二〇.賛美を歌え

ブルームハルト父子

主を賛美せよ!私たちの神に賛美を歌うのは、なんとよいことであろう。主を賛美することはなんと楽しく、ふさわしいことであろう!(詩篇一四七・一)

主を賛美するのはよいことである。賛美は楽しく、ふさわしい。不平や落胆よりもずっとよい。よく耳を傾けよ。賛美を歌うのはよいことである。賛美はまことにふさわしい。特に、幸運に恵まれず、悲しんだり落ち込んだりして当然の人々からの賛美はなおさらである。彼らの賛美を聞くと、なんと感動することか。私たちの残りの者たちについてはどうだろうか?

私たちは常に賛美を歌えるだろうか?なぜ私たちは最初から、不平、心配、抵抗ばかりしているのか?確かに、私たちを悲しませて不幸にする物事もある。それらの物事によって私たちは涙を流し、心は痛み、恐れ、苦悩する。「決して泣いてはならない、決して悲しんではならない」と私は言いたくない。しかし、苦悩している時でも、「神を賛美せよ!」と私たちは宣言できる。これを思い出そうではないか。喜ばしいことを常に思うのは可能である。賛美にふさわしいものが常にあるものである。

しかし、ほとんど考え無しに、「主を賛美せよ」「神に感謝します」と早口で言うのでは不十分である。この言葉が何を意味するのか、もっと深く考えなければならない。すがれるもの、自分や他の人々を引き上げてくれるものが、常になにかしらあるものである。これを正しく理解するとき、私たちの苦悩という重荷を、賛美は取り去ってくれさえする。そして、私たちを取り巻く雰囲気は、良い、楽しいものとなり、苦しみの中にある私たちに接するすべての人に慰めを与えるものとなる――私たちの結束は真にすがすがしく喜ばしいものとなる。

思い悩んだり嘆いたりするなら、絶望の中にあるかのように振る舞うなら、心が痛むだけである。ああ、打ちひしがれて不幸な私たちが、主を賛美できさえすれば!神が恵みと救いをあなたに賜る時は、特に心せよ。まるで神にはあなたを常に順境に保つ義務があるかのように、神の祝福を当たり前のことと思ってはならない。そのような恩知らずの姿勢はひどいものであり、あなたのまわりの人々は、あなたからたちまち逃げ去るだろう。それでは駄目である。神を賛美することを学べ。少なくとも、賛美すべき明らかな理由がある時は、そうせよ。

「神のあらゆる優しさのゆえに、私たちは神を賛美し、神に感謝します」と、喜びに満ちた心で、率直にすべての人に言えるなら、また私たちの親切であわれみ深い神を示して宣言するなら、私たちは多くの人々にとって大きな慰めになるだろう。私たちは自分自身の十字架を忘れて、神を賛美する人たちと共に喜ぶだろう。そして、心の底から、賛美の歌を歌えるようになるだろう。主を賛美することは、なんとよく、なんと楽しいことだろう!

ヨハン・クリストフ・ブルームハルト