであろう。爾来ユダヤにギリシャに、インドに支那に、それぞれの社会的理想があった。殊に近代社会主義の発生するに及び、社会意識の輪廓はいよいよ鮮明を加えて来たこというまでもない。
しかしながらかつて歴史上の何処に、新約聖書のエクレシヤのごとき高級なる社会意識が存在したか。
初めて社会の存在を科学的に認識し、かつこれに与えるに科学の王座をもってしたものはコムトであった。社会は或る意味において彼に発見せられたというても差し支えがない。確かにコムトにおいて、人類の社会意識は飛躍したのである。彼はただに社会有機体説を称えて、その全体の不可分的連帯性を明らかにしたばかりでない。彼によれば個人はむしろ動物学的抽象であって、独立の存在をもたない。実際には有機体なる社会すなわち人類があるのみ。全体が先であって部分は後である。従って彼の倫理説たる「他人のための生活」も、個人に立脚しての愛他主義ではなく、全人類の完成を目標とする社会道徳であった。実にコムトにとっては「偉大なる存在としての人類」が一切であったかのようにさえ見える。
しかしながらすべてそれらにも拘わらず、コムトはなお個人の共同的生活以上に、社会自体の生活又は活動というものを考えることができなかった。彼は社会を先に個人を後にしながら、なお個人の自由を活かさんがためには社会を殺してしまった。けだし社会の実体に関する彼の認識が未だ明確でなかったからである。畢竟かれにとってもまた、社会は実質上個人の集団の密切なるものより以上のものではなかったのである。
しかるにエクレシヤは如何。エクレシヤは単なる有機的社団ではない。それ自体が独立の人格である。しかり、エクレシヤはひとりの婦人である。キリストに許婚せられたる新婦である。従って彼女には彼女独自の生活および活動がある。彼女は彼女としてキリストに服従する(エペソ五の二四)。彼と結婚する(黙示録一九の七)。また栄光をはなちながら神の許を出て天から降りてくる(黙示録二一の二、九、一〇)。すべてこれらの場合において、エクレシヤの生活はこれを構成する個人の生活から切り離して考えられる。エクレシヤにはエクレシヤとしての、また個人には個人としてのおのおの独立の人格があるのである。例えばエクレシヤが新婦であるときに、個人はただに彼女の肢としてその存立の要素を成しているばかりでなく、また別に、或いは彼女に附き随うところの処女たちであり(マタイ二五の一、詩四五の一四参照)、あるいは礼典に招かるる証人らである(黙示録一九の九)。エクレシヤがもし都市であるならば、個人はこれを組成する土台や門などとして見られるほかに、なおその都市の内外を歩む諸国の民として扱われる(黙示録二一の二四、二五)。新婦とその侍女と、都市とその住民とは、いうまでもなく別個の人格の所有者である。従ってたとえ侍女の或る者は備えを怠り門外に棄てられることがあっても、新婦が殿中に迎えられることに変わりはない。たとえ個人の多数がキリストから落ちても、エクレシヤはエクレシヤとしての使命を完うするであろう。
人の社会意識は、その最高のものにありてさえ、なお有機体の観念以上に出ることができなかった。社会は一つの有機体であり、個人はその機関である。しからば個人の人格というものはないのであるか。個人に自由は認められないのか。ここにディレンマがある。いかなる社会学者も社会主義者もこのディレンマから脱れることができなかった。
何ぞ知らん、社会意識の理想的なるものは個人主義の信仰にあるのである。イエスのエクレシヤがそれである。エクレシヤは素より有機体である。それは樹木である(ヨハネ一五の一、二)、建築芸術である(エペソ二の二〇、前ペテロ二の四、五、マタイ一六の一八)、身体である(前コリント三の一二、一二の一二〜三一、エペソ五の三〇)、都市である(黙示録二一、二二)。しかしただに有機体であるばかりでない。エクレシヤは実に人格である。法人のような擬制の人格ではなく、真実の人格である。エクレシヤは生きている、その独自の存在において生きている。イエスはこれを慕いたもう。これを潔め、これを育みたもう(エペソ五の二六)。彼女はやがて「縫い物せる衣をきて彼のもとに誘われるであろう」。そうして「これにともなえる処女もその後に従い」、ひとしく彼のもとに導かれるであろう(詩四五の一四)。彼らは彼らとしての独立なる自由なる生活を営みながら、なお彼女にありて一体となり、もろともにキリストに相合うであろう。一体である、しかも互いに独立である。ここにエクレシヤの深き秘義がある。
(十)
現代の思想も生活も行き詰まった。人々は個人主義の悲哀になやんでいる。今はまさに社会意識に醒むべきの時。
われらの霊魂のさびしさを満たすとともに、その独自の存在を遂げしむべき、完全なる社会は何処にあるか。ヘーゲルにあるか、マルクスにあるか。カトリックか、はた社会的キリスト教か。みな非である。新時代の切なる要求に応ずべき社会らしき社会は、ただ古き十字架のイエスにのみある。さらば往けイエスに。進め、個人主義的信仰の途を。なんじらもし何時までも門の処に停滞することなく、なおも奥深くイエスとの結合の消息に押し進まば、必ずや新しき世界に突き出るであろう。何となれば、エクレシヤはイエスの愛であるからである。
四 現世におけるエクレシヤの二大特性
第一 不可見性
イエスのエクレシヤは、彼を信じて生まれ更わったところのすべての人々から成り立つ。およそ信ずる者である限り、「ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自主もなく、男も女もない」。それは「もろもろの国、族、民、国語の中より誰も数えつくすことあたわぬ大いなる群衆」である(黙示録七の九)。
従ってそこには千九百年の昔ペンテコステの日に火の聖霊を受けた百二十人を始めとして、世の終わりにいたるまで全地の上に絶えず救われつつあるもろもろの民がある。もちろん現在地上に留まる者ばかりでない、すでに天の国に上りし数多の人々、使徒、預言者、改革者、その他無名の聖徒たちの大集団が、互いに肢となって相連なるのである。
かくのごとく時間的にまた場所的に、エクレシヤの範囲は容易に見透しがつかない。単にそれだけの理由によっても、エクレシヤには一種の不可見性が伴うと言い得る。
しかしそれだけでない、この外形的理由よりなお遥かに重大なる本質的理由がある。
すべてキリストと共に生まれ更わった者の、この世に対する地位は、「死」の一語をもってこれを総括することができる。彼らは一たび死んだのである。この世に対する一切の欲求と興味と反応とを、ひっくるめて投げ棄ててしまったのである。彼らは自分自身を無条件にキリストに引き渡してしまった。そのとき彼らは「キリストと共に十字架に釘けられ」たことを見いだした。かくて彼らは「キリストと共に死んで」「彼と共に葬られた」。これは大きな事実であり、我等の実験である。そうして聖書は繰り返しこの事を明言する。
かように彼らは一たび死んで、さらに甦った。今や彼らに新しき生命がある。すでに失われたものとは比較にならぬ立派なる生命である。しかしながらこの新しき生命はもはやこの世に属するものではない。それは地のものでなくして天のものである。現世のものでなくして永遠のものである。そうして一般に、天のもの、永遠のものは、今は顕われない。顕わるべき時がまだ来ない。それらのものは当分隠されている。キリストに属ける者の新生命がどんなに輝かしいものであるにもせよ、この世でははっきりそれを見ることができないのである。今に時が来たならば、空の星のように日のようにかがやくであろう。しかしそれまでは顕われない。
パウロは言うた、
なんじらは死にたる者にして、その生命はキリストとともに神の中に隠れ在ればなり。我らの生命なるキリストの顕われたもうとき、なんじらも之とともに栄光のうちに顕われん。(コロサイ三の三〜四)
同じ事をヨハネもまたいう、
我ら今、神の子たり。後いかん。未だ顕われず。主の顕われたもう時、われら之に肖んことを知る。(ヨハネ一書三の二)
旧き人はすでに死んで葬られた。そうして新しき人は隠れており、未だ顕われない。ここにおいてか、すべてキリストに属く者の現世における存在状態に、一つの著るしい特性がなければならぬ。いうまでもなく不可見性である。
試みにひとりの真実なるキリスト者を想像してみよ。その隣人たちは何とこれを見るであろうか――あの人は不思議な人である。ほかの人たちがみな富を争い名を求め、様々の歓楽に浮身をやつしているのに、ひとり自分だけは何の関係があろうかという風に知らぬ顔をしている。しからば彼は何か大人物ででもあって、そんな事には一向頓着しない質なのかと思えば、そうでもなさそうである。存外つまらぬ小人物らしい所が沢山に見える。自ら修養を積んで行い澄ました聖者ではもちろんない。すべてそういう類いの偉人でない事は確かである。しからば何か。どうも、よく解らない。要するに大したものではない。多分少し気が変なのであろう――およそこのくらいの評価がほんとうの所である。「われらが見るべき美わしき容なく、うつくしき貌はなく、われらが慕うべき艶色なし」というは、ある程度まですべてのキリスト者に当て嵌まることでなければならぬ。彼と神との間の福いなる交渉をこの世の誰が知ろうか。とにかくキリスト者のくせに世に顕われて偉人とか聖人とか喧しく持て囃されるほど不自然な事はない。
それも聖書が度々教えている。
性来のままなる人は神の霊のことを受けず、彼には愚かなるものと見ゆればなり。またこれを悟ることあたわず、霊のことは霊によりてわきまうべきものなるが故なり。されど霊に属する者はすべての事をわきまう、しかして己は人にわきまえらるる事なし。(前コリント二の一四、一五)
我らはキリストのために愚かなる者となれり……我らは今に至るまで世の塵芥のごとく、万の物の垢のごとくせられたり。(前コリント四の一〇、一三)
世はこれ(聖霊、従ってまた聖霊によって生まれたもの)を受くることあたわず。これを見ずまた知らぬに因る。(ヨハネ一四の一七)
世の我らを知らぬは、父を知らぬによりてなり。(ヨハネ一書三の一)
この世からは見られず知られずわきまえられざるもの、そういう者がほんとうのキリスト者である。
もし個々のキリスト者がそうであるとすれば、彼らを肢とするエクレシヤもまたそうでなければならない。
キリストの新婦たるエクレシヤが、その栄光の姿を顕わすはいづれの時か。今の世がことごとく過ぎゆいて、新しき天と新しき地とが創造せられた後である。その時こそ「聖なる都、新しきエルサレムは、夫のために飾りたる新婦の準備して」、「神の栄光をもて神の許を出でて天より降る」であろう。「その光輝はいと貴き玉のごとく、透徹る碧玉のごとく」あるであろう(黙示録二一の二、一〇、一一)。しかしその日来たるまではエクレシヤは顕われない。人はこれを見んと欲して見るあたわない。何となればエクレシヤは天のものであり永遠のものであるからである。
人は家庭を見ることができる。家があり、家族があり、その共同生活がある。また村を見ることができる。村の領域があり、村民があり、そうしてその行政的経済的百般の共同生活がある。同じように広くは国をさえ人は見ることができる。すべてこの世の社会にありては、その存立の要素たる場所や人や、また一定の制度形式の下に行われるところの共同生活の有様は明らかにこれを認識することができるのである。
しかるにひとり社会の中の社会たるエクレシヤに至っては全く趣を異にする。エクレシヤの領域は何処か。天である(ピリピ三の二〇、エペソ一の二一〜二三、二の六)。素よりこれを見きわめることは難い。エクレシヤの市民は誰か。キリストに属く者である。しからば誰かまことにキリストに属く者ぞ。げに誰か真実にキリストに属く者ぞ。もちろん洗礼を受けた者でもなければ教会に往く者でもない。聖書を読む者でもなければ伝道をなす者でもない。祈祷に熱中する者でもなければ奉仕にいそしむ者でもない。正しき人とか清き人とか乃至は慈愛ふかき人とかいうのでもない。すべてこれらの条件は、未だひとりの人を真実のキリスト者として証明するには足らない。しからばその確定的なる徴は何処にあるか。ただ神のみ知りたもう。人には十分わからないのである。イエスは言いたもうた。
天国は良き種を畑にまく人のごとし……麦のなかに……毒麦もあらわる……僕どもいう「我らが往きてこれを抜き集むるを欲するか」。主人いう「否、恐らくは毒麦を抜き集めんとて麦をも共に抜かん。両つながら収穫まで育つに任せよ。収穫のとき我刈る者に『まず毒麦を抜きあつめて、焚くためにこれを束ね、麦はあつめて我が倉に納れよ』と言わん」。(マタイ一三の二四〜三〇)
麦は麦として収穫の日に初めて明らかに顕われるであろう。それまでは毒麦との判別が人には確かに附かないのである。
すでにその市民たるものが判然しない以上、彼らが互いに相連なって営むところの共同生活もまた、これをはっきりと認識することのできないのは言うまでもない。
ただにこの世の人の立場から見てそうであるばかりでない。生来のままなる人は霊のことをわきまえる能力をもたないからもちろんであるが、しかしすでに霊を受けたキリスト者同志の間にさえ、今はまだ真実の姿の顕われる時でない。「それ我らの知るところ全からず……今われらは鏡をもて見るごとく見るところ朧ろなり。されどかの時には顔を対わせて相見ん。今わが知るところ全からず。されどかの時には我が知られたるごとく全く知るべし」である。樹はその果によって知られるとはいうものの、必ずしも確かではない。時来たるまでは、キリスト者同志すら相互を誤りなく認識することができないのである。
かくのごとくにして、エクレシヤは現世にありては見るべからざるものである。その見えない所にこそ霊的なるエクレシヤの生命は存するのである。
果たしてしからば、かの会堂と教区と、教職と会員と、洗礼と聖餐と、集会と訪問と、その他様々の制度および儀式をもって一定の形態をさだめ、この世の社会と何ら異なることなき組織を有するところの、いわゆる「教会」なるものが、何とて真実のエクレシヤであろうか。余りにも見易き道理ではないか。
第二 戦闘性
キリストは「平和の君」ととなえられる。しかしながらその世に在るの日、彼みずから宣していうた、「われ地に平和を与えんために来たると思うか。われ汝らに告ぐ、しからず、反って剣なり」と。またいうた、「我は火を地に投ぜんとて来たれり」と。そうして彼はもちろんその宣言どおりに実行した。彼は到るところに剣を投じ火を投じた。彼はパリサイと戦い学者と戦うた。祭司と戦い長老と戦うた。民衆および有司と戦うた。その上になお彼は悲壮にもサタンと戦いつづけた。実に地上におけるイエスの生涯は戦闘の連続であった。かくて十字架上の流血を最後の記録に遺して、彼は天に昇ったのであった。
何故にイエスはこのように、地にあるかぎり戦いつづけねばならなかったのか。この世はサタンの手にあるからである。悪の霊なるものが世を支配しているからである。「神の子の現われたまいしは、悪魔の業を毀たんためなり」(ヨハネ一書三の八)。それは実に世の創から定められていた事であった。「われ汝と女の間および汝の裔と女の裔との間に怨恨を置かん。彼は汝の頭を砕き、汝は彼の踵を砕かん」というは、アダムの時からの約束であった。女の裔なるキリストは、蛇の頭を砕くまで、その剣をなげ棄てることはできないのである。
この故に地上の戦闘を終わり、一まず天上の栄光に入ってから後といえども、キリストの戦いはまだやまない。エホバは彼にのたもう、「我なんじの仇をなんじの承足とするまでは、わが右に坐すべし」と(詩一一〇の一)。かくて彼は今もなお彼処シオンから「力の杖を四方に突きいだし」つつある(詩一一〇の二)。
エクレシヤはキリストを首とするその体である。両者は一体である。少しも空隙はない。しからばキリストの戦い終わるまで、彼がすべての敵をその足の下に置きたもうまで、エクレシヤもまた戦わずしていられようか。
これを羔の新婦であるといえば、いかにも優しく雅やかに聞こえる。そうしてエクレシヤはそれであるに相違ない。さりながら新婦何ぞ必ずしも弱々しくあろうか。許婚してまだ婚姻せぬ潔き処女が、出陣の夫のために己をささぐるその雄々しさには、何か敵おう。詩人は歌うていうた、
汝(キリスト)のいきおい(閲兵)の日に汝の民は聖なる美しき衣をつけ、心より歓びて己をささげん。なんじは朝の胎よりいづる壮きものの露をもてり。(詩一一〇の三)
出陣の首途における閲兵の式典である。人の子両刃の利き剣をもって立てば、数えがたきエクレシヤの総員みな盛装して、面を輝かせつつその前に堵列する。凜として美わしきその威風何に比おうか。まさに秋の朝の胎から生まれてまばゆくも旭光に映ゆる白玉の群か。
使徒の一人もまた予見していうた、
見よ、白き馬あり、これに乗りたもう者は「忠実また真」と称えられ、義をもて審きかつ戦いたもう。彼の目は焔のごとく、その頭には多くの冠冕あり……天にある軍勢は白く潔き細布を着、馬に乗りて彼に従う云々。(黙示録一九の一一、一二、一四)
もちろんここに描かるるものは世の終わりの光景であって現在の絵画ではない。しかし軍団としてのエクレシヤのおもかげを示すには変わりがない。白馬の大君に従う騎兵の密集団である。おのおの鎧うは神の武具、すなわち誠を帯として結び、正義を胸当として当て、足には平和の福音の靴を穿き、手には信仰の盾を執る。また救いの冑をいただき、聖霊の剣をうち揮う。かくてこの世の暗黒を掌る者およびその軍勢を目あてに、戦うてまた戦い、勝ちてまた勝とうと、勇みにいさむ。海ゆかば水漬く屍、山ゆかば草むす屍、大君の辺にこそ死なめ、顧みはせじとは実に彼らが衷心のねがいである。
しかり、エクレシヤはキリストの軍団である。彼はその地上の生涯の終わりにあたり、父に祈っていうた、「我の世のものならぬごとく、彼らも世のものならず……なんじ我を世に遣わしたまいしごとく、我も彼らを世に遣わせり」と(ヨハネ一七の一六、一八)。世のものならぬエクレシヤが世に遣わされたのは何のためか。平和を地に投ぜんがためか。誠に私はいう、しからず、かえって剣であると。エクレシヤもまたその首なるキリストと同じく、平和ならぬ剣を、火を、地に投ぜんがために遣わされたのである。率直にいえば、世と戦わんがためである。戦うて勝たんがためである。故にキリストは彼らを励ましていうた、「なんじら……雄々しかれ。我すでに世に勝てり」と。エクレシヤもまた戦うて勝たねばならぬ。そうしてそれは必ず勝つであろう。「おおよそ神より生まるるものは世に勝つ。世に勝つ勝利は我らの信仰なり。世に勝つものは誰ぞ。イエスを神の子と信ずるものにあらずや」。
この故に私はまたいう、世と戦うことをせざる教会はことごとく偽の教会であると。誰がそれを否定し得ようぞ。この頽廃の世と妥協するものに、何の信仰があろう。イエスに対する何の真実があろう。彼はいうたではないか「なんじは地の塩なり。塩もし味を失わば何をもてか之に塩すべき。後は用なし、外に棄てられて人に踏まるるのみ」と。戦闘的精神こそは塩の味である。これを失うた現代教会は無用の長物でなくして何か。見よ、彼らはすでにキリストには棄てられ、人には踏みつけられているではないか。耳ありて聞ゆる者は聞くべしである。
「旧約と新約」第一一二号、一九二九年一〇月