五六.神の愛

ブルームハルト父子

なぜなら、私はこう確信しているからです。死も命も、御使いも悪鬼も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。(ローマ八・三八~三九)

パウロはこう記している。いかなるものも、たとえそれが悲しい、人を動揺させるものや、困惑させるものだったとしても、神の愛を私たちに疑わせることは決してないはずである、と。神の愛は岩のように堅固であり、不動である。私たちを神の愛から引き離せるものは決して何もない。

この御言葉の核心は、「私は確信している」である。この確かな望み、キリストにより神に信頼するこの揺るぎなき信頼は、決して取り去られるおそれはない。キリストを通して、私たちはこう確信する。何ものも私たちに神の愛を疑わせることはできない。どれほど多くの艱難が私たちに降りかかったとしても、キリストと共に苦しめば苦しむほど、私たちはますます彼の愛する子供となる。これを確信することが信仰である。

こういうわけで、誰でもキリストを正しく知っている人は、特にその十字架を知っている人は、パウロと共に言うことができる。私が生きるにしても死ぬにしても、神は私を愛しておられると。サタンの使い、支配者たち、暗闇の軍勢が私に敵対していたとしても、神は私を愛しておられる。たとえ私が神の敵の攻撃を受けていたとしても、神は私を愛しておられる。しかるべき時に、神は敵どもを対処して下さる。それでも、神は私を愛しておられる。私が今の艱難に遭っていたとしても、将来に艱難が待ち受けていたとしても、上や下からの軍勢の攻撃を受けていたとしても、神は私を愛しておられる。物事や人が私を害することを欲し、実際に害していたとしても、私は確信をもって、「神は私を愛しておられる!」という事実を堅持できるのである。

ヨハン・クリストフ・ブルームハルト