三四.真に価値あるもの

ブルームハルト父子

こういうわけで、私たちは落胆しません。私たちは外面的には衰えつつありますが、それでも内面的には日々新しくされています。(二コリント四・十六)

だれかが治った時は常に喜ぶべきである。特に、その人のために祈った後は、そうするべきである。しかし、その人が治ったからという理由で喜んではならない。人生の最後まで病を忍ばなければならない大勢の人がいる。では、どうしてこの人はそうではないのか?むしろ、私たちは次のことを見たことのゆえに喜ぶべきである。すなわち、ある特定の人のために救い主が御業をなさったこと、この人の心が改まって新たな希望に目覚めたこと、である。

苦しんでいるすべての人に言いたい。救い主が状況を治めてくださるよう祈りなさい――あなたが希望を持つことを彼は望んでおられる――しかし、治ることを過度に重視してはならない。救い主ご自身、病であった。彼は、「わたしが病んでいた時、あなたは訪問してくれた」と言われた。これについて考えたことがあるだろうか?救い主がその内に宿るために病人がいなければならないということを、考えたことはあるだろうか?

私はしばしば、弱さ、惨めさ、病を感じる――私にできるのは、自分の身をひきずることだけである。外面的には、自分は衰弱しつつあるように感じる。それにもかかわらず、私は進み続ける。何度も何度も、神の優しさの新鮮な顕現が私に与えられる。内面的に私を新たにして進ませる神の御業が与えられる。だから、親愛なる友よ、イエスがあなたの内で自由に働けるようにせよ。あなたは望むべきである。イエスが自分の内でなんらかの働きをしてくださることを。そして、さらに重要なことだが、自分を通して彼が他の人々に手を差し伸べてくださることを。

病に襲われる時はいつでも、「主よ、癒してください。私は癒してもらいたいのです!」という祈りが最初の祈りであってはならない。むしろ、「主イエスよ、あなたの御旨にかなうことはなんでも来たらせてください。あなたの決定ならなんでも、それが臨む時、私は信仰の中で静かにそのまま受け入れます」と祈れ。悪が言い分を得ないように、暗闇が支配しないように、祈れ。自分にふりかかるあらゆる痛みや苦難の中で、たとえそれがもたらす死と苦痛のただ中にあっても、主とその御心の願いを求めよ。これがあなたの最も深く、最も切迫した要求でなければならない。

この立場に立つとき、あなたは神の王国をいくらか経験するだろう。自分の助けがどこから来るのか、かつてないほどわかるだろう。あなたはとても強くなるので、あらゆる障害を克服できるだろう。エリコの壁は崩れ、山々は動くだろう。地的な力は、善であれ悪であれ、もはやあなたに強い影響を与えないだろう。あなたの心を満たすのはただ、天から来るものだけだろう。

クリストフ・フリードリヒ・ブルームハルト