文芸復興期の最大の天才ミケランゼロは、円天井の壁画にその注意を集中して居った為に、いつしか顔も眼も上に向いたままの姿勢に変わってしまったそうであります。そして彼が街を通る時には狂人かと疑われるほどであったと申します。先般死にました米国第一流の天文学者バーナード博士は星の世界即ち夜の世界が自分の領分でありましたため、いつの挨拶にでも平気で「今晩は」と云い放っていたとの事であります。
彼等はみな上の方を慕い、そこを自分の国としました。彼等はいつもその眼を天につけ、又彼等自身の「国ことば」を以て語りました。
私どもの国は何処にありますか。「我等の国籍は天にあり」。然らば私共もまたなぜ常に天を望まないんですか。私共もまたなぜ彼の国の言葉を以て語る事が出来ないんですか。信仰の祖先らは「未だ約束のものを受けざりしが、遥かに之を見て迎え、地にては旅人また寄寓者なるを言いあらわせり。かく言うはおのが故郷を求むる事を表わすなり。」と聖書にもあります。ほんとうに基督者の熱心が画家や天文学者のそれに劣っては堪りません。
〔『ちとせのいわ』第一二号、一九二三年一二月〕