二七.主はほむべきかな!

ブルームハルト父子

主は与え、主は取りたもう。主の御名はほむべきかな。(ヨブ一・二一)

ヨブが持っていたものは、すべて取り去られた。息子たちや娘たちまでも。それでも、「主の御名はほむべきかな!」と彼は叫ぶことができた。自分の言葉の意味を彼が完全に理解していたのかどうか、述べるのは困難である。しかし、この賛美の言葉は、彼が完全に神に服していたことを示している。最終的に、神にはこれで十分だった。まさに最初から、サタンは敗北したのである。

これから私たちは何を学べるのか?一つのことは確かである――神の計画が偉大なものになればなるほど、出来事はますます理解不能になるのである。かりにヨブがなにかを私たちに教えてくれるとするなら、子供のような信仰――神が厳しく打つ時は常に、なにか途方もなく良いものを目的としておられる、ということを信じる信仰――の重要性を教えてくれるであろう。理解できてもできなくても、これを信じようではないか。

親愛なる友よ、どんな困難が持ち上がったとしても、最善の道は常に、ヨブと同じように振る舞い、神を賛美することである。「神は間違いを犯した」「神は確かな方法では働くことができない」「神は忠実にご自分に従う者たちを尊んでくださらない」と、決して思ってはならない。注意せよ!神を訴え始める時は常に、あなたは道からさまよい出ているのである。少しも堕落することのないように、神を全く捨て去ってしまうことのないように、あなたはとても注意深くなければならない。私たちが神の御旨に憤って抵抗する時はいつでも、サタンが大喜びしていることをよく考えよ。私たちのせいで神ご自身がどれほど恥ずかしい思いをしておられるにちがいないのかを考えよ。

私たちの忠信さは常に試されるものであることを忘れてはならない。私たちがあらゆることで神に栄誉を帰し、神がなにをなさっても、恭しく静かに神に立ち返るなら、私たちはこの試験に合格する。私たちがこれをなす時、サタンは打ち負かされ、私たちは勝利を確信するのである。

ヨハン・クリストフ・ブルームハルト