イエスは、良い働きをしながら、また悪魔の力の下にいる人をことごとく癒しながら、巡回されました。神が彼と共におられたからです。(使徒十・三八)
人々が助けを求めてご自分のもとに来た時、イエスは何の手続きも用いなかったし、要求もされなかった。たった一言で助けをお与えになったのである。イエスはまた、お高くとまった強引なやり方で、どこかに引っ込んで、人々が助けを求めてやって来るのを待つこともなさらなかった。行き巡って、不幸で惨めな人々、体や魂に苦しみを受けている人々をことごとく訪問して、「すべて疲れていて、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい。あなたたちに安息を与えよう」(マタイ十一・二八)と召されたのである。彼は、他のだれも助けられない人々を助ける救い主として、ご自身をお与えになったのである。
イエスはどこか変わられたのだろうか?そんなことは決してない!彼は、良い働きをしながら、また癒しながら、様々な場所を旅された。それゆえ、その後のどの世代も彼に信頼することができたし、不幸な苦しむ人々はみな、助けを求めてどこに向かえばいいのか、常にわかっていたのである。イエスは依然として、「良い働きをしながら、また癒しながら」素晴らしいことを行っておられる。たとえ、それが目立たない形でなされていたとしても。イエスは、だれでも必要を抱えて苦しんでいる人に近づいてくださる。それゆえ、イエスこそ私たちを助けるすべをご存じの唯一の方であることを、私たちも真っ先に経験できるのである。依然として今日も、イエスは良い働きや癒しを行っておられる。問題は、「私たちは彼のもとに行くのか?」ということなのである。
ヨハン・クリストフ・ブルームハルト