1.ブルームハルトは、キリスト教の枠組みから生じた政治活動と、国や政党と結びついた政治との関わりを、一貫して区別した。ブルームハルトが支持したのは前者であって、後者ではない。
2.働きの初期の頃、そしてエルンスト・ファーベルの病の後、ウィルヘルムは、自分の意志に大いに反して、青島におけるドイツ牧師団の任務に大いに携わった。
3.ここでブルームハルトが何をほのめかしているのかは、明らかではない。一般人民の犠牲のことかもしれない。ヨーロッパの列強は、中国の植民地化を進めていたので、その咎を負っていたのである。あるいはまた、ブルームハルトは義和団の乱(一九〇〇~一九〇一)のような実際の当時の出来事を念頭に置いていたのかもしれない。義和団の乱は、統治王朝に対する反乱として始まったが、北京王宮はそれを外国人たちに向けさせたのである。
4.伝統的な中国の家庭では、儀式的理由により、一刻も早い男児の誕生が望まれた。男児は先祖崇拝を果たす保証だった。他方、女児は、自分の家庭の先祖崇拝に対して、何の意味も持たなかった。なぜなら、女子は強制的に結婚させられた後は、夫の一族に属すようになるからである。この理由により、両親が経済的に苦しい時、女児は殺されたり、捨てられることが、しばしばあったのである。
5.「狐運動」は、アルコール、タバコ、阿片をやめることを強調した。これと関係していたのが、中国の様々な迷信的慣習に基づく「狐崇拝」だった。その目的は、一種の催眠術的狐憑きにより、それに参加した人を様々な中毒性の物質から解放することだった。宗教を連想させる諸々の取り組みと並んで、反王朝的な傾向もあった。そのため、この運動は政治革命の趣を決定的に帯びていたのである。
6.リチャード・ウィルヘルムが関税問題に興味を持った確かな理由はわからない。しかし、当時の税金問題にブルームハルトが熱心に携わっていたことはわかっている。たとえば、一九〇一年一月三十一日、彼は州議会で演説を行い、穀物に課せられた税金に反対して、保護貿易論者の穀物税に反対する立場を取った。