序論

ブルームハルト父子

ヨハン・クリストフ・ブルームハルト(一八〇五~一八八〇)はドイツの牧師だった。彼の人生の初期に、彼が神に用いられる運命にあることが明らかになった。これは、子供の時の仲間たちを信仰に向かわせた彼の並々ならぬ能力や、かたくなな若者の間における彼の初期の働きからわかる。ブルームハルトはメトリンゲンの小さな田舎の教区を受け持った。その教区は黒い森の近くにある村であり、迷信や魔術の虜にされていた。ここで彼は悪の勢力と戦い、勝利したのである。

この戦いはゴットリーベン・ディタスのために、一八四一年に本格的に始まった。ゴットリーベンはブルームハルトの会衆の若い女性であり、再発性の神経障害や他の様々な奇妙な説明のつかない「攻撃」を被っていることで知られていた。ブルームハルトは二年間に及ぶ戦いに取り組んだ。その戦いは、実在する悪鬼の勢力の敗北という結末を迎えた。ゴットリーベンが解放されただけでなく、メトリンゲンの町全体が悔い改めと刷新の未曾有の運動に席巻されたのである。盗まれた持ち物は返却され、破綻した結婚生活は回復され、敵は和解し、アルコール中毒者は解放され、さらに驚くべきことに、神が自由に治めておられる所では、生活がどんなものになりうるのかを、村全体が経験したのである。イエスは勝利者であった!

そこに押し寄せて来る大勢の人々を、ブルームハルトの牧師館はついに収容しきれなくなった。そこで、もっと広くて自由度の高い場所を、彼は探し始めた。彼は家庭をバド・ボールに移した。そこは大きな建物が建ち並ぶ所で、硫黄泉の周りの鉱泉場として発達した町だった。バド・ボールのこの小さな集団を通して、必死な人々――精神的、情緒的、肉体的、霊的病に苦しむ人々――は癒され、信仰を新たにされたのである。

クリストフ・フリードリヒ・ブルームハルト(一八四二~一九一九)は、父親がゴットリーベン・ディタスのための戦いを始めた時、わずか一歳だった。それにもかかわらず、彼がその後経験したことの背後には、必ずこの経験があった。彼の家族がバド・ボールに移った時、彼は十歳だった。やがて、クリストフは父親と共に働くようになった。そして、父親の死後、彼は父親の任務を引き継いだのである。

人々が肉体の癒しに注目してばかりいるのに失望して、クリストフは公の説教から全く身を引いた。彼は神の癒しの力を経験し続けたが、預言者たちやイエスが最も望んでいたのは新しい世界――万物に対する神の支配――であると信じるようになった。神は内なる人と外なる人の両方を変容させることを望んでおられるのである。

ブルームハルト親子ほど私の人生に影響を及ぼした作家はいない。特に父親のブルームハルトがそうであり、彼にちなんで私は名づけられた。彼らの信仰の姿勢と、来たるべき神の王国についての彼らのビジョンが、私の祖父と父に、生涯にわたって霊感を与えたのである。このブルームハルト親子の信仰とビジョンは、一つの教会運動として、私たちの遺産の一部になった。また、初代フッター主義や、一九二〇年代のドイツ青年運動の人生に対する肯定的な姿勢と共に、彼らの信仰とビジョンは霊感や導きを与え続けている。

「あなたの御旨がなされますように」は、この親子が病、信仰、癒しについて述べたものから収集した、力強い、簡潔な読み物である。英語で出版されるのは初めてである。これらの省察は単純ではあるが、実に深遠である。短く要点を突いており、慰めに満ちている。この本はズンデルの画期的な伝記「ヨハン・クリストフ・ブルームハルト」を補完する素晴らしいものである。これらの省察はまた、特に、私たちが祈って神の助けを求める時、犠牲と明け渡しが重要であることを強調している。ヨブのように、災難が私たちを打つ時――それでも私たちは神に信頼し、神の御旨を受け入れ、神に全き賛美をささげなければならない。

イエスは弟子たちに、「自分の十字架を負って、わたしに従いなさい」と言われた。弟子ごとに、この十字架は異なる姿を取る。病や苦難という姿を取ることもあるし、最終的には死という姿を取るだろう。私たちは二〇一〇年に、レイ・ホッファー、リチャード・スコット、ジョニー・フランシャムの癌を通して、これを特別な形で経験した。この新年と将来には、さらなる試みの時が訪れるだろう。このような状況に際して、これらの読み物は特別な慰めと励ましになるだろう。

これらの選集を利用できるようにしてくれたチャールズ・ムーアに感謝する。自分の信仰を深めて、神とのより親密な関係を見いだそうとしているすべての人に――若者にも老人にも――この本を大いに推薦する。

ヨハン・クリストフ・アーノルド
二〇一〇年十二月