人の子再び王として来たらん

藤井武

イスラエルはその本質において信仰の民また希望のやからであった。彼等はひたすらにエホバに依り頼み、またエホバ必ずその聖手みてを伸べて国を一新したもう事を待ち望んだ。にイスラエルの復興完成はすべての預言者の題目であった。彼等は声を揃えて叫んで曰うた、「末の日に至りて、エホバの家の山、もろもろの山の頂に立ち、もろもろの嶺に超えて高くそびえ、万民河のごとくこれに流れ帰せん」と(ミカ四の一、イザヤ二の二)。しかしてこは決して単に政治的復興の希望のみではなかった。預言者の目は遠く末の日に向って注がれ、エホバ来たりて世を統御したもう時を望んだのである。「見よ、主エホバ能力ちからをもちて来たりたまわん。そのかいなべ治めたまわん」(イザヤ四〇の一〇)。さればそはまたひとりイスラエルのみの完成にあらずして、万国の救済、いな万物の復興に対する希望であった。「エホバは統御すべおさめたもう。全地は楽しみ、多くの島々は喜ぶべし」(詩九七の一)。すなわちエホバの来臨と万物の救済とは預言者等の伝えし最高の啓示にして、また真のイスラエル人の抱きし至深の要求であったのである。

エホバはいかにして来たりたもうか。あるいはエホバ自ら己を民の前に顕わしたもうと言いてこの問いの答えられし事もあった。さりながら見えざる神の顕現がある特別なるかたちを取らざるべからざるは自然の必要である。ここにおいてかメシアの観念は発生した。神はメシアにおいて来たりたもう。神の現前はメシアにおいて実現し、その聖業みわざはメシアによりて実行せらる。「神我等と共にいます」者、「インマヌエル」、これすなわちメシアである。かくて預言者の預言とイスラエルの希望とはメシアに向かって集中した。彼れ現わるる時預言はことごとく成就し、民の祈求は残なくみたさるるのである。彼によりて世は完成せられ、神は永遠に人の間に宿りたもうのである。

ゆえにメシアの預言は旧約の精華であり、またその真髄である。旧約時代における神の啓示と人の要求とは、メシアの観念において、これをその最も純なる形態において見ることが出来る。しかしてメシアの観念として、二個のはなはだしく相反せる思想が並び行われた。その一は王としてのメシアである。その二は僕としてのメシアである。

メシアは権威と栄光とを帯びたる王として来たるとは預言者等のひとしく唱えたる所であった。誤解するなかれ、こはダビデ王朝繁盛の時代の歴史的観念であると。その濫觴らんしょうは人の思想においてあらずして確かに神の啓示においてあった(後サムエル七の一二以下)。しかして神の啓示は常に人の霊の中心に訴う。王たるメシアの観念またしかり。「神よ、願わくは汝のもろもろ審判さばきを王に与え、汝の義を王の子に与えたまえ。彼は義をもて汝の民をさばき、公平をもて苦しむ者をさばかん。義によりて山と岡とは民に平康やすきを与うべし……彼はかりとれるまきに降る雨のごとく地を潤す白雨むらさめのごとく臨まん。彼の世に正しき者は栄え、平和は月のうするまで豊かならん。またその政治まつりごとは海より海に至り、河より地のはてに及ぶべし」(詩七二)。神を慕う者にして誰かこの切なる祈求に共鳴を感ぜざる者があろうか。されば時移りてダビデの王朝はゆるぎ、または国遂に亡ぶるに至りても、預言者の声は変わらず、民の望みは動かなかった。

ひとりの嬰児みどりご我等のために生まれたり……政事まつりごとはその肩にあり。その名は奇妙、また議士、また大能の神、永遠とこしえの父、平和の君と称えられん。その政事まつりごとと平和とは増し加わりてかぎりなし。かつダビデの位に坐りてその国を治め、今より後永遠とこしえに公平と正義とをもてこれを立てこれを保ちたまわん。……彼は正義をもて貧しき者をさばき、公平をもて国の内の卑しき者のために断定さだめをなし、その口の杖をもて国をうち、その口唇くちびる気息いぶきをもて悪人を殺すべし……狼は小羊と共に宿り、豹は小山羊と共に臥し云々。(イザヤ九の六、七、一一の四~一〇)。イスラエルの君となる者汝のうちよりわがためにづべし……彼はエホバの力によりその神エホバの名の威光によりて立ちてその群れをやしない、これをして安然やすらかにおらしめん。今彼は大いなる者となりて地のはてにまで及ばん。(ミカ五の二~四)
彼多くの民の間をさばき、強き国を戒め、遠きところにまでもしかしたもうべし。彼等はそのつるぎすきに打ちかえそのやりかまに打ちかえん。国と国とはつるぎを挙げて相攻あいせめず、また重ねて戦争いくさを習わじ。(ミカ四の三、イザヤ二の一~四)

栄光の王は来たらん。彼れ大いなる審判を行い、また万物を復興せしめん。しかして永遠に平和の王国を建設せんと。預言者等はかく叫び、民等はかく祈ったのである。王たるメシアの出現は実にイスラエルの望みであった。

しかしながらメシアに関する神の啓示はこれをもって尽きなかった。民の祈求いのりにもまた他の深き半面があった。メシアは権威と栄光とを帯ぶる王として来たらん。されども彼はまた恥辱と苦難とを受くる僕として来たらんと。預言者のある者はかく高唱した。

彼は侮られて人に棄てられ、悲哀かなしみの人にして病患なやみを知れり……まことに彼は我等の病患なやみを負い、我等の悲哀かなしみを担えり……彼は我等のとがのために傷つけられ、我等の不義のために砕かれ、自ら懲罰こらしめを受けて我等に平安を与う。その撃たれしきずによりて我等は癒されたり……彼は虐待しいたげ審判さばきとによりて取り去られたり。(イザヤ五三章、その他ゼカリア三章及び一二章参照)

驚くべきメシア!彼はダビデの位に坐する王にあらずして、「屠場ほふりばに引かるるこひつじのごとき」僕である。彼に栄光あるなく権威あるなく、「うるわしきかたちあるなく慕うべき艶色みばえあるなし」。審判は彼の行うところにあらずして、かえってその自ら受くるところである。王国は彼によりて実現せられず、かえって「エホバ彼を砕くことを喜びたもう」。王もしメシアたらばこの彼はいかにしてメシアたり得るのであるか。

まことに彼によりて王国は実現せられない。されども「彼の撃たれしきずによりて我等は癒さる」。彼によりて万物は復興せしめられない。されども彼の砕かるるによりて我等のたましいは内に躍るのである。しかして己が霊の甦生は万物の復興よりも切なる願いである。己が罪の救療は王国の建設よりも先なる祈りである。このゆえに僕たるメシアの観念はさらに深く真のイスラエル人の心に訴えた。彼等はそれが王たるメシアの観念といかに調和すべきかを知らなかった。しかしながら一をもって他を排せん事は不可能であった。何となれば黙示ここにあり、祈求またここにあったからである。彼等は王たるメシアを信じてこれを待った。また僕たるのメシアを疑わずしてこれを望んだ。恐らくメシアは来たりて王及び僕たるの役を兼ね勤むるならんと彼等は想像したであろう。

旧約の最後の代表者はバプテスマのヨハネであった。彼はヨルダン河畔にイエスを世に紹介して曰うた、「我より後に来たる者は我に勝りて力あり。我はそのくつるにも足らず……手にはを持ちてその禾場うちばきよめ、麦は収めてその倉に入れ、殻は消えざる火にて焼くべし」と。これ明らかに審判者たる王である。されど彼はまた曰うた、「世の罪を負う神のこひつじを見よ」と。王にしてしかもこひつじたる者、ヨハネのイエス観もまたこれであった。

しかしながらイエスは王として来たりたまわなかった。「人の子は枕する所なく」、「苦難くるしみを受け」、「祭司の長と学者等に渡され、死罪に定められ、また凌辱せられ、むちうたれ、遂に十字架につけんために異邦人に渡され」た。その来たりしは「人をつかうためにあらずして、かえって人につかわれまた多くの人に代わって生命を与えその贖いとならんがため」であった。彼はまことに世の罪を負う神のこひつじであった。しかしながら王ではなかった。彼は審判を行わず、万物を復興せしめず、王国を実現せず、ただ折にふれてこれらの予表を示したもうに過ぎなかった。

僕たるメシアとして、イエスはまぎれもなくその人であった。さはあれ彼は何とて王たるの役を勤めたまわないか。いかなれば公平と正義とをもって全世界を治めたまわないのであるか。あるいは知らず、僕としてのメシアたる彼れイエスの他に、なお王としてのメシアたる第二の人が来るのであろうかと。マケラスの獄につながれし洗者ヨハネの胸中この大いなる煩悶があった。すなわち彼は使者を遣わし問うて曰わしめた、「来たるべき者は汝なるか、また我等他に待つべきか」。言うなかれメシアの先駆者今や彼を疑うと。神より特に遣わされしヨハネの、いかにしてイエスのメシアたる事を疑い得ようか。彼は僕たるのメシアと王たるのそれとの調和に苦しんだのである。旧約時代の間久しく未解決のままにのこされし問題が、今や彼に在りて行き詰まったのである。我等はいたましき彼の運命を思い合わせて、この偉大なる預言者の煩悶に篤き尊敬と同情とを寄せざるを得ない。

しかしてヨハネの煩悶はまたすべてのキリスト者の煩悶である。イエスによりて罪は贖われ、聖霊我がうちに宿り、神の子たるの自由は賦与せられた。今やわが霊に限りなき新生の悦びがある。しかるに見よ、我を包めるこのむくろはいかん。この世はいかん。万物はいかん。束縛と罪と死とはわが四周につるではないか。悪魔の働きはかえって益々盛んではないか。救いはうちにありて外にあるなし。贖いは霊にありて自然にあるなし。かくて人の子の事業はすでに終ったのであるか。彼は再び来たらないのであるか。天国は遂に実現しないのであるか。もししからんには救贖きゅうしょくはむしろえがたき苦痛である。人の子再び王として来たるの約束なくんば、我等もまた洗者ヨハネの古き懐疑をそのままに繰り返さざるを得ないのである。

イエスは在世の間常に自己を呼びて「人の子」と称したもうた。しかるに注意すべきはマタイ伝二十五章三十一節以下である、「人の子己の栄光をもってもろもろ聖使みつかいを率い来たる時は、その栄光の位に坐し、万国の民をその前に集め云々、かくてその右にいる者に言わん云々、答えて云々」と、ここに「人の子」は突然「王」をもって呼び代えられたのである。知るべし、人の子己の栄光をもって来たる時、彼は実に王なる事を。しかり、王である。人の子として世の罪を負いたる彼は、その時王として来たりて王国を実現したもうのである。しかしてイスラエルと万民と万物との衷心ちゅうしんよりの祈求はその時ことごとくみたさるるのである。

主の祈りの前半に曰う、

「父よ、願わくは
御名みなの崇められんことを、
御国みくにの来たらんことを」

と(ルカ一一の二)。御名の崇めらるるとは何ぞや。「そむける子等の神を認めてこれに帰り、その叛逆をいやされ」て、父よと呼ぶに至る事これである(エレミヤ三の二二)。御国の来たるとは何ぞや。「聖き城なる新しきエルサレム備え整い神のもとを出でて天よりくだり……神、人と共に住み、人、神の民となる」事これである。果たしてしからば、人の神について祈るべきところは実にこの二つをもって尽くるのである。イスラエルの祈りも畢竟ひっきょうここにあった。バプテスマのヨハネの祈りもまたそうであった。しかして御名の崇められんがために、人の子は来たりて苦難を受け、遂に十字架にけられたもうた。問う、御国の来たらんがためにはいかん。栄光の王たるキリスト来たらずして人の子の苦難は徒然いたずらに帰するのである。主の再臨なかりせば、人類の最も切なる祈求いのりは空しく風に投げらるるのである。