斯く信仰は聞くにより、聞くはキリストの言による。されど我いふ、彼ら聞えざりしか。然らず。「その声は全地にゆきわたり、その言は世界の極にまで及べり」。(ロマ一○の一七、一八)
信仰は聞くにより聞くはキリストの言による。言ひ換へれば信仰は伝道によるのである。併しながら真実の伝道はいかにして行はれるか。パウロはこれを説明するに詩篇の言を以てした。すなはち詩篇の第十九篇中の一節である。これを旧約の言辞のままに読めば次のとほりである。
そのひびきは全地にあまねく、
そのことばは地のはてにまでおよぶ。
この二行はもともと伝道者を歌うた言ではない。天然礼讃の辞である。もろもろの天と蒼穹との歌である。日と夜との詩である。もろもろの天は神の栄光をあらはし、蒼穹はその手のわざを示すのである。この日ことばをかの日につたへ、この夜、知識をかの夜におくるのである。ただし彼らは如何にしてその言をつたへ、如何にしてその知識をおくりつつあるか。日に口はない、夜に舌はない、彼らは地の伝道者のやうに「叫ぶことなく声をあぐることなく、その声を街頭にきこえしめない」。彼らは世の偽善者のやうに「おのが前にラッパを鳴らさない」。彼らはいはゆる説教をなさない。彼らの発言は黙示であり、彼らの雄弁は沈黙である。故にいふ、
語らず、いはず、
その声きこえざるに
と。彼らは舌を動かさずして、静かにかがやく。彼らは喉を励まさずして、ひとり照りわたる。その光を受くるものはありやなしや、あへて問はないのである。たとひ一物のこれを迎ふるものなくとも憂へない。彼らはただ輝かざるを得ずしてかがやく。ただ照りわたらずには居られずして照りわたる。神の栄光をあらはすことはもろもろの天の喜悦である。その手のわざを示すことは蒼穹の呼吸である。之によりて何かを収穫せんがための手段ではない。それ自体が目的また必然また生命である。故にこそ限なく純にして美しい。
而してこの天然の無言の光輝を以てパウロは真実の伝道を説明せんと欲した。伝道者も亦天然と共に神の栄光をあらはしその手のわざを示す。伝道者も亦日と共に夜と共に嘉きおとづれを伝へ喜びの音信をおくる。彼らは地に撒かれたる星であり、日であり、月である。
然らば、彼らの伝道もし純にして美なるべくば、亦これを天然のごとくになすべきではないか。語らずいはずその声きこえずして、そのひびきは全地にあまねく、そのことばは地のはてにまで及ぶもの、救はんがため導かんがため受けられんがためではなくして、ただ神の恩恵うちより溢れて、已むに已まれずこれを外に頒つもの、斯のごときものを真実の伝道といふ。
かの救霊と呼び教化と唱へて、伝道を打算的企業の一種と化せしめるものは誰であるか。すべて結果を苦慮し、すべて数字をあげつらひ、すべて反響を誇るところの伝道は偽の伝道である。人はひとりの霊魂をも救ふこと能はない。アポロ何ものぞ。パウロ何ものぞ。彼らはおのおの主の賜ふところに従うて恩恵を頒ち与へたる役者に過ぎない。パウロは植ゑ、アポロは水灌いだ。併し育てたものは神ではないか。植うる者も水灌ぐ者も数ふるに足りない。尊きはただ育てたまふ神である。収穫は一切かれの聖手にある。故に全くこれを彼に一任すべきである。植うる者はただ植ゑざるを得ずして植ゑ、水灌ぐ者は灌がずば禍ひなるがゆゑに灌ぐべきである。それよりほかに伝道の意味はない。
このゆゑに真実の伝道には伝道の意識をすら伴はないのである。星は照らさんと欲して照らさない。イエスは説教せんと欲して説教しなかつた。イエスの伝道は常にその時に応じての彼の生命の自然の発動に過ぎなかつた。そこに予想はなかつた、計算はなかつた。故に人を動かした。
私に神を教へくれたる教師は誰々か。その中には勿論宗教家もあつた。併し偉大なる宗教家たちにもまさりて、厳粛なる道義の感念を私に吹きこんだものは哲学者カントであつた。また神の存在を私の腸にまで浸みこましめたものは詩人ダンテであった。私にとつて彼ら二人の存在は牧師宣教師の二万人に勝る。然るに彼らはいづれもいはゆる伝道の意識をもたなかつたのである。彼らはただ哲学者として詩人として、星の輝くごとくに輝いたに過ぎない。
更に近き人々に就て見ても同様である。イエスの霊感の何であるかを言よりもむしろ事実において生活において私に示し、以て祝福の人生に対する私の確信を堅固ならしめたものは、いはゆる伝道者ではなくして、或は家庭の未亡人であり、或は田園の農業者であつた。
職業伝道者らは切りに霊魂の滅亡を心配する。彼らは相励ましていふ、「漕げよ疾く、友ぞ溺るる」(さんびか第幾番)【現行『讃美歌』四九三番ヵ】と。かくて或は何万救霊、或は一年幾人伝道などと呼はり騒ぐ。併しながら心配するをやめよ、神は所在に沈黙の伝道者を備へたまふのである。主婦である、労働者である、下僕である。彼らは語らずいはずその声きこえない。しかし彼らの生活そのもののゆゑに真理のひびきは全地にあまねく、神の言は地のはてにまで及びつつある。讃美すべきは神の聖名である。
「旧約と新約」第九〇号 一九二七年一二月