代贖を信ずるまで

藤井武

罪の意識は早くより私の重荷でありました。幾年かの間私は実際あえぎつつ暮らしました。朝毎に勇気と希望とをもって起きで、夜毎に言い知れぬ霊魂の沈鬱をもって枕に顔を埋めました。涙は私の糧でありました。

「自分には罪の煩悶がない」とる友の言うを聞きました時、私は如何いかばかり彼をうらやんだでありましょう。

この煩悶より私を引き出しましたものは十字架の音ずれでありました。「我等がなお罪人たりし時、キリスト我等に対する愛をあらわしたまえり」とのパウロのことばは、私の生涯を一変せしめました。私は始めて愛の神を発見することが出来ました。しかして彼を信じてすべての煩悶を彼にうちまかせました。しかしてその時より無益の努力とその結果たる失望から解放せられて、深き感謝を繰り返しました。

私は思いました、もしキリストの十字架なかりせば私は絶対に愛の神を信ずることが出来なかったであろうと。従って私の信仰はもちろん十字架中心でありました。しかしながら愛の神の発見に心奪われし私に取りては、十字架は愛の象徴シンボルよりほか何ものでもありませんでした。神は愛である、ゆえに彼は罪人我等を憐み、我等をして正しき悔い改めを起こさしめんがため、自ら十字架の苦しみを味わいたもうたのであると。かくのごときが私の十字架観でありました。換言すれば私の目に、キリストの死の必要は全然人の側においてのみあったのであります。人を救わんがため、そむける者を神に立ち帰らせんがため、これよりほかに贖罪の意義を考えることが出来ませんでした。否、愛より以外のものを十字架に結び付ける事は、その限りなき貴さを曇らせる冒涜であるとすら私には感ぜられました

想い起こせば今より満六年前のこの頃でありました。右のごとき信仰を認めて本誌に載せました私の一論文は、はからずも少なからぬ問題を惹起しました。私としてはそれが当時の自分の信仰である以上、たとえ如何に非難せらるるとも致方いたしかたがありませんでした。私は数日にわたりて主筆先生と議論しました。「贖罪の主たる目的は神の性質を変ぜんがためである」との先生の一言は、私の最も受け入れがたきふしでありました。

しかしながらこの一事件は贖罪の問題を私の霊魂にきざみ込みました。もし私が誤まれるならば如何にもして正しき光に導かれん事を私は心から祈りました。

聖霊は絶えず私を導きつつありたまいました。一度ひとたび手放したるはずの罪の不安は、再び別の形において私を襲い始めました。すなわち罪に対する神の憐憫れんびんよりほかを知らなかった私に、少しずつ彼の聖憤が解せられて来たのであります。罪は単に憐まるべく余りに深刻なる実在である。神は理由なくして罪を赦すべく余りに聖なる存在者である。彼はたしかに罪人に対して聖憤を発したもう。聖書がその事を明白に私に教え、私の良心もまたこれに対してアーメンを唱うるに至りました。これを知ってようやく私は我等の罪が神の心に与うる傷の深さを少しく了解することが出来ました。しかしながら同時に私自身いまだ確実に赦免の恩恵に浴していない事をさとるは、誠にえがたき不安でありました。

「エホバ我等を抓劈かさきたまいたれども、またいやすことをなしたもう」。この新しき私の不安は直ちにいやされました。今より三年前のある冬の夜、レビ記第十六章に、イスラエルのすべての罪を負うて人なき曠野あらのに放逐せらるるアザゼルの山羊の記事を読みました時、私の心は躍りました。「すべての罪を忘却の野へ!」それは私に取りて如何いかばかりの嘉信であったでありましょう。かくイスラエル人の罪の犠牲となって放逐せられ、人なき曠野あらのを何処ともなく彷徨さまよい遂にひとり寂しく野末のずえにうちたおれた山羊をおもうて私の眼からは熱きものが溢れました。我等のためのアザゼルの山羊しかり、十字架上の彼こそまさしくそれである。彼はただに我等を悔い改めに導かんがために彼処かしこに死したのではない。いな、何よりもず第一に我等の一切の罪を神の記憶より葬らんがため、罪に対する神の聖憤をことごとく除き去らんがため、罪そのものを完全に処分せんがため、それが十字架の主なる目的であったのである事を私は始めてさとる事を許されました。

ここにおいて私はあらためてキリストを受け直しました。彼の死がただに私のためであるばかりでなく、現実に私の代わりであった事を認め、彼の贖いのゆえに私のすべての罪の赦されんことを神に乞うて、明確に赦免の恩恵を実験しました。その日以後私は決して再び自分の救いを疑うことが出来ません。誰が何というとも、私はイエスの義によりて永遠に神につながるる者であります。

「我れかたく信ず、死も生命いのちも、御使いも、権威ある者も今ある者も後あらん者も、力ある者も、高きも深きもこの他の造られたる者も、我等の主キリスト・イエスにある神の愛より我等を離れしむるを得ざることを」との最もさいわいなる実験は、代贖の信仰によりて始めて私自身のものと成るに至りました。

かくて今は私は代贖の無条件的信者であります。「神は罪を知りたまわざりし者を我等の代わりに罪となしたまえり」の事実をもって福音の根底となす者であります。私の生涯は主としてこれがための証しに用いらるるでありましょう。現に私の小さき雑誌『旧約と新約』においてひたすら高調しつつある所もまたこの福音に過ぎません。

かえりみて往年の論文を想う毎に、私ははなはだしく心痛まざるを得ません。私もまたパウロにならいて「我は代贖の福音を傷つけたれば伝道者ととなえらるるに足らぬ者にて伝道者のうちいと小さき者なり」と言わざるを得ません。しかしながら又彼にならいてにもかくにも「しかるに我が今のごとくなるは、神の恩恵によるなり」との一言をも附加し得る事を聖名みなによりて心から感謝します。しかしてはなはだ遅れせながら、ここに主筆先生ならびに当時の読者諸君の前にこの告白を許していただく次第であります。

付録:本稿に対する内村鑑三の附言

内村生白す、ここにふたたび藤井君の論文を迎うるを得て歓喜にえない、事の原因は本誌第百八十八号(大正五年三月)所載『単純なる福音』と題せられし藤井君の論文においてあったのである、余は君と贖罪の事において信仰を異にするを悲しみ、次号において『神の忿怒ふんぬと贖罪』と題して余の立場を明らかにした、爾来じらい我等二人はこの重要点において所信を異にし、少なからざる悲しき経験を味わうべく余儀なくせられたのである、しかるに神は我等を憐みたまい、余の愛する信仰の友に、余に賜いしと同じ信仰を賜うて余は感謝するにことばがないのである、贖罪はキリスト教の枢軸バイヴォットである、贖罪について信仰を異にして我等はすべて他の事について所信を異にせざるを得ない、されども贖罪について信仰を共にせんか、遅かれ早かれ万事について一致するに至るべし、誠にキリストは我等罪人のためにのみ死にたもうたのではない、また神のために死にたもうたのである、しかり特に神のために死にたもうたのである、神は人類だけそれだけ、しかりそれ以上にキリストの死を要求したもうたのである。しかして父なる神は今やキリストの死のゆえに罪人を赦し得て喜びたもうのである、この事がわかって初めてキリストの有り難さがかるのである、キリストは人の受くべき罰を御自身に受けたまいて、父なる神をして「イエスを信ずる者を義としなおみずから義た」らしむるのみちを開きたもうたのである(ロマ書三章二六)、かくしてキリストは人に対して最良の友人でありたもうに止まらず、神に対して最大の孝子でありたもう、彼はまことに「なだめ供物そなえもの」である、彼によりて罪に対する神の正当の怒りが取り除かれて罪の根底が絶たれたのである。我等の言い尽くされぬ感謝はここにあるのである。

「聖書之研究」第二六〇号、一九二二年三月