ヨベルの年

藤井武

汝安息の年を七次ななつ数うべし。これすなわち七年を七回数えるなり。安息の年七次ななつの間はすなわち四十九年なり。七月の十日に汝ラッパのおとを鳴り渡らしむべし。すなわち贖罪あがないの日に汝ら国のうちにあまねくラッパを吹き鳴らさしめ、かくしてその第五十年をきよめ、国中の一切すべて人民たみに自由をれ示すべし。この年は汝らにはヨベルの年なり。汝ら各々その産業さんぎょうに帰り、各々その家に帰るべし。その五十年は汝らにはヨベルなり。汝ら種くべからず。またおのずから生えたる物をるべからず。修理ていれなしに成りたる葡萄を集むべからず云々。(レビ二五の八~一一)

安息の年七次ななつを過ぎて、第五十年はまさに到らんとす。聴け、贖罪あがないの日の夕、聖所より嚠喨りゅうりょうとして鳴り響く銀のラッパの声を。その告ぐる所は何ぞ。曰く、ヨベルの年は来たれり。一切すべての民に自由は与えらるべしと。こは誠に喜ばしき音信おとづれであった。イスラエルの男女の心はこの響きを聞いて躍った。この年来たりてすべての束縛の鎖は断たれ、すべての失われし物は再びもとの所に帰るのである。すなわち負債は免除せられ、証書は破棄せられ、奴隷は解放せられ、囚徒は放免せられ、財産はその本来の所有者に復し、不在者は彼を愛する者の家に帰り来たる。土地もまた第七次の安息年に引き続きここに重ねて休養をあたえらるるのである。かくてすべての貧しき者と心の傷める者、また囚人めしうど圧制おさえらるる者に大いなる歓喜が臨んだ。うべなり、この年の「ヨベル」ととなえられて特に聖別せられし事。

これを一箇の社会制度として観察せんか、驚くべきはヨベルの年である。思うに古来人の案出したる何の制度かこれよりも大胆にしてかつ無謀なるものがあったであろうか。試しに今日いずれかの国家をして五十年に一回づつヨベルの年を実施せしめよ。その年には契約上の債務はすべて無効に帰せしめらるという。しからば社会の経済組織は根底より破壊せられて、あらゆる企業は瓦解がかいし、恐るべき大恐慌は社会生活をして名状すべからざる混乱に陥らしむるであろう。その年には煉瓦塀いかめしくめぐらされたる都鄙とひの監獄の鉄門は開放せられて、強盗殺人その他軽重様々の囚徒は皆己が好む所に向かわしめらるという。しからば人心の不安その極に達し、何人も枕を高くして眠ることが出来ないであろう。その年には播種はしゅせず、収穫せず、全国の地一粒の穀をも産せず、しかも前年における第七次安息年の後をけて引き続き二年間の無収穫であると云う。しからば激烈なる飢饉はすべての階級を襲うて、街上に野外に殿中に炉辺に、到るところひょうの横たわるを見るであろう。その他おおむねこのたぐいである。三千五百年前のユダヤ律法を今日の文明国に適用して、ヨベルすなわち喜びの年、実は凄惨見るに忍びざる悲しみの年と変ぜざるを得ない。世に主張せられたるいかなる社会主義または過激主義もこの極端には及ばないであろう。ひとりイスラエルの場合に在りて、ヨベルの年が実にその名にふさわしき歓喜の年たりしは、他なし、神の奇跡の常にこれに伴うありて、人の制度としての欠陥を補うたからである(レビ二五の二一参照)。ゆえにこれを単純なる社会制度の一つとして見て、我等はヨベルの年の深き意義を探ることが出来ない。

「律法は来たらんとする美事よきことの影」であるという(へブル一〇の一)。ヨベルの年もまたしかり。そのいかなる美事よきことの影なりしやはしばらき、この年の目的とする所が社会制度その者にあらざりし事は疑うべくもない。ヨベルの年は必ずしも土地の休耕を目的としたる農業経済上の政策ではない。また牢獄の開放を目的としたる刑事政策の一種ではない。また弱者の保護または不動産の世襲を目的としたる社会政策ではない。ヨベルの年の目的は現実の社会生活そのものにあらずして、そはある来たらんとするき事の影であったのである。ある来たらんとする美事よきことの、あらかじめその影を現実の社会生活の上に投写したるものが、いわゆるヨベルの年であったのである。ゆえにその精神は個々の制度の上にあらずして、これらの制度をもって代表せられたる主義または原則においてあった。何ぞ。曰く神の造化を人の蹂躙より回復せん事これである。ヨベルの年すなわち万物回復の年である。

神の造化は人の蹂躙に委ねられて、年々歳々荒廃しつつある。人彼自身の霊魂を始めとして、その身体、その社会、また全地と万物とが彼の手に在りて穢され、傷つけられ、こぼたれつつある。人の支配の及ぶものにして、神の創造のままに保存せらるるもの果たして何処にあるか。我等は実にその唯一をだに想い浮かぶることが出来ない。万物は破壊せられつつある。自然は枉屈おうくつせられつつある。欠陥は随所に生じつつある。独占は到る処に行われつつある。人は文明の美名をもってこの乱脈を蔽わんと欲する。しかしながら文明何ものぞ。そは果たして神の造化に近きものであるか。疑う、そは社会生活の分化(differentiation)によって、巧みに人の醜態を隠匿する技術のいいならざるかを。最大の圧制、最大の独占、最大の偽善は文明の中にある。ゆえに文明をしてその進む所に任ぜしめんか。神の造化は聖き権衡けんこうを失いて、遂に大いなる革命を促さずんばやまないであろう。我等は時に文明の逆行または撤退を要求する。人の設けし一切の束縛を断絶し、造化をしてその原始的自由に復せしめん事を要求する。ことに我等自身のすべての境遇、すべての関係、すべての習慣、すべての遺伝より脱却して、全く新なるものと改造せられん事を要求する。しかしてこの天真の深き要求に対し最も痛快なる発言を許されしものが、かの古きヨベルの年である。

人の子イエス野の試誘に勝ちて、その故郷ナザレに帰りし頃、ある安息日の朝、彼は会堂に入りて、預言者イザヤの書をひらき、かくしるされたる所を朗読した。曰く「主のみたま我にいます。ゆえに貧しき者に福音を宣べ伝えん事を我に油を注ぎて任じ、心の傷める者をいやし、また囚人めしうどに釈さん事と盲目めしいに見させん事を示し、また圧制おさえらるる者を放ち、主の喜ばしき年を宣播のべひろめんがために我を遣わせり」と。しかしてふみきて役員に渡したる後、衆人に告げて曰く「このしるされたる事は今日汝等の前に成れり!」と。イザヤの預言が、ヨベルの年によりて代表せられし理想のあるかたちにおける実現を意味したるものなるは、その語勢よりして明瞭である。しかしてイエス自らその伝道の始めに当たり特にこの語を引きて事ここに成就せりと宣言したのである。社会制度としてのヨベルの年はすでにすたれて顧みられなかった。イスラエルは久しく銀のラッパの声を聞かなかった。しかしながらこの時世界のヨベルをれ示すべき天よりの声が全人類に向かって響き渡ったのである。この偉大なる宣告を聞きてこれを信ぜしすべての霊魂はいみじくもそのまったき自由を回復した。彼等は過去においてみな罪の奴隷であった。暗黒の囚徒であった。その負債おいめはなはだ重く、その束縛は極めて繁くあった。もしこの世の秩序と人の権利とを重んずる法則をもってせんか、これらとらわれたる霊魂の解放せらるべき時機は永遠に来たらずして、その前途はただ恐るべき破滅あるのみであった。しかるにさいわいなるかな、ヨベルの年は来たりて一切の束縛は断絶せられ、傷つきたる霊魂は直ちに神の前に飛躍して全く新たなるものと改造せられたのである。しかして今の時はなおこの霊的ヨベルの時代に属する。ここに霊魂の解放とその自由の回復、すなわち新生の恩恵相続きて、全地の民みな歓呼を挙げつつある。

しかしながらヨベルの年の理想はこれによりて未だ完全に実現しない。この年の上に反映したる「来たらんとする美事よきこと」はひとり霊の新生のみではなかった。そは神の一切の造化の新生であった。すなわち万物の回復であった。我等の霊と共に我等の体もまた回復せられんことを待ちつつある。地とその上に溢るる物、海とその中につる物、天とその下に蔽わるる物、すべてが回復を待ちつつある。ああ、束縛の断絶、圧制の撤廃、負債の免除、俘囚ふしゅうの解放、喪失物の復帰、別離者の再会、労苦の休止、土地の休耕、その他すべて造化に対する人為の侵害と自然に対する偽善の圧迫との根本的に絶滅して、永遠の自由の回復する喜ばしき年が遂に来るであろう。しかり、来たらなければならない。すでに実現したる霊的新生がその保証である。しかしてふるきヨベルの年がその明白なる預言である、その影である。

おもう、来たらんとするヨベルの年における我等の歓喜のいかばかりなるべきかを。この時我等の身体は疾病または死の束縛のみならず、重力その他の物質的制限より解放せられて、無限の宇宙を自由に飛翔し得るであろう。すでに我等をのこして逝きし者が我等の面前に送り帰されて、また永遠に別れないであろう。すべて神の力は如実に発現して、愛より出でし造化はその理想に達するであろう。