人よ。求むる人よ、飽きたる人よ、哀める人よ、歓べる人よ、弱き人よ、強き人よ、野に立つ人よ、巷に隠るる人よ、若き人よ、老いたる人よ、男よ、女よ、万国の民よ、人というすべての人よ、
「来たりて見よ。」
何を?と問うか。風に動かさるる葦ではない、文繍を着て奢れる者ではない。時を遡ること二千年、西亜の一角エルサレム城北の小丘に来たりてそこに十字架に釘けられしナザレのイエスを見よ。
磔殺の極刑、何の罪のゆえぞ。その頭には棘の冠がある、その罪標にはユダヤ人の王とある(しかもヘブル、ギリシャ、ロマの三国語にて)。王か罪人か、そもそもこれ何の謎ぞや。
げにも彼は自ら王なりと言いしがゆえに反逆の罪に問われたのである。「ピラト彼に曰いけるはしからば汝は王なるか。イエス答えけるは汝の言うところのごとく我は王なり、我これがために生まれこれがために世に臨れり」(ヨハネ十八章三十七節)。「ユダヤ人叫び曰いけるはすべて自己を王となす者はカイザルに叛く者なり」(同十九章十二節)。彼は言う我は王なりと、人は言う汝は叛逆者なりと。人の言真であるか、彼の言果たして偽りでありしか。
「我これがために生まれこれがために世に臨れり」と彼は言うておる。ゆえに我等は暫く彼の一生を見よう、彼の人格とその言行とを見よう。幸いにして歴史は我等の手に存っておる、我等は冷静なる学者の態度をもって暫くこれを検して見よう。
彼の在世三十三年、その晩年に至るまでの隠れたる生活についてはこれを措き、ヨルダン川の畔にてバプテスマのヨハネが彼を世に紹介してより人はナザレのイエスを知らざるを得なくなった。彼はユダヤ、ガリラヤの野を経巡って天国の好き音信を伝えた。彼によりて病める者は癒され「貧しき者は福音を聞かせ」られた。彼は罪人の友となり又その罪を赦した。彼は僕のごとくに人に仕え終わりまでこれを愛した。まことに彼はこの世の王らしくはなかった。しかしながら彼は言うた、「我が国はこの世の国にあらず」(ヨハネ十八章三十六節)と。彼は自ら神の子なりと称した、しかしてこの世の国の王ならざる神の子として彼の生涯は実にふさわしきものであった。彼がその言と行とをもって特別に深く教えたる事は「愛」であった。彼の一生は愛の一生であった。寸毫も己のためにせず徹頭徹尾人を愛し人のためにするの生活、これ彼の一生であった。彼の生涯には又罪なるものを指摘することができない。彼をさばきしピラトが「我この人に罪あるを見ず」と繰り返し叫びたるは実に故ある事であった。これを要するに彼の一生はもちろん尋常なるものではなかった、極めて優れたるものであった、偉大なるものであった、王らしきものであった。しかしながらこの世の王らしくはなかった、天国の王らしくあった、神の子らしき一生であった。心を虚しくして彼の一生を探る者はその死を見る前といえども少なくともこの「らしさ」を打ち消す事はできない。これはこれ公平なる歴史家としての見解である。
彼は世にある限り人を愛した、彼は「羊のために命を捨つる善き牧者」のごとくに世を愛した。しかし世は果たして羊でありしか、人は彼の濃き愛に報ゆるに柔順をもってしたか。否、「彼己の国に来たりしにその民これを受けざりき」(ヨハネ一章十一節)。善き牧者に牧せらるべき羊はすでに羊ではなかった。その柔順の性は全く失せていた、かえって叛逆が習となっていた。狼の害より己を守らんとて来たりし牧者に向かい羊はかえって自ら狼となって迎えた。イエス人を愛することいよいよ深ければ人イエスを憎むこと益々烈しかった。彼は人のために命をも捨てんとすれば人はこれに先だちて自ら彼を無きものにせんとした。羊は遂に善き牧者を噛まんとするのである。イエスは神の子らしく人を愛したるがためかえって虐殺せられんとするのである。「ピラト、ユダヤ人に曰いけるは汝等の王を見よ。彼等叫びて、これを除け、これを除け、十字架に釘けよと曰う」(ヨハネ十九章十四、十五節)。ああ、愛に報ゆるに十字架。何等の罪ぞ、何等の叛逆ぞ、そもそもかかる罪に対する善き牧者の処置は何であるべきか。イエスの愛は人の反逆に対して如何なる態を取りしか。
彼は素より事の終にここに至るべきをいとも明瞭に予知していた。彼は二たび三たびその事を予言した。彼にしてもしこの禍を免れんと欲するならば途はあったのであろう。もちろん人のかかる叛逆に至らずして悔い改めんことは彼の願いであった。しかしながらその遂に不可能である以上自ら難を免れようとは欲わなかった。
今わが心憂え悼めり、何を言わんや、父よ、この時より我を救いたまえと言わんか、否これがために我この時に至れるなり、願わくは父よ、汝の名の栄を顕わせ(ヨハネ十二章二十七、二十八節)
これ受難の前に彼の祈りし言葉である。やがて時進みていよいよ捕卒は彼に迫った。ケデロンの河に近き園の中である。イエスと共にありしシモン・ペテロは堪らなくなった、彼の熱血は湧き立った、たちまち剣を抜いて一敵の耳を斬り落した。その時イエスは口を開いて言うた、
剣を鞘に収めよ、父の我に賜いし杯を我飲まざらんや(同十八章十一節)
柔順なるは羊にあらずしてかえって牧者である、事ここに至るも彼はただ父と人とあるを知って己あるを知らない。
* * * * * * *
十字架は遂に立てられた、イエスは遂に釘けられた。
来たりて見よ。
悼ましき姿かな、棘の冠を戴き衣は剥がれ両手を展べて彼は懸っている。その面には限りなき憂愁の色が漂うている。しかしながらそれをも圧して人のすべて思うところに過ぐる大愛の光が輝き渡っている。
見よ、今彼の口は開く。敬虔なる祈りの声は我等の耳を衝いて来る、「父よ、彼等を赦したまえ、そのなすところを知らざるがゆえなり」(ルカ二十三章三十四節)。「父よ、彼等を……」、しかり、彼等――叛逆者――わが敵――を如何にしたまえとや。罰したまえ?滅ぼしたまえ?否とよ、「彼等を赦したまえ」!これ果たして真なるか。何等の倒錯、何等の苦衷、何等の忍耐、何等の寛容。ああ、驚くべき彼の大愛かな。かかる愛を人は未だかつて見た事がない。げにもこれを聞きし事はある、「汝等の敵を愛み、汝等を呪う者を祝し、汝等を憎む者を善視し、虐遇迫害者のために祈祷せよ」と(マタイ五章四十四節)。これかつて山上にて彼の訓えたまいしところであった。図らざりき今日我等自ら敵となりて彼の言の欺かざるを実見せんとは。悔恨、感激交々至り、熱涙滂沱として湧くを禁じない。
果然隣に懸けられたる罪人の一人はこれを聞いて胸を打った、「かくてイエスに曰いけるは、主よ、聖国に来たらん時我を憶いたまえ」。思わざる時思わざる人よりこの純なる告白を受けてイエスの慰籍は如何ばかりなりしぞ。事の終わりは寸刻の後に迫っている。しかして新しき福音はなおも彼の唇に上った、
「誠にわれ汝に告げん、今日汝は我と共に楽園にあるべし」(同四十三節)。「今日」である、「我と共に」である、しかして「楽園」である、殊に罪人に向かってである。鮮やけき福音、いみじき同情、ここに又人らしからざる愛の閃きを見る。
十字架の傍に悲痛の面をもたげて立てるは何人ぞ。イエスの一瞥は母と愛弟子との上に注いだ。聞け、又彼の唇は動く、
「婦よ、これ汝の子なり」
「これ汝の母なり」(ヨハネ十九章二十六、二十七節)
地に遺し往く母を憶うて彼の濃やかなる愛情はかくのごとくに溢れ出でたのである。語は短し、されどその裏にいいがたき悲しみ、断腸の苦痛、しかして海のごとき浩愛が籠っている。
やがて物凄き寂寞は世を蔽うた、昼の十二時頃より三時に至るまで地の上遍く黒暗となった、黒暗その絶頂に達した時たちまち裂帛の叫びは耳を劈いた。
「エリ、エリ、ラマサバクタニ」(我が神、我神、何ぞ我を棄てたもうや)(マタイ二十七章四十六節、マルコ十五章三十四節)
愛する世の人よ、何ぞ悔い改めざるや、我が神よ、何ぞかくまでに見棄てたもうやと。よしこの語が神の独子の自覚最も鮮明なりし彼れイエスの口に出でては素より絶望の声でないことは論を待たずといえども、その最も深刻なる苦悶の絶叫たるは明らかである。ああ、彼をしてかくまでに悶えしむる者はそもそも何人ぞや。我等の叛逆の矛は今し彼の心臓を抉ったのである。我等のために父の賜いし杯は今し彼れの飲み干すところとなったのである。恐るべき犠牲の苦しみ、これみな我等のためである、しかりことごとく我等のためである。痛恨何ぞ堪えん、慚愧何ぞ禁えん。
かくして絶大の苦痛は十分に味わい尽くされた、人は己が叛逆の罪の深さ恐ろしさを面のあたり隈なく見せつけられた、その時イエスの事は終わった、彼の貴き面は和いだ、
「我渇く」(ヨハネ十九章二十八節)
声に応じて兵卒の呈せし酢を受くるや、
「事終わりぬ」(同三十節)
たちまち最後の大声は響いた、
「父よ、我霊を汝の手に託く」(ルカ二十四章四十六節)
首は終に俯れたのである。
>* * * * * * *
人よ、汝は何を見たるや。
「罪」!
しかり、十字架の罪である、極罪である、叛逆である、しかも真の罪人は誰ぞ。
釘けられたる彼に罪はなかった。彼は愛した、ただ我等を愛した。しかして我等は彼を釘けた、エリ、エリ、ラマ、サバクタニと罪なき彼は十字架上に悶えた。
人よ、汝の見たる罪は誰の罪ぞ。
「愛」!
しかり、母を愛し、罪人を愛するのみならず、敵を愛するの愛である。愛のために甘んじて身を敵手に付し、しかして祈るところは「父よ、彼等を赦したまえ」である。これは「善き牧者」の愛よりも大いなるものである、これ到底人の愛ではない。
人よ、汝の見たる愛は誰の愛ぞ。
十字架―― 一線地に沿うて横たわり、一線天よりこれを貫く。横たわるものは「我等の罪」にあらずや、貫くものは「神の愛」にあらずや。
我等の見たるものはこの罪とこの愛である、この罪のために苦しみこの愛によりて我等を赦すイエスである、今や彼は神の子らしき者ではない、
我等その栄を見るに実に父の生みたまえる独子の栄にして恩寵と真実にて充てり(ヨハネ一章十四節)
彼こそ確かに神の生みたまえる独子である。その貴き苦悶と測り難き愛とを見た時に、我等の頑き心は割然として砕けざるを得ない。無限の悔恨と、いい知らぬ感謝とは洪水のごとくに胸を衝いて来て、熱き涙は迸るのである。涙に曇りし眼を挙げて我等は神を仰ぐのである。「父よ!」我知らずかく叫び出ずるのである。「願わくは赦したまえ」、といいて彼に縋るのである。しかして思うところに過ぐる慈愛をもって彼に迎えらるるのである。旧き叛逆はことごとく癒されて我等はもはや罪の軛の下に苦しまないのである。今や我が主はイエス・キリストである、彼の霊が我等の心に臨みて全く我等を支配するのである、彼の僕となりて我等は従来予想だもせざりし大自由を取得するのである。今や闘うて勝たざるはない、苦しみて恵まれざるはない、躓きてさらに大いなる望みを回復せざるはない。もちろん今なお艱難はある、涙はある、罪も全く消え去らない。しかしながら身に余る恩寵は日に我等を俟つのである、尽きざる慰籍は常に彼より来るのである、罪を憎むの心は次第に我が性格となり往くのである、今や天と地とは新しき光明をもって我を包み内心は歓喜と感謝との歌を唱してこれに応ずるのである、十字架上のイエス・キリストを見たるその時より我等の生命は一変したのである。
人よ、来たりて彼を見よ。彼は汝の叛逆を癒し、代うるに信と望みと愛とをもってする。我等の生活の価値と意義とはただかくして得らるるのみである。我等は天下一人の彼を知らざる者あるを欲しない。我等は世にある限り万民に向かって繰り返し叫ばんと欲する、曰く
来たりてイエス・キリストを見よと。
注 「来たりて見よ」とはイエスが自己をその最初の弟子に紹介したまいし時並に最初の弟子が又その友にイエスを紹介したる時に用いられたる言葉であって、言わばキリスト教の産声ともいうべきものである。「かく言えるを弟子(バプテスマのヨハネの)聞きてイエスに従い往けり、イエス彼等の従えるを回顧て、汝等何を求むるやと彼等に問う、答えてラビ何処に住るやと曰う、イエス彼等に来たりて見よと曰いたまいければ云々」(ヨハネ一章三十八、三十九節)。「ピリポ、ナタナエルに遇いて曰いけるは我等律法の中にモーセが載せたるところ預言者の記しし所の者に遇えり、すなわちヨセフの子ナザレのイエスなり、ナタナエル言いけるはナザレより何の善き者出でんや、ピリポ彼に曰いけるは来たりて見よ」(同四十五、四十六節)。知るべし、キリスト教は初めより教理をかざす事なくただイエスその人の紹介をもって世に現われし事を。信仰とは彼を見て信ずることである、伝道とは彼について単純なる証しをする事である。