多くの読者にはあまり知られていないが、ヨハン・クリストフ・ブルームハルト(一八〇五~一八八〇)は、その故国であるドイツでは広く知られている。それはおそらく、彼についての画期的な伝記によるものだろう。この伝記は彼の没年に出版され、依然として出版され続けている。この伝記に記されている恐るべき超自然現象により、彼の教区民は大衆の注目を浴びるようになった。そして、百五十年後の今も、物見高い訪問者たちが続々とそこに引き寄せられているのである。
しかしながら、ブルームハルトの生涯の核心は、そのような悪鬼的戦いとの関わりではなく、彼をその中に導いた幼子のような信仰だった。すなわち、善と悪との間で昔から行われてきた戦いの現実を信じる信仰、史的人物であるだけでなく生ける現実であるイエス――この方の宇宙的力は今日も感知して経験することができる――を信じる信仰だったのである。
この信仰により、ブルームハルトの同時代人は大いに困惑した。そのため、彼の神経質な上司たちは、彼の牧する働きを制限することで彼を抑えようとした。今は、さらに疑い深い時代である。科学の進歩により、思慮ある人にとって、合理主義だけが唯一受け入れ可能な信仰となった。そして、超自然の雑駁な不可思議は、トーク番組やフィクション小説で扱われている。神やサタンに言及しようものなら、確実に嫌な顔をされるか、あるいはそれ以上の目に遭うのである。
善と悪は確かに存在しており、しかもそれは抽象的存在であるだけではない――ブルームハルトにとって、これに疑問の余地はなかった。彼にとって、新約聖書の著者たちが記した有名な数々の出来事は、比喩や物語としての意味を持つだけでなく、現実の男女の生活に対する神の介入の実例でもあったのである。二千年前に悪鬼が追い出され、病人が癒され、死人が甦ったからには、今日でも追い出し、癒し、甦らせることができる。これは明らかであると、彼には思われたのである。
ズンデルの説明は歴史的に素晴らしいものだが、今日の読者に対して重大な意味を持っている。ズンデルの描写によると、この戦いの中心にいたこの静かな牧者は、それが誇張された噂の源になるのではあるまいかと心配したそうである。しかし、人々がそれを見つけ、手にとって読むことを、彼はなおも望んでいるだろう。それにもまして彼が確かに望んでいるだろうことは、教会に満ちている光景の霊的空虚さに絶望している人々がこの本によって勇気づけられること、そして、心を開いて信じようとしている人々に希望が与えられることなのである。
編者 一九九九年十月