四、全ての忠実なる者への手紙

訳者 金井為一郎

全世界に住む全ての基督者なる敬虔なる者、教職者、平信徒なる男達よ、女達よ汝らの僕なる兄弟フランシスが天からの真の平和と主にある真実の愛とを望んで恭々しい尊敬を送る。全ての者の僕として私は全ての者に仕え、又主の御言の芳ばしい香を取次ぐように定められた。それゆえに私は自分の体の弱いことを考える時に個人的に訪ねることの出来ないのを知りこの手紙をもって我々の主イエス・キリストの御言とその音信とを送る。彼は父の言であり「霊にして生命なる」聖霊の言である。彼は父の意志に自らの意志を捧げ、「我が意をなさんとに非ず汝の御意をなし給え」と宣うた。このようなのが父の御意であって祝福せられた栄光の御子は我々を救わんがためにこの世に生れ、彼御自身のためでなくして我々のために十字架の祭壇の上に御自身を捧げ犠牲いけにえとしてその血を流すことが父の御意であった。そしてその業は彼に従う者へ模範を残されたのである。また彼は、己によって救われた我らが純粋な心と聖き肉体とをもって御自身を受けることを望み給う。しかし彼を受けることを望み主によって救われることを願うものは少い。しかし彼の軛は易くその荷は軽い。主が御自身、福音書において「汝の全心において、全魂において……汝の父なる神を愛し汝自身の如くその隣を愛せよ」といい給うた如く主を愛する者は何と幸にして恵まれた者だろう。それゆえに我々をして純粋な心と精神をもって神を愛し彼を崇めしめよ。そは主御自ら「真の礼拝者の霊と真とをもって父を拝する時が来らん」といい給うたからである。それゆえに誰でも彼を崇める者は霊と真とをもって崇めなければならない。我らは昼も夜も讃美と祈りとをもって彼を崇めていおう「天に在す我らの父よ」と。又「我ら気を落すことなくして常に祈るべき」である。

なお又、我らをして悔改めにふさわしい実を結ぶもの、また己自らの如く我らの隣人を愛せしめよ。もし誰かが己自らの如く彼らを愛することを好まずあるいは出来ないならば少くとも彼らを害せず彼らに善いことをなさしめよ。もし我らが他人を審く所の権威を受けたならば憐みをもってその権能を行わしめよ。それは我らも又、主からの憐れみを受けんがためである。

我らは悪と罪とのゆえに我ら自身を憎むべきである。何故ならば主は福音の中において全ての悪と罪とがその心から表われ来るといい給うたからである。我らは我らの敵を愛し我らを憎む者に善を行うべきである。我らは主イエス・キリストの教えと誡めとを守るべきである。我らは又、自らを拒否して我らの体を僕の軛の下に置き、全ての者が約束したように主に約束すべきである。誰も罪、あるいは不義の犯されている中においてその力に従い捉えられるべきではない。

然し、彼に誰かが服従するように委ねられたことによって大なる者と考えられる場合には彼がいかなる状態にあろうとも凡ての兄弟達に憐れみを持ち且つ示すべきである。それは自分がその境遇にあった時に人が自分に為してほしいと思うようにすべきである。即ち全ての忍耐と謙遜とをもって親切に彼を勇気づけ忠告すべきである。我々の肉に従うべきではなく、分別のあるしかしながらむしろ、単純にして謙遜に又、純潔であるよう努むべきである。

我々は決して上にあるもの以外を求むべきでない、むしろ神のために全ての被造物の僕となり仕え人となるべきである。そして主の霊はこれ等のことを実行し、また終りに至るまで耐え忍ぶ全ての者の上に留るであろう。神は御自身の住所を作り、彼らの中に住い給うであろう。そして彼らはそれらの業をなす時に天の父の子供、又我らの主イエス・キリストの配偶者、兄弟、母となるであろう。聖霊によって真実な魂がイエス・キリストと一つとされる時にイエス・キリストの配偶者となるのである。また、天に在ます父の御意を行う時に彼の兄弟となるのである。我々は純粋な愛と潔められた良心とをもって我々の全身全霊に彼を迎え、我らが他への模範として光り輝く聖なる業をなす時に我らは彼の母となるのである。天の父を持つということは何と栄ある聖なる、偉大なることであろうか!天に一人の配偶者を持つということは、おお何と聖なる美しい愛すべきことであろうか!全てのものの上に、彼の羊のために彼の生命を与え給うた一人の兄弟を持つということは、おおいかに聖なるいかに愛すべき、よき喜びであり又、謙遜な平和な甘美な又、願わしい事であろうか!そして彼は我らのために父にかく祈り給うたのである、「父よ、我に賜いたる汝の御名の中に彼らを守り給え。父よ、世の中のあらゆるものは皆汝のものなり。しかして汝は我に彼らを賜えり、我は我に賜いし言を彼らに与え、彼らはこれを受け、わが汝より出でたるを真に知り、汝が我を遣し給いしことを信じたるなり。我彼等のために願う、わが願うは世のためにあらず、願わくは彼等を祝して潔め別ち給え、又彼等のために我は己を潔め別つ、これ我らの如く彼らの一つとなりて潔め別たれんためなり。父よ、望むらくは、我がおるところには彼らも我と偕におりて御国にてわが栄光を見んことなり。」

爾来、彼は我々のためにそのように多く苦しまれ、又我々のためにそのように多くの良いことを進んで為し給うた。天と地、又海と奈落の中にある全ての被造物よ、神を讃美し奉れ、又栄光と誉と感謝とを捧げ奉れ。何となれば永遠に主は我等の強さであり能力であり、彼のみが善にして最も高く、全能であり、賞讃さるべき栄光に充ちた、聖く褒むべきお方であり給うからである。

祈り

我らの父よ、我らは豊けき救いが汝の御子、我らの救主によって可能とせられましたことにつき心から御礼申し上げます。彼の御生涯が我々を彼の足跡に従わせる一つの模範として送られたことにつき、又彼の死が汝の愛と我々を罪から贖い給うことを表わし、又彼の復活が現在と未来に豊かなる生命の確実性を我等に与え給うことについて、又更に変らざる臨在が常に我々の霊的な必要に応じ満し給うことについて本当に感謝申し上げます。願わくは我らの生活が彼の模範に従うように、より以上の熱心をもって求めるよう我らを助け給え。我らに、又甚しい貧しさの中にある世に汝の贖いの恵を更に新しく示し給え。この日も我らに甦り給うた活けるキリストの臨在と能力の自覚を新しく迫るように与え給え、これらの祈りをキリストの御名によりて願い奉る。アーメン