い イスラエル歴史とキリストの出現
古代の世界歴史は明らかに二つの大潮流に分かれて進んだ。イスラエル歴史と異邦人の歴史とこれである。
この二つの潮流にはそれぞれ著るしき特徴があった。パウロはイスラエル歴史の特徴を数えたてて次のように言う、
彼らには神の子とせられたることと、栄光と、もろもろの契約と、授けられたる律法と、礼拝と、もろもろの約束とあり。(ロマ九の四)
以上の六つはいずれも異邦人の歴史において見ることを得ざるイスラエル独特の所有である。
その第一は神の子とせられたる事である。イスラエルがその先祖アブラハムの時に全人類の中より選び出されたのは、特別の意味において神の民とならんがためであった。すなわち先ず彼らと神との間に最も親しき関係が成り立ち、しかるのち彼らを通して恩恵があまねく全人類に及ばんがためであった。神はかく己と特別の関係にあるイスラエルを呼んで「子」というた。「エホバかく言う、イスラエルはわが子、わが初子なり」(出エジプト四の二二)。子である、初子である。みずから神を父とあおぎ、又そのみこころを行うて、全人類を神に立ちかえらしむべき初子である。従ってイスラエルの歴史に最も鮮やかなる神の意識があり、また最も明らかなる摂理の現われがあった。
第二は栄光である。イスラエルのために神はしばしばおのれの栄光を象徴的に目に見得べき形をもって現わした。たとえば曠野における雲の柱、火の柱のごとき、契約の櫃の上における雲のごときこれである。けだし神のいます所に栄光がある、あたかも行在所には王の旗の翻るように。栄光はすなわち神の現在の徴である。神は長らく異邦人と共にいまさず、ただその子イスラエルの中に宿りたもうた。彼らと共に動き彼らと共に止まりたもうた。イスラエルの歴史は神の現在の歴史であった(ユダヤ人はこの栄光のことを特にシエキナー「宿り」と呼ぶ)。
第三はもろもろの契約である。神の子とせられて神を常にその中に宿したるイスラエルは、しばしば神と共に契約を結んだ。全能の神は彼らイスラエルを友のごとくに見て、これと契約関係に入り、これにむかって誓いを立てたもうた。国民としての名誉これにまさるものはない。しかして契約の最も代表的なるは言うまでもなくアブラハムのそれであった。この契約はイスラエル歴史の起源でもあり、経路でもあり、目的でもあった。この契約の実現を見んがためにイスラエルの民は生きかつ死んだのである。同じ契約がイサクまたヤフブに対して繰り返され、後には一層鮮やかなる形においてダビデにむかって立て直された。イスラエルは実に「契約の民」であった。
第四は授けられたる律法である。シナイ山上の律法の賦与がイスラエル歴史特有の大いなる出来事であったことは何人も知っている。しかして律法は契約の特別なる変態である。もろもろの契約が祝福の約束を与えたに反し、律法のみはかえって誼いをもたらした。神はここにいとも峻厳なる要求を提出してすべての民を罪の責任の中に閉じ籠めたもうたのである。この比いなく大いなる出来事のために、イスラエル歴史に新しき紀元が画せられた。しかしてそれはあたかもイスラエルの国民的組織の開始と時を同じうしたため、彼らの歴史はしばしば律法によって代表せられるに至った。
第五に来るものは礼拝である。礼拝とは律法にともなうて定められし幕屋の祭事であって(へブル九の一)、律法と離るべからざる関係にある。律法によって閉じこめられたる罪の中よりの脱出の途を示すものがすなわち礼拝である。ゆえに律法のある所に必ず礼拝がなければならぬ。しからずんば祝福の望みは絶え、もろもろの契約は空しくなるであろう。律法によって代表せらるるイスラエル歴史は、同時にまた礼拝によって代表せられ得る。エホバの幕屋、神の宮は実に彼らのあこがれの焦点となり、彼らの国民的生活の中心を成したのである。「もし我れエルサレムをわがすべての歓喜の極みとなさずば」、というて彼らは愛国の至情を披瀝した(詩一三七の六)。
最後にはもろもろの約束である。約束は契約によって与えられたばかりでなく、また預言によって伝えられた。しかして契約がイスラエル特有のものであったように、預言もまたそうであった。いずれの国の歴史を繙いても、イスラエルの預言者に類するものを見いだすことが出来ない。殊に多くの偉大なる人物が輩出して、救い主メシヤの出現に関する約束を力づよく高唱し、もって国民の希望をいと高き所に繋ぎたる光景は、まさに天下の偉観である。アブラハムが「約束を受けし者」と称えられるように(へブル七の六)、すべてのイスラエルがまたそれであった。族長らが「未だ約束の物を受けざれど遥かにこれを見て迎え」たように、その子孫たちもまたみなそうした。
初子、栄光、契約、律法、礼拝、約束、イスラエル歴史にかくも多くの立派なる特徴があった。彼らの国民的生活にはこれらの特徴があまねく染みわたっていた。彼らの政治は神の子の政治であり、彼らの文学は預言の文学であり、彼らの教育は律法の教育であり、その産業さえ礼拝の精神を交えたる産業であった。「東洋の偉大なる諸国民が惨虐なる征服に耽りつつある間に、フイニシア人が功利の念に駆られて商業工業を営みつつある間に、ギリシャ人がその芸術的文学的の傑作をもって美と真との理想を実現せんと力めつつある間に、ローマ人がその天凜たる実際的智慧に導かれて来たるべき数世紀に亙り権利の観念を築きゆく間に、ただ一つの国民は、さながら地上の寄寓者のように、すべてこれら血気の事より離れて霊の事を追求した。彼らの主要なる関心事は征服でもなく産業でもなく、科学でもなく芸術でもなく、または単に人間的の意味においての正義でもなかった。彼らの生活を占有したものは礼拝であった、人に対する神の要求であった、この神の要求が地上にて実現せらるべき来たらんとする世界であった、今いまし後きたりたもうべきエホバであった、聖にして栄光ある彼の王国と、その恐るべき審判とであった。彼らの賢者は預言者であり、彼らの芸術家は詩篇の作者であり、彼らの英雄は至高者の代理者であった」(ゴーデー)。
かくのごとくイスラエルの国民生活に染み渡りたる特徴を今少しく注意して観察するとき、我らはそのすべてに通じて一つの極めて力づよき声あるを聴く。イスラエルはその神の子としての生活において、その神の現在にともなう栄光の経験において、そのアブラハム以来のもろもろの契約において、そのシナイ山上荘厳なる律法受領の出来事において、その代々に守られし幕屋又は神殿の礼拝において、はた族長もしくは預言者によって伝えられたる多くの約束において、常にあるひとりの人の出現を要求し夢想し待望しつつあったのである。
イスラエルは神の子でありその初子であるという。しかし厳密なる意味において彼らは到底この貴き名に値しなかった。彼らの実際の生活は初子よりもむしろ放蕩息子のそれであった。神の子はイスラエルの理想であり、しかして理想たるに過ぎなかった。ここにおいてか、国民のためにこの理想を完全に実現すべき代表人に対する要求が何時としもなく起こって来た。かくて始めは国民全体に適用せられし初子の名称は、後にはある理想的の一人に譲らるるに至った。詩篇の中に「我また彼をわが初子となし、地の王たちのうちいとも高き者となさん」とあるは明らかにその意味である(詩八九の二七)。初子の民イスラエルはおのれを代表すべき理想の初子の出現を待ち望んだ。
イスラエルに栄光の経験があった。神は来たりて彼らの間にやどった。それは確かに福いなる経験であった。しかしながら彼らの見たる栄光は僅かに象徴的のものたるに過ぎなかった。彼らは未だ神かれ自身を見ることを許されなかったのである。「なんじ我が背後を見るべし、わが顔は見るべきにあらず」とモーセすら禁ぜられた。真実のシエキナー(宿り)は未だイスラエルに実現しなかった。いつかは遂に神みずから人と成りて彼らの間に宿るまで、イスラエルの栄光の経験は完きを得なかったのである。
もろもろの契約と約束とは何を目的としたか。その目的は如何にして実現したか。「汝の子孫によりて天下の民みな福祉を得べし」というアブラハムの契約、「われ汝の身より出づる汝の種を汝の後に立ててその国を堅うせん」というダビデの契約、もしくは多くの預言者によって称えられしメシヤの預言のごとき、みな明白にあるひとりの人の出現を目的としたのである(ガラテヤ三の一六参照)。しかもその目的は長き長きあいだ充たされなかったのである。
人を罪に閉じこむるための律法は、始めより準備的の性質をもっていた。閉じこむるは引きいださんがためである。一度び罪の詛いを経験せずしては、救いの何たるかを味わい知ることが出来ないからである。このゆえに誼いの律法には救いの礼拝が附きまとうて居った。律法は律法のための律法ではなくして、礼拝のための律法であった。しかして幕屋又は神殿における獣の犠牲によって行われし礼拝は、来たるべき完全なる犠牲による真の礼拝の典型に過ぎなかったこと言うまでもない。「それ律法は来たらんとする善き事の影にして真の形にあらず……これ牡牛と山羊との血は罪を除くことあたわざるに因る」(へブル一〇の一~四)。まことに牡牛と山羊との血は罪を除くことあたわずである。たとえこれをささぐる千年万年に及ぶともなおしかりである。しかるにも拘わらず、彼らイスラエルが年々歳々心よりの敬虔をもってこの無益の行事を継続したのは何故であるか。それはやがて来たるべき「神の羔」に対する要求と待望とを表白せんがためでなくして何であったか。
ここにおいてか我らは知る、イスラエル歴史のなかに、あるひとりの人の出現をもとむる声が漲っていたことを。イスラエルの国民生活のいずれの部門を叩き見ても、この声を聴かない所はなかったのである。初子よ出でよ、栄光の君よ出でよ、万民の救い主よイスラエルの王よメシヤよ出でよ、世の罪を負う神の羔よ出でよ、屠らるべき真の犠牲よ出でよ――イスラエルは二千年に亙りてかく叫びつづけた。彼らの歴史は実にひとりの子を生まんとする断えざる産痛の歴史であった。
このイスラエル歴史を背景にしてキリストの出現を見るとき、誰か二者の間の必然的関係を疑うことを得ようか。キリストこそは真実の神の子であり、理想の初子であった。「これは我が愛しむ子わが悦ぶものなり」(マタイ三の一七)。「彼は見得べからざる神の像にして、万の造られし物の初子なり……彼は始めにして死人の中よりの初子なり」(コロサイ一の一五、一八)。キリストこそは神が人の間にやどれる栄光であった。「言は肉となりて我らの中に宿りたまえり、我らその栄光を見たり、げに父の独子の栄光にして恩恵と真理とにて満てり」(ヨハネ一の一四)。キリストこそはもろもろの契約と約束との目的であった。「アブラハムの子ダビデの子イエス・キリスト」(マタイ一の一)。「今日ダビデの町にて汝らのために救い主うまれたまえり、これ主キリストなり」(ルカ二の二)。「神の約束は多くありとも、しかりということは彼によりて成りたれば、彼によりてアーメンあり、我ら神に栄光を帰するに至る」(後コリント一の二〇)。キリストこそは律法の成就者また礼拝の完成者であった。「律法は我らをキリストに導く守役となれり」(ガラテヤ三の二四)。「見よ、これぞ世の罪を除く神の羔」(ヨハネ一の二九)。
出でよ出でよとの叫びはかくしてことごとく癒された。キリスト出でてイスラエル歴史は一先ずその目的を達した。選民として神より委ねられたる使命は彼によって完全に果たされた。もしキリストが現われなかったならば、イスラエル二千年の歴史は徒然なるものとして終ったであろう。その族長、その立法者、その帝王と詩人と預言者、しかりそのすべての国民の生涯は、ことごとく意味なき夢と消え失せたであろう。イスラエル歴史に対するキリスト出現の意味は余りに深い。これはその理想の実現であり、その目的の達成であり、その決算でありその生命でありその一切である。
ろ 異邦人歴史とキリストの出現
古き世界歴史の二大潮流の一つなる異邦人の歴史には如何なる特徴があったか。
過ぎし時代には神すべての国人の己が道々を歩むに任せたまいしかど云々。(行伝一四の一六)
神はかかる無知の時代を見過しにしたまいしが云々。(行伝一七の三〇)
放任である、見過しである。イスラエルが神に呼びかえされてその子とせられたに反し、異邦人は神を離れて己が任意の道々を歩むままに放任せられ、神を知らずして卑しき被造物を拝するままに見過された。まことに異邦人の歴史に著るしきものにして偶像崇拝および道徳の頽廃のごときはない。たとえ芸術、哲学、政治、戦争、産業等の事において如何ばかり優れたる国民であっても同様である。エジプト、バビロン、アッシリア、ペルシア、ギリシャ、ローマ、または支那、インド、日本、一つとしてこれが例外を見ない。
放任せられたる異邦人の生活はまた希望なき生活であった。
汝ら先には……イスラエルの民籍に遠く、約束に属する諸般の契約に与かりなく、世にありて希望なく、神なき者なりき。(エペソ二の一二)
イスラエルの民が約束につぐに約束を受けて目に見ゆるほど明確なる希望に歩んだとは事かわり、異邦人は望むべきものを知らず、暗中いたずらに手さぐりしながら歩んだ。ただに見えざる永遠の世界について彼らは深刻なる不安を抱きつづけたのみならず、広大にしてしかも移りゆきつつある現実の宇宙さえ、彼らにとっては解きがたき謎であった。この解きがたきものを解かんと欲して、思索に瞑想に、彼らの努力、健気でなかったではない。しかしながらすべては空しくあった。神のないところに智慧もなく希望もなかった。異邦人の歴史は求めて得ず尋ねて見出さざるさびしき努力の記録であった。
何ゆえに神はかく異邦人を放任したもうたか、もちろんかれらを棄てんがためではなかった。かえって彼らをしてまず神なき生活のさびしさを沁々と味わわしめ、もってその神を見いだすの喜びを一しお切実ならしめんがためであった。彼らをして燃ゆるがごとき初めの愛をもって神に立ち帰らしめんがためであった。
このゆえに放任せられたとは言うものの、異邦人は全く神から遠ざけられたのではなかった。「されど神は我らおのおのを離れたもうこと遠からず」(行伝一七の二七)。神は異邦人を放任して手を下すことを控えながら、なお常に彼らを見守り、また彼らが立ち帰る日のために備えを成したもうた。
その第一は彼らの歴史の時代的区画と万国の国土の地理的配置とに関する神の配慮であった。
……これ(もろもろの国人)を地の全面に住ましめ、時期の限と住居の界とを定めたまえり。これ人をして神を尋ねしめ、あるいは探りて見出す事あらしめんためなり。(行伝一七の二六、二七)
異邦人の歴史は無意味に進行しない。万国の国土はいたずらに散布しない。彼らの時代の区画とその住居の境とは神の定めたもうところである。従ってその中に深きみこころがある、一つの明らかなる目的がある。神を離れたる異邦人をして彼を尋ね求めしめ、しかして遂に彼を発見せしめん事これである。異邦人の歴史は混沌たりといえども、神の発見を最後の目的として動きつつある。
次にこの目的を助けんがために、微かながらも異邦人に許されたる光明がある。天然としかして良心である。
もろもろの天は神の栄光をあらわし、蒼穹はその手のわざを示す。この日、言をかの日につたえ、この夜、知識をかの夜におくる。語らずいわずその声きこえざるに、その響きは全地にあまねく、その言は地のはてにまで及ぶ。(詩一九の一~四)
律法を有たぬ異邦人もし本性のまま律法に載せたる所を行うときは、律法を有たずとも自から己が律法たるなり。すなわち律法の命ずる所のその心に記されたるを顕わし、おのが良心もこれが証をなして、その念いたがいに或は訴え或は弁明す。(ロマ二の一四、一五)
「わが上には星の空、わが衷には道徳の律法」である。蒼穹は語らず言わねど、日に夜に神の栄光を示し、良心は見え分かねど、抵抗しがたき権威をもって正義を証する。しかしてすべてこの天然の啓示と良心の証明とを弁護し敷衍すべく現われたる異邦人中の聖賢は、ひとしく、来たるべき日の準備のために神より遣られたる光明であったに相違ない。釈迦と孔子、ソクラテスとプラトーン等これである。彼らはいずれも自ら「世にありて希望なく、神なき」異邦人の一員と生まれて、しかしてその全体に代わり、嘆きつつ苦しみつつ神を探り求めたのである。異邦人の最も貴き精神は彼らによって代表せられたのである。彼らの宗教と道徳と哲学とは、異邦人が遂に神を発見して彼に立ち帰る日のための最上の準備であったのである(聖書に現わるる異邦人メルキゼデク、ヨブ、クロス等の立場は少しく異なる。彼らの使命は直接に異邦人のためではなくしてかえって選民イスラエルのためであった)。
よって思うに、異邦人の歴史はイスラエルのそれと甚だしく趣を異にしたに拘わらず、なお同じようなる目的にむかって進みつつあったのである。異邦人は神に放任せられて、希望なく神なき途を辿った。しかしそれはかえって彼らが神を見いだす喜びの大ならんがためであった。彼らの時代と国土とは神の発見を目的として定められた。天然と良心とは彼らに神をささやき、聖賢たちは彼らに代わりて神をもとめた。神、神、神である。イスラエルがメシヤの出現を呼び求めたように、異邦人は神の発見を待ち望んだ。
キリストの発見はすなわち神の発見である。彼れ一たび世に出でて異邦人の要求は充たされたのである。希望なく神なく、宇宙的空虚のさびしさに堪えざりし彼らは、ここに人の霊魂の最後の休安所を見いだして、言いがたき歓喜に溢れたのである。東の博士たちが星にみちびかれてベツレヘムにいたり、幼児イエスを尋ね得たときに「歓喜に溢れ」たという経験こそ、この異邦人の歓喜の代表的なるものであった(マタイ二の一〇)。神の栄光に関する天然の啓示はイエスの啓示によって完うせられ、永遠の義に関する良心の証明は福音の証明によって全うせられた。古き哲人詩人たちの教えもまたイエスの言によりて始めてその理想とする真理にまで成就させられたのである。パウロがギリシャ人にむかい「汝らの詩人の中のある者どもも言えるがごとし」というて、異邦詩人の言葉の意義を福音の立場より満たしたごときはその一例である(行伝一七の二八)。「兄弟よ、おおよそ真なること、おおよそ正しきこと……は汝らこれを念え」と彼は言うた(ピリピ四の八)。ジャスチン・マーターもまたいう、「すべて人類の間にありて正しく言われたる事はみな我らキリスト者の所有である」と。孔子たると孟子たるとを問わない、ホーマーたるとヴァージルたるとを問わない、西行たると芭蕉たるとを問わない。彼らの中にあるところの真理はみな神より出でしものであって、しかしてまた神によって完うせらるべきものである。キリストは仏教の成就者であり、ギリシャ哲学の完成者であり、武士道の光照者である。すべてこれら異邦人の貴き産物は真理の真理なる彼を迎えんがための準備であった。従って彼のまえに跪きその光照を受けて始めておのが使命を果たすべきであった。
異邦人の歴史とキリストの出現、その関係もまた必然的である。神に放任せられたる人類は彼において再び神に立ち帰り、彼において宇宙と人生との謎を解かれ、彼において永遠の生命に入った。キリスト出でて人類の歴史そのものに生命を賦与したのである。今や何人も歴史の紀元を彼の降誕に求むるは宜なる事である。
は 時は満てり
右に見たとおり、イスラエルにはイスラエルの特権があり、異邦人には異邦人の所有があった。それは程度においてまた種類において比べがたきほど異なるものであった。しかしながらその目的その使命に至っては畢竟同一であった。イスラエルの「子たる事」と栄光と契約と律法と礼拝と約束と、また異邦人の天然と良心と宗教と哲学と詩と、これらはいずれも神の子の来るまでの準備であり、人類をキリストに導かんがための水先案内であった。神の人類に与えんと欲する賜物は遥かに貴きものである。しかし彼は始めより直ちにこれを人類に与えるわけにゆかない。何となれば人類の側に未だふさわしき準備が出来ていないからである。ここにおいて神は人類の教育を志したもうた。教育には適当なる手段と時期との必要がある。まずその手段によりて訓練せられ、その時期が満了して、しかる後に始めて与うべきものを与えることが出来るのである。その至上の賜物こそはキリストであり、その教育の手段はイスラエルのもろもろの特権と異邦人の所有とであり、しかしてその満了すべき期間はすなわち古代の世界歴史であった。パウロはこの間の消息を巧みに譬喩して次のごとくに言う、
われ言う、世嗣は全業の主なれども、成人とならぬ間は僕と異なることなく、父の定めし時の至るまでは後見者と家令との下にあり。かくのごとく我らも成人とならぬほどは、世の小学の下にありて僕たりしなり。されど時満つるに及びては、神その聖子を遣わし云々。(ガラテヤ四の一~四)
およそ一家の世嗣は父の全業を受け嗣ぐべく定められている。しかし彼が未だ成人せぬかぎり、始めよりこの実権を享受するわけにはゆかない。世嗣の訓練のために適当なる期間と手段とがある。すなわち父の定めし時来るまでは、彼はあたかも僕のように、後見者殊に家令の下にその指図を受けねばならぬ。同じように人類もまた霊的に未だ成人とならぬ間は、イスラエルと異邦人とを問わず、ひとしく世の小学の下に訓練させられたのである。小学とは何か。その原語 stoicheion は素とアルファベット中の文字を意味し、転じては元素また初歩を意味する。けだしアルファベット文字は言語を組立つる元素でありその初歩であるからである。たとえば日本語において何々の「いろは」と言うに類する。世の小学すなわち人類の初歩教育である、人の人たる道の「いろは」である。イスラエルのもろもろの特権、貴しといえども、これをその理想とする所に比べては、畢竟なお小児に課すべき小学たるを免れなかった。まして異邦人に許されし微かなる光明のごときは、素より人道の「いろは」たるに過ぎない。法華経もいろはである、論語もいろはである、プラトーン対話篇もいろはである、その他の教えみなしかりである。人類は神の定めし時きたるまでは、イスラエルも異邦人もそれぞれ小学の下にありて、準備の教育を受けさせられたのである。
キリストの出現はその「時」の満了であった、「されど時満つるに及びては神その聖子を遣わし」とパウロの言うたとおりに。
第一に、イスラエルはイスラエルとして受くべきだけの教育を受け終った。出エジプト以来バビロン俘囚まで、彼らは救い主を迎えるために必要なるすべての経験を嘗めつくした。罪のゆえに「神の子」としての彼らの無資格は曝露せられた。審かれ棄てられて、神の「栄光」の現在をもとむる声は限りなく高まった。その王室は亡ぼされて、「契約」は荒廃に帰したかと見えた。「律法」の久しき圧制の下に、おのが功による救いの望みなさが明らかにせられた。さらにまされる「礼拝」を慕うこころはいよいよ募った。「約束」は多くの預言者によりあらゆる形において啓示せられ、しかもその一つだに成就せられなかった。「恵みの露は我らに落ちず、我らの果には味さえなし」と、ガマリエルの子ラバン・シメオンは叫んだ。要求はまさにその絶頂に達した。
異邦人の世界においてもまた同様であった。神なき生活の欠陥は堪えがたきまでに意識せられた。絶望の歎息が至るところに聞かれた。プルータークの記すところによれば、イタリアのある地方にてはその頃「大なるパン神(牧羊神)は死せり」と言うて人々歎き悲しんでいたという。ニーブールはこの時代のことを「罪の沈溺に衰えはてし」時代と呼んでいる。しかして一面には彼らの代表者が驚くべく高調なる預言をなしつつあった。かのヴアージルの有名なる第四牧歌の一節
世は更まり、正義は帰りて、人類原始の時となり、新しき族、天よりくだる。
のごときその最も顕著なるものである。異邦人の世界の夜は更けて、日の出を待ちのぞむ心あまねく行きわたっていた。遠からずして人類の救い主が現われ世界を一新するであろうとの期待は、この時代の力づよき風潮であったと、タシタス、スエトニアス、ジョセフアス等がひとしく立証している。
まさしく時は満ちたのである。準備はことごとく成ったのである。世界の歴史が一先ずその目標に達して、ここに一大団円を告げ、しかしてさらに新しき目標にむかって出発し直すべき、その大いなる危機が来たのである。かくのごとくにして我らのキリストは生まれた。過去二千年のすべての預言を完うし、すべての約束を充たすべく、イスラエルと異邦人と、全人類の要求に応えて。
偉大なる事実である。目ある者は見よ。ここに神の経綸の現われがないか。ここに「我はあらんとする者にてあらん」というエホバの聖名の証明はないか。ここにまた来たるべき世界歴史最後の大団円の保証がないか。
時満ちて神は経綸に従いその聖子を遣わし、ユダヤにあるもの異邦にあるものをことごとく彼にありて一つに帰せしめた。しかして我らの聖書はさらに預言して、今一たび時満つることあるべきを言う、曰く
時満ちて経綸にしたがい、天に在るもの地にあるものをことごとくキリストにありて一つに帰せしめたもう。これ自ら定めたまいし所なり。(エペソ一の一〇)
ここにいう時満ちての「時」は前の場合と原語を異にするも、実質的に変わりはない。多くの特殊なる時代がことごとく満ちて、最後に世界歴史の終局が来るであろうとの預言である。その時こそはただに人類ばかりでない、すべての被造物、天にあるもの、地にあるもの、一切がキリストにありて一つに帰せしめられ、神の造りし全宇宙に始めて無限の大調和が実現するであろうという。
我らは古き世界歴史がひたすらにキリストの出現を要求したように、現在の宇宙と人生とがひとしく永遠の調和の実現を要求してやまない事を知る。今は実に人も自然ももろともに歎き苦しみつつあるのである。この大いなる要求の充足の日を確信もって期待すべきでないとは、誰が言い得ようか。