緒言

訳者 金井為一郎

アシジの聖フランシスは中世キリスト教の最も美わしい開花を代表している。歴史上のどの時代よりも、多く形式的又、組織的になってきていた時代に生きて彼はイエス・キリストの誡めに全く献げ又服従した生涯の優れた力を現わした。中世の教会に完全に服従していながらも活けるキリストへのより高い忠誠を堅く保持し続けた。彼自身が修道院の理想に自らを捧げつつもその形式の中に新しく、よりよい所の実質を与えこの世から逃避するよりも寧ろ世の中にあって中心目的に進むように奉仕する道へとその本流を変化させた。中世におけるキリスト教の指導者達の中において、彼はクリスチャンに要求されている神の命令としての伝道の分野における熱心で継続的な業についての鋭い自覚によって彼を独特な地位に立たしめる。殊に平信徒の活動、伝道及び社会的奉仕においてである。

彼はその青年時代に、このような生涯を少しも目指してはいなかった。彼はアシジの村の富んだ呉服商の子供として生れ、その家庭ではこの世の楽しみを自由に与えられつつ成長した。少年の頃は詩や音楽を好み叙情詩人の歌を学んで彼らの言葉を覚えそれを夢想してこの世的な快楽を追求していた。又、青年としてはその時代の人々が求めた所の富と傲りと情慾と軍人としての名声等の混合した生涯を夢みてそこに楽しみを満喫しようと願っていた。

しかし富の獲得は満足を与えることの出来ない冒険に過ぎないことがわかり、傲りとこの世の情愛もその引着力を失った。短い軍隊生活における経験は捕虜と病気の中に終り、失敗と幻滅の鋭い自覚を与えた。惨めな失敗の意識が彼の生命の中に人間の要求の自覚を喚び起させた。アシジにおける彼の周囲の総ての者は皆、失敗と飢えと病気とある者は恐るべき癩病によって悩まされていた。最初彼はこれらの人々の要求に対し必要に応じて奉仕しようと努め、その業の中に真の喜びを見出し彼らへの奉仕を通して永続的な満足を見出すようになった。

この発見が彼を宗教的経験を満足させるための熱心な追求へと導いた。彼は助けようとしている所の人々の要求に応え得るために彼自身が霊的な能力をもって満されようとする切実な飢え渇きが起ってきた。また自分の生涯に対する神の御計画を知ろうと求めている間に平和と能力とはイエス・キリストの御生涯を熱心に倣う度合による事を知った。彼はその時代が宗教に無関心であるのに注意が向かうに従って、荒廃した教会の再築に努力するようになった。この業に従事しつつある間にも他の形式による奉仕を進めた。それはイエスの御言によって新たなる道へと導かれたからである。即ち「何処へでも汝の往く所において宣べ伝えて言え『悔改めよ、天国は近づいた、病める者を癒し癩病人を潔め悪霊を追い出せ、価なしに受けたから無代で与えよ。汝の財布の中に金も銀も銅銭も袋も二つの上衣も靴も杖も持つな、働く者がその価を受けるのは当然であるから』」

フランシスはイエスの御命令に絶対に又文字通りに服従しようとして彼の生涯を献げることを決意し、その所有をも家族関係をも投げ打ち、又先に抱いたこの世の成功者となる夢をも捨ててしまった。これより後、彼はその花嫁として清貧をめとった。何者をも所有せず、惜しみなく彼自身を与え、巡回しつつ説教する伝道の道において肉体的に又、霊的に人間の要求に対して全部を以て応ずることにおいて衣食は与えられていった。一二○四年より一二二六年、彼の死に至るまで廿二年間、彼は福音書に示されているイエスの精神と方法とに従おうとする純真な熱意をもって、光栄ある幸な年を送った。この愛に押し出されるような運動の中で彼の説教は多くの信者を呼び起し、宗教に無関心な人々をも悔改めさせキリスト教の歴史における最も力ある信仰復興の一つの運動を開始した。

聖フランシスのキリストへの奉献は他の人々をキリスト者としての奉仕に捧げさせた。彼に倣ったところの熱心な人々の群が間もなく十三世紀における霊的覚醒の業において彼の援助者となった。彼と密接な関係において働いた人々がフランシスカン修道院を興す中心となった。そして彼が掲げた三つの誓約は清貧貞潔、及び服従であって彼らは皆、聖フランシスの仕方に倣って世における仕え人として彼ら自身を提供した。このフランシスカン派は、後に教皇から公けに認められたがその尊ぶべき歴史は奉仕の七世紀を越えて今も連続している。聖フランシスの理想と宗教的熱意とを分つ婦人達は聖クララの修道女群としての組織を持つようになった。聖フランシスは又、第三の組織を作った。彼らは修道院の誓をしないが、その時と才能とを霊的復興及びクリスチャンとしての奉仕の様々な形において捧げる約束をした男女をもって形成された。このようにして宗教的働きにおける平信徒の活動が社会の中に新しく又力強く始められた。

フランシスカン教団の僧及び尼僧は聖フランシスによって起草された修道院の規則を厳格に守るように命令されていた。しかし後になって彼らが強く反対したにも拘らずカトリック教会の指導者により強いて変更させられた。

聖フランシスは、祈りと瞑想を通しての確固たる宗教的経験が発展する事の必要性を、極く最初の働きの時から常に強調していた。彼の福音の本質的な真理を伝える説教者としての魅力ある模範、又人々の霊肉の要求に応える調和のとれた伝道、又キリストとの親しい交りから来る喜びと能力の不断の推進とはただ名のみのクリスチャンを真の基督者として全心的にキリストの救を受け容れさせるのに驚くべき能力を発揮した。

フランシスの書いたものは彼の霊的な力の源を指し示している。彼の「訓誡の言」は単純であるが彼が何処でも語って聴衆を捉えたところの音信メッセージの力ある特質を表し、「諸徳の則」は聴衆の生活におけるクリスチャンの性質を説いている。「フランシスカン教団の第一の規則」はイエスの名による奉仕にその生涯を捧げようとする者のためにたてられた高い標準を表わし又「全ての忠実な者への手紙」は真のクリスチャンの生活と会話が形成するところの永遠の真理を総括している。又「神への讃美」においては彼の創造者に対する最も鮮明な献身の表明を現わし彼の神への愛は神の造り給うた御手の業に対する愛の中に溢れている。そして自然へのこの愛は「太陽の歌」において最も美わしい言葉となって現われた。聖フランシスの生涯は祈りの中に基礎がおかれている。彼の「主の祈り」における瞑想と、彼自身の祈りはあたかも友と友とが親しい交りにおいて語る時のように彼の霊魂の憧れの内的調和を表わしている。

編者はこの小著の各章の終りに自らの祈りをつけ加えた。

ヂェー・ミントン・バッテン

(テンネシー・ナッシビル・ワンダービルト大学)