信頼

藤井武

神に対する我らの信頼は屡々彼によって試みられる。何処まで我らは彼を信頼し、何処から彼を疑ふべき乎。我ら彼を信ずると称しながら、大抵その信頼の極限をもつて居る。或る種の甚だしき問題が起れば遂に神を疑はざるを得なくなるはその証拠である。併しながらほんたうの信頼とはどんなものであらう乎。いはゆる「皮をもて皮に換ふる」までは忍び得るも「骨と肉とを撃たるる」に至ては誼ふのほかなきが如き心が真実の信頼であらう乎。信ずるといふならば信ずるのである。「たとひ彼われを殺すとも」我は彼を信ずるその心が信頼である。何処まで連れて往かれようとも、一切の恩恵を奪はれようとも、肉と骨と髄とを撃たれようとも、神なるが故に絶対に神を信ずるその心が信頼である。我らの信頼をこの純粋のものたらしめんがために彼は屡々我らを試みたまふ。我らは試みらるる毎に我らの信頼の極限を拡大してゆきたい。遂に限なく試みられて限なく彼を信頼し得るまで。

「旧約と新約」第七七号 一九二六年一一月