三、フランシス教団の規則からの抜粋

訳者 金井為一郎

兄弟達の悪いことを語り、あるいは攻撃をせず互に相愛すべきこと、兄弟らに対して誰もその欠点を誇張したり言葉をもって非難し争わないようにすべきである。神が彼らに恵みを与えてい給う間、沈黙をもって忍ぶことを学べ、これらの人達と争ったり又は共に他の人と口論をすべきでない。寧ろ反対に謙遜をもって答え、我等は無益の僕であるということを常に準備すべきである。彼らをして怒らせるな「誰でもその兄弟を怒る者は審きにあうところの危険をもつ、その兄弟に向って愚か者よ、という者はその衆議に預りバカ者という者は地獄の火に預る危険をもつ」主が「これは我が誡めである。汝ら互に愛せよ、我が汝等を愛せし如く汝らも互に相愛せよ」と仰せになったように相互に愛すべきである。彼らに対し行によってその愛を示し使徒がいったように「我等言と舌とをもって愛することなく行と真とをもって愛せよ」といい又、「人の悪を語るな」とあり、呟いたり人を非難したりしてはならない。陰口をいって攻撃することは神の憎み給うことである。我等は柔和で凡ての人に対して温和であることを示すべきである。審いたり呪ったりしてはならない。人の小さな罪に注意を払うよりも自分の魂の苦々にがにがしさを反省すべきである。狭い門より入ることを努めよ、主がいい給うた如く「生命に入る門は狭く、その道は細くそれより入る者は少い!」からである。

全ての兄弟が讃美し又誡しむべきことについて、全ての善はいと高くして万物の上に在す主なる神に帰すべきである。全ての善は神に属することを認めよ。そして我らは一切の善の現れ来たる彼に対して感謝を捧げしめよ、いと高くして万物の上に在す真の神のみに栄光を帰し、凡ゆる誉と尊敬と讃美と祝福と感謝と栄光とを帰し奉れ、彼にのみ全ての善は属し彼のみ善であり給う。このような勧めと讃美とをもって神の祝福をいい現し、それが何時であろうと、どのような人の中であろうと、これを述べ神を畏れ又敬い賞め讃美し万物の創造主なる父、子、聖霊に在す三にして一なる大能の主なる神に感謝し御名を崇めよ。我らは間もなく死ぬものであることを知れば、悔改めてそれに適う実を結べ。「与えよ、さらば与えられる、赦せよ、さらば赦されるであろう」又、もしもあなたが人の罪を赦さないようならば主も又貴方の罪を赦さないであろう……。全ての悪に遠ざかれ、終に至るまで、忍んで善を為せ。

祈り讃美及び感謝、我らの全ての者は全魂をもって全心をもって、全力をもって愛し又、忍耐強くあるべきである。我らの全理解と全力と全精神と全情愛と我らの内なる凡ゆる部分、全要求と意志とをもって我らにこれらのものの全てを与え給うた神を愛し、賤しくみすぼらしく悪にして汚れ恩を忘れ、また邪まなるものをも憐れみ給う神を讃美せよ。

それゆえに我らは、造主、贖主なる救主、唯一の真の神以外に何事をも要求せず喜ばず求めざらしめよ。彼の中には全ての善、全き善、真理、全てが満ち彼のみが善にして恵深く親切で柔和で甘美で、彼のみが賢く正しく真にして正義であり、情け深く純潔で潔く彼を通して全ての憐み、全ての恵、全ての栄光、全ての祝福は天にも地にも与えられる。それゆえに我らにとっては何事も彼から来るものを妨げず離れしめず神との間を遮ることなからしめよ。

我ら全てをして何処にても如何なる場所にても何時にても凡ゆる時において、日々また継続的に信じ真にへりくだって我らの心の中において愛と誉れと讃美と奉仕と称讃と祝福と頌栄と感激とを、いと高く万有の上に在す父、子、聖霊の三位なる唯一の永遠の神に捧げしめよ。彼は全てのものの造主、彼を信じ彼を望み彼を愛すものの救主にして初めなく終りなく量ることも、見ることも出来ず、いうことも理解することも出来ぬ祝せられ賞めらるべく、栄に満ちいと高く厳かにして美わしく喜ぶべく愛すべく永遠より永遠まで、讃めらるべき神にて在し給う。

祈り

我らを訓練し給う活ける我らの神よ、我らは生活と奉仕とにおける汝の標準を知ることを願います。聖フランシスが修道院の規則の中にその標準を記したように我らは我らの心の中に記すことを願います。汝の御子の教え、又、生活し給うた御誡しめに従って我らの生活を整え給え。我らをして常に聖霊の現在を自覚せしめ、その導きに従って生涯の岐路を過ぎゆかせ給え。我らは我らの精神と心と意志とを汝と汝の奉仕に捧げることを望みます。我らをしてイエス・キリストにある新しい創造物にならしめる福音の能力を有効に証せしめ給え、この日、我らをしてイエスの為し給い教え給いしことを継続するために訓練され奉献せられたものとして仕え得るように導き給え、御名によって祈り奉る。アーメン