突然!何の警告もなく!われわれが計画した時ではなく、思いもよらない時に!(マタイ二十四・四十四)。歴史の偉大な出来事が起きようとしている……。キリストの輝かしい現われについての記事を、敏捷さと旋律の要素に触れずに読むことはできない。主が現れるのは突然である――いつ起きてもおかしくない!今から五年、十年、五十年後である必要はない。いつ起きてもおかしくないのである。
あなたは用意が整っているか?
その時、用意する時間はないだろう。「見よ、花婿が来る」(マタイ二十五・六)という叫びが臨んだ時、それは真夜中で突然のことだった。その時、ともしびのために油を得る時間はなかった。過ぎ去った日々の間にしておくべきだった備えをしている時間は残っていなかった。主が来られる時、主は突然来られるのである。
その敏捷さと旋律――その突然さが、用意せず気づいてもいないこの世を捕らえる。主は突然その宮に来られる。
主が再来される時、主は首相たちの会議を招集して、一連の手続きの方法や究極的平和を実現するための計画を立てる、とあなたは思うか?主が御言葉を語られた後、ガリラヤ湖が静まるのにどれくらい時間がかかったか?嵐は御声の旋律を聞いた。大嵐は御口から発せられた御言葉を聞いた。猛る風は彼の命令の旋律に耳を傾けた――すると何かが起きた。数時間もがきあがいた後、風は止み始め、自然の諸々の力は御言葉に従い始めたのだろうか?直前までは嵐だった。次の瞬間凪になった。嵐と凪のはざまで主は語られたのである!
突然!何の警告もなく!そのように主は来られる。天からの警告は何もない。今私が与えようとしている警告のようなものはない……。瞬間的に!突然!何の追加の警告もなく、一つの時代が終わり、別の時代が始まる。天の用意は整っているが、この世は違う。その時を知っている、とはわれわれは公言しない。その日を特定できる、とはわれわれは公言しない。しかし内側で、依然として小さな声が、「あなたたちの頭を上げなさい。あなたたちの贖いが近づいているからです」(ルカ二十一・二十八)と囁き続けている。
御霊と花嫁は言う、「来たりませ!」
聖なる方であるイエスがロバに乗って都に入られた時のことを、あなたは覚えているだろうか?(マタイ二十一・一〜十一)。威厳を帯びて乗っていた、とあなたは言うのか?否、彼は死ぬために聖なる華やかさを帯びて乗っておられたのである。彼が今度来られる時は、雲が彼の戦車となり、死と飢えと悪疫は彼の勝利の歩みの前から逃げ去る。
来たれ、かつて蔑まれたイエスよ!来たれ、ガリラヤの王よ!今が夜であることを私は知っている。しかし、私は暗闇を貫いて、黄金の東方を見ている。見よ、朝が来つつある!古い時代を去らせよ。
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