五五.衰弱

ブルームハルト父子

それゆえ、私たちは常に確信しています。そして、体にあるかぎり、主から離れていることを、承知しています。なぜなら、私たちは見えるものによってではなく、信仰によって生きているからです。私たちは確信しています。言わば、体を離れて主と共に家にいることの方が望ましいのです。ですから、体にあっても、体から離れていても、主を喜ばせることを、私たちは目標にしています。(二コリント五・六~九)

だれもが達すべき境地がある。その境地とは、救い主のもとに平穏さと静けさの中で一人で来る境地である。また、ますます信頼して救い主に目を向けられる境地である。それは、別れの時が間近に迫っても、彼との合一に曇りが生じたり、乱されることのないためである。世のものをますます手放せるようになるにつれて、すべてを静かに受け入れることを学ぶ時、イエスはますます近づいてくださる。

体にあるかぎり、私たちの関心事は、救い主が間もなく全人類の苦難をあわれんでくださることでなければならない。生きてそれを見れるかどうかにはよらず――たとえそれが自分にとってより多くの働きを意味したとしても――これが私たちの関心事でなければならない。それゆえ、貧しい者になることを許容せよ。主の来臨に焦点を合わせ、あわれみをもってため息をつく者になれ。救い主が間もなくすべてを変えてくださることを切望せよ。これに身をささげられるなら、あなたは素晴らしい任務を得る。あなたの溜め息は空しくない。これはまた、あなたのために天に場所を備えてくれる。天でのあなたの任務がなんであれ、これによりあなたは有用な者となる。救い主になおもなすべき御業があるかぎり、あなたには必ず任務がある。

衰弱しつつあったとしても、自分は救い主のものであると確信せよ。これにより、あなたは慰めを受けるだろう。そして、耐え忍ばねばならない困難が依然としてたくさんあっても、救い主はあなたに聖なる喜びを与えてくださるだろう。自分の救い主を切望して、「この苦難を短くしてください」と求めること、あるいはむしろ、「私をすぐに整えて、なにものも凱旋帰還を邪魔できないようにしてください」と求めることは、全く結構なことである。これが、あなたのために祈る私の祈りの目的である。これほど多くのものをあなたに与えてくださった愛する救い主は、その分を果たして、あわれみをもってあなたに会ってくださる。「神を愛する者たちの益のために、万事は共に働きます」(ローマ八・二八)。あなたが天に着く時、主の諸々の道の素晴らしさにあなたは驚くだろう。

「自分には救い主に仕える機会がほとんどなかった」と思うなら、思い出せ。キリストご自身、私たちのための弁護者であり続けておられるように(一ヨハネ二・一)、永遠においても戦士たちが必要なのである。あなたは自分の任務を得て、その任務の中で喜ぶだろう。ただ堅く立って、自分を引き止めるおそれのあるものをすべて取り除いてもらえ。もしあなたが御旨に喜んで服するなら、神の霊はあなたの内に働き続けてくださる。神の慰めは、まさに父たる御手の中にある。あなたが最後の息を引き取るまで、どうかキリスト・イエスにある神の恵みがあなたと共にありますように。

ヨハン・クリストフ・ブルームハルト