第三 愛は労苦す コロサイ書第一章二四

藤井武

キリストの苦難の補充

先頃私はJ・R・ハウデン氏の小著述を漫読している中に、南米の最南端の荒涼たる一島テエラ・デル・フエーゴに始めて福音の伝えらるるに至りし記事を見て、私の胸は怪しくも躍った。

此の島の民は全人類中最も未開なる種族の一つであった。彼等は算えることをすら知らず、その言語は一見無意義なる唸り声の連続に過ぎなかったという。進化論の始祖ダーウィンがビーグル号遠征隊に加わりて此の島を訪問し島民の状況を実見するや、彼等こそ動物進化の行程に於ける失われたる連鎖の一つであろうと推断した。しかして本国に帰りし後、彼はその冷静なる学者的立場より、殆ど野獣に均しき彼等の心的道徳的退化の状態に就いて発表するところがあった。

然るにその反響は意外なる方面より聞こえた。主として学界の研究材料を供給すべく、血もなく涙もなく、ただ事実有りのままに報告せられたる此の博物学者の言は、ひとり静かに学界に伝播せらるるに止まらなかった。其の声一たび霊界の空気を動かすや、基督教的愛のこころの所有者の耳には、さながら青天の霹靂の如く、同胞の急を告ぐる喇叭の声として響いたのである。しかして英国に於ける多くの基督者の中に海軍大佐アレン・ガーデナーがあった。ダーウィンがそれとも知らずに吹奏したる喇叭の声は、ガーデナーに取っては、艦上夜半の夢を驚かす哨兵の其れにもまして鋭く強きものであった。彼のたましいは西南遠き洋上彼方の蛮民を憶って堪えられなかった。彼は遂に憐むべき同胞の為に己がいのちを献げんことを決心した。

其の事を伝え聞いて、ダーウィンは曰った、「伝道事業は無益である。土民の上に課せらるる苦痛は悉く之を取り除き得るであろう。しかし彼等は決して教化せられない」と。けだし偉大なる進化論者は飽くまでも冷静なる学者的立場より、熱誠のたましいに向かって一斗の冷水を浴びせかけたのである。しかしながら神の点じ給いし火は人の手これを消すべくもない。イエスの精神を解せざる学者の批評に一顧をも与えずして、基督者武士ガーデナーは断然勇ましく進発した。

ガーデナーの新しき生涯は其の後如何に祝福せられたか。著者は凡てを簡単に摘記して曰う、

「しかして多くの冒険と、信じがたきほどの困難と、悲痛なる経験との後に、彼は餓死してしまった」。

読んで此処に至って、私の眼には熱涙の浮かぶを禁じ得なかった。

ああ、ここに人生の或る貴き法則が現われてはいないか。その心の荒れすさびたる多数の蛮人が何をも知らず野獣の如くに嬉戯せる間に、海洋万里の異国に於いて、一人の優秀なる霊魂が、彼等の為に進んで己がいのちを献げんことを決心し、而して遂に決心通りに隠れたる犠牲の生涯を終ったのである。之を愚かと言おうか、物数奇と言おうか。批評は人の好むがままであるとはいえ、事実は余りに厳粛なるを如何にしよう。

かつてリビングストーンの伝記をひもといた時にも、同じような感に撃たれた事を私は記憶している。彼がアフリカ土人の為に多年の辛酸を嘗めたる後、その消息全く絶えた時に、旅行家スタンレー遂に彼を捜し当て、数ヶ月の親しき交際を結びて、共に帰国せんことを熱心に彼に勧めた。しかしながら「一事は最初から確定しておった。リビングストーンはスタンレーと共に帰ろうとは思わなかったのである。たとえ彼の心は切に郷国を慕い家庭を慕ったけれども、殊に息トマスが危険なる出来事に遭遇したことを聞いたばかりであったけれども、また彼の身に取って保養の必要が甚だ大であったけれども、なお己が仕事の残存せる限り、彼は帰国を思わなかった。再びかのわびしき沼地に帰り、かの氾濫せる野にて眠り、又もかの恐るべき肺炎や出血の危険にさらさるるが如きは、何人に取っても堪えがたき事であった。しかしリビングストーンは少しも畏縮しなかった。もし彼が英国に帰ったならば、如何に大いなる歓迎が彼を待ち受けた事であろう。友人より、子女等より、凡ての大いなる協会及び学者等より、其の他あらゆる公共の機関より、如何に盛なる歓呼と名誉とを彼は浴びせられた事であろう。また新たに伝道及び商業を確立し、奴隷売買を抑圧すべき努力の為に、如何によき機会を捉えた事であろう。もしリビングストーンが此の途を取ったとしたならば、それに反対する囁きの声すらも聞こえなかったに相違ない。然るに彼が帰国に関するスタンレーの願いを悉く斥けて、再び湿潤なる泥土地方に立ち帰るべく断乎として決心した時ほど、彼のたましいの貴さが高く顕われたことはなく、又彼の全き自己抛棄とその義務に対する遺憾なき献身と、その今日と称える間に働かんと欲する正しき決心とが、此の時ほど明らかに輝いたことはなかった」。それより一年の後、バングエヲロ湖畔の一小村に、俄か造りの最も粗末なる小屋の中に於いて、一夜悲壮なる光景が現出した。「宵の頃まで別に注意を惹くほどの事は起こらなかったが、朝の四時に、戸口に寝ていた少年があわただしく叫んで、主人は死んだらしいと告げた。燃え残りの蝋燭の光に照らして見れば、彼(リビングストーン)は床の中にはおらず、その 側に跪き、枕に両手をかけ、其の間に頭を埋めておった。……全旅行中の極遠の場所に於いて、一人の侍者もなしに彼は逝いたのである。しかしながら彼は祈祷をささげながら死んだ――いつも彼の特徴として目立ちしその敬虔なる態度に於いて祈祷をささげながら、しかして凡ての愛する者と共に、己がたましいを救い主の聖手みてに委ねながら、またアフリカ――彼のものなる親愛なるアフリカを、その一切の禍いや罪と共に、虐げらるる者の報復者にして失われたる者の贖主なる彼に委ねながら」。

ガーデナーといいリビングストーンといい、彼等の生と死とは何を語るか。彼等は何の為に苦難を己が受くべきものとして選んだのであるか。説明は無用である。事実が人の霊魂の上に印する直接の印象そのものが何よりも雄弁である。誰かここに粛然として己を撃つ或るものの存在を意識しないであろうか。

しかして斯の如きは決してひとり大佐ガーデナーや博士リビングストーンの場合のみではなかった。昔より今に至るまで、多くの人が我れ勝ちにと享楽を漁りつつある間に、或る少数の人々は、黙って他人の為に苦しんで生き苦しんで死んだのである。人の目に届かざる人生の潜流の中に、彼等の犠牲の生涯が石の如くに重く沈んでいる。人間の歴史ならぬ天の記録の中に、彼等の名が光りかがやきつつ録されている。確かに人生には彼等を動かしたる或る貴き法則があるのである。

言うまでもなく愛の法則である。愛は労苦する。パウロはテサロニケの信者たちに書を送って曰った、

我ら祈りの時に汝らを憶えて、常に汝ら衆人もろもろのために神に感謝す。これ汝らが信仰のはたらき、愛の労苦、主イエス・キリストに対する望みの忍耐を、わが父なる神の前に絶えずおもうによりてなり。(前テサロニケ一の二―三)

はたらかざる信仰はない、忍耐せざる望みはない、しかして又実に労苦せざる愛はないのである。愛は自己をささぐることである、一粒の麦が地に落ちて死ぬ事である、しかして新しき生命を産むことである。故に愛には必ず死の苦しみがある、産みの苦しみがある。我等の生活が天国に移らない限り、苦しまない愛は断じて愛ではない。繰り返し言う、愛は労苦すると。これ現世に於ける愛の法則である。まことに貴き法則である。

かつて実現したる最大の愛の生活はナザレのイエスの生活であった。従って最大労苦の生活もまた彼のそれであった。彼は限りなく愛した。故に限りなく苦しんで生き、また限りなく苦しんで死んだ。

彼の愛が完くあったから、彼の苦難もまた完くあった。「事おわりぬ」と最後に彼が叫んだ時に、彼の苦難は充たされて、其の目的は成就せられたのである。かくて彼は「自ら懲罰を受けて、我等に平安を与えた。その撃たれしきずによって、我等は癒された」。

然り、我等の罪を贖わんがためのキリストの苦難は、彼の死に於いて完成した。最早や一ごうの加うべきなく補うべきものがなかった。実に我等の「もろもろの罪によりて、エホバの手より受けしところは倍した」のである。しかしながらキリストの愛は贖いの成就ということだけではまだ満足しない。贖いは我等の知らざる時に知らざる所に於いて果たされる客観的事実である。彼は更に之を現実に我等各自の主観的事実たらしめねば已まぬ。罪人のひとりびとりが贖いを己がものとして受け入るるまで、其の結果として聖められ栄化せらるるまで、キリストの愛は満たされず、その苦難も完うせられないのである。

此の意味に於いてキリストの苦難はなお欠けたるものである。彼の愛は彼の苦難の欠けたるところの悉く補われんことを要求する。キリストはなお苦しまねばならぬ。死の苦しみ、産みの苦しみを彼はなお長く続けれはならぬ。

既に世を去りたる彼が如何にしてなおその愛の労苦を続けたもうか。曰く彼の教会によってである。教会とはキリストの愛の要求を満たさんが為に彼の霊を以て労苦すべき彼の半身である。教会がキリストの新婦たるいと高き特権を与えられて、彼と一体たらしめらるるは、主として彼の労苦を続けんがためである。体はかしらと運命を共にする。首たるキリストもし肉に於いて労苦したらば、体たる教会、肢たる基督者各自もまた同じように労苦すべきはもとより当然の事である。然らずんば一体たるの実は何処にあろうか。故に使徒ヨハネは曰った、

主は我らの為に生命を捨てたまえり。之によりて愛ということを知りたり。我等もまた兄弟のために生命を捨つべきなり。(ヨハネ一書三の一六)

ペテロもまた曰った、

キリスト肉体にて苦難を受け給いたれば、汝らもまた同じ心をもて自らよろえ。(前ペテロ四の一)

ここに於いてか知る、基督者にふさわざる生活にして享楽の如きは無いことを。勿論苦難は苦難の故に貴いのではない、決してそうではない。しかしながら右にも左にも悩みに沈淪する霊魂の言いがたき呻吟を聴きながら、己が生涯を享楽の為に用いんと欲する精神ほど、キリストのこころに似ないものがあるであろうか。イエスは言い給わなかったか、「されど我には受くべきバプテスマあり。その成し遂げらるるまでは思い迫ること如何ばかりぞや」と、また「汝ら我が飲まんとする酒杯を飲み得るか」と、また「己が十字架を取りて我に従わぬ者は我にふさわしからず」と。我等は世にありて果たして如何なる酒杯を飲んでいるか、如何なる十字架を負っているか、リビンクストーンがアフリカ大陸の土人の為にガーデナーかテエラ・デル・フエーゴ島の蛮民の為に、甘んじてその惜しきいのちをささげたような精神こそ、イエスの香いの鮮やかなものではないか。

キリストの体なる教会は、何を為さずとも、彼の愛の労苦を続けねばならぬ。教会の労苦なくして救いは万国の民に及ばないのである、贖いは罪人各自のものと成らないのである。今や人類の為の教会の労苦の必要は、かつてイエスの労苦が必要であった事に劣らない。何故に今の教会の伝道が使徒等の働きのように実を結ばないのであるか。他なし、今の伝道者に使徒等の如き愛の労苦がないからである。使徒等に取っては伝道とは労苦以外のものではなかった。キリストの血を証するものは彼等自身の血であった。十字架を証するものはまた十字架であった。キリスト肉体に苦難を受け給いしが故に、彼等もまた同じ心を以て自らよろうた。主は彼等の為に生命を捨て給いしが故に、彼等もまた兄弟の為に生命を捨てた。此の故に彼等の言は人を動かしたのである。此の故に多くのたましいが滅亡から救われて光明の国に移ったのである。彼等はみな地に落ちて死ぬ一粒の麦であった。故に多くの果を結んだ。彼等はみな激しき産みの苦しみをなした。故に新しきいのちを産んだ。

教会はキリストの労苦を続けねばならぬ。しかして教会が労苦する事は言うまでもなくその全員が労苦する事である。勿論伝道者のみの問題ではない。全世界にあるクリスチャンというクリスチャンは、各々その置かれたる立場に於いて、深刻に愛の労苦をなすべきである。キリストの苦難の欠けたるところは斯の如くにして補われ充たされるのである。パウロの言った通りである、

われ今汝等の為に受くる苦難を喜び、又キリストの体なる教会のために、我が身をもてキリストの患難の欠けたるを補う。(コロサイ一の二四)

一人の名もなき男子又は婦人が、キリストの愛に迫られて、此の世の幸福を斥け、悩める人々の為に黙って堪えがたき労苦の生涯を送っている時、この隠れたる一つの事実の中に如何ばかり深き意義のあるかを思え。注意せよ、その人の労苦は実に其の人自身のものではなくして、キリストのものである事を。主は自ら彼又は彼女に於いて人類の為の愛の苦しみを続けつつあり給うのである。主の苦難の充つるまで、彼は斯の如き人々を己が体の肢として要求し給う。彼等の人知れぬ労苦の故に、キリストの救いは悩めるたましいの上に実現しつつあるのである。

今や人はただ迷って各々己が道に向かい往く。社会は各階級の浅ましき我利的闘争のために殆どその結合力を失わんとしている。斯の如くにして人の世のまだ滅びない事が寧ろ不思議である。如何にして最後の分裂が阻止せられているのであるか。隠れたる所にはたらきつつある愛の労苦の法則があればこそではないか。一人のガーデナーの労苦によってテエラ・デル・フエーゴの幽暗を歩める民は大いなる光を見るに至ったのである。一人のリビングストーンの犠牲によってアフリカの死蔭の地に住める多くの者が滅亡を免れたのである。誰か知らん、一人の未知の友の祈祷と労苦とによって我等自身も幾たびか恐るべき危機より救われ、大いなる恩恵に浴しつつあることを。

享楽の為に過ごす一生も一生である、愛の労苦の為に過ごす一生もまた一生である。前にも後にも唯一たびしか許されざるこの稀有なる機会――地上の生涯――を我等は如何に用うべきであろうか。ああ全人類に対するキリストの燃えるが如き愛の炉の中に我等の身を投じて、彼の苦難の欠けたるを補うにまさる光栄は何処にあるか。斯の如くにして天にいます彼の心を悦ばすにまさる福いは何処にあるか。

〔第三一号、一九二二年一二月〕