第七 唯この一事を務む

藤井武

一 我は肉にも恃むことを得るなり

時は多分紀元元年の頃であった。即ち後年に至り人類の歴史と万物の運命とを一変せしむべき人の子イエスが、なお頑是なき五六歳の児童として、ナザレの街上に嬉戯せる頃であった。小アジアなるキリキア州の首都タルソのまちの或る家に呱々ここの声を揚げたる者があった。

タルソは当時繁栄を極めたる都であった。それはけだし彼女の天然的位置に負う所が多かったのであろう。即ち周囲には北方タウラス東方アマナス両山脈に達するまでの甚だ肥沃なる平原の展開するあり、市中には舟を浮かべて海に通ずるシドナス河の貫流するあり、河口には遠く海の東西と交易するレグマ港の横たわるありて自ら富の集中を招くに適したのである。しかしながら彼女の誇りはその物的の財よりも寧ろその知的の富に於いてあった。タルソの市は実に当時世界の学問の中心であった。古き地理学者ストラボー曰う「哲学並びに百科の学問に熱中したるタルソの民等は遂にアテネ又はアレキサンドリア又は其の他すべて言語学及び哲学学派の発生地たる何れの都よりも優秀なるに至った」と。殊に羨むべきはその数多の学者等がみな土地の人であった事である。「学生は他国より蝟集いしゅうし来るも教師を輸入するの必要なく、却ってその過多なる学者を外国に派遣して以て世界を教導せんと試み」たるものは彼女であった(デビッド・スミス)。従って此の狭き地に知名の学者が族々として輩出した。哲学者としてはアンチパテル、アーケダムス、ネストル、アセノドルス、文法家としてはアーテミドルス、ヂオドルス、詩人としてヂオニシウス、彼等はみな彼女の産したる子であった。繁栄の巷にして学問の府、かくの如き地に生まるる事は此の世の立場より見て意義なき事ではなかった。

嬰児の家はタルソ土着のものではなかった。タルソの市盛んなりと雖も異教国の都に過ぎない。然るに嬰児の父はユダヤ人であった。素々もともと北ガリラヤのギスカラの住民であった。それが多分或る事変に際し、妻を携えて国外に逃れ、遂に此の地に落ち着くに至ったのであろう。彼は富まざりしとするも少なくとも中産以上の階級に属した。加之しかのみならず、彼はロマの市民権の所有者として、名誉ある社会的地位に止まった。

両親は嬰児に命名してサウロと呼んだ。此の語は「願いし者」の意味であれば、多分彼等の長き祈りに応えて与えられし子であろうとの事である。果たして然らば彼は特別に父と母との大いなる望みを担って世に出でたであろう。

我は八日目に割礼を受けたる者にして、(五)

割礼はユダヤ人の最も重しとする儀式である。それは始めアブラハムに啓示せられたる神の契約の徴であった。爾来じらい彼の子孫等は代々厳重に此の儀式を守った。異邦人にしてユダヤ教に改宗したる者もまた割礼を受けた。しかし彼等は既に或る年輩まで進みたる者なれば、生まれて八日目に之を受くべき純粋なる形式に従うことが出来なかった(創世一七の一二)。サウロは生来のユダヤ人であった。故に勿論割礼に関する凡ての条件を完うした。

イスラエルの血統、(五)

八日目に割礼を受けたる事は其の人自身の所謂いわゆる改宗者たらざる事を示すも、血統の証明にはならない。彼の父又は母は或いは異邦人であったかも知れない。改宗者の子もまた生まれて八日目に割礼せられたからである。しかしながらサウロは純粋のユダヤ人を父とし母としてった。彼の血は遠くイスラエルと称えられしヤコブに迄その流れを遡ることが出来た。

ベニヤミンのやから、(同上)

加之しかのみならず、ヤコブの妻ラケルの子にして、侍女の出に非ざるベニヤミンの族に彼は属した。小なりと雖も精悍にして戦に猛かりしものは此の族であった。イスラエルの最初の王サウルを出したるものは此の族であった。不信の空気の漂いし間に独り宮の儀式を固守したるものも此の族であった。

へブル人より出でたるへブル人なり。(同上)

彼の体内を巡りし血液中に異邦人の分子は一滴だもなかった。父の系統よりするも、母の系統よりするも、みなまじりなきユダヤ人のみであった。へブル人中のへブル人!彼はまさしく其れであった。もし人の系図が何かを語るならば、彼の如きは世界に向かって誇り得べき地位にあった。彼の周囲にギリシャ人も居った、ロマ人も居った。彼等はその文化とその権勢とを誇ったであろう。しかし血統に於いては到底彼と争うことが出来なかった。彼の祖先に衆多の国民の父と呼ばれたるアブラハムがあった、面を合わせて神と語りしモーセがあった、ヨシュアがあった、エレミヤがあった、又その他の預言者等があった。斯かる貴き血統を受けたるサウロは、宜しくつとめて祖先に恥じざる人物と成るべきであった。

律法につきてはパリサイ人、(同上)

系図を誇り得たるサウロはまた経歴についても申し分がなかった。ユダヤ人の生命となしたる律法との関係より言えば、彼はまず第一にパリサイ人であった。パリサイ人と聞いて我等は直ちに偽善と倣慢と冷酷とを連想する。しかしパリサイの理想は貴くあった。そはだらしなき近代人の理想と比すべくもなかった。何か。曰く「義の追求」である。人は如何にして神の前に義しく在り得べきか、この霊魂の至上の願いが彼等パリサイ人の最大の問題であった。否むしろその唯一の問題であった。彼等は此の一つの問題の解決の為に全力を傾注した。彼等は思った、我等に神の与え給いし律法がある。之をかけなく遵守するに由て我等は義を獲得することが出来ると。故に彼等はまず律法に精通した、しかして之を神の命令として重んじた、しかして自らその一点一画を悉く実行せんとつとめた。故にパリサイ人は最も熱心なる宗教家であると共に、また最も厳格なる道徳家であった。世が宗教道徳に対して冷淡なりし時にも、独りその信仰と努力とを棄てざりしものは彼等であった。軽薄なるヘロデ党と不信なるサドカイ派とに反対して厳然として立ちたるものは彼等であった。パリサイ人を以て悉く自負者又は偽善者とのみ見るは大いなる誤りである。彼等の中にも貴きたましいがあった。神の限りなき聖さを慕い、律法の凡ての要求に従わんと忠実に努力しながら、自己の無力を痛感せる真面目なるたましいがあった。パリサイに勿論幾多の弊害が伴ったであろう。しかし弊害は弊害である。理想は理想である。弊害は何にでもある。高き理想は滅多にない。しかして理想なき所に貴きものは絶対にない。パリサイ人の中に浅薄なる又はにくむべき形式主義者が多くあった。しかしながらユダヤ人の立場に於いて、最も尊敬すべき人もまたパリサイの中にあった。

しかして若きサウロの如きは即ちその一人であった。彼をしてラビ(イスラエルの教師)たらしめんと望みたる彼の父母は、始めより彼に施すにその目的に適う教育を以てした。彼は多分六七歳の頃より、「聖書の家」と称えられし地方的会堂(シナゴグ)と関連したる一種の初等学校に遣られて、旧約聖書を学ばしめられたであろうとの事である。その教育の方法は曾て久しく我国に行われたる漢書の素読の如く、教師の口誦によりて児童等をして暗誦せしむるにあった。従って聖書の文句は自ら彼等の頭に彫り付けられた。十五歳に至りサウロは正式なるラビ教育につかんがため、エルサレムに往って「解釈の家」と称うる学校に入った。しかして此処に数年の間有名なる碩学ガマリエルの指導の下に、律法その他の旧約聖書の研究にいそしんだ。ラビ・ガマリエルは寛容の人なりしと雖もなおパリサイ人たるを失わなかった。彼の豊かなる感化に浴せし弟子サウロはパリサイ人として更に熱心なるものであった。今や聖書に関する深邃しんすいなる知識の備わるあり、完き生活に入らんと欲する燃ゆるが如き欲求の動くあり、若きラビ、サウロの努力は律法の実行に向かって烈しく注ぎ出されざるを得なかった。彼は神の前に立ちて羞じざる義しき人と成らんが為には如何なる誡めをも厳守せんと欲した。モーセの成文的律法にもあれ、学者等の不文的律法にもあれ、道徳の命令にもあれ、儀式の命令にもあれ、凡そ義たらんが為に必要なるものは我れ悉く之を実行せんとは彼の雄々しき願いであった。斯くして彼は勿論その心に平安を得ることが出来なかった。しかしそれにも拘わらず、彼は曾てパリサイ主義の正当を疑わなかった。蹉跌は更に新たなる勇気を喚ぶに過ぎなかった。もしユダヤ伝経(タルムード)の列挙するが如くパリサイ人に七種の別ありとせば、彼を編入するに適当なるものは『更に為すべき事を我に告げよ、われすなわち之を為さん』底の一派であったであろう。「タルソの市中彼の如く熱心なるユダヤ人あるなく、彼の如く凡帳面なるパリサイ人あるなく、また彼の如く不屈なるラビはなかった」。サウロの思想は誤まって居ったかも知れない。しかしながら彼の理想は高くあった、彼の良心は鋭くあった、彼の忍耐は貴くあった。

熱心につきては教会を迫害したるもの、(六)

忠実なるパリサイ人の特徴は律法に関するその熱心に於いて現われた。サウロの熱心は如何ばかりであったか。彼はすべて微温的の態度に堪えなかった。彼は事を終局まで徹底せしめずしては已むことが出来なかった。彼は善しと見たる事は飽く迄も之を追求した、同様に悪しと感じたる事は如何なる手段に訴えても之を排斥した。然り、之を迫害した、之を絶滅せしむべくつとめた。而して彼のこの恐るべき熱心に訴えたるものは他のものではなかった、それは実に基督教であった。

イエスが人類の救い主として公然世に現われ、エルサレムの都をうち騒がせし頃、サウロは何処に如何にして在りしか、今より確かむるよしもない。或いは郷里タルソにありて同胞子弟を教えつつあったであろう。或いは諸方を巡回して異邦人にユダヤ教を宣伝しつつあったであろう。何れにせよ、福音の火は未だサウロの衣に届かなかった。勿論その怪しげなる異端についての高き噂は彼も屡々之を耳にしたに相違ない。その首唱者の磔殺たくさつと彼の復活、その追随者等の生涯に臨みし驚くべき変化と彼等の熱烈なる活動等は、サウロも必ず之を聞いたであろう。而して彼は神聖なる律法の汚されん事を思って心ひそかに憂えたであろう。しかし彼が律法擁護の為に身を棄てて異端基督教の撲滅を図らざるべからずと決心したるは、殉教者ステパノの大演説を傍聴したる時であった。紀元三十三年の春四月、過越の祭の為にエルサレムに出でたるサウロは、偶々たまたま「キリキア及びアジア人の会堂」に列して、ステパノとの討論に参加した。彼はその豊富なる聖書知識と巧妙なるラビ的論法とを尽くしてステパノの妄を弁ぜんと努力したるも遂に之に敵することが出来なかった。しかしステパノは捕えられて議会に曳かれた。しかして提出せられし偽証に対して答うべく、かの不朽の雄弁を揮った。彼が聖霊に充たされて堂々論じ去り論じ来たり、最後に一段声を励まして、「うなじこわくして心と耳とに割礼なき者よ、汝等は常に聖霊に逆らう、その先祖等の如く汝等もまた然り云々」との激語を放ち、更にその目を天に注ぎて「見よ、われ天開けて人の子の神の右に立ち給うを見る」と叫ぶに及び、人々はもはや暫くもその冒涜に堪え難くなった。彼等は喊声かんせいを挙げつつ一人のステパノに向かって殺到し、彼を町より放逐して、石にて撃ち殺した。この狂激なる暴動の立役者の一人は実にサウロであった。彼は自ら石をこそ投げざりしが、之をなげうつ者の衣を預かりて彼等を励ました。「サウロは彼の殺さるるをしとせり」(行伝八の一)。しかして此の時よりタルソの若きパリサイ人は初代基督教迫害運動の中心人物として立つに至った。

ステパノの壮烈なる死は有司等の教会撲滅の決心を促した。しかして彼等は議会に於ける新進気鋭の議員サウロを推して之が執行委員長たらしめた。彼は直ちに猛烈なる運動を開始した。即ち彼は自ら部下を率いてエルサレム中の諸会堂を襲い、信者を捉えて之を鞭うち、また彼等の家庭に闖入ちんにゅうして、男のみならず女をも捕縛し、悉く之を獄に投じた。又彼等をしていてキリストを涜すの言を吐かしめんと試みた(しかし彼等はみな応じなかった)。又彼等に対する虐殺に同意し、幾たびかその悲劇を実現せしめた。彼の行動の如何に狂暴なりしかは之等の事実も記録する言語に照らして察することが出来る。例えば「サウロは教会を荒し」という(行伝八の三)。此の語は新約聖書中他に一度も見当らない。しかして七十人訳聖書又はギリシャ古典にありては、葡萄園を蹂躙する野猪の行動の烈しさを表わすに此の語が用いられているという。又例えば後にダマスコの信者等は彼の事を語り合いて「こはエルサレムにて此の名を呼ぶ者をそこないし人ならずや」と言った。「そこなう」と訳せられし語は敵国に侵入したる軍隊が砲火と剣戟とを以て其の国を荒廃に帰せしむる時に用いらるる甚だ強き語である。誠に迫害者サウロはその律法に対する熱心の故に野猪であった、また侵入軍であった。律法の神聖を擁護せんが為に彼の敢えてし得ざる事はなかった。かくてエルサレムに於ける信者等は彼の為に或いは囚えられ或いは散らされ、幾ばくもなくして一先ず屏息へいそくした。しかしながらサウロの熱心はえなかった。彼は散乱したる信者の多数が北方ダマスコの都に難を避けて今や其の地は異端の巣窟と化しつつありとの報道を得て、更に新しき勇気を鼓舞せざるを得なかった。ダマスコはパレスチナの境を超えしいわば外国の町である。しかし宗教の事に関しては、その地のユダヤ人と雖も議会の監督の下にある。故にサウロは大祭司に到りてダマスコに於ける諸会堂への添書を請うた。「この道の者を見出さば、男女に拘わらず縛りてエルサレムに曳かん為なり」。かくて狂える迫害者は「なおも恐喝と殺害との気を充たし」、さながら血に渇ける狼の如くにして、遥かに北の空を睨みつつ進発した。

「熱心につきては教会を迫害したるもの」という。然り、幾多の教会がなお揺藍の中にあるままに、彼の血なまぐさき手によりて屠られたのである。律法に対する熱心はサウロをして狂わせしめた。之よりも大いなる熱心を我等は想像することが出来ない。

律法によれる義につきては責むべき所なかりし者なり。(六)

サウロはパリサイ人として忠実であった、また熱心であった。教会の迫害に於いて現われたる彼の熱心はその具体的の一例に過ぎない。彼は他の冒涜に対して律法を擁護せんが為に熱心であった。同時に自らその一点一画を実行せんが為に熱心であった。彼は人として守り得べき凡ての誡めを守った。勿論何人も完全に律法を守ることは出来ない。神の前に律法によれる義を認められん事は絶対に不可能である。その事はサウロもまた自ら告白している。曰く「律法によらではわれ罪を知らず、律法に貪るなかれと言わずば貪りを知らざりき。されど罪は機に乗じ、誡めによりて各種の貪りを我が衷に起こせり」と(ロマ七の七、八)。しかしながら神の立場があると共に又人の立場がある。神の見て甚だしく不完全となし給う者にして人の目に間然する所なき者がある。凡てたぐいなく卓抜なるもの、独一と称すべきほど優秀なる者は、人の前にありて殆ど完全である。もし此の意味を以てせんか、律法に対して最も忠実熱心なりしパリサイ人サウロの如きは確かに責むべき所なき者であった。何人も彼の欠点を指摘し又は彼の足らざるを非難することは出来なかった。パリサイ人の典型、紳士中の紳士、若き男子の模範たる者はタルソのサウロであった。

八日目に割礼を受けたる者、イスラエルの血統、ベニヤミンの族、へブル人より出でたるへブル人、しかして律法につきては厳格なるパリサイ人、熱心につきては最大なる教会迫害者、律法の義につきては責むべき所なき者、斯の如き者が彼であった。完全なる血統と遺憾なき経歴である。此の二箇の条件を兼ね備えたる者は稀有けうであった。故に曰う「もし他の人肉に恃む所ありと思わば、我は更に恃むところあり」と(四節)。誠に此の世の立場より見て彼の如きは最大の特権を有する者の一人であった。その他ここには挙げられざりしと雖も、彼がタルソの地の利によりて修得したるギリシャ文学又はストア哲学の素養の如きも、思うに決して浅きものではなかったであろう。(彼は詩人エピメニデス、メナンデル、アラトス等の語を自由に引用することが出来た。又彼の文章中にストア哲学の学語を見ること少なくない。)之等幾多の有利なる準備を以て、サウロは人生の競走場裡に立った。壮齢正に三十有三、心身共にその自然的発達の絶頂に達して意気天をかんとするの時代である。詩人歌って曰く「日は……勇士ますらおが競い走るを悦ぶに似たり」と(詩一九の五)。サウロにもまた中天を目指して出で立つ堂々たる旭日の面影があった。彼は既に人生の晨に於いて必ずしも小ならざる名声と勢力とを勝ち得た。しかしながら前途の希望に至っては測り知るべからざるものがある。彼の踏み出せし途は此の世の最大の幸福に向かって開いた。もしたぐいなき力と名と富との獲得に適したる者ありとせばそれは彼であった。もし人生の成功者たるべく運命づけられたる者ありとせばそれはサウロであった。彼が野猪の如き勢いを以てエルサレムの諸教会を席捲せし頃、何人も後来ユダヤ史上一人の英雄の記録を加うべきを疑わなかった。彼のダマスコ遠征の行を見送りし者は勿論みな彼が遠からず異端撲滅の赫々かくかくたる功業を樹てて凱旋すべきを期待した。

二 これを塵芥の如く思う

然るに意外!期待は悉く裏切られた。同僚の期待も世人の期待もまた古き両親の期待も、然りまた実に彼自身の期待もすべて見事に裏切られた。前途最も多望なる有為の好漢サウロは未だダマスコの門に入らざるに先だち、忽焉こつえんとして別人に変わってしまった。彼はもはやユダヤ人にしてユダヤ人ではなくなった。パリサイ人にしてパリサイ人ではなくなった。彼の眼中また血統あるなく、経歴あるなく、割礼あるなく、又律法によれる義もなきに至った。すべて肉に対する恃みは痕跡もなく彼の心より落ちた、その前途に輝きたる所謂成功の望みは悉く彼の眼より消え失せた。教会迫害の首謀者、基督教撲滅の征途に上りし勇士は、意外にも、甚だ意外にも、却って最も熱心なるキリストの僕と化してしまったのである。然り、かのにくむべき異端の首唱者、かの磔殺せられたる犯罪者、かの大いなる人心の惑乱者の僕となりて、きのう迄自己の揮いし鞭を今日よりは己が身に受くべき者と変わってしまったのである。

此の驚くべき変化は如何にして起こったか。それには大いなる原因がなくてはならない。一言にしていえば、彼の心中にありし最も深刻なる煩悶が、キリストによりて完き解決を得たからである。誠にサウロにも煩悶があった。そは多分人のたましいの曾て経験したる最も深刻なる煩悶の一つであったであろう。彼の理想は義の獲得にあった。神の前に義しき人として立ち得ん事、これ彼の何よりも切なる願いであった。しかして彼は此の理想実現の途が律法の実行にある事を信じた。故に事いみじくも律法に関わらんか、彼は狂せんばかりに熱心であった。その基督者に対する恐るべき迫害の如きもいつに之が為であった。斯く彼は律法に対して忠実であった、熱心であった、しかして人の眼には責むべき所なき完き生涯を送りつつあった。然るにも拘わらず彼の心の底に人知れず湧きし悶えよ、悩みよ。律法による義の追求は何時までも彼に平安を与えざるのみならず、却って益々これを遠ざくるに過ぎなかったのである。彼は幾たびか独り虚空に向かって叫んだ、曰く「ああ、われ悩める人なるかな、此の死の体より我を救わん者は誰ぞ」と(ロマ七の二四)。人の生涯は往々これを外より見ると内より窺うとによりて非常なる相違がある。外には力溢れて雄々しく華々しき生涯も、内には言うべからざる深き寂しさを包むものがある。これ必ずしも偽善ではない。内なる欠陥を充たすに外なる活動を以てせんとする同情すべき努力である。凡人にもこれがある。英雄の心事に最も多くこれを見る。教会迫害の勇者サウロの経験もまたそうであった。彼は内に於いて大いなる霊的不満を有した、故に外側に於ける義の実行によりてこれを癒さんと試みた。彼の白熱的狂奔は実は霊魂の亀裂を合わせんとするいたましき鳴動に外ならなかった。貴き憐むべき努力よ。斯くして彼の渇望したる平安は遂に彼のたましいに臨まなかったのである。然るに他方にありてまた彼は如何にしても解する能わざるものを見た。彼の義憤を促せし異端の徒、彼の迫害に悩みし基督者が、その艱難の中にありて現わしたる不思議なる勇気と平安と而して敵に対するの愛、かかるものを目前に示されて、迫害者サウロの胸中大いなる疑惑なきを得なかった。殊にステパノが血を以て彼の心に刻みしキリストに関する大いなる証明は、いつも彼の反省をそそりて已まなかった。かくて彼の心に収拾すべからざる混乱があった。彼が恐喝と殺害との気を充たしてダマスコに向かいし頃、その混乱は多分絶頂に達しておったであろう。山河六十里の道程を辿りながら、彼は朝に夕に問題の解決を求めつつあった。既にしてダマスコは視界の中に入り来たった。忽ち見る、大いなる光明天より出でて彼を環り照らすを。彼は地に倒れた。しかして或る明瞭なる声は彼の耳を撃った。曰く「サウロ、サウロ、何ぞ我を迫害するか。刺ある鞭を蹴るは難し」、「我は汝が迫害するイエスなり。起きて汝の足にて立て。……われ汝を此の民及び異邦人より救わん。又汝を彼等に遣わし、その目を開きてくらきより光に、サタンの権威より神に立ち帰らせ、我に対する信仰によりて、罪の赦しと潔められたる者の中の嗣業とを得しめん」と(行伝二六の一五~一八)。この天来の声は電光の如くにサウロの暗き心を底まで衝き徹した。しかして凡ての混乱は之に照らされて忽ち整然たる体系を成した。一切の疑惑は残なく解決した。何故に律法は我に満足を与えないか、人は先ず生ける神と義しき関係に入らずして、自己の力を以て律法の義を行わんとするも絶対に不可能であるからである。如何にして我は神と義しき関係に入る事が出来るか、今しも我に現われたる復活のイエスが神の独子なる事を信じて、彼を我が主と仰ぐによってのみ可能である。義の追求に狂せんばかりなる我は平安を獲る能わざるに反し、我が迫害の為に苦しむ多くの男女が却って此の羨むべき福祉の所有者であるは何故ぞ、ただ彼等のたましいが生けるキリストに結び付いているからである。ステパノが「汝等の先祖等は義人の来たるを預言したる者を殺し、汝等は今この義人を売り、かつ殺す者となれり。汝等聖徒たちの伝えし律法を受けて尚これを守らざりき」と絶叫したるは我が事を意味したのではなかったか。彼が天を仰いで「見よ、人の子、神の右に立ち給う」と呼びし時、彼は確かに今我に現われし者を見たのであろう。彼はまさに息絶えんとしながら跪きて大声に「主よ、此の罪を彼等に負わせ給うなかれ」と祈った。ああ、彼は己が敵なる我をも斯く愛したのである。しかしてこれ全く彼がキリストの霊をもて充たされたるが故であった。然り、キリストである、凡てがキリストである。復活したるキリストを受くるによって一切の問題が解決する。殊に我が多年の理想たる義の獲得も彼に在りてのみ実現し得るのである――斯の如くにしてサウロの深刻なる煩悶は、キリストによって完全なる解決を得た。誰か其の日に於ける彼の歓喜と感謝とを想像し得るものぞ。迫害者サウロの一朝にして使徒パウロと激変したる事何ぞ怪しむに足らん。彼は実にキリストを受けし日に生まれ更わりて全然新しき人と成ったのである(「パウロ」は多分サウロの父母が既に彼の生誕の時に附したるラテン名であろう)。

されどさきに我が益たりし事はキリストの為に損と思うに至れり。(七)

一たび此の経験を得て後ひるがえってさきの日のものを回顧せんか、「我が益たりし事」即ち我が前途に大いなる幸福を約束したる此の世の特権の如きは実に数えるに足らぬのである。割礼何ものぞ、イスラエルの血統何ものぞ、パリサイ何ものぞ、熱心何ものぞ、律法による人間的の義そもそも何ものぞ。これらのもの果たして我に何ほどの平安を与えたか。否、我が心を肉の事此の世の事に繋ぎて、我をして今に至るまでキリストを信ぜざらしめたるもの、然り、彼を迫害せしめたるものこそ、これらの特権ではなかったか。故に今や我は之を益と見ないばかりでない、却ってこれを「損」と見る。今や我は完全なる血統と遺憾なき経歴とを誇らないばかりでない、却って我心一たび其処にありし事を大いなる恥辱とする。我が最もにくみたるキリスト今やわが至上の喜びとなるに至って、我が人生観は悉く顛倒したのである。

然り、我はわが主キリスト・イエスを識ることの優れたる為に、凡ての物を損なりと思い、彼の為に既に凡ての物を損せしが、これを塵芥の如く思う。(八)

ああ、我が主キリスト・イエス、彼を識り彼を我がものとすることの福いよ。彼の中に我が最も深き要求を満足せしむべき一切のものがある。否、我が眼未だ見ず、我が耳未だ聞かず、我が心未だ思わざりし貴きものが、彼にありて備えられているのである。彼にありて我は新しき生命に入った。彼にありて我はカより力に進みつつある。彼にありて我は恩恵に恩恵を加えられつつある。彼にありて我は栄光より栄光に進みつつある。此の至上の福祉に比較せんか、凡て此の世の成功幸福何かあらん、総理大臣又は大統領の地位何かあらん、カーネギー、ロスチャイルドの富何かあらん、人の空しき誉れ何かあらん、学位何かあらん、栄爵何かあらん、功業何かあらん、勢力何かあらん。これを慕う者をして勝手に慕わしめよ。ただ我にありては――我はすべてこれらの物を損となす、しかして彼キリストの為に既に凡ての物を損したのである、自ら抛棄したのである、その途は我が前に広く開きたりと雖も、我は惜しみなくこれを抛棄したのである。今や我に割礼はあるも無きに均し。我は特にへブル人ではない、パリサイ人ではない。我が優秀なる血統と経歴及びこれに基く現世的幸福の希望は今や一つも我がものではない。しかして勿論我はこれを抛棄したる事を少しも悔いない。何となればキリストを知るの福いに比して、それ等のものは塵芥又は糞土と異ならないからである(「塵芥」と訳せられたる語はすべて抛棄すべきやくざ物を意味する。例えば動物の糞尿、溶液の残滓、金属の鉄渣てつさ糟糠そうこう、残飯、洗汁等)。誰か塵芥を慕わん、誰か糞土を拝せん。我をして再び此の世の幸福を顧みしめんとするなかれ。我は犬ではない、故に「己が吐きたる物に帰り来たる」ことは出来ない。我は豚ではない、故に「身を洗いてまた泥の中にまろぶ」ことは出来ない(後ペテロ二の二二)。

パウロは斯の如くにして断じて人の期待にそむいた。同じようにルーテルもまた父母と友人と教師との期待に反き、その多望なる未来を棄て、キリストの為に凡ての物を損して、独り高き感謝の声を挙げた。古き時代に於けるモーセもまたそうであった。彼もまた当時の文明国エジプトの凡ての学問を学び「言と業とに能力あり」、パロの女の子として栄華を極むべくありしに拘わらず、「キリストによる謗りはエジプトの財宝にまさる大いなる富と思」って断然紅海を渡って曠野に出てしまった。彼等はみな自己の持つ能わざるものをけなしたのではない。否、さる卑しき負け惜しみをなすべく彼等は余りに此の世の成功の条件に富んでおった。彼等はいずれも普通の意味に於いて人生の競走場裡の最優勝者たるべき十分の資格を備えておった。彼等をして政治家たらしめ、哲学者たらしめ、或いは文学者たらしめんか、必ずやそれ等の方面に於ける世界第一流の人物と成ったであろう。しかしながらイエス・キリストを知る事は彼等に取って余りに貴くあった。この比較すべからざる優れたる事あるが為に、彼等の心は自ら此の世の成功に対する一切の興味を失ったのである。実に仕方がない。「良き真珠を求むる商人は価高き真珠一つを見出さば、往きててる物を悉く売りて之を買う」。しかして福いなるは彼等の如く、そのてる物を悉く売りて以て買うに値する一つの貴き真珠を発見したる者である。人生の徹底的満足はおよそ此辺にある。

三 キリストを識ることの優れたるため

パウロは惜しみなくその凡ての物を抛棄した。そは言う迄もなく或る一つの貴き真珠を手に入れんが為であった。かくも貴き真珠とはそもそも何か。彼は既に「キリストの為に」といい(七節)、「わが主キリスト・イエスを識る事の優れたる為に」といって(八節)、その名を明らかにしている。しかし彼が優秀なる血統、経歴等によって得べかりし此の世の成功の生涯に代えて、特に選び取りし新しき生涯の如何なる性質のものであるかについては更にくわしき説明を必要とする。名誉あるパリサイ人として踏みつつありし限りなき幸福の途を糞土の谷と見なして、彼は果たして如何なる峯をよじんとするのであるか。イエス・キリストを我が主と仰ぐ生涯の特徴は何処にあるか。

パウロは或る他の処にて同じ問題に対し最も簡潔なる答を与えて曰った「キリスト・イエスは神に立てられて我等の義と聖と贖い(身体の贖い)とに為り給えり」と(前コリント一の三〇)、又或る他の処に於いては同じ事を系統的教理的に布衍ふえんし説明して縷々るる数千言に及んでいる(ロマ一~八)。彼が今ピリピの信者に対してその輪廓を示さんと欲する事も畢竟これに外ならない。信仰の生涯の特徴をその始めより永遠に亙りて簡単に記述したるもの、これ即ち以下の数節(九~一一)である。故に我等は之を解せんとするに当り、右に掲げたる引照諸章節の光をるの最も適当なるを思う。

彼は此処にも大体に於いて三段に分かちて語る。第一はキリストを獲かつ彼に在るを認めらるる事である。

これキリストを獲、かつ律法による己が義ならで、ただキリストに対する信仰による義、即ち信仰に基きて神より賜わる義を保ちてキリストに在るを認められ、(九)

基督者の生涯は、まずキリストを我がものとして獲得し、而してキリストに在る者として神に認めらるるに始まる。キリストは自己を提供して我等をして彼を獲得せしむ。彼は曰った「我は生命のパンなり……汝等我が肉を食らい我が血を飲め」と。如何にして彼の肉を食らい彼の血を飲まんか、如何にして彼を獲得せんか、曰くただ彼を信ずるによってのみ、全き我を彼に委ぬるによってのみ。我等がキリストの生涯殊にその十字架上の死について知り、砕けたる心をもて彼の前にひれ伏し、「主よ今よりただ汝にのみ頼りまつる。願わくはこの僕を悉く汝のものとなし給え」との告白を発するその刹那より、我は彼を獲得して、彼は永遠に我がものと為るのである。

しかしてかくキリストを獲得すると共に神は直ちに我等を「キリストに在る」者として認め給う。即ち彼を信受したるその時より、我等もまた彼の性質を受けたる者、神の子として扱わるるのである。神は如何なる状態に着目して我等を斯の如くに扱い給うか。信仰の日より我等は全くキリストに似たるものと成るが故であるか。否、事実はその然らざる事を証明する。信仰によりて勿論我等のたましいは大いなる革命を経験する。しかし我等が一々の思想と言語と行為とは必ずしも直ちに変わらない。我等の生活はその原理に於いて本質に於いて根底に於いて確かにキリストに属するものと成る。しかしその個々の態様は未だにわかに聖化せられない。然るにも拘わらず、神は既に我等をキリストに在る者として認め、神の子として扱い給うは何故であるか。他なし、神の我等に期待し給うものは「律法による己が義」を保つ事に非ずして、「ただキリストに対する信仰による義、即ち信仰に基きて神より賜わる義」を保つ事であるからである。

何をか「律法による己が義」と言う。律法の中に定められたる凡ての誡めを自らかけなく実行するによりて、神の前に義しき者として存在する事である。しかしてこれ実に言うべくして行うべからざる事である。何処に自己の努力によって完全の生活に到達し得たる道徳家があるか。「律法の行為によりては一人だに神の前に義とせられず」(ロマ三の二〇)。「すべて律法の行為による者はのろいの下にあり」(ガラテヤ三の一〇)。誠に律法の実行に忠実なればなるほど、自己の無力は益々明らかに暴露せられて、義の望みいよいよ薄らぎ往くのみ。パウロ自身がその痛切なる実験者であった。彼は幾たびかこれが為に泣いた。しかしながら福いなるかな、神の我等に期待し給うものは斯の如き難題ではない。それは「ただキリストに対する信仰による義、即ち信仰に基きて神より賜わる義」を保たんことにある。何をか信仰による神の義と言う。律法による己が義と全然対照を為すものである。即ちそは第一に「己が義」に非ずして「神より賜わる義」である。その原因は少しも我等自身の功にあるのではない。ただ神の恩恵にある。我等自身の行いは未だ義しからざるに拘わらず、神は恩恵としてこれを与え給う。何故に然るか。我等は到底己が義を全うし得ざるに反し、キリストは我等の為に、いみじくもこれを全うし給いしが故である。我等の為にしたるキリストの功のみによりて神より賜わる義である。従ってそは第二に「律法による義」に非ずして「ただキリストに対する信仰による義」である。その標準は律法ではない。信仰である。我等の行為が律法に適うや否やではない、ただ我等の為に義を全うしたるキリストを信ずるや否やである。神は我等を測るに難かしき律法の尺度を以てし給わない、ただ一つの信仰を以てし給う。キリストに対する我がたましいの根本的態度だに全からんか、すなわち汚れたる此の身此のまま、直ちに我を義しき者として待遇し給うのである。

ここに於いてか、キリストを獲得すると共に直ちに「彼に在る」者として認めらるるの意味がわかる。神は我等の側よりはただ信仰のみを要求し、而して凡て信ずる者には自ら義を着せ給うのである。我等に未だ行為はない、勿論律法による己が義はない、ただキリストを信ずる一つの信仰あるのみ。而してこの信仰により神より賜わる義を衣の如くに纏って、我等は安んじて神の前に進むのである。故に曰う「キリストを獲、かつ律法による己が義ならで、ただキリストに対する信仰による義、即ち信仰に基きて神より賜わる義を保ちてキリストに在るを認めらる」と。如何にしてキリストを獲たるのみにて直ちに彼に在るを認めらるるか、曰く神より賜わる義を保ちてである。後者は前者の奥義的説明である。

先ずキリストに在るを「認めらるる」に始まる基督者の生涯は、次にこれが実現に移る。神は初めに彼を義とし次に彼を聖め給う。我等はただに神より賜わる義を衣の如くに纏うのみならず、更に聖霊の力によりて己が生活を聖くせらる。これ即ちキリストの聖を我が上に実現する事である。パウロはここに此の事を称して「キリストを識る」と言った。そはただに知的に解するの意味ではない、「実験的に識る事」である(マイヤー)。故に「ただ自らキリストに似たる者と成るによりてのみ可能である」(アルフォード)。仮に「識る」の字に代えて「己が生活に於いて実現する」との語を以てせば、その大体の意味は一層明瞭を加えるであろう。

キリストと、その復活の力と、又その死に倣いて彼の苦難に与る事とを識り、(一〇)

キリストを我が生活に於いて実現する事である。殊に彼の復活の力と、彼の苦難に与る事とを、我が生活の上に実現する事である。これ基督者の生涯の第二の階梯であって、又その貴き特権である。

キリストを我が生活に於いて実現するという、彼の聖きが如くに聖く生くるという、果たして有り得べき事であろうか。そは我に取って過大の野心ではないか。何人か肉にある間罪より全く離れ得ようか。誠に我等は事実上未だ絶対に罪なき生涯に入りたる人あるを知らない。しかしながら事実有りしにもせよ、無かりしにもせよ、聖書は明言して言うのである、「肉によりて弱くなれる律法の成し能わぬ所を神は成し給えり。即ち己の子を罪ある肉の形にて罪の為に遣わし、肉に於いて罪を定め給えり。これ肉に従わず、霊に従いて歩む我等の中に律法の義の完うせられん為なり」と(ロマ八の二~四)。肉にありながら罪なき生涯は絶無なりしと言うことなかれ。少なくともナザレのイエスの地上に於ける生涯はそれであった。彼は勿論神の独子であった。しかし同時に純粋なる人であった。彼の肉そのものに我等の肉との性質上の相違は断じて無かった。然るにも拘わらず、彼は全く罪なき聖き生涯を送りて、見事に肉に於いて罪を定めてしまった。しかして此の事実は独り彼のみならず、すべて彼の霊に従って歩む者の生活に於いて実現せんがために起こったのである。然り、我等もまた肉に従わず、聖霊に従って歩まば、律法の義を全うすべき生活に入ることが出来るのであると聖書は明言するのである。しかしてこれ実に我等の願いではないか。罪の痛みに堪え得る者は知らず、然らざる者は唯にキリストの贖いによりて罪あるまま義とせらるるの恩恵のみを以て満足することが出来るか。否、彼は更に前なる恩恵を慕う、みたまによって我が残れる罪を現実に悉く聖められんことを望む、我が生活の上にキリスト彼自身を実現せんことを欲する。我等が「キリストを獲かつ神の賜う義を保ちて彼に在るを認めらるる」は、畢竟ひっきょう更に「キリストを識らん」が為である。義の目的は聖にある。我等もし正しく霊に従って歩まば必ず此の大いなる福祉に与るであろう。

基督者生活の第二の階梯は「キリストを識り」の一語を以て尽きる。しかしパウロは己が実験に訴えて、なお少しく言い足さざるを得なかった。その生活は主として如何なる方面に特徴を有するか。曰く積極的には彼の復活の力の実現、曰く消極的には彼の苦難の参与の実現これである。けだしキリストを識るの生活は言わばキリストの地上に於ける生活の再現であるが故に、その特徴もまた彼の生涯の特徴と相似たるものでなくてはならぬ。

彼の復活の力とは何か。多くの聖書学者はこれを解して、キリストの復活が信者に対して有する所の効力であると言う。しかし前後の関係は明らかに別箇の解釈を要求する。キリストの復活の力は彼が復活したるその実力に外ならない。キリストに或る実力があった、それによって彼は復活した。如何なる実力ぞ。曰くみたまに充つる生命である。此の生命ありしが故に彼は復活せざるを得なかったのである。此の生命はこれを復活の力と呼ぶの最も適わしきを覚える。何となればこれ罪と死との法にうち勝つ実力であって、唯に体的復活を実現するの原因たるのみならず、また霊的復活を維持するの原因であるからである。体的復活と霊的復活とは縁故の遠きものではない、姉妹である。キリストの場合に勿論霊的復活の事実は無かりしと雖も而も彼の生命は畢竟霊的復活の生命の理想であった。即ち愛である、また勝利である。みたまによる愛と勝利との生命が彼の復活の力であったのである。而して我等が彼を実験によりて真に識る時我等もまたこの力を己がものとして実現せざるを得ない。我等もまた彼の如くにみたまによって罪の法を超越して歩む。我等もまた勝利の生涯に入る。我等もまた全き愛に向かって進む。

この積極的の一面が基督者生活の著るしき特徴にして且つ福いなる特権である事は言う迄もない。しかしながらキリストの足跡を踏む者に更に注意すべき又感謝すべき消極的の一面がある。何ぞ。曰う「又その死に倣いて彼の苦難に与る事を識り」と。キリストの苦難に我も与る事、彼の十字架上の死に於いて絶頂に達したる大いなる苦難に倣いて我もまた彼の為に苦しむ事である。彼を識りて而して此の事を識るほど当然なるはない。彼自身が「悲哀の人」であったのである。故に彼の苦難に与らずして彼を我が生活の上に実現することは出来ない。我等がキリストを識るの程度は、彼の為に負いし苦難の程度に比例する。彼と酒杯を共にする者にして始めてく彼の心を識ることが出来る。

主の飲み給いし酒杯に我も与るという、ああ、これ如何ばかりの特権ぞ、名誉ぞ、福祉ぞ。心真に主を愛する者は此の特権、名誉、福祉に与らずしては已むことが出来ない。愛は労苦を要求する。愛する者の為に苦しまずして、我に果たすべきの負債おいめあり、我が肩重きを覚えざるを得ない。いわんや我が主イエス・キリストの為をや。彼――我がなやみを負いわがかなしみを担い、わがとがの為に傷つけられわが不義の為に砕かれし彼のためをや。我もし彼の聖名の為に苦しむ能わずして世を逝らんには、我がうらみそもそも幾ばくぞ。ああ、我これに堪えない。歌あり曰く

主にのみ十字架を負わせまつり、
我知らずがおにあるべきかは。

然り、我知らずがおにあるべきかは。我もまた彼に似たる十字架を負わんと欲する。我はこれを負わせられん事を祈る。これいたずらなる感激ではない、わが全心の願いである、愛の自然の要求である。主の苦難に与る事は我が最大の喜びである、感謝である。使徒等は危く殺されんとして、鞭うたれて僅かに免れし時「聖名の為に辱しめらるるに相応ふさわしき者とせられたるを喜び」て、相顧みて互いに慶賀し共に感謝した(行伝五の四一)。その時彼等は実に一段と主に近くあったのである。ああ福いなりしかなステパノ!ああ恵まれたるかなヤコブ、ぺテロ、パウロ、ヨハネ、ポリカルプ!ああ祝すべきかなウイックリフ、フス、ルーテル、フーパー、ラチマー、リッドレー、バンヤン、その他すべての殉教者また主の為の労苦者!かの者はみな主の特愛者であった。故にその隣に坐せしめられて彼の酒杯を頒たれた。しかして彼に似たる心を以てこれを飲んだ。我等は実に彼等を羨む。主よ、願わくは我等をして汝の死に倣いて汝の苦難に与かることを識らしめよ。願わくは我等をして聖名みなの為にいたく辱しめらるるに相応わしき者たらしめよ。願わくは我等が地上に於ける暫時の生涯を以て汝の栄光を高く揚げんが為の燃料たらしめよ。

基督者生活の第三の階梯は復活である。

如何にもして死人の中より甦ることを得んが為なり。(一一)

始めに義とせられ、次に聖めらる。何れも偉大なる恩恵である。しかしながら基督者の生涯はこれを以て終るべきでない。そは最後には完全にして永遠なるものと成らねばならぬ。神の完きが如くに完く、神の在るが如くに永遠に亙りて朽ちざる生涯と成らねばならぬ。これ実に人の理想である。基督者は遂に此の理想に達せずして満足することが出来ない。しかして神は必ずその子等を此処に達せしめ給う。父なる神は必ず彼等をして全く己に似たる者たらしめ給う。

完全にして永遠なる生涯を我等が現在の状態に於いて直ちに実現することは出来ない。何となれば現在の肉体はその機関として余りに不完全にして且つ早晩朽つべきものであるからである。此の肉体にありて、我等は霊に従って歩むことが出来る、キリストの地上生活を兎に角或る程度まで実現することが出来る、彼の如くに世に勝つことが出来る、彼の苦難に与ることが出来る。しかしながら遂にこれ不完全にして且つ暫時的たるを免れない。我等が理想の生涯はまた理想的なる身体を要求する、きずなき朽ちざる、自由なる身体を、その適当なる機関として要求する。ここに於いてか「身体の贖い」即ち復活の必要がある。

キリストは復活した。彼は一たび死して葬られたりと雖も、三日目の朝に至りその身体は朽ちざるものに化せられて、新しき生命を獲得し、屡々弟子等の前に現われ、遂に天に昇った。事は拒むに由なき歴史的事実である。然り、彼は確かに死者の中より甦った。彼はその完全なる復活体を以て今も神と共に生きつつある。彼の肉の日に於ける霊に充ちたる生命の故に神は彼を復活せしめずして措く能わなかったのである。然らば乃ち彼を識り彼を己に実現するの生涯もまた此の終局に達せずして已むことを得ようか。「もしイエスを死人の中より甦らせ給いし者のみたま汝等の中に宿り給わばキリスト・イエスを死人の中より甦らせ給いし者は、汝等の中に宿り給うみたまによりて汝等の死ぬべき体をも生かし給わん」(ロマ八の一一)。「されどまさしくキリストは死人の中より甦り、眠りたる者の初穂と成り給えり」(前コリント一五の二〇)。彼の復活は我等の初穂である。彼の如くに我等もまたいつか復活して堂々と死より凱旋する。しかして彼に似たる者と成りて完全なる永遠なる生涯に入る。

ああ復活、しかしてこれに伴う来世の生涯、涙は悉く拭われ、再び死もなく、悲歎も号叫も苦痛もなき生涯、世々「神と羔とにつかえ、且つその聖顔を見る」の生涯、如何に偉大なる恩恵ぞ。これを望みて我等の心焦がる。我等は「如何にもして」此の終局的恩恵に与らん事を願う。しかして此の希望もまたキリストに在って必ず充たさるるのである。彼は「神に立てられて我等の義また聖また贖い(身体の贖い即ち復活)と成り」給うたのである。

第一に「キリストを獲、かつ律法による己が義ならで、唯キリストに対する信仰による義、即ち信仰に基きて神より賜わる義を保ちてキリストに在るを認められ」、第二に「キリストと、その復活の力と、又その死に倣いて彼の苦難に与る事とを識り」、而して第三に「如何にもして死人の中より甦ることを得」る、これ即ち基督者の生涯の輪廓である。此の一つの真珠を得んが為に、パウロは己がてる凡ての物を棄てた。彼は果たして愚かなる事をしたのであろうか。割礼とイスラエルの血統とベニヤミンの族とヘブル人中のヘブル人たる系図と、またパリサイ人としての忠実と熱心と完全と、また凡て之等のものに基きて得べかりし此の世の高き地位と名誉と大いなる力と富と、然り、しかしてまた之等のものに添えて必ず罪と死とたましいの深き所に於ける不安と、それが果たして慕うべきものであるか。地的幸福か、天的福祉か。我等は一つを選ばねばならぬ。人は二人の主に兼ね仕える能わず。彼もし、此も棄て難しとは余りに慾深くある。「手を鋤に附けてのち、後を顧みる者は神の国に適う者にあらず」(ルカ九の六二)。まして此の世の幸福を味わいながら基督者として在らんと欲するが如き、背理これよりも甚だしきはない。真珠を買わんと欲せばてる一切の物を売れ。キリストを識らんと欲せば此の世につける凡ての望みを抛棄せよ。パウロは喜び且つ喜びてこれを為した。しかして彼の心始めて安くあった。「彼は善きかたを選びたり。こは彼より奪うべからざるものなり」(ルカ一〇の四二)。

四 後のものを忘れ前のものに向かって励みつつ

パウロは既に善きかたを選んだ。こは彼より奪うべからざるものである。彼は今(ピリピ書を認めし時)繋がれてロマの獄にある、しかしてたとえロマ皇帝よりその地位を交換せん事を申込まるるとも、勿論これに応ずべくもなかった。キリストに在るの生涯は全世界の帝王たるよりもなお限りなく貴くある。

しかしながら此の貴き生涯は既に悉くこれを取れりと言うことは出来ない。如何なる基督者も既に全き生活に入れりと言うことは出来ない。何となれば基督者生活に三段の階梯ありて、何人も未だその終局に達しないからである。我等の完全にして永遠なる生活の開始はなお全く未来に属する。キリスト再び来たりて我等の身体を栄化し給う時にのみ此の事が成就する。しかのみならず、現世にありてキリストを識り、彼の復活の力を味わい、聖名の為になやみを受けて彼の苦難に与る事も、また未だ決して十分ではない。我等の肉体を以てキリストの聖き地上生活を再現せんが為には限りなき進歩を必要とする。故に唯に我等の来世生活が全く把握の外にあるのみならず、現世生活そのものにも性質上なお辿るべき無限の前途があるのである。基督者生活の完成は畢竟未来の問題である。

われ既に取れり、既に全うせられたりと言うにあらず、唯これを捉えんとて追い求む。キリストはこれを得させんとて我を捉え給えり。(一二)

未来の問題である。故に我はこれ(基督者生活の完成)を捉えんとの期待を以て疾駆しつつ追求するのである(追求の原語にこの意味がある)。しかして我がこの期待は空しきものではない。何となれば我をしてかく努力せしむるものは我自身に非ずして、キリストであるからである。彼は我をして完全なる生活を捉えしめんが為にまず我自身を捉え給うたのである。その時まで我が捉えんとして追求したるものは此の世に於ける成功であった。然るにキリスト来たりてその偉大なる手をもて我を捉え、しかして我が追求の方向を一変せしめた。今や我が目と我が手とが地にあるものを離れて天にあるものに向かうに至りしは即ち彼の捕捉の結果に外ならない。彼が我をして追求せしむるのである。故に確実である、信頼するに足る。問題は未来に属すると雖もなお確実である(始めに「取る」といい、後に「捉え」というも、意味に変わりはない。ただキリストに捉えられたるの事実に関連せしめんがため言い換えしのみ)。

未来である、しかして確実である。ここに於いてか「希望」なきを得ない。希望は唯に欲求ではない、また期待ではない。必ず充たさるべき欲求、確実なる未来に対する期待、これを称して希望という。基督者生活は希望の生活である。然り、そは実に大いなる希望の生活である。

兄弟よ、我は既に捉えたりと思わず、唯この一事を務む、即ち後のものを忘れ、前のものに向かいて励みつつ、標準めあてを指して進み、キリスト・イエスによりての神の高き召しにかかわる褒美を得んとするなり。(一三、一四)

基督者生活が希望の生活なる事を力説せんと欲して、パウロはその心に或る喜ばしき緊張を覚えた。故に彼は特に「兄弟よ」と呼びかけて書翰の読者の注意を促した。彼の筆に此の一語の上る時、そは必ず問題の軽からざる事を暗示する。

彼は力強く繰り返して曰った「我は既に捉えたりと思わず」と。彼は既に基督者生活を送ること三十年、最も忠実なる主の僕として、はた偉大なる異邦人伝道者として、何人も及ばざる高き途を歩みつつあった。キリストに在る栄光の生涯の記録に於いて、とこしえに日の如く輝くものは、実に聖パウロの名である。彼は基督者生活の開拓者であった、世界教化の先導者であった、基督教の定礎者であった、霊界のチャンピオンであった。然るにも拘わらず、彼は自ら言うのである「我は既に捉えたりと思わず」と。彼の如き多くの名誉ある記憶を以てして、彼はなお自己の生活について満足しなかった。彼の既に実現したる凡ての貴きものも、一たびこれを彼の理想たる基督者生活の完成に照らす時は未だ言うに足らぬものであった。もしこれを不満といいべくば、貴き不満である。パウロは曾て一たびも自己の過去と現在とについて満足を感じなかったのである。

然り、彼の如きは徹底的なる希望の子であった。彼は多くの凡人の如くに現在に於いて生きなかった。また多くの偉人の如くに過去に於いて生きなかった。彼はただ未来に於いて生きた。彼にとって人生殊に基督者の生涯は恰も競走者の境遇であった。競走者の眼中前途に立てる目標のほか何もない。彼には過去もない、現在もない、誰か競走中立ち止まり振り返りて我が来し方を眺むる者があろうか。我は既に幾ばくの途を辿りしかを彼は知らない、また知る必要がない。彼はただ知る、未だ目標を捉えざる事を。此の事を彼は刻々に自覚しつつある。故にこれを捉える迄は、唯一事を務むるのみ、即ち我が後ろの行程を忘れ、前途に向かって身を提しつつひたすらに目標を目指して驀進ばくしんするのみ。パウロは自己の生涯もまたそれであると言った。即ち曰った「我ただ此の一事を務む――後のものを忘れ、前のものに向かって励みつつ、標準を指して進む」と。壮なるかな、老使徒の意気、人生の競走場裡に立ちて、彼はいつ迄も若々しき青年であった。

パウロは未だ目標を捉えざる事を自覚する。故に唯一事のみを務めた。彼は此の世に在って種々の事を為そうとしなかった。彼はその精神をかの事この事に分たずして、唯一つの事に向かって集中した。しかしてこれ実に力の秘訣である。力は統一と共にある。分裂のある所に何があっても力は無い。パウロは何故に力の所有者であったか。何故に彼は今より千九百年前の交通至難なる日に、欧亜に跨る前後三回の大伝道旅行を試み、到る所の都市に福音を浸潤せしめ、一人にして能く幾千のたましいを生命に導き、基督教をして全人類のものたらしむるの基を据えたるが如き、異常なる力の所有者であったか。他なし、聖霊彼に臨みて、彼の全精神を唯一事に集中せしめたからである。

斯く彼は一元的生活者であった。しかしてその一事とは何ぞ、曰く「後のものを忘れ、前のものに向かって励みつつ、標準を指して進む」事これである。競走者パウロはすべて後のものを忘れた、即ち基督者生活に於いて自己の今日まで辿り来たりしすべての行程を忘れた。我は品性に於いて幾ばくの進歩を為したか、我は伝道の為に如何ばかりの力を尽くしたか、幾人の霊魂に福音を伝えたか、幾つの教会を創設したか、幾通の手紙を書いたか、幾千哩の旅行を為したか、我は聖名の為に如何ばかりの迫害を受けたか、如何に艱難に堪えたか、如何に誘惑を斥けたか。凡そ之等過去に於ける自己の成業を顧みんには、何人よりも快心の笑みを湛え得べき者はパウロであった。しかしながら彼は一つも之等過去のものを顧みなかった、顧みるの余裕が彼には無かった。未だ目標を捉えずしてなお競走中にありながら悠々として頭を後に廻すが如きは彼には堪えがたき遊戯であったのである。故に彼は決して老人めきたる過去回憶に耽らなかった。彼は自己の業績を悉く忘れてしまった(また勿論過去の失敗を追想してくよくよ思い煩うが如き非信仰的心理を知らなかった)。彼は多分思ったであろう、かの日来たりて、我が競走の終りし後に、我は緩々来し方を顧みて楽しまんと。

後のものを忘れたるパウロの心はそれだけ前のものにあった。前のものとは何ぞ、前に残れる馳場である、即ち基督者生活の完成に於いて未だ実現せざるすべての高き階梯である。パウロの前途に無限の進歩的未来があった。彼は一歩を進むる毎に更に新しき、広き、高き光景の己が前に当りて展開するを見た。しかしながら彼はこれを見て唯に失望しなかったばかりでない、却って基督者に与えられたる馳場の遠大なるを讃美し感謝した。しかして恰も競走者が前方に身を提して(励みと訳せられし語に此の意味がある)進むが如く、パウロの心もまた常に前方に提進しつつあった。彼は断えず望んだ、求めた、憧れた。彼は永久の青年であった。彼の心情は暮れざる春であった、其処には新しき芽がいつも萌え出ておった、理想の花が凋むことはなかった、希望の歌が消える時はなかった。更に深き愛、更に聖き行い、更に大いなる活動を彼は求めた。殊に又キリストの再臨と天国の実現と永遠の生活とを望んで心焦がれた。誠にただ希望に於いて生きたるものは彼パウロであった。

しかして斯く後のものを忘れ、前のものに向かって励みつつ、彼の目指して進み往きたる目標は何であったか。目標なくして競走者は走ることが出来ない。目標は明確なるを要する、具体的なるを要する。人生の偉大なる競走者パウロの目標は果たして何であったか。それは単に漠然たる抽象的の「完全」ではなかった。むしろ完全なる人であった。即ちキリストであった。キリストの生涯が彼の明確にして具体的なる唯一の目標であった。これを狙って彼はまっしぐらに突進した。彼処に到達したる時に彼の競走は終りて、彼は貴き勝利の冠を戴くのである。キリストの如くに成らん事、キリストの生涯に似たる生涯に入らん事、彼の如くに神に従い、彼の如くに人を愛せん事、彼の如くに朽ちざる復活体をせられ、彼の如くに栄光と権力とを賦与せられん事、それがパウロの願いであった。従って現在に於ける自己の生活を評価するにもまた彼は此の標準を以てした。我は果たしてキリストの如くに誘惑に打ち勝ちつつあるか、果たしてキリストの如くに苦難を忍びつつあるか、果たして彼の如くに敵を愛しつつあるか。キリストを唯一の目標とするによりて、彼の進路は確然と定まった。彼は自己の生涯が何人の理想に抵触するとも少しも憂えなかった。時代の思想と如何に懸隔するとも少しもかまわなかった。世の人々が種々なる理想に迷わされて動揺浮沈窮まりなき間に、彼は独り栄光の主を目がけて一直線に飛んだ。思うにダマスコ近郊に於いて彼の仰ぎし栄光の姿は死に至るまで彼の眼底より消え去らなかったであろう。彼の変わらざる目標は即ちかの一人に於いてあった。

競走は言う迄もなく勝利を得んが為である。しかして勝利は必ず褒美を伴う。褒美と勝利とは勿論同一ではない。褒美は如何に卑しくとも、勝利は貴きものたる事がある。しかしながら原則として褒美は勝利の表彰である。貴き勝利には貴き褒美がある。勝利の性質は褒美の如何によって知ることが出来る。従って勝利を目的とする競走者の心に、褒美は大いなる影響を与えざるを得ない。

キリストに在る競走者の受くべき褒美は何であるか。パウロはここにその実体については語らずして、ただそれが如何に貴きものであるかを説明している。曰う「キリスト・イエスによりての神の高き召しにかかわる褒美」と。彼はキリスト・イエスによりて神の高き召しに与った。彼自らは優秀なるパリサイ人として此の世に於いて成功せん事を求めつつありし時、意外にも神はキリストを遣わして彼を召し給うた。即ちダマスコの途にて「サウロ、サウロ」との声の彼の耳に響きし以来、彼は世より呼び出されて、全く新たなる途についた。その時神は既に或る褒美を備えて、これを与えんが為に彼を呼び給うたのであるという。乃ち知る、彼の受くべき褒美はいわば神の彼を召し給いし主なる理由である事を。従ってそは彼の召されし以来世を去る時に至るまでの凡ての悪戦苦闘に酬いるに足るものである事を。

然らば何ぞ。「彼等は朽つる冠を得んが為なれど、我等は朽ちぬ冠を得んが為にこれ(競走)をなすなり」(前コリント九の二五)。「我は今供物として血を注がんとす。わが去るべき時は近づけり。……今よりのち義の冠わが為に備われり」(後テモテ四の七、八)。「汝死に至るまで忠実なれ。さらばわれ汝に生命の冠を与えん」(黙示録二の一〇)。冠である、名誉の月桂冠である。但し橄欖カンラン又はローレルにて編みし朽つべき冠ではない。朽つべからざる永遠の生命!完全なる栄光の生命!それが彼方に於いて彼を待った。かの日、即ち再臨の日に至りて彼は確実にこれを獲得することが出来る。その時こそ彼は「我既に取れり、既に全うせられたり」と言うことが出来る。その時こそ万事が決定的に顕明する。

福いなるかな、タルソのサウロ。しかして彼の経験は又実にすべての基督者の経験であるべきである。

〔第七号、一九二〇年一二月〕