四八.子供のように

ブルームハルト父子

求めなさい、そうすれば与えられます。探しなさい、そうすれば見いだします。叩きなさい、そうすればその扉は開かれます。なぜなら、だれでも求める者は受け、探す者は見いだし、叩く者には扉が開かれるからです。
 あなたたちの中に、自分の子供がパンを求めているのに石を与える者がいるでしょうか?魚を求めているのに蛇を与える者がいるでしょうか?あなたたちは、悪い者であるにもかかわらず、自分の子供に良いものを与えることを知っているとするなら、なおさら、あなたたちの天の父は求める者に良い賜物を与えてくださいます。(マタイ七・七~十一)

ある人々は、クリスチャンも含めて、奇跡の必要はないと信じている。しかし、それにより、神の王国をも見送っているのである。もし神はもはやこの地上で勝利できないなら、もし神はもはや私たちの日常生活でなんの力も持っていないなら、もし重要なのは私たちの知識や努力だけなら、私たちは神の王国のことなど忘れてしまった方がいいだろう。

もし、諸々の状況を天の父の御手に委ねて、御父の子供としての関係の中に生きることがもはやできないなら――「助けてください!」と言いながらあらゆる人々のところへ駆け回らなければならないなら――その場合、神は地上を治めておられないのである。もし、父親になにかを求める子供のように単純に祈ることが教会にもはやできないなら、神の王国は無にすぎない。神の支配権は地上で実際的な行為を生じさせる。そして、神はほむべきかな、神の支配権を示してそれを証しすることが私たちの任務なのである。

それゆえ、心配や不安を後にして、神の御旨の実践に確信をもって取り組もうではないか。そうするなら、イエスがどこにおられたとしても、そこが自分の居場所なのだと確信できる。だれも疑いを持つ必要はない。ただ、信頼している子供のように、前に進め。自分がイエスのものであることを知っているなら、思い切ってなにかに挑戦せよ。すべてを神の顧みに委ねよ。そうするなら、なにか新しいもの、なにか新鮮なものが自分の内で形を取り始めることに気付くだろう。

試みたり、支配しようとするのではなく、子供のように御父のもとに来たれ――そうするなら、自分の周りで、数々の不思議や癒しや祝福が生じることに、あなたは気づくだろう。そして、道が開けた時、元気になるだろう。あらゆる治療法や解決策をあらかじめ試すことに忙殺されてはならない。そんなことをすれば、神はその後、あなたがこしらえた諸々の穴をふさがなければならなくなる。それではいけない、神がなさっていることを見よ。そして、この道を見たらすぐに、この道に足を踏み出せ。

クリストフ・フリードリヒ・ブルームハルト