一四.あなたの心配を主に委ねよ

ブルームハルト父子

あなたの心配を主に委ねよ。主があなたを支えて下さる。主は正しい人が震われるのを決してお許しにならない。(詩篇五五・二二)

心配に苦しんでいる私たち、恐れに満ちて悩んでいる私たちは、「自分の心配を主に委ねる」べきである。言い換えると、私たちはそれらを投げ棄てて、主に委ね、主に顧みてもらうべきである。

そうするのは――すべてを主に委ねることは――必ずしも容易ではないことを、私は理解している。私たちはこれを試みて行うが、依然として重荷を負ったままである。依然として、心配事が私たちの上にのしかかっている。どういうわけか、私たちの信仰や信頼は不十分であり、重荷をどう下ろせばいいのか分からない。私たちは祈るのだが、そのあと、まるで祈らなかったかのように行動してしまう。私たちは、「主よ、主よ、この荷を負って下さい」と言うのだが、それでも心配するのをやめない。そして、「神は自分の嘆願を聞いて下さったのだろうか?」と疑う。私たちは二心の子供である。見えない方に――この方を見たかのように――まだしがみついていないのである。

とても重い荷を運んでいるとしよう。その重さのせいで、あなたはほとんど動けない。遂に、その荷を下ろしてくれる誰かを、あなたは見い出す。なんという軽やかさと解放感を、あなたは感じることか!神に何かを委ねる時、私たちはこう感じるはずである。神は私たちを助けて下さる――これは神の信頼に足る約束である――しかしこれは、私たちが子供のように、自分の心配だけでなく自分自身をも与えて、神に顧みてもらう場合である。神は信実な方であり、私たちを落胆させはしない。神が私たちをさまよわせる時、堂々巡りの道に導かれる時、暗闇が私たちの周りで深まる時でさえ、神は私たちを世話して下さる。神は常に、私たちに対する御旨の目標に、私たちを導いて下さる。

長いあいだ平安を得られないことも時々ある。しかし、主は私たちが震われるのをお許しにならない。助けは来る。時間内に必ず来る。だから、恐れるな。信実さを保ち、神の御前に誠実であれ。そうするなら、あなたは絶望することはないし、気落ちすることもない。耐え忍ぶ者は、遂には、神の遅れがいかに益だったかを理解するのである。

ヨハン・クリストフ・ブルームハルト