あなたが私を低くして助けてくださったことを感謝します。(詩篇一一八・二一、自由訳)
神はまずその人を低くしないかぎり、だれも助けられない。それゆえ、ダビデは言う、「あなたが私を低くして助けてくださったことを感謝します」と。自分は取るに足りない者であり、必要を抱えていることを知りながら――もし私たちの心が高ぶっているなら、もし哀れな罪人として御翼の下にかくまってもらうことをよしとしないなら、どうして神からの助けや癒しを期待できよう?
正直に言って、私たちは神の助けを受けるのに値しない。私たちを神から遠ざけてきた多くのもののゆえに、私たちは責任を問われている。神は物事を正してくださるが、ありとあらゆる欠乏や不安を通して、私たちを隅に追いやることによってそうなさるのである。私たちがへりくだって御腕の中に飛び込んで、永遠に御前に立つようになるまで、神は私たちを低くされる。
私たちの道に舞い込む苦難はどれも、私たちを低くするものである。それにより、「自分では立てない」と私たちは感じるようになる。その時、私たちは悟る。自分が別の方の御腕の中にあることを――自分たちは他の人々の助けなしに生きられる民ではないことを。そうなりたいと私たち人間は切望している。困難の中にある時、私たちはかかんで、助けを求めて叫ばなければならない。その時、神は助けることができるのである。こういうわけで、へりくだらされて低くされるたびに、私たちは神に感謝するべきである。神が私たちをへりくだらせる時、神は私たちを祝福しようとしておられる。それゆえ、感謝に満ち溢れようではないか。直ちに身をかがめようではないか。
ヨハン・クリストフ・ブルームハルト