十三.あなたの心を与えよ

ブルームハルト父子

わが子よ、あなたの心をわたしに与えよ。あなたの目はわたしの諸々の道を楽しめ。(箴言二三・二六)

主が最終的に私たちから望んでおられるものは何か?私たちの心である。ここかしこで少しばかり礼儀正しく生活行動すること、自分たちの徳や達成をこころよく思うこと、尊敬される人生を送ること――このようなものはどれも、主が求めておられるものではない。神はあなたの心を、あなた自身を、あなたの真の自己を望んでおられる。最終的に重要なのは、あなたがあわれみ深い神を愛することであり、神があなたの心を完全に得ることなのである。

善を求めて励む心は、神を仰ぎ見る。このような心は、神の恵みの奇跡によって、幸いにされる。神の恵みは常に、神を求める心に与えられる。そして、助けが来る時、あなたの心はさらなる愛で溢れ、自分を縛って純粋でなくさせるいっさいのものから解放されるのを、あなたは感じる。あなたは心から喜ぶ――御霊が要求されるものを何でも、自由に与えたり差し控えたりすることができるようになる。他の何かやだれかに合わせる必要をもはや感じなくなる。なぜなら、神に対するあなたの愛によって――この方にあなたは属しているのである――あなたは堅く立つようになるからである。あなたの心は、神にとって喜ばしいことのために高鳴り、神に反対してなされるあらゆることのゆえに痛む。

幸いで安全なのは、自分の心を完全に神に与えた人である。イエスを見上げさえするなら、これはなんと易しいことか。イエスは神の御子であり、私たちの兄弟である。イエスの純粋な心は、私たちに手を差し伸べている。

もし自分の心をイエスに与えないなら、あなたは徐々に人生の帰趨に困惑するようになるだろう――特に、状況が悪化する時や、苦しまなければならない時に。あなたは、神が自分をどこに導いておられるのか、わからなくなるだろう。そして、文句や不平を言うよう誘惑されて、苦々しくなるだろう。状況を人間的観点から見るようになるだけでなく、疑いや不信仰に陥る危険を冒すだろう。その時、あなたの善良さや霊的努力は、何の役にも立たないだろう。

あなたが御旨の中で喜ぶことを、神は望んでおられる。それゆえ、へりくだりと感謝をもって、御旨を受け入れよ。神があなたの心を得る時、神はあなたを導いてくださる。環境や、あなたに押し迫る旋風のような出来事によってではない。御言葉によってである。神から送られてきたものを受け入れるすべを、あなたは知る。なぜなら、独立した意志や、自分自身の自己意志を持つことを、あなたはやめたからである。

日々、自分の愛と心を新たに神に与えることを、あなたが学びますように。それは、神の諸々の道が――たとえそれが荒っぽい時でも――奇妙で不愉快なものに見えるようなことがないためである。あなたの心を明け渡して、あなたの目は神の諸々の道を楽しめ。たとえ他に何が起きようと起きまいと。

ヨハン・クリストフ・ブルームハルト