二五.主の懲らしめ

ブルームハルト父子

私は愛している者を叱ったり、懲らしめたりする。(黙示録三・一九)

主は、ご自分の愛している者を、懲らしめられる。それゆえ、苦難を受けなければならない時、「神はもはや自分を愛しておられないのだ」と思うのは誤りである。このような考え方は、私たちの心の気まぐれさや自己愛を如実に示すものである。罰を受けている子供が母親に向かって、「お母さんは僕を憎んでいて我慢できないことが、今わかった」と言ったとしたらどうだろう?何と馬鹿げたことか!

状況が悪化する時、例えば、あなたが病気になるとき、あるいは、あなたの祈りがすぐにはかなえられないとき、「神は自分を拒否された」と思ってはならない。そのような思いは悪しき者から来る。困難があなたに降りかかるとき、それはまさに、あなたは救い主にとって価値があるからなのである。彼はあなたを愛しておられるのである。

こういうわけだから、あらゆる種類の訴えで自分を苦しめてはならない。なぜなら、咎や罪に関して、まったく不健全な行き過ぎたやり方で、自分自身を苦しめるおそれがあるからである。すべての苦しみが罪に対する罰とは限らない。パウロのように、私たちも肉体にとげを持つ可能性がある。それは、私たちが自惚れに陥らないためである。自分自身の小ささを自覚することもまた、救い主があなたを愛しておられるしるしである。ヨブのように、あなたは依然として、自分の信仰の堅固さを証明する必要があるかもしれない。しかし、これもまた、救い主の愛のしるしである。彼はあなたのことをふさわしい者と思っておられるのである――彼が望んでおられるのは、あなたを通して、この地上にはまだ忍耐強い忠信な人々がいることを、悪しき者に示すことなのである。たとえ、その人々が膨大な苦難を耐え忍ばなければならなかったとしても。

それゆえ、どんな苦しみを耐え忍ばなければならなくても、決して神の愛を疑ってはならない。そして、心に留めよ。砕かれた悔いた心を、主は蔑まれないことを(詩篇五一・一七)。

ヨハン・クリストフ・ブルームハルト